其の玖 小森雛子は翻弄される
雛子が飛び込んだのは、どうやら音楽室のようであった。
だが、ピアノや机などは隅に移動し、中央の床に魔法陣が描かれている。
魔法陣の中央には、鎧武者が座していた。
先ほどまで雛子に迫っていた半透明の武者とは違い、実体を伴っていた。
はっきりとはわからないが、その武者から”力”のようなものを感じていた。
「まさか、ここまで来るとはね……」
その武者の隣に立っていたタイラーが苦笑する。
「あなたが仕組んだの」
思わず雛子は尋ねてしまったが、当然のことであった。
そもそも、この肝試しを企画したのは彼なのだから
「当然だ、君が何者かはしらないが、ここに来るとはね、飛んで火にいる夏の虫だね」
「……」
雛子は語らず、タイラーの隙を探していた。
零夜の指示では、携帯電話をこの鎧武者の本体に触れさせれば、あとは零夜がなんとかしてくれるらしい。
だが、タイラーはそれをさせないだろう。
(どうしよう)
悩むがいい案は思い浮かばない。
「君の式神もなかなか優秀なようだが、ここで終わりだ。ほかのもの同様、生命力を搾り取られて、死ぬがいい」
タイラーの言った式神の意味がわからなかったが、それより気になったことが雛子にはあった。
「え、みんな死んじゃうの?」
そんなはずがなかった。なぜなら……
「嘘、お兄さんは死なないって」
「たしかにすぐには死なない。だが、いずれ死ぬだろう。魂を奪い取ったからな、魂のない抜け殻の体など長くはもたない」
タイラーが自信をもって答える。
オカルトな知識のない雛子には、零夜とタイラーのどちらが正しいことを言っているのかわからない。
今はただ、零夜のことを信じるしかない……
「そんなことより、自分のことを考えたらどうだ?」
タイラーの手には、細長い紙が何枚も握られている。
それが何かはわからないが、危険を感じ、雛子は後ずさる。
今の雛子には対抗手段がない。
「貴様は、この俺自らの手で……」
その時であった。
まるで地震のように周りが揺れた。
「なんだ! 何が起きたんだ!」
焦りと苛立ちを隠さずタイラーが叫んだ。
揺れたのは一瞬だが、その後、ガラスが割れる音が階下から聞こえてくる。
雛子も思わず窓際に駆けより外を見る。
北校舎の北側、職員の駐車場に何人もの人影が見えた。
「馬鹿な、結界は破壊されていない、誰も外に出られるはずがないのに!」
困惑
驚愕
そして、疑心暗鬼
タイラーもまた窓際へ移動し、眼下に広がる光景を見て呆然としていた。
今がチャンスだった。
「えい」
掛け声とともに、雛子はスマートフォンを投げた。
山なりの軌跡を描き、スマートフォンが鎧武者に、カツン!と当たる。
だが、それだけであった。
スマートフォンが床に転がる。
「あれ?」
「貴様、何をした!」
雛子の行動に気付いたタイラ―が叫ぶ。
「わ、わからないわよ」
鬼気迫るタイラーに雛子は素直に答える。
零夜に指示されたのは、スマートフォンを武者に接触させること、ただそれだけであった。
その後のことは知らなかった。
(お兄さん! 私はちゃんとやったよ! だから助けて!)
雛子が願った刹那であった。
武者が突如立ち上がる!
「なん……だと」
「!」
驚く二人が見る中、武者が吼えた。
「UWOOOOOOOOO!」
武者から何かが放たれる。
無数の球体状の何か、それが音楽室内を暴れ回り、風を巻き起こす。
雛子の体も、風に耐えきれず、音楽室内をぐるぐると回る。
(こ、これは。もしかして魂!)
確証はなかった。
だが、時折触れる球体から誰かの想いを強く感じるのだ。
強風により宙を舞っているのは雛子だけではなかった。
椅子や机も飛びまわり、そして、その一つが窓に激突し、ガラスがバラバラに砕け散った。
穴-割れた窓ガラス-が開いたことで、それまで宙を舞っていた魂、机、椅子が、穴に吸い込まれ、外に放り出される。
そして、それは雛子も同様であった。
「ちょ、ちょっと! 助けて!」
雛子の叫びも空しく、雛子の体は外に放り出せられる
宙にあるため自由にならない体、眼下に広がる地面
(もうダメ)
落下をはじめたころ……
……雛子は意識を失った。