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薔薇姫は鳥籠を飛び出す

 セルトフェル侯爵家が所有する邸宅は、王都でも五指に入る立派な屋敷だ。

 整然とした庭と白い外壁の瀟洒な建物は住まう者の性格を反映しており、飾り気は少ないながらも品のある佇まいだった。

 その邸宅の一室。日当たりのよい談話室に、セルトフェル侯爵家当主とその孫娘が、向かい合って座っていた。

 体が深く沈み込む葡萄色のソファと光沢のあるローテーブル。その上には白磁のティーカップが二客と繊細なレース模様が美しい銀のケーキスタンド。

 ケーキスタンドには一口サイズのマドレーヌやカップケーキが盛り付けられていた。

 フィナンシェを口に運ぶ祖父を眺め、ローザリア・セルトフェルは息を吐いた。

「お祖父様、いくら甘いものがお好きだからといって、ものには限度がありますのよ」

 三段ある内の、二段が既に空っぽだ。

 祖父は甘い物に目がない。体裁を気にして外で食べない分、家での摂取量は凄まじかった。

 本人は日々頭を使っているから仕方がないと言っているが、やはり体に悪い。どうせ聞かないと分かっていても、つい諌めてしまう。

「お食べになってもあまり太らないようですが、目に見えて太らない方が危ないと聞きますわ」

「太らないのは頭を使っているからだ」

「またそれですか。西方の国に、フォアグラというものがあるそうです。何でも、太らせた鳥の肥大した肝臓なんだとか。どんなお味なのか、とても気になりますわよね、お祖父様?」

 リジク・セルトフェルは途端に顔色を悪くした。

「……ローズ、お前は本当に底意地が悪いな」

「あら。こんなにもお祖父様を心配する、可愛い孫を捕まえて。たった一人の肉親ですもの。お祖父様には長生きしてほしいわ」

「そうは言ってもな、俺がお前より先に死ぬことは変えられない」

 リジクはどっかりソファにもたれると、自棄になったように紅茶をあおった。

「お祖父様以外にわたくしの家族と言えるのは、この家の使用人だけになってしまいましたし」

「アレイシスは義弟だろうが。それにいずれ、お前はフォルセに嫁ぐ」

「あの子は最近めっきり態度が悪くなりましたし、婚約者様にも愛などないようです」

 ローザリアのカップが空くと、専属侍女のミリアがすかさず紅茶を手に取った。

 彼女と壁際に控える従者のグレディオールとは、幼い頃からの付き合いだ。

「というわけで親愛なるお祖父様。わたくし、恋をしてしまいました」

 突発的な重大発表に、若くして有能なミリアが珍しく紅茶をこぼした。

「も、申し訳ございません旦那様、お嬢様! お召しものに、かかっていらっしゃいませんか!?」

「大丈夫よミリア。この失態は、あなたのせいじゃありません」

 グレディオールがテーブルの片付けを手伝ったことで素早く収拾がつき、ローザリアは祖父に視線を移す。その間、リジクは微妙な体勢で硬直したままだった。

「お祖父様、体力を消耗する一発芸は、あまり推奨いたしませんわ」

「芸のつもりはないし、これで稼げるとも思えない。それよりローザリア、今何と?」

 ようやく金縛りの解けたリジクが問い返すと、ローザリアは花のような笑みを浮かべた。

「ですから恋を知りましたので、すぐにもフォルセ様との婚約を破棄し、学園に通うご許可をと」

「冗談も休み休み言いなさい。というか先ほどの発言に加えて、何やら要求が増えているのだが?」

 打ち返された答えには取りつく島もない。それでもローザリアの鉄壁の笑みには響かなかった。

「いちいち静止されても不安ですので、一息に全てを言わせていただきましたのよ」

「俺の体が心配で、ではなく話が進まなくて、という本音が透けて見えるのだが」

「気のせいでございましょう。未だ政治の最前線で活躍するお祖父様におかれましては、とうとう耄碌してしまったのでしょうか」

「年寄り扱いするな。俺はまだまだ現役だ」

 祖父とはいえリジクはまだ五十歳になったばかりで、見た目もかなり若々しい。

 白髪のないシルバーブロンド、灰色を帯びた青の瞳は孤高の狼のようで、ローザリアと並べば親子にしか見えなかった。

「とりあえず、お前の言い分を聞こうじゃないか。相手はどういった男だ?」

「お相手の身元についてはある程度調べがついておりますの。カディオ・グラント、二十五歳。新興貴族であるグラント男爵家のご長男になります」

 祖父の許しがなくても諦めるつもりは毛頭ないので、できることなら後押しがあるといいのだが。

「カディオ様は、社交界で華やかな話題をばら蒔き続ける遊び人ですわ。騎士の花形である近衛騎士団に勤め、現在は学園にて王弟殿下の護衛の任に就いております。実力は確かですし眉目秀麗ですが、女性との噂が絶えない、いわゆる駄目人間ですわね」

「待て。一体どこに惚れる要素があった」

「けれど数ヶ月前から、なぜか女遊びが絶えているそうです。まるで人が変わったように穏和になったと専らの噂で」

 記憶喪失とか悟りを開いたとか、下半身に呪いをかけられたとか様々な憶測が飛び交っているが、その辺はリジクには伏せておく。

「わたくしもたった一度お会いしただけですが、とても素敵な方だと思いました。わたくしの全てを捧げるのは、この方しかいないと」

 ローザリアは大輪の薔薇のごとく微笑んだ。

「お祖父様、わたくし籠の鳥は卒業いたします。どうか学園に入学するご許可を」

 こうなっては断固として自分を曲げない孫娘に、リジクは早々に白旗を掲げた。


 

 私室に戻るなり、ミリアは性急に口を開いた。

「あの、恋とは一体何ごとなのでしょうか? 正直私達も全く理解が追い付いていないのですが」

 栗色の髪をまとめたしっかり者の侍女は、沈痛な面持ちだった。

「何って、運命の出会いをしてしまったのよ?」

「ローズ様、はぐらかさずに説明してください!」

 ミリアは使用人のみになると、こうしてくだけた口調で話す。幼少の頃から家族のように育った彼女は、ローザリアにとって姉のような存在だった。

「なぜ調べるよう命じられた時にお知らせくださらなかったのですか! てっきり政敵や排除すべき相手と思っておりましたのに!」

「ミリアったら、人聞きが悪いですわ。わたくしが他人を蹴落としてばかりのように聞こえましてよ」

「実際今まで、私にあれこれお命じになってきたではありませんか!」

 他家の侍女へも通じているミリアの情報網はかなり広い。どんなに箝口令を強いたとしても、人の口に戸は立てられない。厳重に守りたい秘密であるほど隠し事は不可能なのだ。

 とはいえ、ただの小娘だったミリアが人脈を駆使して情報を操れるようになったのは、ローザリアの無茶ぶりに応えるためなのだが。

「二十五歳で王弟殿下の護衛をしているなんて、カディオ様はとても強い方なのね」

「そこに放蕩息子という、負の要素が付け加えられていることをお忘れなく」

 ミリアは口惜しいとばかりに頭を振った。

「あぁ、ローズ様が『薔薇姫』でさえなければ、広い世界を知り、真っ当な男性を選ぶ目も養われたでしょうに……。私とてフォルセ様との愛のない結婚はどうかと思いますが、みすみすそれ以上の不幸を背負う道を選ばれるなんて……」

「それは、カディオ様にもフォルセにも失礼な発言ではなくて?」

 おっとり小首を傾げると、祖父譲りのシルバーブロンドが肩を滑り落ちていく。

 亡き父から受け継いだアイスブルーの瞳でグレディオールを窺うが、彼は我関せずとばかりに沈黙を守っていた。同じ男として、口を出さないのは賢明な選択だ。

 それにミリアの嘆きは、ローザリアを心から案じるゆえのもの。

 たまにこうして暴走することもあるけれど、彼女の優しさにどれだけ救われてきたか知れない。

 ――とはいえ、今回ばかりはお祖父様同様、納得してもらわないと話が進まないわね。

 納得というよりリジクは諦観しただけなのだが、細かいことを気にしていては何も始まらない。

「あぁ。なぜあなたのような方が、下半身で生きているような野蛮な男を……! いっそ出会ったこと自体が間違いだったのです! やり直せるものならやり直したい!」

「ならばわたくしは、その間違いにすら感謝いたしましょう」

 ローザリアは、衝動的に不満をぶち撒けるミリアの手を取った。

「カディオ様を愛してしまったの。誰よりも」

 心から微笑んでみせると、彼女は黙り込んだ。

 確かに、何の欠点もない男性と愛し愛される関係になれたなら、それが一番よかったのだろう。

 けれど嘆いたって仕方がないのだ。

 たとえやり直せるとしても、何度だって同じ道を選ぶに決まっているのだから。

「彼がどんな方であったとしても、わたくしは生涯を賭けて愛し抜きます」

「ローズ様、」

「もう決めたのです」

 キッパリ言い切ると、ミリアはくしゃくしゃに顔を歪めた。

「~もうっ! あなたは昔から、一人で背負い込むのですから! あなたが誰と結婚しようと決してお側を離れませんので、どうぞ頼ってくださいね!」

 結局ミリアは、妹のように大切にしている主人の気持ちを優先することにしたらしい。

 ローザリアは晴れやかに笑った。

「もちろん信頼しているわ、ミリア。グレディオール、あなたも」

 視線を遣ると、寡黙なグレディオールはただ恭しく頭を下げる。変わらぬ慇懃な態度に、ローザリアとミリアは苦笑した。

 この時点では、カディオ本人の意向が全く考慮されていないことに、まだ誰も気付いていない。







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