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もの心ついたころから、うちにはピアノがあった。
父が繊維工場を経営しており、広い敷地に洋館だったため、本格的なグランドピアノがあったのもそういうわけなのだろう。
父はこのピアノを装飾品かなにかのように考えていたようだが、母は違っていた。
母はそれまでピアノなんか触ったことのない人生を送ってきたが、結婚してすぐに父が購入してきたこのピアノを一目で気に入り、それから毎日欠かさず弾いていたそうだ。
しかも見よう見まねでへんな癖がついてはいけないと、ピアノの先生を呼んできて、基礎からみっちりと練習していた。
そのおかげもあって、私が生まれ妹が生まれる頃には、それなりの腕を持つようになっていた。
先生が来なくなった今でも毎日弾いているため、最初の頃ほどではないにしろ、まだ少しずつうまくなっているようだ。
そんな母だから、私が小学校に上がる頃にはピアノをやるように薦めてきた。
本当はもっと前からやらせたかったようだが、父の「指が届かないだろう」の一言で断念していた。
もちろん小学校一年生の女の子では、グランドピアノにたいして指が十分な長さがあるとはまだ言えないのだが、それでも弾けないことなない。
母はピアノの先生を再び雇った。
ピアノの先生が来ると母もついてきて、私がレッスンを受けている間、ずっとその場にいた。
その時の母は、とても嬉しそうに見えたものだった。
しかし良い子とは言えない私は、すぐにピアノに対する興味をなくしてしまった。
もともと興味がなかったものが苦痛に変わった、と言ったほうが正しいのかもしれない。




