悪い予感がします
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歓迎パーティが終わり、夢から覚めるように日常が戻ってきた。
すっかり秋も深まり、制服の上から羽織るローブが必需品となってきた。プラタナスの木から枯れた葉が舞い落ち、寮へと向かう通路を埋め尽くしている。踏むたびに足元でカサコソと音を奏で、まるで音楽のようだった。
けれど今のローザリアには、それを楽しむ余裕がなかった。憂鬱なため息が自然とこぼれ落ちる。
愁いを帯びた秋景色を前に、感傷的になっているわけではない。こうして一人で過ごす時間が、ただただ寂しかった。
不意に、澄んだ高い笑い声が聞こえてくる。
声のした方へ視線を向けると、はしゃぐルーティエの姿があった。その両隣にいるのは、カディオとレンヴィルド。
遠目なので表情こそ判然としないけれど、彼らの距離感は親密なもののそれだ。正門の方へ向かっているから、今から三人で中心街にでも繰り出すのかもしれない。
カディオともレンヴィルドとも、相変わらず親しくしている。ただそれ以上に、彼らがルーティエを大切にしているというだけで。
ちょうど、歓迎パーティの直後からだ。
彼女の豹変ぶりに驚いていたはずが、なぜか率先して話しかけるようになっていた。
共に過ごす時間も徐々に増えていき、その分ローザリアとの時間が削られていく。彼らが、ルーティエとローザリアの接触を望まないから。
友人が極端に少ないため、最近は放課後ともなれば寮へと直帰していた。ミリアとグレディオールの存在がまだしも救いだろう。
カディオ達の姿がどんどん遠ざかっていく。まるで、道を違えたような寂しさが込み上げた。
それでもローザリアは三人から目を逸らすと、背筋をピンと伸ばして歩き出す。
「この先の、『展開』……」
ポツリとこぼした呟きは、誰にも届くことなく木枯らしにさらわれていった。
◇ ◆ ◇
それを見つけたのは、本当に偶然だった。
宗教学の授業は、学園内の聖堂にて行われる。
相変わらず一人で過ごしがちだったため、教室を移動する時もローザリアの周囲にひと気はなかった。長い廊下を歩いていると、自然と窓の外の景色に意識が奪われる。
秋の日射しはホロホロと穏やかで、どこか胸の奥の郷愁を刺激する。
学園に来て半年足らずなのに屋敷を懐かしくさえ感じるのは、十六年間生まれ育った思い出深い場所だからなのか。
赤や黄色、橙色に染まるブナやカエデの鮮やかさと、吸い込まれそうな空の青。
気だるい空気も相まって、のんびりと昼寝でもしたくなる昼下がりだ。
――外に出たら、午睡どころではないくらい寒いのでしょうけれど。
その時だった。葉がほとんど落ちきったプラタナスの並木道に、人影を見つけたのは。
「あれは……」
遠目からでもはっきりと分かるストロベリーブロンド。どう考えてもルーティエだった。
彼女はなぜか、樹の根本を縫うようにして歩いている。コソコソと、まるで何かから隠れるように。
つい立ち止まって動向を見守っていると、どうやら正門の外へと向かっているようだった。
ローザリアとルーティエは同クラス。言うまでもなく、彼女にだって次の授業がある。
早退して、気晴らしにどこかへ遊びに行くという雰囲気ではなかった。まして、いつも彼女について回るアレイシス達が見当たらないのだ。
「……」
ローザリアは逡巡の末、元来た道を引き返した。
何だかんだ真面目な性格ゆえ、どれだけ退屈な授業でも出席を欠かしたことはない。サボり、という単語が頭の中に浮かんで、少しドキドキした。悪い子になってしまった気分だ。
教科書を入れた手提げのバッグを持ったまま、ローザリアは校舎を飛び出した。
ルーティエは、確かな足取りで進んでいく。どこか目的地があるのだろうか。
彼女のあとを尾けている内に、ローザリアは郊外に来ていた。活気のある中央通りとは全くの反対方向で、住宅街になっている。
庭先で子どもを遊ばせながらじゃが芋の皮を剥く母親や、軒先でのんびりくつろぐ老人。
彼らはみな一様に、授業が行われている時間帯に制服でうろつくルーティエを、その少し後ろを忍び足で続くローザリアを、怪訝そうに見送っていた。
ルーティエは、住宅街を抜けてさらに歩き続ける。王都の郊外には貧困層の住居が密集しており、少々治安が悪い。
整備された石畳が途切れると、ひび割れた地面が顔を出す。
狭く細い路地は曲がりくねっているのか、見通しが悪かった。建物同士の距離が近すぎるため、昼だというのに薄暗い。
その建物も、王都に暮らす一般市民の住居とは趣を異にしていた。
レンガは一切使われておらず、壁は平坦だ。
そっと触れてみると、壁面はザラリとしていた。僅かに削れてパラパラと落ちる砂粒から察するに、土を練ったもので作られているのだろう。
通気性はよさそうだが、いかんせん壁自体が薄く脆いようだ。指の腹でとん、と叩いてみると軽い感触が返ってきた。
確か、東方のシャンタン国でよく見られる技法。
だが正しくは、竹を組んだ下地を土台にし、藁などを加えた土を塗り込んで強度を補強するはずだ。
そこまでの技術が伝わっていないのか、壁一枚に手間暇をかけるほどの余裕がないのか。おそらくはその両方だろう。
ローザリアは神妙な顔をしながらも、ルーティエの姿を見失うまいと進み続けた。
しばらくすると、郊外を流れる川に行き当たった。王都に暮らす者達の生活を潤す、透明度の高い清水が美しい。
毎年梅雨の時期には増水するため、さすがにこの辺りに家を建てる怖いもの知らずはいないようだ。
そう思っていたのに、川沿いに生えた大木を目印にするように、ポツリと一軒だけ家屋が見えてくるではないか。
ルーティエの目的地はここだったようで、素早く身を屈ませて低木の影に隠れている。
――どういう、ことなのかしら……。
家屋の中からは、野蛮な笑い声が聞こえてくる。
街から離れ、あえて川沿いに建つ民家。平日の昼間だというのに複数の男の声。勝手な想像だが、危険な予感しかしなかった。
しばらく遠くから見守ってみるも、彼女はとにかく中の様子を窺いたいらしい。
あの家屋に何があるのか知らないが、繁みからひょこひょこ首を伸ばす姿は、今にも見つかるのではとハラハラしてしまう間抜けぶりだ。
ローザリアは黙っていられなくなって、そっと歩みを進めた。
集中するあまり無警戒になっている背後から近付き、肩を叩く。
「ヒッ……!」
ルーティエは飛び上がって全身を緊張させたが、ギリギリのところで悲鳴を呑み込んだ。
「――この物騒な地域で大声を出すのは危険、という程度の常識ならばご存知のようですわね」
「あんた……!」
耳元で密やかに囁くと、ルーティエが睨み付けるようにして振り返った。もはやローザリアに敬語を使うつもりはないらしい。
今さらという気もしたので、特に咎めることもなく話を続ける。
「でしたらなぜ、このような場所に一人でいらっしゃったのか、お伺いしても?」
貧民街も王都の外も、女性が一人で出歩くには少々物騒だ。
法律で禁じられているはずの人身売買が今でも密かに横行しているという噂があるし、盗賊に遭遇することだってある。
そんな地域を、貴族が多く通うレスティリア学園の制服でうろつくなんて、無謀以外の何者でもなかった。身ぐるみを剥がされたって文句は言えない。
王都の一般家庭で育った彼女の方が、その危険性をよく理解しているのだろう。ルーティエは痛いところを突かれたようで言葉に詰まった。
それでも嫌悪の気持ちとは別物らしい。
彼女は目をきつく尖らせると、肩にかかっていたローザリアの手を勢いよく払い除けた。
「シナリオがどんどん変わってるから、ちゃんとイベントが起きるのか気になって見に来たのよ! それなのに、何であんたがついてくるわけ!?」
「あの、もう少し声を抑えて……」
「こっちは何者なのかって聞いてんのよ! 一体どういうつもり!? 何でそんなに邪魔するの!?」
手が付けられない勢いのルーティエを宥めようとしたが、無駄だった。
耳障りな音を立て、家屋の扉が開く。
中からゾロゾロと現れたのは、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる体格のいい男達だった。
無精髭を生やした者や、凶悪な目付きの者。粗末な服を着崩した姿は、見るからにゴロツキだった。
「よう、お綺麗なお貴族様のガキ共が、こんなとこに何の用だよ?」
一人が声を上げると、男達は囃し立てるようにゲラゲラ笑った。
「お嬢ちゃん、ツレもなしにこんなとこ、出歩くもんじゃねぇぜ?」
「危なーい大人に捕まっちまうんだぜ。例えば、俺達みたいな」
「しかし、どっちもえらく上玉じゃねぇか。売り払えば相当な値が付くんじゃねぇか?」
売り払われるというのがどういう意味か、分からないわけじゃない。
けれど数人がかりで押さえ付けられたら敵いっこないし、全力で逃げようにも限界は見えている。
ローザリアは一度だけ嘆息すると、真っ青になって震えるルーティエと共に大人しく拘束された。