過去について
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「ダンスとは、意外と激しい運動になりますのね」
ローザリア達が踊り終えてみれば、次の誘いを待つ令嬢達の熱視線に取り囲まれていた。
現在はレンヴィルドと連れ立って、バルコニーへと避難しているところだ。
熱くなった頬に、ひんやりした風が心地よい。
けれど、さすがにいつまでもこのままでいれば風邪をひいてしまいそうだ。秋の夜は肌寒い。
どうしようか考えていると、いつの間にか白のジュストコールに包まれていた。
「もうすぐカディオが、ストールを持ってくるはずだ。しばらくは私のもので我慢してほしい」
風に金色の髪を乱されながら、レンヴィルドが穏やかに笑う。彼も心なし、いつもよりはしゃいでいるようだった。
「嬉しいですが、これではレンヴィルド様がお風邪を召されてしまいます」
「私の方は少なくとも、あなたほど肌が露出していないからね」
遠慮するも、レンヴィルドはおどけたように肩をすくめるばかりだ。
こうまで気を遣わせて、頑なに拒否しては無粋だろう。ローザリアは温もりがかすかに残るジュストコールを、肩にかけ直した。
「そういえば、カディオ様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
ダンスを終えてからここまで、誰とも接触をしていない。なぜカディオが都合よくストールを持って来れるのか。
彼の笑顔に、ほんのりと黒いものが交ざった。
「今は控えの間だと思うけれど、じきここに来るよ。ある程度の時間が経ったら落ち合おうと、あらかじめ打ち合わせてあったんだ」
「それは……」
つまり、煩わしいパーティを抜け出すまでが彼の作戦の内だったということか。
歓迎パーティへの参加は義務であり、王族とて簡単に逃れられるものではない。レンヴィルドがどれほど令嬢達に辟易としていようとも。
けれど、ローザリアという同伴者がいれば言い寄られることもないし、『薔薇姫』なので後々周囲との不和が生じる心配もない。また、二人の間に恋愛感情が微塵もないことも好都合だった。
「なるほど。全て思惑通りというわけですか」
知らずに利用されていたローザリアとしては面白くないが、しっかり楽しんでいたために文句も言えない。全く、してやられた。
「ハハッ、すまなかったね」
少々恨みがましく見遣れば、手すりに頬杖をつきながらレンヴィルドが笑った。親しくなるにつれ、彼は本当によく笑うようになった。
笑いが落ち着くと、彼は眼下に広がる庭へと視線を向けた。常夜灯の少ない庭園は、闇に沈んで一つの塊となっている。
見下ろすレンヴィルドの横顔が、会場から届く僅かな明かりに浮かんでいた。
「……彼らのどちらかがいたなら、私は身を引こうと思っていたよ。こんなふうに、あなたを巻き込むつもりもなかった」
彼ら、とはアレイシスとフォルセのことだろう。
ルーティエの正式なパートナーになりたいと躍起になっていた彼らは、何とか好敵手を出し抜こうとするばかり。ローザリアが遠巻きにされる可能性すら考えていなかっただろう。
会場でポツンとしているローザリアを認めて、初めて気付いたに違いない。『薔薇姫』の話し相手になれるのは、長年の付き合いがある自分達だけだということに。
彼らの内どちらかでもローザリアをパートナーに選んでいたなら、決して声をかけなかったという。友人が寂しく過ごさずに済むのなら、苦痛でしかないパーティも一人で切り抜けようと。
優しいから、ただ見過ごせなかっただけ。
「……頼れませんわ。特に、婚約破棄がようやく成立したばかりですのに」
「あぁ。報告だけは聞いているよ」
レンヴィルドが神妙に頷く。
フォルセとの婚約破棄が、ついに認められた。
セルトフェル家にもメレッツェン家にも大した打撃のない、静かな幕切れ。
円満に解決したのは、レンヴィルドの力添えがあったからこそだと思っている。
彼がいなければ、陛下とて双方の意見を吟味するために結論を先延ばしにしていたはずだ。
ローザリアは、改めてレンヴィルドに向き直る。
「――このような事態に巻き込んでしまい、大変申し訳ございませんでした。けれど、殿下のおかげで無事婚約破棄が成立いたしました。本当にありがとうございました」
感謝を込めて深々と頭を下げる。レンヴィルドは何も言わない。言えないのかもしれない。
穏やかで、誠実で。誰にでも分け隔てなくて。
そう、側に置いたら危険が降りかかるかもしれない『薔薇姫』にさえも。
それが、彼の過去に関わるゆえと気付いていた。理解した上で甘えていた。
だが、婚約破棄という騒動に巻き込まれること自体、彼にとっては苦痛だったはずだ。だからローザリアは感謝だけでなく、謝罪の言葉も告げた。
レンヴィルドが淡く笑う。
「……一体、どうやって知ったのかな? 貴族全体に広まるほど情報は漏れていなかったはずだし、当時あなたはまだ六歳だ」
「優秀な情報源を持つことは、令嬢として当然の嗜みですわ。オホホ」
あからさまに胡散臭い笑顔で受け流すと、彼は諦めたように嘆息した。
「全く……。『薔薇姫』というものはもっと、薄幸の存在だと思っていたけれど。あなたは呆れるほど規格外だね」
「恐れ入ります」
「褒めていないと言いたいところだけれど、実は常々素晴らしいことだと思っているよ」
二人の間を風が吹き抜けていく。闇に散る金糸のような髪が、レンヴィルドの表情を覆い隠した。
「――懺悔を、聞いてくれる? 一生償えない罪を、あなたを幸せにすることで埋め合わせようとしている、愚かな男の話を」
……そうして、悲しい話が始まる。
レンヴィルドの婚約者は、幼馴染みだった。
物心付かない内から会っていた、ほとんど家族のような相手。無邪気で、心が優しくて、少しおっとりとした少女。
幸せだった。けれどそう思っていたのはレンヴィルドだけだったのだと、あとになって気付かされることになる。
「彼女は同年代の令嬢達から、度々嫌がらせを受けていたそうだ。原因は、私の婚約者と内定していたため。始めの内は陰口を叩かれたり、ドレスに紅茶をこぼされたりする程度だった。けれど、反抗することなくひたすら耐え続ける彼女への攻撃は、段々苛烈になり……」
ある日、悲劇が起こった。婚約者の少女は、酸性の薬品を顔にかけられてしまう。
命を奪うほどの劇物ではなかったけれど、顔の左側が醜く焼けただれた。完治が難しい、跡の残る傷。まだ五歳だった少女には、受け止めきれないほどの衝撃だった。
犯人は、ずっと彼女をいじめ続けていた少女。
当時、事件が故意であるのか過失であるのか、司法の判断は微妙なところだった。不注意でこぼしてしまったと幼子に泣かれれば、責めるのは難しい。
それなりの名家の娘であることも加味され、なおさら大人達は穏便に済まそうとした。
「だがもう、有罪も無罪も関係なかったのかもしれない。彼女の心は疲れきっていたんだ。耐えて耐えて、ついには耐えきれなくなって――――王城の、時計塔から飛び降りた」
遺書が発見されてようやく、継続的ないじめがあったと発覚した。『婚約を破棄しろ』と書かれた手紙も出てきて、少女の無言の訴えを裏付ける。
それでも、王城での自殺騒ぎは体面が悪い。事件は大きな騒動に発展する前に揉み消された。
加害者は地方の教会で一生を神に捧げることとなり、今もどこかで静かに暮らしているという。
加害者家族に大きな罪はなかったが、王弟殿下の婚約者を死に追いやった責任を取って、その父親は自ら爵位を返上した。
「五歳の少女に死を決意させるほどの苦痛に、私は気付いてあげられなかった……」
いっそ不自然なほど、レンヴィルドの表情は透徹としていた。虚ろな声が風にさらわれていく。
澄んだ緑の瞳が、ローザリアに向けられた。
「だから私は、あなたの境遇が放っておけなかった。誰か一人に全てを押し付けるような、そんなこと二度と起こってほしくなかったから」
最低だろう? そう自嘲する言葉が聞こえてくるようだった。
ローザリアは、手すりに置かれた彼の指先に触れた。秋風にさらされたためか判然としないけれど、ひどく冷えきっている。
「……その罪悪感を知りながら甘受していたわたくしに、あなたを責める権利などありません。むしろ責められても仕方がないでしょう」
「私に、あなたを責められると思うかい? 精神的にも、物理的にも」
弱々しい声で叩かれる軽口を、今だけは黙殺した。ローザリアはニッコリと微笑む。
「では、せめてもの贖罪として、あなたにお約束いたしましょう。――――決して、自ら命を絶ったりいたしませんと」
「……え?」
レンヴィルドが、忙しなく目を瞬かせる。
彼の手を友愛を込めて握った。
「雑草のごとく図太く、図々しく、何が起こっても諦めず命を繋げることを誓いますわ。誹謗中傷など、打ち返してみせると」
不敬なほど大胆に顎を反らして、アイスブルーの瞳を細める。
ルーティエの言葉を借りるなら、まさに悪役風に。もはや悪役など通り越し、極悪人の域に達しているかもしれない。
目を丸め絶句していたレンヴィルドが、突然笑い出す。弾けるような明るい声が闇を薄めていく。
指先を握り返される。
手袋越しにも分かるほどひんやりしていた指が、ほんの少しだけ熱を取り戻していた。
「フフ……そうだね。あなたは、そういう人だ」
楽しそうに、嬉しそうに。
そして、どこか安堵するように彼が噛み締めるから、ローザリアも自然に笑い返していた。
「雑草と表現した辺りを肯定していらっしゃるのなら、女性に対して随分な非礼ですわよ」
「え? 女性?」
「いくらわたくしでもいい加減傷付く対応ですわよ、レンヴィルド殿下」
「せっかく自由になれたのだから、打たれる辛さを知るのもいい経験になる」
「全く、口が減らない方ですわね」
「それもお互い様なんだろう?」
彼は、もう大丈夫と言うように手を離す。
いつもの調子で肩をすくめると、緑の瞳をいたずらっぽく輝かせた。暗闇に光る双眸は、まるで猫のようにしなやかだ。
「ご令嬢方は安心しきっているようだけれどね。婚約者を亡くした当時、次の候補としてあなたの名前が上がっていたんだよ。まだ心の傷も癒えぬ内にと、すぐに取り下げてもらったけれど」
前例のない『薔薇姫』との婚約が持ち上がった裏には、心をすり減らしたレンヴィルドが穏やかに過ごす環境として、セルトフェル邸が最適なのではという陛下の配慮があったらしい。
確かに『薔薇姫』が一生を過ごす箱庭なら、誰にも邪魔されず静かな余生を送ることができるだろう。けれど引きこもりを二人に増やしたって、どうしようもないと思うのだが。
「選ばれなくて、実に光栄でしたわ。得がたい無二の友人を、一人失ってしまうところでした」
わざとらしく胸を撫で下ろしてみせると、レンヴィルドが片頬を吊り上げて笑った。
「無二というか、あなたが他の友人といる場面を見たことがないけれど?」
「では、自動的に親友に昇格となりますわね。おめでとうございます、殿下」
「フフ。こんなに一方的な親友宣言は、滅多にお目にかかれないね。こちらこそ光栄だよ」
二人の忍び笑いは、会場から漏れ聞こえる音楽に紛れて消えた。




