捕まりました
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「おらよ」
ローザリアに向かって放り投げられたのは、教科書が入った手提げのバッグだった。
「暇なら勉強でもしてりゃいいさ、お嬢ちゃん」
手足を拘束されて板の間に転がっているので、受け取ることが不可能と分かっての発言だ。
扉の向こうから、弾けるような笑い声が上がる。
狭い家屋には部屋が二つきりだった。
男達がくつろぐリビングと、ローザリア達が閉じ込められている窓もない荷物だらけの部屋。
おそらく物置なのだろう。向こう側から鍵がかけられるようになっていて、出入り口もリビングに繋がる一つしかない。
か弱い少女二人に何もできるはずないと、彼らが油断しきっているのも無理はなかった。
男達は昼間だというのに、酒を飲みながらの賭けカードに興じている。上等の売りものが向こうから飛び込んできた前祝いとばかり、大宴会だ。
「あなた方は、働いていないのですか?」
未だ扉に手をかけたままだった男に、ローザリアは問いかける。彼はフンと鼻を鳴らした。
「お貴族様には分からないだろうが、貧民街の人間にまともな仕事なんか回ってこねぇんだよ」
「それはなぜですか?」
「偏見があるからだ。真面目に働いていても、職場で盗難騒ぎがあれば真っ先に疑われる。一方的に悪人に仕立てあげられる」
男は皮肉めいた笑みを浮かべつつ、意外にも真面目に答えてくれた。非難も批判も込めず、純粋な気持ちだけで問いかけたからかもしれない。
扉を閉める時、男は罪悪感に表情を曇らせたように見えた。
ガチャリと重い音をたて、錠が落ちる。
薄暗くなった部屋の隅で、ずっと俯いて黙り込んでいるルーティエに視線を巡らせた。
「きっと大丈夫よ。心を強く持ちましょう」
励ますつもりで口を開くと、ルーティエが悪鬼の形相で振り向いた。
泣いているのかと思えば、怒りにうち震えているだけだったらしい。さすがにぎょっとする。
「あんた一体何者なの!? ゲーム知識もないようだし、転生者ですらなさそうだし! 本当にバグなんじゃないの!?」
溜まった鬱憤をぶちまけたいのは分かったが、今の声量では男達にまで声が届いてしまう。
ローザリアは静かに嗜めた。
「とりあえず、少し落ち着いたらどうかしら。そのわけの分からない発言を誰かに聞き咎められでもしたら、異常者と決め付けられるわよ」
ルーティエは肩で呼吸しながらも、少し頭が冷えてきたのか黙り込む。
男達の怒りを買えばひどく扱われるかもしれないという、打算も働いたのだろう。
「それで、あなたは何を訴えたいのかしら? わたくしが、転生者?」
彼女の真意を知るのはローザリアとしても望むところだったので、改めて問い返す。ルーティエは、今度は慎重に口を開いた。
「……転生ものの小説でよくあったのよ。ヒロイン以外にも転生者がいて、そいつが設定にない動きをするせいでシナリオが改変されていっちゃう話。だから一番怪しいのは、やっぱりあんたなのよ」
カディオは、ルーティエと同じ転生者だ。
つまりこの場合、彼女の言う邪魔者に該当するのはカディオなのだろう。
彼がシナリオにない動きをすることで、波紋のように様々な人へと影響していく。
それが、ルーティエの知る物語とは全く異なる展開となった原因。
ローザリアだって、カディオと出会ったことで変わった。学園に編入し、自由を知った。
それら全てが転生者だからこそ起こり得たことならば、やはりローザリアの運命の人は、今のありのままの彼なのだろう。
だがカディオが転生者であるという情報を、易々と提供するつもりはない。
「だから、わたくしを目の敵にしていたのね」
「そうよ。だってあんたは、シナリオの後半にならないと登場しないはずだったのよ。攻略キャラ達の過去に暗い影を落としてる、幻みたいなものだったはずなのに……!」
なるほど。ローザリアはカディオと出会わなければ、やはり籠の鳥を続けていたらしい。
「わたくしがいるから、あなたのおっしゃるシナリオ通りに進まないと思ったのね。カンニングを疑われるように生徒達を誘導したのも、そのため」
「騒ぎを起こせば、さっさと退学してもらえると思ったの。結局うまくいかなかったけど。今だって、さらわれるのは私だけのはずだった。そしてそれを裏で指示したのが、あなただったはずなのよ」
ルーティエが言うには、真っ先に助けに駆け付けた攻略対象の誰かとの好感度を高めるイベントのはずだったらしい。
「全部うまくいってたのに……。一見怖そうなアレイシス様の繊細な内面を分かってあげたし、『薔薇姫』の婚約者として運命を決められていたフォルセ様の苦悩を分かってあげたし、ジラルド君が次期宰相候補という重圧に負けないよう励ましてきた。レンヴィルド様とカディオさんの好感度も着実に上がってたはずなのに。それにそう、隠しルートだった数学のラボール先生だって」
そういえば、カンニング騒動以来しつこく数学談義を求めていた教師が、やたら美形だったような。
「あなたは、好きだからこそ彼らと一緒にいるのではないの?」
ローザリアの問いに、彼女は悪びれず答えた。
「好きっていうより、せっかく可愛く生まれたなら、やっぱりやってみたいじゃない。逆ハーレム」
ルーティエの返答を、本気で理解ができなかった。頭が痛くなったけれど、手首を拘束されているのでこめかみを押さえることもままならない。
「……つまり、素敵な殿方にちやほやされたいということですわね。ですがあなたは、普段から身近にいるはずのイーライ様やわたくしの従者には、見向きもされていないではないですか」
「だって、シナリオに出てこない人達が、私を好きになってくれるなんて思わないもの」
彼女はあくまでもケロリとしている。
だがその考え方は、どこか歪んでいる気がした。カディオと違って、未だに物語の世界だと勘違いしているのではないだろうか。
そうでなければ好感度だか何だか知らないが、こうまで男心を弄ぶはずがないのだ。
ルーティエの言い分を聞いて、よく分かった。
彼女はアレイシスもフォルセもジラルドも、決して愛しているわけではない。
心から愛し合っているのなら、義弟や元婚約者が離れていっても我慢できた。
寂しかったけれど応援できた。なのに――。
「誰も彼もと陳腐な言葉で救おうとして、あげく失敗を他人のせいにするなんて見苦しい方ね。あなたの不実な行動に振り回されている方々が、いっそ憐れに思えますわ」
冷たく言い放つと、一瞬硬直したルーティエが気色ばんだ。
「うるさいわね! 悪役令嬢なら悪役令嬢らしく、もっと私をいじめるなり裏で悪どいことしなさいよ! だからこっちが色々でっち上げる羽目になるんでしょ!?」
「残念ながら、わたくしを本当の意味で動かすことができるのはカディオ様のみですの。あなたが何をわめこうが関係ありません。それにルーティエ様、少々うるさすぎますわよ」
嫌みたらしく微笑むと、彼女はますます逆上してしまった。
手が使えないにもかかわらず、執念深くも膝立ちでにじり寄ってくる。
「本当なら私だって、誰かが絶対助けに来てくれるって安心できたわよ! でもシナリオが改変されてるから、この先どうなるかも分かんないの! 先の読めない状況で落ち着いていられるあんたの方が、絶対異常なのよ!」
腕が自由に動いていたなら、危うく力の限り頬を打っているところだ。
できない代わりに、ローザリアは間近にある翡翠色の瞳を睨み据えた。現実を突き付けるように。
「そろそろ目を覚ましたらいかがですか? ここはゲームの世界ではありません。――わたくし達の誰一人として、意思のない登場人物なんかじゃない」
刃物のように鋭く言い切ると、途端にルーティエの顔色が変わった。
ゆるゆると目を見開くと、紙のように真っ白な顔でがっくりと項垂れる。
「だって……そしたらどうなっちゃうのよ。私、また死んじゃうの? せっかくこうして、丈夫な体に変われたのに……」
彼女の瞳から、丸い涙の粒が溢れる。
主人公と名乗るだけあって、身勝手な理由で泣いていてさえ美しかった。
転生というのは、当然ながら死んでから行われる。カディオもルーティエも、全く別の人格に精神だけが入れ替わっている。
思考回路も行動原理も浅はかで、許しがたいほど短慮な印象だったけれど、ポロポロと泣きじゃくる姿を見ていれば、もしかして前世では若くして亡くなったのかもしれないと思った。
だからといって過分に同情はしないけれど。
「泣いている暇があるのなら、まず行動を起こすべきではありませんか? 助けが期待できないならば、なぜ自ら立ち上がろうとしないのです」
「どうやってよ? あんな怖そうな人達を倒すなんて、絶対ムリ……」
「可能です」
ローザリアはキッパリと言い切った。
「助かる道ならばあります。この手首の拘束さえ、外せるのなら」
揺らいでいたルーティエの瞳が、ピタリとローザリアに定まった。
ローザリアは、ことさら不敵な表情を作って微笑んで見せる。
「――策の一つもなく、このわたくしがのんびりと長話に付き合って差し上げるはずないでしょう?」