バイバイ売買
【一】
神様や化け物の存在が笑われるようになったのはいつからだったろうか。少なくともこの僕、鈴木が小学生の頃はそんなことはなかったはずだ。
いや、とは言ってみたものの、小学生の記憶なんて、寝ぼけていたみたいにあやふやな物だ、もしかしたらその頃から不思議な物というのは既にありえないと笑われていたのかもしれない。神様はいない、悪魔も妖怪もいないと言われていたのかもしれない。
それはそうと。
今日、僕、鈴木は買い物をしている。買い物と言っても何かしらの趣味の為に来たわけではない、ただ単に、3着しかなかったズボンの一つが破れただけだ。と、ここまででわかるように、僕は衣食住の衣をお粗末にしないことができる。しかし、こだわりもない。紹介の仕方が少し変だったがようするに、僕は普通の人間だ。普通で、平凡で、平均で、普通の人間。ただ、今でも神様はいるんじゃないかと信じているだけで、それ以外の点については普通過ぎる人間である。
だが、
この世には僕の正反対の人間、つまり天才というのが存在するらしい。信じられない話だ。なんでもそいつは、生まれながらに何かしらの適正があって、その適正を使えば人生がちょっとだけ楽になったり、もしくは大活躍できたりする。
僕はそうではないから天才の気持ちなんてわかりっこないんだけど、それでもこれだけは言えそうだ。「ずるい」。
でも僕はわかっている。僕は天才じゃないからわかっている。あーあ。僕も天才に生まれたかったなー。と、弱音のような物を吐いていても、誰も助けちゃくれないし、ましてや才能が後から生まれることもないことを。これは、天才にはわからないことだ。それを知っていることを自慢はできないが。
「そこのにいちゃん、みていきなよ」
おおよそ、僕が買い物をしていたショッピングモールでは本来聞こえないはずのセリフが耳に入って来た。あれ?ここはフリーマーケットだったか?
「にいちゃん、筋肉はいかがかね?それとも頭脳がいいかい?それか、将来禿げない頭皮もあるよ」
ショッピングモールの一角に広げられたブルーシートにあぐらをかいてポツンと座ってそこにいる老人。その老人に対して、なんでこの場所にいるのか、何故ブルーシートを広げて怒られないのか、色々な疑問がわいてきたが、僕が最初に聞いたのはこれだった。
「…こんにちは、それは一体どういうことですか」
【二】
老人の名は猿山というらしい。その猿のような見た目にぴったりの名前だ(まさか本人の前では口が裂けても言えないが)。そして、1週間前からここで商売をしているらしい。
「夢を売っているんだよ」
「はあ、夢、ですか」
あながち間違いでもないかもしれない。この老人はその言葉の通り、筋肉や脳、そして体の体質などを売っているようだ。20XX年、最新の医療技術がそれを可能にしている。ようするに、才能とまではいかなくても、個性を売っている。何故か。猿山曰く、天才と凡才を両方救う為。なんと、天才には天才で苦悩があるらしい。信じられない話だ。だが、彼らの言い分はこうらしい。「才能に従わなければならない」つまり、人々が羨ましがる才能を、障害と思う天才もいるということだ。僕はこれを聞いて、「可哀想に」と思った。何故だかわからないが、嫉妬より先にそんな感情が出てきた。
それはそうと、最新の医療技術でそういう個性の移植ができるのは知っていたが、(今の時代の人じゃ誰もが知っている。常識だ。)それはまだこんな身近にあるものではないはずだ。たしか障がい者限定だったはす。それを、この老人が?この猿山の素性は知らないが、とてもそんなことをできる権限があるようには見えない。みすぼらしく、貧しく、どう間違ってもこうはなりたくないという見た目。医者らしさのベクトルの話でもそうでなくとも、権威というものが感じられない。
しかし、老人の「儂は実は死刑囚でな」というセリフから、全ての事情を察した。わかった。ようするに、街中で商売を始めるには何かしらの危ない要素があり、誰かは責任をこの猿山に押し付けるつもりなのだと。そういうことだろう。全く、こんなに適当で危なそうな治験に誰が付き合うかっての。と、僕はそう思ったのでその場を去ろうとした。
「ああ、そうですか。でも、すみません。今、急いでまして…」
だが、猿山はこう言った。
「そうですか。そうですか。ですが、最近人気なんですよ、個性が欲しければ、いつでも来てくださいね」
最近人気?嘘だろう、と、僕はその時、猿山という老人の言うことを戯言と捉えてその場を去った。…しかし、個性を売る時代とは何事だ、ということを考えられずにはいられない自分と、それに頼れば無個性から脱却できるなということを考えてしまった自分がそこにいた。まあしかし、人間だから仕方のないことなんだよな、と自分に言い聞かせ、とにかくその場から去っていった。
【三】
僕、鈴木は今日も会社へ行く。会社は、家から徒歩10分電車20分の場所にある。真夏日の今日のような日には、10分歩いて体が熱くなったところを電車の冷房が20分かけて丁寧に冷やしてくれるので、つまりはまあ、いい通勤路である。巷では自転車通勤が流行っているそうだが僕には関係ない。と、僕はそんなことを思いながら会社へ向かっていた。あの猿山という変な老人に会った昨日のことはもう既に忘れていた。のに、僕はすぐに思い出させられる羽目になる。
「おはようございます」
会社に着いた。別に真面目だからじゃないが、僕はいつも一番乗りだ。今日も。だから、一応おはようございますとは言うが、返事が返ってこないことは知っていた。はずだったんだ。
「あ!おはようございます!」
声。声?何故?何故声がするんだ?この声は、同僚で同期の女社員、速水の声だが。今日、いや今日も、ここに一番に入ってきたのは僕なのに。既に誰かが入った痕跡など無かったのに。
「ああ、昨日から作業しているんです」
「昨日から?どういうこと?」
うちはブラック企業じゃないし、どういうことだ?いや、そもそも、そんなレベルの問題じゃなくて…
「自主的残業ですよ」
その言葉を聞いた時。僕は確信した。だって速水は、だって速水は重度のうつ病だ。いや、だったの方が正しいのかもしれないが今はそんなことより、以前の速水は、少なくとも、出勤しなくていい日曜日から残業するなんて、絶対にしないはずだ。別に会社が嫌いなわけではなかったらしいが、それでも、速水の病弱な体でそんなハードワーク、できるわけがない。できるようになったということは…
「…速水。お前、うつ病はどうしたんだよ」
「それがね、いいカウンセラーに出会」
「【才能移植手術】を受けたんだよな」
「…」
「あれ」
「鈴木さんも知ってるの?」
ありえない。才能移植手術は今のところ障がい者しか受けられないはずだ。こんなことを言ってはなんだが、ただの鬱患者に受ける資格なんてない。ということは、速水は、死刑囚に募集を任せるような段階の危険な治験に参加したということか…?それで、こんなに人格まで変わってしまったのか…?…これは、今回はいい風に傾いたが、場合によっては危ないのではないか…?
【四】
会社の連中が変だ。みな恐らく、速水と同じような状況になっているに違いない。だって、ノルマを初日で達成する奴が5人、これはおかしいだろ。俺は思い立って、会社の帰りにモールにいる猿山の元へ訪ねてみることにした。
「やあやあ、よくぞいらっしゃいました、どんな才能をご所望でしょうか?」
「…個性はいりません、その代わり、売れ筋を教えていただけませんか」
「!…ほほう、よろしいでしょう」
どうやらこんな質問をしたのは僕が初めてだったようで、老人は電話をして確認をとってくれた。…だがまあ、なんとなくわかる。8日前にはもう治験は始まっていたんだ、天才の個性が販売されていることは既に色々な場所へ知れ渡っているだろう、きっと10や20では済まない。
とか、僕はとても甘い考えをしていた。
「世界でざっと12億ですね」
「‼︎…」
なんということだ。まさか、ここまで既に浸透していたとは。12億だなんて、それは人類の6分の1ではないか。
「…兄ちゃん」
「なんですか」
「君は無個性でいいのかい?」
「僕は無個性でいいんです」
「これから周りの標準は高くなるよ」
「そうでしょうね」
「恐らく地球は、才能を手放せる既に結果を出した人間と、才能を手に入れた結果を出せそうな人間で埋め尽くされるよ」
「そうでしょうね」
「他人と逆のことをしている場合じゃないよ」
その時、モールの向こう側から爆発音が聞こえる。まあ、大方想像はできる。才能移植手術を受けて、犯罪者になることを決意した奴がいるんだろう。僕はそうはなりたくない。
「それでも」
「?」
「無個性だから、というのは、お母さんが産んでくれたこの体を傷つけていい理由にはならないと思います」
「!」
我ながらあっぱれ。いいこと言った。そうだ。傷…外部からねじ込んだ才能なんて、僕は嫌だ。
「…これが『僕』ですから」
「はははっ」
老人にして死刑囚にして才能を売る者、猿山は笑った。そして、こう言った。「じゃあ、儂を拾った組織に、儂と同じ組織に入るが良い」と。
そのあと、僕は天才だらけの世の中から消えた。
早いもんだが、次でエンディングだ。
【後】
間違えた。【五】。僕が才能を売る凡才の組織に入って地下に潜った30年後。僕は地上へ出てきた。
「いやーまさか、本当に滅びるとは…」
人類(僕ら組織の人間を除く天才達)は、その文明を戦争によって互いに滅ぼしあい、挙げ句の果てに滅亡・絶滅してしまったらしい。まあだが、予測ができなかったわけじゃない。というか、していた。天才だった者と天才だけで社会が構築されれば、それはつまり怠け者がいないということだから、人類は何においても発展するスピードが上がり、第三次…否、大惨事の世界大戦がすぐに起きて、兵器の力で地上の人間は滅ぶだろう、と。とんでもない妄想だと思っていた。だから、いやーまさか、予測の通りに人類滅亡が訪れるとは思ってもいなかった。今なら地上の人間…いわゆる天才を見ても、人形のようにしか見えないだろう。(まあそんなことを言っても、今存在する人間は社会不適合者の凡才だけ、もう天才はどこにもいないわけだが)そして、やはりそこには、天才なのに人形とは何事じゃと思う自分と、まあやはり、どこまで行っても人間は人間だから仕方ないな、と思う自分がいた。不思議な物だ。凡庸だから地下に行ったのに、今、第三次世界大戦後のこの荒れ果てた風景を見ていると、まるで自分が天才なのかのような錯覚を体験できる。不思議な者だ。
今回、わかったことがいくつかある。
まず一つ目は、『怠け者がいないと世界は破綻する』ということ。(怠け者を擁護するつもりはない)要するに、働きアリの法則が消えたら駄目ということだ。働きアリ、ここでいう天才には、怠けアリ、ここで言う怠け者、つまり下に見れる相手が必要なのだ。まあ、当然だよな。上だけ見てたら転ぶのは当たり前だ。
次に二つ目は、『アインシュタインは間違っていた』ということ。どういうことかというと、アインシュタインはこんな予言…いや、警句を遺している。
「第三次世界大戦でどんな兵器が使われるかはわかりません。しかし、第四次世界大戦ならわかります。石と棍棒です。」
つまり、石と棍棒ぐらいしか武器にできないぐらいに文明がぶっ潰せるぐらいの兵器が第三次世界大戦では使われるということだ。しかし、それは間違いで、そんなもんじゃなかった。天才達は兵器どころか超能力のようなものまで開発してしまって、言葉の通り跡形もなく消し去る力で戦争をした。現に今荒野と化した東京にいるが、死体が全く見当たらない。
次に三つ目、『賢ければ賢いほどいいというわけではない』ということ。(賢い人を間違いとしているわけではない)地上の天才達の姿を地下から見ていたが、何やら、しなくてもいい苦悩をしているようだった。人間のレベルが上がれば上がったで、レベルの高い悩みに出くわすらしい。中でも一番馬鹿らしいと感じたのは、「何故自分は生まれてきたのか」という悩み。それを見ていた時僕は確か、「全く、天才のくせに馬鹿だな、自分が特別だとか思ってる。人間なんて所詮意思があるだけで、ほとんどが水で出来てるただの管に過ぎないのに。」と思っていたと思う。多分、今もそうだ。
最後に。
【六】…ん?違う、【陸】でもない結論。
わかったこと4つ目。
『神はいる。』
なんというか、地下にいたから目が覚めなかっただけなのかもしれないが、僕は気づいた。神はいる。だって、…いや、やめとこう。僕が苦労して気づいたことをやすやすと教えるのもなにか違う気がするから。
まあでも
神はいる
そして神は凡才の味方だということだけは言っておこう。せっかくだし。
そして、僕は久しぶりの太陽の下で、
ブルーシートを広げ、そしてその上に座った。
「どうも、我々は未来から来たものですが」
その声は、座った途端に聞こえてきた。そこにいるのは、変な服を来た二人組。
「この時代の生き残りの方ですね?」
「…いいや」
「僕は…僕らは言うなれば地上を見捨てた」
「だから僕は死刑囚と呼ばれるべきだよ」
若干違う所からわかるように、別に歴史が繰り返されているわけではない。ただ、人は、人間はいつでも希少価値の存在が好きというだけだ。
「なんでもいいんです、いきなりで申し訳ないのですが、DNAデータを取らせていただいてよろしいですか?あなたの平均的な肉体と頭脳のデータが欲しいのです」
どうやら未来には【凡庸移植手術】があるようだ。なら、僕はこの終わった世界でとくにやることもないし、
「いいですよ」
「筋肉ですか?頭脳ですか?」
「それとも、白髪になる頭皮ですか?」
凡才は天災をただ眺めていよう。
《バイバイ売買/終わり》 髪は要る。