わたしの永遠の故郷をさがして 第四部 第四十七章
中村教授は大学を出た後、楽器店に寄って輸入楽譜を漁っていた。
さしあたって目当てのものはなかったのだが、これは半分は気休めでもあった。
明日、シブヤに新しい「研修所」とかいうものができることは、妻から散々聞かされていたし、大学内でも文書が回っていたから、知らないわけでは済まされなかったのだ。
大学の職員の間でも、「不感応者」は誰なのか、という噂が様々に飛び交っていた。
中村先生は、非常に慎重にこの話題は避けていた。
なにしろ教え子が総督閣下であり、本物の王女様であるがゆえに、マスコミ関係からの取材依頼もかなりあった。
上手い具合に、非常に忙しくてスケジュールが組めない状況だったことも確かだったので、取材は一切断ってきていた。それに、もともと中村教授は、マスコミ嫌いで知られていたから、まあいつもの事でもあった。
しかし、今日、学長に呼ばれて、まともに質問されたのにはまいった。
「ああ、中村先生は「不感応者」それとも、普通の「感応者」かね?」
「はあ、学長、それが何か問題ですか?」
「いやいや、今のところは、まだ特に。しかし、理事長から(つまり、これもまた明子なのだが)今後に備えてほしいという話が昨日あってね。「不感応者」は、自主的に「研修所」に名乗り出て、『自主研修』を受けることが、『努力義務』になるだろうと。また一定期間後には、『努力義務』じゃあなくて、『義務』になるだろうと、ね。本学は、ご承知のように、タルレジャ王国が設立母体で、多くの資金が提供されているわけです。だから、他大学に比べても、非常に恵まれた経営環境にあります。しかし、それだけに、理事長の妹さんである皇帝陛下のご意志というものは、まことに大切な訳です。まして、総督閣下はあなたの生徒さんでもあり、第一王女様は、やがてオーナーになる方です。おわかり?」
「まあ、それはもう、嫌というほど聞かされてますよ。妻からもね。」
「ああ、そうそう、あなたは、安司さんのご親戚筋になりますわけですなあ。」
世界的な音楽学者として著名な学長は、いんぎん丁寧なことでも知られている。
「まあ、だから、そこんところをよく斟酌していただいて、行動していただきたい。という訳ですな。まあ、今それ以上は突っ込むことはいたしませんので。はははは!まあ、あなたは世界的な『教育者』ですから。失礼な事を言っては、あとから大変ですから。ははははははは。」
『くそ、「世界的な教育者」か!』
中村教授は、それこそ十代の半ばには、もう世界的な名ピアニストだった。
大学に行き、ヨーロッパに留学し、国内のコンクールは総なめにしてしまい、ついには『マータ・クルベ国際音楽コンクール』で優勝した。世界最高のコンクールだ。大手レコード会社とも契約が成立し、演奏会の契約は数年先まで溢れていた。
そこに持ってきて、突然の筋肉の病気・・・
まあ、悪くすれば動けなくなることも心配されたが、なぜか症状は比較的軽いうちに、今は固定化している。
そこに、弟子が関与しているとは、これまで考えてはいなかったが、昨今の状況を見ると、あの天才少女二人は、やはりただ者ではなさそうだ。つまり、宇宙人か、魔女か、怪物か・・・。
いずれにせよ、彼は「教育者」として、身を立てなければならなくなったのである。
まあ、大体において、自分は「不感応者であるぞ!」などと公表して歩く人は、確かに皇帝陛下が誕生した直後には、反発を感じた有名人・著名人の中でも、いくつかはあったのだが、その後時間がたつにつれて、多くの人たちは口をつぐむ様になってきていたし、まして新しく名乗りを上げる有名人は、すでに一部の覚悟を固めた人以外には、ほとんど見当たらなくなっている。
まあ、潜伏状態というところである。
中村先生の奥さんは、現役の大ソプラノ歌手である。
国内にいることは、これまでほとんどないくらいだったが、最近は海外の仕事はもう減らして、国内での演奏会や教育に重点を置きたいと言っている。
ひとり娘は、今年、なぜだか、プロのオーボエ奏者として海外の準有名オケに就職した。
まあ、やれやれというところでもあった。
先生は、あれこれと、知らないものなんか、もうないくらいに良く知っている様々な楽譜を、表向きぱらぱらとめくりながら、考え事にひたすら陥っていた。
そこで、携帯に電話が入ったのだ。
「先生、弘子です。あ、ちょっとそこから動かないでくださいね!」
「は?」
周囲には誰もいなかった。監視カメラがぼつぼつと画面移動している瞬間に、彼は消えた。
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『パレス』の例の大食堂である。
中村教授は、双子の弟子と対面していた。
「ふうん。何がどうなってるのかな?そこから説明してほしいな。ここは、どこ?」
美味しそうなケーキとお茶が出ているが、教授はまだ手を付けてはいない。
「まあ、先生お茶をどうぞ。」
「話が先だよ。」
中村は譲らない。
「はい。そうですか。あのですね、先生、これは瞬間空間移動です。ここは、タルレジャ王国の北島のまだ向こう側にある小さな島です。」
「そんな技術、地球にあったのか?」
「ああ、そうですね。先生。あったのかと言われれば、ありました。今のが証拠です。ただし、これは我が王国のみが所有する技術です。南北アメリカ国なども研究はしておりますが、ここまでは来ておりません。失敗続きですからね。」
「誰が発明したの?」
「ああ・・・わたくしですわ。」
少しだけ頭を下げながら、弘子が答えた。
「ふうん・・・」
中村教授は、お茶を一口飲み込んだ。
「ああ、で、何の用だったのかな?」
双子は顔を見合わせた。
それから、道子が説明し始めたのである。
「実は、つい先ほど、一時間ほど前ですが、皇帝陛下からわたくしにご命令が下りました。」
「ほう・・・」
「つまり、先生を、明日行われる、シブヤの「研修センター」の開所式にご案内し、最初の研修生としてのご経験をなさっていただきましたうえで、そのご感想を公表していただくように、・・・というご命令でございました。」
「ふうん・・・で、ぼくを逃げられないように拘束した、という訳、なのかな?」
「まあ、そうでございますわ。」
「ふうん。君たち、すっかりあの『火星人』とか言う連中の仲間になってるんだね。」
双子の弟子は、また顔を見合わせた。
「道子は、皇帝陛下に反対申しあげたのです。」
弘子が答えた。
「ほう・・・で?」
「しかし、陛下はその反対意見を却下なさいました。」
「ふうん、で?」
「そうなると、さすがの総督閣下も、皇帝陛下には従わざるを得なくなります。」
「ふうん。ぼくは、君たちの妹さんには、会ったことがあったかなあ?」
「はい。一度あります。二年前にあの子が日本に公式訪問した時です。」
「あああ、そうそう。紹介されたよね。」
「はい。」
「彼女は、その時とは変わっているの?」
「それは、つまり?」
「火星人に改造されたとか、ね。」
「もう先生、SF映画見たいですわ、ほほほほ。」
弘子が笑った。
「ほほほ・・・でも、まあ、大体。そんなところですわね。」
「ふうん・・・で、君たちも、かな?」
「ああ、わたくしたちは、特に火星人にいじくられたりはしておりませんわ。」
「じゃあ、君たちは、もとから火星人の仲間・・・かな?」
「ううん・・・そこは非常に難しいのです。」
「難しい?」
「そうなのです。先生。一言では解決できません。でも、いま、わたくしとしては、先生に信じていただきたいの。わたくしたちのこと。」
「ふうん・・・・いま、この時になってかい?」
「そうですわ。先生。」
「で、ぼくにあす、その研修所に行き、火星人の言いなりになる様に、されるようにと、指示する訳?」
「まあ、そうです。ただし・・・」
弘子は右手の人差し指を立てながら言った。
「いくつかの対策がございますの。先生。」
「対策?」
「そうです。これから申し上げますから、選択してください。」
「全部、嫌だよ。」
「まあ、先生ったら。まだ何も言ってませんわ。」
「ぼくは、自分で対策を立てたいんだ。君たちに作ってもらう必要などないんだよ。」
「でも、さっき悩んでおられたでしょう?」
「そりゃあ、まあ、ね。でも、もうすぐ考え付くところだったんだ。」
「ホント、に?」
「そうさ、ホントに、ね。」
「ふうん・・・でも、先生、わたくしの対策も、聞いてみたって、いいでしょう?タダですわ。」
「ふうん。タダ、ね。」
「そう。タダですの。ケーキいかがですか、先生、お好きでしょう?」
「うん、ありがとう。」
中村教授は、小さなフォークを取り上げた。
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