夏の日の思い出
みぃ〜んみんみんみん。
「ん……。」
俺の眠りを妨げる様に、蝉達が朝の早くから大合唱している。
「それにしても……、あちぃな……。」
窓からは、太陽の光と熱が、もう起きろと言わんばかりに自己主張している。こちらとしては、いい迷惑なんだが……。
「さて、由香との約束もあるし、起きるかな。」
よっと跳ね起き時計を見ると、時計の針は午前八時を指していた。
「やべ……。もうこんな時間だ……。」
着替と朝食、移動の時間を考えると、あまりゆっくりしていられる時間がない。俺は、慌てて支度をすませた。
〜池袋駅〜
「あ、あったあった。」
待ち合わせ場所の『イケフクロウ』の前に立つ。時計を見ると9:45。なんとか約束の時間、それも由香より早く着けた事に安心し、ホッと息を吐く。
「だ〜れだ?」
それを待っていたかの様に、聞いたことのある声と共に突然、視界が真っ暗になる。そのことにビックリし、後ろを振り向いた。そこには、ショートボブの女の子が立っていた。
「もぅ、振り向くのは反則だよ。」
その女の子は頬袋に沢山のドングリを詰め込んだリスの様にプクゥっと頬を膨らませて怒っている。
「あぁ、由香か。悪い悪い。ちょっと、びっくりしてな。」
照れた様に頬をかく。由香には内緒だが、俺は暗所恐怖障なのだ。
「後でケーキ買ってやるから。な?」
「ほんと!?」
少しの間リスになっていた由香だが、この言葉で機嫌を良くしたのか、目が輝いている。
「なら、早く行こ♪」
由香は俺の手を掴むと、目的地の遊園地へ向けて歩き始めた。道中、他愛のない話で盛り上がりながら歩みを進める。
「あっ! ねぇねぇ、凄い高いビルだねぇ。」
突然、建設中のビルの前に立ち止まると、由香は頭上を仰ぎみる。
「本当だな。こんなに高いと、あの上の方にあるクレーンはどうやって降ろすのか気になるな。」
「本当だ。あのクレーン、どうやって降ろすんだろう……。」
由香と一緒に、建設中の高層ビルを眺める。天を突く様なそのビルの上にオレンジ色のクレーンが二機設置されている。少し眺めた後、二人は再び歩きはじめた。
「ねぇ。今日は何処に連れてってくれるの?」
クルッと振り向いた拍子に、由香のスカートがフワッと舞う。
「どうしたの?」
「えっ? あ、いや……。なんでもないよ。」
その動きに見とれていたとは言えず、俺は慌てて取り繕う。
「そうだなぁ……。遊園地に行って、それから……。カラオケにでも行くか?」
「うん♪」
俺の言葉に、由香が気持ちのいい笑顔を返してくれる。
「あ、青になったし、早く渡ろ♪」
横断歩道の信号が青になったのを見るや、由香は待ちきれない。とばかりに、小走りに渡っていく。
「おい! ちょっと待……」
それから先の言葉が出てこなくなる。今まで、由香や他の通行人が歩いていた横断歩道を、一台のトラックが猛スピードで通り抜けて行ったのだ。
由香や、他の通行人を巻き込んで……。
頭の中が真っ白になる。
それと同時に、ドンという衝撃音と共に周囲をどよめきが包み込む。先程のトラックがどこかにぶつかったのだろう。その音で俺は正気に戻り、その場に崩れ落ちそうになった体に鞭を入れ慌てて携帯で救急車を要請する。その後、由香の元へと走った。
程なくして、数台の救急車とパトカー、消防車が駆け付ける。怪我人が10人以上はいると連絡したのに、救急車が来たのはたった5台だけだった。
頭から血を流す由香を乗せた救急車が病院へとたどり着く。病院では、看護士達が慌ただしくコロ付きの担架を医師達の元へと押していく。それに習い俺も手術室へ向けて走っていく。
「由香は……由香は助かりますか!?」
そう聞きたかったが、そのせいで手術が遅れたら……と、思うと、言葉が出ない。
「お願いします……。」
手術室へ入るときに、なんとかその言葉だけがでた。
由香が手術室へ入ると赤いランプが点灯する。
手術を待つ間に、外に出て由香の家族に電話をする。電話越しに由香が事故をしたこと。今、○×病院で手術をしていることを報告すると、俺は手術室へ向けて走っていった。息を切らせ手術室の前へと行き、ランプを確認する。まだ点灯したままだ。
「頼む……死なないでくれ……。」
ドカッと通路の長椅子に座り込み指を組むと、神様に拝むように呟いた。
十分、二十分と時間ばかりが過ぎていく。
「由香は……?」
塞ぎ込み、手術の成功を祈っていた俺に誰かが話しかけてくる。顔を上げ、確認してみる。由香の両親だ。
「頭から血を流して……。それで……。」
堪え様としている涙が、塞きを切った様に流れだす。
「どういう状況だったのか、教えてくれないか?」
由香のお父さんが訪ねてくる。見ると、怒りを堪えているのか手に力がこもっている。
俺は、何故由香が事故をしてしまったのか、その全てを由香の両親に語った。
「そうか……。」
それまで黙って話を聞いていた由香の父が、口を開く。
「すみません……。」
それ以外の言葉が出てこない。
「いや、君は悪くない。悪いのはそのトラックの運転手だ。だから、気に病まないでくれ。」
由香の父のやり場のない怒りが伝わってくる。
それから、永遠とも思える長い一時間が只々過ぎようとしていた。
と、今まで点灯していた手術中というランプが消える。俺達は急いで手術室の扉の前に集まる。それを待っていたかの様に、重い扉がゆっくりと開く。
「成功しました。」
扉から出てきた医師が、マスクを取りながら教えてくれる。それを聞いた俺は、今までとは違う涙が流れてきた。
「よかった……。」
今まで信じていなかった神様に感謝する。それと同時に、『今まで御詣りに行かなくてごめんなさい。これからはきちんと行きますから。』と、心の中で呟いた。
手術を担当した医師に礼を述べ、病室へと看護士達と向かう。由香はまだ意識はないが、直に目を覚ますだろうと医師も言っていた。
病室に運ばれていく由香を見る。頭を大量の包帯で包まれていて、ミイラを連想させる。死んだように眠っているが、僅かに胸が上下しているのを見ると、あぁ生きているんだ。と、安心させてくれた。
「それでは、こちらの病室になりますんで。」
「156号室ですか……。変えてください! イチコロなんて縁起が悪いんで。」
由香の母が、直ぐ様病室の変更を希望する。と、看護士も直ぐに違う病室の手配をしてくれた。
病室に入り、由香の家族が着替えやパジャマ等入院の用意を始める。俺も雑誌や小説を病室に運ぶのを手伝う。
そうこうしていると、由香がうっすらと目を開けた。
「あれ……? 私……。」
軽く頭を振り、由香が周りを見渡す。
『由香……。』
その場にいた俺達は、由香の目覚めに歓喜した。