ドレスは女の武装です
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ローザリアの身を包むのは、夜と夕暮れのあわいのような瑠璃色が美しいドレス。
基本ともいえるシンプルなラインでありながら、豊かに波打つシフォンのドレープの華やかさといったら。キラキラと光るビーズは裾に行くほど輝きを増し、目映い星空のように空を彩っていく。
緩く巻いた髪をふんわりとまとめあげたミリアが、仕上がりに満足の笑みを浮かべた。
「マーメイドラインと悩んだのですが、ローズ様はまだお若いのですから、あまり大人びたデザインにする必要はないと思いました。青なので甘すぎませんし、とてもよくお似合いです」
「ありがとう、ミリア。わたくしパーティ用のドレスは初めてだから、一度こういった形のものを着てみたかったの」
ミリアによる化粧はうっすらとした、上品さを損なわないもの。派手な色みは控え、唇には透明感のある珊瑚色を載せた。ローザリアの輝くような美貌に、余計な脚色は蛇足だ。
髪もサイドを少しだけ残しているので、瑠璃色の光沢ある生地にシルバーブロンドがよく映える。
最後に、カディオからもらった髪飾りを耳元にあしらう。青い硝子細工の蝶は、まるでドレスと合わせてあつらえたようにピッタリだった。
「素晴らしく愛らしいですよ、ローズ様」
「ありがとう。豪華な壁の花に仕上がったわね」
皮肉を言いつつ、気持ちは高揚していた。
着飾ったところで無駄になるからと避け続け、初めて袖を通したドレス。
髪には、カディオからもらった蝶の飾り。それだけで気分が浮き立って仕方がなかった。
完璧に支度を整えると、会場へ向かう時間になった。ローザリアは、自室を一歩踏み出したところで固まる羽目になる。
「……なぜ、レンヴィルド様がこちらに?」
部屋の前に佇むレンヴィルドを認めて、知らず質問が飛び出していた。
彼は王弟らしく、華やかで光沢のある白のジュストコール姿だった。
合わせのベストはうっすら灰色を帯び、金糸の細やかな縁取りが眩しい。細身のパンツを入れ込んだブーツは、艶を消した焦げ茶色のものだった。
もちろん背後にはカディオが控えており、彼は騎士の礼装を身にまとっていた。きっちりした黒の詰襟は、彼の野性的な色気を禁欲的に演出している。ついでにイーライまで格好よく見えた。
だが、男達の美々しさに目を奪われるよりも、まずはなぜここにいるのかを問い質したいところだ。
呆然とするローザリアの前に、レンヴィルドが流れるように手を差し出した。
「突然のことで戸惑うかもしれないけれど、今宵、私のパートナーになっていただけませんか?」
笑顔と共に放たれた一言に愕然とする。
当然ながら、王弟であるレンヴィルドの人気は凄まじいものだった。
パートナー申し込みの手紙は毎日引きも切らず、しまいには本人の元まで直接押しかけてくる始末。
今日この日までの騒動を近くで見ていたローザリアだからこそ、よく理解している。
彼が学園生の中で最も、今夜のパーティを憂鬱に思っていることに。
最後まで誘いを断り続けていたレンヴィルドが、なぜ今さらパートナーを選ぶのか分からなかった。
「もしも本当に平等主義でしたら、誰も選ぶべきではないのでは?」
以前彼の口から聞いた言葉を引用してみるが、王弟殿下は平然と返す。
「だからこそ、の選択でもある。『薔薇姫』が本命であるはずないと、彼女達も理解しているから」
「なるほど……」
歴代の『薔薇姫』の内、王家に嫁いだものは一人もいない。ドラゴンを惹き付けるような危険人物を、王族の側に置くわけにはいかないからだ。
「わたくしは、体のいい防波堤ということですか」
「互いに利益はあるはずでしょう? あなただって誰かといる方が、いい暇潰しになる」
言いつつ、レンヴィルドの視線は背後のカディオを示している。彼が賄賂ということか。
従者や護衛は原則ホール内立ち入り禁止だが、控えの間までの同伴は許されている。
望めないはずだったカディオとの歓迎パーティ。
彼自身にとってはただの任務だし、大して近くにいられるわけでもない。
それでもしなやかな体躯を包む礼装姿を僅かにでも眺めていられるならと、ローザリアは甘美な誘惑にあっさり屈した。
「――お心遣い痛み入ります、殿下」
優雅に微笑みレンヴィルドの手を取ると、颯爽と歩き出した。一路、ダンスホールへ。
普段は広いだけの空虚な空間に、今は色とりどりの花が競うように咲き誇っている。
カシスのような深い紫や萌える若葉の緑、燃える赤のドレス。どれもがそれぞれの個性を活かした、魅力を最大限に引き出すもの。
今日はあくまで学園の催事であるため、マナーにもうるさくない。誰もが明るい顔で、思い思いの楽しみ方をしている。
歓迎パーティは始まったばかりで、ダンスを踊っている者はまだ少なかった。その中に、ルーティエとアレイシスの姿を見つける。
彼女は学園で貸し出すドレスを頼ると言っていたが、借り物とは思えないほどよく似合っていた。
ストロベリーブロンドに合わせた、優しく淡いイエロー。ローザリアなら野暮ったくなってしまいそうなフリルとレースが、彼女を日溜まりに戯れる妖精のように演出していた。
大人びた色みや流行のデザインが多い中、いい意味で目立っている。
一方のアレイシスも、上背があるため見映えがいい。礼装も今日ばかりは着崩していなかった。
ファーストダンスの相手に義弟が選ばれたと知って、少し誇らしい気持ちになった。が、よく見たらフォルセとジラルドも壁際に大人しく順番待ちしている。どうやら三つ巴から頭一つ抜け出せたというわけでもなさそうだ。
「さて、ローザリア嬢。まずは何をいたしましょうか? 軽く食事でも?」
人が多いので、レンヴィルドの口調はよそゆきのものだ。ローザリアも合わせて答えた。
「まだお食事は結構ですし、わたくしはあちらで少々休みましょうかしら。殿下はどうか、皆様とお楽しみになられてくださいませ」
続きの間にソファスペースが見えたのでそちらへ歩き出そうとすると、レンヴィルドにやんわりと進路を塞がれてしまった。
ニコリと穏やかな笑みを向けられ、なぜかゾクリとする。
「お手をどうぞ」
数秒、彼の意図が理解できなかった。脳が理解を拒んだと言うべきか。
けれど、栄えあるレスティリア王国の王弟殿下をいつまでも放置し、恥をかかせることはできない。
ローザリアはすぐに取り澄ました微笑を作った。
「お気持ちはたいへん嬉しいのですけれど、わたくしが踊れば他の方々のご迷惑になります。楽しい雰囲気を台無しにしたくはございません。どうかそのお優しさは、他のお嬢様へ」
あくまでにこやかに、断るのは本意でないことを強調して。これならばレンヴィルドの顔にも泥を塗らずに済むと思った。
けれどどういった心境なのか、彼は一歩も引かない構えだ。耳元近くで、悪魔のように囁いた。
「正式に、ダンスを申し込もうか? もれなくいらぬ注目を浴びることになると思うけれど」
「それ、は……」
跪き、思いの丈を伝える長口上を延々垂れ流し続けると。情熱的であればあるほどいいとされ、身振り手振りを交えて激しく表現することもあるという愛の独白を、衆目の前で。
脅しの効果は覿面だった。
ローザリアはため息を呑み込むと、ドレスの裾を摘まんで誘いに応える。
「……お相手お願いいたします、殿下」
思い通りに事が運んだからか、レンヴィルドの笑顔が輝いた。ローザリアの手を取ると、ゆっくりホールの中央へと歩き出す。
いっそ傲慢とも思える口振りだったけれど、結局彼は優しいのだ。
これも、城下に遊びに行った時と同じく、『薔薇姫』に当たり前の経験をさせようということなのだろう。脅されて仕方なく、という言い訳を、ローザリアのために用意してまで。
この友人には敵わないと思うのは、行いの根底に善意があるからだ。
ローザリアの行動原理と全く異なっているために理解はできないけれど、だからこそ不快じゃない。
向かい合い、互いに礼をする。
遠巻きにされつつも注目を浴びているのは、『薔薇姫』であるがゆえの怖いもの見たさか、王弟殿下が踊る尊い姿を一目見ようとしているためか。
歩み寄り、流れるようにワルツの型を作る。ふと、カディオと学習室で踊った日が頭をよぎった。
滑るように音楽が始まる。
宮廷でも活躍しているという楽団の生演奏は、音同士がきらめいて弾け合い、ぶつかり合っている。まるで光の渦に飲み込まれていくよう。
ローザリアとレンヴィルドの足が、同時に動き出す。彼のリードが巧みだからか、考えなくてもステップが踏めた。
瑠璃色のドレスが動きに合わせ、羽のように軽やかに舞い上がる。
柄ではないけれど、もしかしたら先ほどルーティエが妖精に見えたように、ローザリアも特別な何かに見えるのではと錯覚しそうになる。
踊っている内にどんどん気分が高揚していく。
レンヴィルドの緑の瞳も楽しそうに輝いていて、二人視線を交わす。言葉なんていらなかった。
初めて参加する夜会で踊ったダンス。
それは、まさに夢のようなひとときだった。




