『薔薇姫』について打ち明けます
いつもありがとうございます!(*^^*)
少々下品な表現があるかもしれません。
カンニング騒ぎが落ち着き、日常が戻ってきた。
レンヴィルドと軽口を叩き合い、絡んでくるアレイシスをヒラリとかわす。
ルーティエは相変わらず一切悪びれることなく話しかけてくるし、フォルセはローザリアの存在自体をないもののように振る舞う。
何もかもが今まで通りだが一人だけ、あれ以来態度が変わった者がいた。カディオだ。
打ち解ける以前にも増してぎこちない挨拶。笑顔も少なく、あまり目も合わない。かと思えば何か言いたげにこちらを見つめている。
ローザリアはレンヴィルドに相談し、再び二人きりになれる状況を作り出してもらった。
カディオ自身も話し合える場を求めていたのか、前回のようにひどく恐縮したり困惑するようなことはなかった。
前回同様学習室にて、二人きりで向かい合う。
レンヴィルドが工作を請け負ってくれたので、体面上の問題もない。ミリアが整えてくれた紅茶とお茶請けも準備万端だ。
長い沈黙をやり過ごすに、紅茶はちょうどよかった。ミルクを入れれば渦を巻きながら琥珀と白が混ざり合って、不思議な模様に変わっていく。
ぼんやりとそれを見つめていると、カディオの方から口を開いた。
「……『薔薇姫』という意味について、ずっと考えていました」
呟きには、やりきれない苦しさがにじんでいた。彼が膝の上でこぶしを握り締める。
「あなたは、初めて出会った時も『薔薇姫』だと名乗っていました。ですが俺は、それを素晴らしい意味なのだろうと疑いもしなかった。今、それを後悔しています。あんなふうに棘のある言い方をされていたのに、反論すらできなかった……」
冷酷な一面を恐れられているのかと思えば、そうではなかったらしい。
彼は騒動の時、蔑みを込めてぶつけられた『薔薇姫』という言葉に、無知であることの悔しさを覚えただけだという。
ローザリアはおっとりと目を瞬かせながらも、頭を全力で回転させていた。
――あら? もしかしたらこれは、以前に考えた『意外な一面作戦』に使えるのではないかしら?
一見どこにでもいる普通の令嬢が、深い事情を抱えて苦しんでいる。
なかなかいい設定かもしれない。苦悩している姿を見せれば尚いいだろう。
ローザリアは儚さを演出するように、斜めの角度で俯いた。
「……ドラゴンという生き物を、ご存知ですか?」
急な質問に首を傾げながらも、カディオは生真面目に答えた。
「えぇと、はい。話だけなら。確かレスティリア王国は、横たわるドラゴンの上に築かれたという伝説があるとか」
「そうですわね。今では物語の中にしか登場しない、遥か古代の生き物です。トカゲのような顔付きで身体中を鱗が覆い、背中には蝙蝠のような翼が生えていたとか」
獰猛な空の支配者であったとも、知性を持つ穏やかな生き物であったとも言われている。
「その昔、セルトフェル侯爵家の祖先は、ドラゴンと契約していたとされています」
契約、と言っても内容は伝わっていない。
けれどその契約のためだろうか、セルトフェル一族の女児には、時折特殊な子どもが生まれる。それが『薔薇姫』。
「……わたくしの血には、薔薇のような芳香があります。それが『薔薇姫』と呼ばれる所以なのです」
彼はしきりに目を瞬かせたが、案外冷静だった。
「薔薇の香り、というのは正直驚きました。ですが、それがあのような視線を向けられる理由になりますか? あんな、憎いものでも見るみたいに」
ローザリアは眉尻を下げて首を振った。
「香るからこそ、なのです。この薔薇の香りに惹かれたドラゴンが眠りから目覚め、国を滅ぼしてしまうと言われているために」
血液が香りを放つ理由も、なぜ女児のみに限られるのかも、詳しいことは何も明らかになっていない。当然だが、血の一滴で本当に国が滅びるのか、確かめた者はいないだろう。
恐れている者達には、災厄を招くという伝説だけで十分なのだ。
「王国の礎となっているドラゴンが目覚める危険性があるため、万が一にも出血しないよう外界から隔離されていました。貴族の皆様方がわたくしを忌避するのもそのため」
『薔薇姫』の血筋は他家に好まれない。
けれど絶やしてはならないとも伝えられているので、早い段階でフォルセという婚約者ができた。彼は三男なので、入り婿としては問題なかった。
ローザリアの人生とは、そうして預かり知らぬところで何もかもが決定しているものだった。
「……結婚に愛など必要ないと思っておりました。わたくしを引き受けてくださるだけで十分だと」
けれど今は違う。
何者にも縛られることなく、ローザリアはどこまでも自由だ。欲しいものを欲しいと言える。好きな人に手を伸ばすことができる。
正面に座る意中の殿方は、ローザリアが送る視線など気付きもせずに考え込んでいた。
「つまり……出血すると危険なんですね」
「全ての出血が危険ではありませんけれどね」
捕捉すると、カディオは首を傾げた。
「うーん? えっと、危険じゃない出血なんてあるんですか?」
ローザリアはあくまでにこやかに微笑んだ。
「はい、自然な出血には全く問題ありません。そうでなくては、王国は毎月滅びの危機にさらされてしまいますもの」
「上品に包んだとしても若い娘がそういう発言しちゃいけませーん!」
サラリと言い添えると、カディオは脊髄反射の速度で立ち上がる。吠えたあと我に返り、テーブルに伏してしまった。可愛らしい姿を目に焼き付けることができないなんて、実に惜しい。
恨みがましげなカディオと目が合う。褐色の肌色なので分かりづらいが、恥ずかしそうに潤んだ瞳。
可愛らしい、と思うより先に、ローザリアまで熱くなった。彼の月のような瞳から目が離せない。
空気の密度が高い。ただ見つめ合っているだけなのに、肌がざわざわと粟立つ感覚。
カディオが意識的に動き、視線を引き剥がした。
「少し、落ち着きましょう」
「……そうですね。ゆっくり紅茶でも飲んで」
鼓動が早いせいで、なぜか息まで上がっている。ティカップを持つ指先の震えを、ローザリアは必死に隠した。自分のものではないみたいに、体が思い通りに動かない。
からかうつもりもあって自ら持ち出した話題なのに、一緒になって照れてしまうとは。やはり彼との会話は一筋縄ではいかない。
比較的早めに落ち着きを取り戻したカディオが、紅茶を置いて真面目な顔になった。
「あなたが大切な秘密を打ち明けてくれたので、俺も一つ打ち明けましょう。ルーティエさんに、カンニングを疑われるよう仕向けられたこと、不思議に思っているのでは?」
彼の喉が、テーブル越しにもコクリと鳴るのが分かった。
「――彼女は、おそらく転生者です。そしてそれが分かる俺も、ルーティエさんと同じく転生者なんです。以前、記憶喪失のようなものと話しましたが……本当は記憶どころかこの世界の知識すら、俺にはないんです」
表情すら変えないローザリアに、カディオは束の間気まずげな視線を向けたけれど、自らの身の上を一つ一つ丁寧に説明していった。
数ヵ月前まで別の世界で生きていたこと。
仕事中事故に遭い、おそらく即死したこと。そのまま目が覚めたら、なぜかカディオ・グラントになっていたこと。
直属の主人であるレンヴィルドにのみ事情を説明したところ、戦闘能力には問題なかったこともあり、殿下の計らいで今まで通りに生活する環境を守ってもらえたこと。彼に習ってこちらの文明の勉強をしていること。
長い話を終えたカディオが、疲れきったように息を吐き出した。
「……突然こんなことを言われても、わけが分からないと思います。分かってほしい、とは言いません。ただ、ルーティエさんに未来を見通すような力があると、そう理解してくれれば結構です。そのために、もしかしたらあなたを利用することもあるかもしれないと。なので、気を許さないでください」
そう締めくくる彼の表情は、すっかり諦めきっているようだった。荒唐無稽すぎて、どうせ信じてもらえないだろうと。
ローザリアはテーブルに置かれていた彼の手を見つめる。痛いくらい握り締められたこぶしに、自らの手をそっと重ねた。
「分かってもらえるはずがないと、どうか諦めないでくださいませ」
カディオは目を見開いて息を呑んだ。
「確かに驚きましたが、おかげで説明の付くことも幾つかございます。わたくし、あなたを疑ってなどおりませんわよ」
教科書の内容を全く理解していないようだったのもそう。行動や言葉遣いの端々にも、違和感を抱くことはあった。
例えば、初めて学習室で二人きりになった時。
あの時も、真面目な彼が勧められたからといって、隣に腰を下ろすなんておかしいと感じていた。
日常の場面なら全く問題のない行動だが、二人きりの状況で隣同士に座るのは、親密な関係にある者のみに許されること。
たとえ婚約をしていない間柄であっても、そういった関係になる気持ちがありますよという無言の意思表示になってしまうのだ。
そうやって様々なことで彼との距離感を測っていたのだが、貴族として当たり前の知識がないというのなら、逆に納得できるというものだった。
「わたくしは、知りたいです。どんな些細なことでも。あなたを、理解したいのです」
冷たくなっていた手に、少しでも温もりが伝わりますように。ほんの少しだけ指先に力を込めた。
カディオは呆然とローザリアを見つめていたが、やがてゆるゆると表情を綻ばせていった。
久しぶりに見る、青空のような笑顔だった。
説明回でした。
分かりづらい部分がありましたら、ご一報くださいm(_ _)m




