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その4

 翌朝アリスが里を出ようとすると、パックが急いで後を追いかけて来た。

「おい、俺のこと置いてく気かよ!」

「置いてなにも、あんたついて来るの?」

 腕組みをしながら仁王立ちで相手を見下す目。アリスに通っている学校では、このポーズのことをアリスポーズと呼んでいるらしい。

「おまえなぁ〜、星見の塔の場所知らないだろ?」

「ああ、なるほど」

 アリスはポンと手を叩いて納得して、

「じゃあ連れてって」

「なんかその言い方ムカツクなぁ〜、でもそれが俺の役目だからな」

 パックはイヤイヤながらもアリスを連れて森を抜けて、二人は湖のほとりまで出た。

 周りを木々に囲まれた湖の中心に天高くそびえ立つ星見の塔。妖精のお姫様はここに囚われているらしい。

「あんな湖の真ん中どうやって行くのよ。ボートとかないの?」

「これだよ、これ。これで飛んでくんだよ」

 パックは当然のように自分の羽を指差して飛んでいくのだと言った。

「あたしのことバカにしてるんの? あたしに羽が無いの見ればわかるでしょ!? わかったら、どうにかしなさいよ」

「人間って不便だなぁ。ボートかなんか探してくるからここで待ってろ」

 パックは嫌そうな顔をしながらもしぶしぶボートかなにかが無いか探しに飛んで行ってしまった。

「全く段取りが悪いのよ。ボートくらい用意しておくのが普通でしょ……ん?」

 茂みの奥から物音がした。

「もう帰って来たの?」

 パックが帰って来たのではないかと思い、その方向を振り向いたのだが、そこにいたのは可愛らしい妖精とは似ても似つかない、怪物だった。パックの性格は可愛くないが……。

 毛むくじゃらの怪物は肩を落とし猫背の姿勢で口からよだれを垂らしながらアリスをギロギロした目で見ていた。アリス曰く、2本足で立つ狼。

 アリスはそんな怪物を見ても動じず強きな態度で、

「気持ち悪い目で見ないでくれる? さっさとどっか消えて!」

 と怒鳴って怪物を追い払おうとした。

 当然だが怪物もアリスの言葉には動じない。それどころかアリスをより一層睨みつけ、唸っているのかしゃべっているのかわからない低い声で威嚇をしてきた。

「ぐるぅぅぅ……外から来た奴は……外に帰れ……さもないと殺す」

「外? 夢の外ってこと? あたしだって帰れるんだったら帰るんだけど、この夢覚めないのよね」

「……ここは夢ではない」

「夢じゃないってどういうこと?」

 夢ではない。ここでアリスの頭に導き出される回答は、玉藻先生の実験に巻き込まれたという可能性。その実験に巻き込まれて異世界に飛ばされたという可能性は否定できない。1ヶ月以上前から同じクラスの加護ハルカが謎の失踪をした時に真っ先に疑われたのも玉藻先生だった。

「ぐるるぅぅぅ……知らずにここに来たのか?」

「気付いたら森の中だったのよ! 帰り方なんて知るわけないでしょ!」

「ここは絵本の世界だ……正確には幻実空間ふぁんとむすぺーす……という場所だ」

「幻実空間?」

「……我々は人々の夢や希望を……奪うため……まずは絵本の世界を……支配することに……した」

 幻実空間、夢や希望を奪う、絵本の世界、アリスは話の半分も理解できなかったが、わかったこともある。

「とにかくぅ〜あんた悪い奴なんでしょ? てゆーか、見た目からして悪そうだもんね。わかった、わかった、あんたのこと倒せばいいんでしょ?」

「ぐるるるるぅぅぅ……」

 怪物の唸り声は凄みを増していた。アリスのせいなのは明白だ。

「全部どうでもいいから、掛かって来なさい!」

 アリスはもらった宝剣を鞘から抜き、空いてる手で怪物を挑発しながら手招きをした。怪物を目の前にして対した度胸である。

 毛むくじゃらの怪物はアリスに挑発されるまでもない。2本の足で立っていた怪物は前足で地面を蹴り上げアリスに襲い掛かって来た。

 アリスは全く動じない、それどころか余裕すら感じられる表情をしている。

 鋭い爪がアリスの顔に振り下ろされようとしたその時、怪物の心臓を輝く刃が貫いた。アリスが一刀を決めたのだ。

 怪物は咆哮を上げた。身体にひびが入り、見る見るうちにその身体は砂のように散って跡形も無く姿を消してしまった。

「見た目より弱っちいのね」

 カッコよく剣を振り回してから鞘に収めると、勝ち誇った顔をしてアリスポーズを決めた。今アリスは自分に陶酔している。

 そんな一部始終を見ていたパックは物陰からひょっこり顔を出すとアリスに声を掛けた。

 自己陶酔中に横から声をかけられたので少しムッとしたようすのアリス。

「なによ、もしかして全部見てたの? だったら早く助けなさいよ!」

「助けなくても十分強いじゃんか。お前ホントに女かよ……人間かも怪しいよな。人間の面被った怪物じゃないのかホントは?」

「こんなチョー可愛い女の子に向かって怪物だなんて失礼よ。謝りなさい!」

 自称ちょー可愛い女の子だが、今の顔は鬼よりも恐い。

「ごめん、ごめん謝るよ。それよか、あっちにボート見つけたから早く行こうぜ」

 パックの見つけてきたボートは木製2人乗りの手漕ぎボートだった。

「なにこれ? モーター付きのボートとかなかったわけ? もしかして、このあたしに漕げって言うんじゃないでしょうねぇ?」

「おまえ以外に誰が漕ぐんだよ。俺の身体とオールの大きさ比べて見ろよ、どっちが大きい?」

「そんなの比べなくたってわかるわよ。……ったく、しょうがないわね」

 アリスは愚痴を溢しながらもボートに乗ると、自らの力でボートを漕ぎ始めた。

 塔まで距離はおよそ300m。女性の力でボートを漕ぐとなると、なかなかの距離だ。だがアリスは難なくボートを快調なスピードで進めて行く。アリスの腕は細い、そのどこにこんな力があるのか? 世の中には化学で解明できないチカラが存在するものだ。

 円柱形の塔の高さは約100〜150mくらいで、外壁は白一色で窓は一つも無い。

 その塔の水面との接触部分には門があり、ボートでそのまま入れるようになっていた。

 門を潜るとそこは、朝だというのに日の光も通さず、いくつもの蝋燭が空に散りばめられた星々のように輝き、塔内を照らしていた。

「まるで宇宙の中にいるみたいね」

「俺もここに入ったのは初めてだけど、すっげぇな」

 塔の内部は外とはまさに別世界と呼べる場所だった。目隠しをされてここに連れてこられたら、ここが塔の内部だとは誰も信じないに違いない。ここ小宇宙だ。

 螺旋階段が塔の上まで続いている。その階段を使って上へと昇るアリスたちの姿は宇宙を歩いているようにさえ見える。

 階段を上り終え、塔の天辺に出た。外は夜の闇に包まれていた。

「あれっ?」

 アリスは辺りを見回した。塔の中に入る前は確かに朝だったハズなのに、いつの間にか外は夜になっていた。

 パックはくるりと辺りをひとっ飛びして戻ってくると、

「本当だったんだな。この塔の天辺はいつでも夜なんだよ、だからいつでも星を見ることができる。それで星見の塔って呼ばれてるんだ」

「ふ〜ん、それはわかったけど……お姫様はどこ?」

「ガーッハハハハ!!」

 馬鹿笑いがした方向をアリスたちが振り向くとそこにいたのは!?

「なにあれ?」

 アリスは思わず、そこにいた奴に指を差してしまった。

「『あれ』とはなんだ、オレ様に失礼だぞ!」

 声には迫力感と凄みがあるし、顔もそれなりに恐かった。だがスケールが小さかった。そこには1mほどの身長の2頭身の怪物がいた。

 アリスはある意味衝撃を受けて言葉を失ってしまった。妖精の里で見たこいつはあんなにデカかったのに……実際のこいつときたら……小さい。

「ガハハハハ、オレ様の迫力にビビって声も出ないようだな!」

「…………」

 アリスとパックは確かに声が出なかった。別の意味で……。

 だがパックはついに耐えかねて、思いっきり大口を開けて笑い出してしまった。

「ははははっ、なんだよコイツ!? もっとすっげぇヤツかと思ってたら……ぷっ」

「きゃははは、そーよね。アタシももっと違うの想像してたのに……頭でっかちはないでしょ〜」

 ついにアリスもパックにつられて大笑いを始めてしまった。それを見た怪物の顔は見る見るうちの赤く膨れていく。だいぶ頭に来たようだ。

「キサマら、よくもオレ様のことをコイツがどうなってもいいのか!!」

 怪物は自分の後ろに置いてあった鉄製の鳥カゴを取り、二人に見せ付けるように前へ突き出した。そのカゴに入っているモノを見てパックの目が大きく見開かれた。

「姫様っ!」

 鳥かごの中に入っていたのは、囚われの身になっていた妖精の里のお姫様だった。

「パック、あなたが来てくれたのですね」

 妖精の姫の声はまるで風が歌っているようだった。

「ガハハハ、キサマらが少しでも変なマネしたら、このお姫様が痛い目を見るぞ!」

「あんたね、卑怯よ!! 卑怯、卑怯、卑怯、卑怯、卑怯、卑怯!!」

 そんなに何度も言わなくてもいいと思うが、怪物には堪えたらしい。

「う、うう、そんなに卑怯って言うな!! 作戦だ、作戦!」

「どっちでもいいわよそんなの。さっさとお姫様返してくんない?」

 アリスは剣を抜き、その切っ先を怪物に向けた。怪物はアリスに襲い掛かってくると思いきや、やはりこの怪物はスケールが小さい。

「オレ様は平和主義者だ。だから今日のところは見逃してやるから、帰れ」

「はぁ? なに言ってんのよ。あんたやっぱり弱っちいんでしょ?」

 前回に引き続き『弱っちい』と言われた怪物は、また焦った表情を浮かべた。

「お、オレ様が弱いわけがないだろ! オレ様はとても恐ろしくて強い怪物の王様だぞ!!」

 自称とても恐ろしくて強い怪物の王の口調はしどろもどろだった。アリスは確信を深めた。

「あんた、弱い。絶対弱い。弱すぎ」

 戦ってもいないのに『弱すぎ』というのもなんだが、確かに弱そうな感じはする。

「帰れ、帰れ、帰れ、帰らないとこのお姫様の……」

 ふと、妖精のお姫様を閉じ込めているかごを見た怪物はなぜかパックと目があった。愛想笑いを浮かべるパック。

「どーも」

「こりゃどーも」

 怪物もなぜだかパックにあいさつを返した。

「じゃ、俺は行くから」

 そう言ってパックはお姫様の手を引いて飛んで行ってしまった。かごに掛けてあった鍵が開いている――逃げられたのだ。

「……逃げられた!?」

 それを悟った怪物は、次に自分の死を悟った。

 一筋に煌く線の先には剣を振り下ろし終わったアリスが立っていた。

 怪物の身体はひびが入り、最期は『アリスの左砂』によって粉々に砕け散った。スケールの小さい怪物にはお似合いの終わり方だった。

「さ〜てと、妖精の里に帰って宝物貰わなきゃ。……パック?」

 パックがいない、パックだけじゃないお姫様の姿も見当たらない。――それどころではなかった。

「!?」

 ここは星見の塔の天辺ではなかった。

「どういうこと?」

 いつの間にかアリスは別の場所にいた。星見の塔の屋上に似て暗いが、ここのほうがもっと暗い。闇だった。

 この時ばかりはアリスも多少は動揺した。

 闇の中にあるのは自分だけ、自分だけが見ることができる。不思議な闇だった。

「まったく、なんなのよ〜っ?」

 大声で叫ぶが、それは誰にも届かない。でもアリスは内心ちょっと安心した。この闇が声までもかき消してしまいそうだったからだ。

 だが、問題の解決にはならない。この状況は森の中で目覚めた時より悪い。

「サイテー」

 そう最低だった。

 アリスポーズを取ったアリスは考える。まず、これは夢ではないらしいということ。夢にしてはリアリティがあり過ぎるし、湖で倒した怪物もそんなことを言っていた。

 現実空間とはいったい何なんだろうか? きっとそれが元の世界に帰る鍵に違いない。

 しばらくして、アリスの前に何かが現れた。頭には小さめのシルクハット、茶色い毛の上にジャケットを羽織り、手にはステッキを持ち、首から懐中時計をぶら下げていた。

 アリスはそれが何なのかがすぐにわかった。

「あ、あの時のウサギ」

「やあ」

 アリスはウサギと会話をしたのはこれが二度目の経験だった。

 ウサギはアリスとのあいさつが終わると遠くを見つめ何かを待っているようにぼーっとし始めた。あの時とまったく同じだった。

「なにしてるの?」

「べつに」

 この会話も同じである。

「別にって……今度は絶対別にじゃないでしょ、こんなところで!?」

「たしかに、ウサギなこんなところにいるのは変だね」

「自分でわかってんじゃない」

「なるほど、ボクは自分で理解しているのか」

「あんたの言うことって、ホントさっぱり」

「それはきっと君がボクじゃないからさ」

「はぁ?」

 アリスはなにがなんだかもうわからなかった。ウサギのしゃべっている言葉が日本語なのかと疑ってしまうほどに。

「じゃあ、ボクは時計を動かしに行くから」

ウサギはぴょんぴょん跳ねるように二本の足で歩き、どこか行ってしまおうとした。

「あっ、ちょっと待ってよ」

 アリスは手を伸ばしウサギのあとを追いかけたが、ウサギとの距離はどんどん離れていく――。

 ウサギはそれほど早く移動しているようには見えない、けれでアリスは追いつくことはできなかった。そしてアリスはついにウサギに追いつくことは無かった。ウサギはアリスの視界から完全に姿を消してしまった。

 けれでもアリスはウサギを追いかけ続けた。そして、身体全身を不思議な感覚が襲った。それはまるで何か薄い膜のような物を突き抜けた感じ……。


 ――目が覚めるとそこは図書室だった。

 自分が本棚に押し潰された場所と全く同じ場所。ただ、倒れたハズの本棚は元通りに戻っていた。

 どこからどこまでが現実だったのかわからない。服装も学校の制服に戻っているし、あの世界での出来事が本当にあったのかは疑わしい。

 だが、アリスにとってはそんなことどうでもいいらしい。

「あ、もうこんな時間。家か〜えろ」

 図書室の時計に目をやったアリスは何事もなかったように図書室をあとにした。

 元の世界に戻ったアリスには普段通りの生活が待っていて、これからその普段通りの生活が、普段通りに始まる。

 あの世界での出来事は白昼夢のように……。


 アリスがゆく! おしまい

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