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アニマルゲノム  作者: 西玉
海の要塞
21/28

水中での戦闘

 円筒形の巨大水槽は天井にまで達していたので、水槽の中に入るには二階に上がらなくてはならなかった。もちろん、関係者以外立ち入り禁止の場所である。

イソギンチャク男が一体どういう攻撃をしてくるのか謎のため、篠原と早房だけが水着に着替え、朔間緑子を含む三人は観客席でその様子を見守ることになった。篠原と早房は、海洋生物の遺伝子を受けているからである。

「篠原は大丈夫か? あいつが直接戦うところ、俺は見たことないんだが」

「でも、イルカの遺伝子を受けているくらいですから、水の中ならお任せじゃありませんの?」

「うん。この間砂場に引き込まれたときも、一〇分以上息を止めていたくらいだもん。大丈夫だよ」

 地上の獣である三人も、水着に着替えていた。制服と違って、お揃いのスクール水着である。中谷が用意していたものだ。その上に薄手のジャンバーを羽織っていた。こちらには、水族館のロゴが入っている。

「しかし波野、お前似合わねぇなあ」

「この水着、センスが古いんですわよ」

「スタイル良すぎだよぁ」

「まあ、そうですわね」

「おい、入ってきたぞ」

 水槽の上部から、篠原と早房が姿を見せる。

「なんで普通の水着なの? 危ない魚もいるんでしょ。水族館の人だって、ダイバー服着るじゃない」

「動きにくいんだろ。見ろよ。あの篠原の泳ぎ方」

「人間の泳ぎ方じゃありませんわ」

 まるで、魚そのものだった。体をくねらせ、自在に水中を渡っていく。それを尻目に、早房は水槽に張り付いた。手の平をガラスにつけると、ぴったりと張り付くのが外目からもわかる。

「頑張ってー」

「聞こえねぇよ。たぶん」

 しかし、篠原は振り向いた。緑子に手を振る。緑子も振り返す。

「朔間さんには、随分愛想がよろしいこと」

 波野は腕を組んだ姿勢を崩さない。その上に、大きな胸が重そうに乗っている。

 篠原が、イソギンチャク男に近づいていく。ピンクの触手が蠢く。警戒するように、篠原は旋回する。こめかみに指を当てた。メッセージを送っているのだろうか。イソギンチャクが伸び上がり、人型を成す。

「……あっ……」

 波野が声を上げた。

「どうした?」

「イソギンチャクって、確か毒を持っていましたわね」

「そうなの?」

「だから、毒を防ぐ粘液を持つ小魚が、危機を回避するために利用するんですわ」

「で、その粘液を、イルカは持っているのか?」

「持っているはずがありませんわ」

「大変じゃない」

 緑子が、慌てて水槽を叩く。早房が振り向く。篠原を止めるよう手で指示するが、上手く伝わらない。その視線の先で、篠原が驚くように遠ざかる。いや、遠ざかろうとした。足が痺れたようだ。下がろうとする。その、努力だけは見えた。たちまち、ピンクの触手に黄色い髪をした少女が消えた。

「早房!」

 緑子を見ていたため、水中の早房は気づいてもいなかった。慌てた飯塚の伸ばした腕の先を目で追い、早房もようやく気づいた。それだけ、イソギンチャク男の動きは素早かった。必死でもがく篠原の思念が、緑子たちにまで伝わってきた。イソギンチャクの毒は猛毒である。篠原はすでに囚われている。ピンクの触手の波間から、篠原はただ腕を一本突き出すことしかできなかった。その腕を、早房が掴んだ。片腕はまだ水槽に張り付いたままだ。早房の位置は変わっていない。腕を鞭のように伸ばしたのだ。

「華麗ちゃん、頑張って!」

 緑子の絶叫が届いたからではないだろうが、早房の腕に力がこもり、篠原の体が引きずり出された。早房の腕が元の長さに戻る。タコの長い腕に抱かれた篠原は、ぐったりしていた。意識もないようだ。仕方なく、早房は撤退した。イソギンチャクに移動手段がないのは幸いだった。


「いってー」

 篠原を助けたとき、早房も刺されたようだ。片腕を抑え、水槽の入り口でうずくまっていた。二階にあたる入口に、緑子たちが駆けつける。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃねぇ」

 抑えたままの腕を差し出した。

「篠原は?」

 ぐったりと寝かされたまま、身動きもしなかった。

「わからねぇ。死んじゃいねぇとは思うが」

 波野が心臓に耳を押し付ける。

「どう?」

 緑子が心配して覗きこんだ。波野がほほ笑む。

「あれだけ大きなイソギンチャクに体中刺されたら、大の大人でもショック死しかねませんけど……どうやら、無事のようですわ。しばらくしたら、毒も抜けますわ」

「よかったぁ、イルカがイソギンチャクに食べられるなんて、恰好悪すぎるものね」

「恰好悪いとか言っている場合じゃねぇだろ。けど、どうするよ。肝心の篠原がこれだし、水の中で自由に動けるのは早房だけだ」

 戦いの場では常に実際的な飯塚が、もっともな意見を述べた。

「あたしだって、無傷じゃねぇ」

 早房も、篠原を助けるときに刺されていたのだ。腕をさすっている。緑子はうなずいた。

「毒を持っていて近づけないんじゃ、美香ちゃんが元気でも意味無いよね。波野さん、いい手ない?」

 ゾウの遺伝子を持つ波野は、軽々と篠原を抱き上げた。怪力と頑丈さにおいては、仲間内でも飛び抜けている。お嬢様としての教養の賜物か、一般知識の博学さでもしかりである。波野は篠原を抱えたままで言った。

「クマノミっていう魚は、イソギンチャクを住処にしてますの。毒に犯されない粘液を出しているそうですわ」

「でも、オレ達はクマノミじゃねえ」

「わかっていますわよ。でも、別の言い方をすれば、毒さえ気をつければ、イソギンチャクなんて、恐れるに足りませんわ」

「それはわかっているよぅ……つまり……どういうこと?」

「潜水服か?」

 飯塚がいち早く気づき、ぱちりと手を打ち鳴らした。

「中谷のおじさまが、嫌がるでしょうけどね」

「いいんだよ、あんな変態おやじ」

 早房の悪口に、この時ばかりは緑子も否定する気にはならなかった。

「『女子高生戦隊』だもんね。水着はスクール水着に限るって……ほんと、気持ち悪い」

「その点に関しては、わたくしも同感ですわね。おじさまの趣味で、こちらには被害が出でいるんですもの」

 意見の一致をみたところで、四人は一階に降りた。


 先頭の緑子の姿を認めるなり、中谷が心配そうに駆け寄ってきた。

「篠原君は大丈夫か?」

「問題ありませんわ。近寄らないで下さる。汚らわしい」

 緑子の背後から、波野が冷たく言い放った。

「け、『汚らわしい』?」

 言われたことに衝撃を受けたのか、あるいは言ったのが波野だったから衝撃を受けたのか、中谷は驚いた顔でぽかんと口を開けた。飯塚がダメ押しをする。

「そうだ。お前がスケベ心ださないで、始めからダイバースーツ着せていれば、こんなことにはならなかったんだ」

 緑子も、中谷の味方になる気分ではなかった。

「そうだよ。救急車! 早く!」

「わ、わかった」

 この場を離れることをむしろ喜んでいるかのように、中谷が駆けてゆく。

「で、どうなんだ? 救急車を呼ぶほどのことなのか?」

 早房が冷静に聞いた。一刺しではあるが、篠原と同じ毒を受けている。波野は首を振った。

「さあ、わたくしは専門家じゃありませんもの。でも、この機械を利かせている間は身体能力が強化されていますの。死んだりはしませんわ」

 ベンチに篠原を寝かせた。

「でも、篠原が目を覚ますまで、待っているわけにも行かねぇよな」

「うん。先に片付けて、美香ちゃんがやっつけたんだよーっことに、しちゃおうよ」

 早房の痛む手が目の前にあったため、何となく早房の腕を揉みながら、緑子が言った。

「お前って、時々恐いよな」

「なんで?」

「そんなことありませんわ」

 緑子を、波野が引き寄せる。早房から引き離した。

「篠原さんが自分でケダモノを倒すことなんて、あまりありませんものね。ダイバースーツさえあれば、簡単な相手ですもの。たまにはお手柄を差し上げましょうよ」

「でもなぁ……こいつには、どうせすぐばれるぞ」

 飯塚の指摘は、正にその通りだった。しかし、緑子が小さな胸を張る。

「そんな細かいこと、美香ちゃんは気にしないよ」

「それ……ほめてるのか?」

「そのつもりだけど?」

 緑子に他意はない。まさしく本気である。それを見つめる早房が複雑な顔をしているのが、緑子には不思議だった。ちょうどそのとき、水族館の職員が人数分のスーツを持ってきた。ダイバースーツというより、潜水服だ。

「こんなごついの着るのか? 水深何メートルだよ」

「しかし、あの大きさのイソギンチャクですと、万全を期した方が……」

 顔をゆがめる飯塚に、水族館の職員が危険性を説明した。

「そうだぜ。頼むな、波野、朔間」

 飯塚が、二人に服を押し付けた。普段であれば、真っ先に名乗りを上げる飯塚である。

「私たちだけなの?」

「俺はほら、非力だからよ」

 早房と肩を組み、飯塚は自分たちを指さした。

「よくおっしゃいますわね。殿方でも投げ飛ばす人が」

「あれは、力の使い方がだなぁ」

「嘘だよぉ。力はもともと強いじゃない。でも、中には私たちで潜るね。外に放り出すから、あとお願い」

「おう。任せろ」

「食い殺しちゃって」

「美味ければな」

 飯塚が笑顔を見せると、白い歯がずらりと並んでいるのが見えた。すべての歯が、鋭く尖っているのに違いない。緑子は根拠なく確信した。

「猛獣そのものですわね」

 波野が呆れた顔で眼鏡を直すと、早房と目があった。珍しく、茶色い肌をした少女が苦笑で返した。


 篠原や早房のように長時間潜れるわけではないので、緑子は波野と酸素ボンベを背負って水槽に入った。万が一のため、早房も水槽に入る。前回同様ガラスに張り付いた早房は、水着のままだった。イソギンチャクに近づくつもりはないようだ。水槽の上では、飯塚が牙を剥いて待機していた。

 緑子と波野が巨大な水槽に沈みながら、ゆっくりと水中を歩くように移動する。ゆっくりとしか動けなかった。いかに力があろうと、やはり勝手が違うのだ。

 イソギンチャク男に、緑子が達した。ピンクの触手が盛り上がり、人の形をとった。毒の鞭を伸ばしてきたが、厚い潜水服に阻まれた。

逆に、触手をつかんで引き寄せ、緑子が抱きついた。引っ張るが、足元は岩に張り付き、ゴリラの力を授かる緑子でも引き剥がせなかった。イソギンチャクの背後に、波野が忍び寄った。水中で軽くジャンプし、イソギンチャクの中に降りる。イソギンチャクは、緑子の両腕が回り切れないほど巨大だった。緑子の正面に、ゆったりと波野が降りてきた。波野は自らイソギンチャクの口の中に入る形になるが、今の装備なら食われることはないだろう。波野がそのまま体重を掛けるのがわかった。ゾウの体重である。五トンを越える。

イソギンチャク男が苦しそうに身もだえした。緑子は逃さなかった。さらに引っ張る。波野が軽く跳躍し、イソギンチャク男が根を下ろしている足元の岩場を破壊した。機械を覆うための人工物だったため、ゾウの怪力にはひとたまりもない。緑子が後ろに倒れた。イソギンチャク男を腕に抱きしめたままだった。イソギンチャク男が岩場からはがれたのだ。突然のことに驚いて、緑子が起き上がれずにもがいていると、波野が緑子ごとイソギンチャクを持ち上げた。頭上に抱え上げ、水槽の床を蹴った。


「おい、こっちだ!」

緑子は装備とは関係なく、水中で上を目指すことができなかった。波野も緑子も重すぎるのだ。早房は水中でも口が利けるらしく、その声は明瞭に緑子の耳にも聞こえた。波野の動きはよちよちと頼りない。待ちきれなかったのか、早房がガラスから離れて、すいすいと泳いで近づいてくる。

波野の潜水服を回り込んだ早房は、背中を支えた。その場所は、飯塚が待つ水上への出口の真下だった。早房が波野の背に廻り、体が浮かないように括り付けられた腰の重りを外した。しかし、外見とは裏腹にゾウの能力を持つ波野は極めて重い。緑子は波野の上でイソギンチャク男に抱き付いていたが、引きはがされたイソギンチャクに抵抗する気配もなく、早房を見習って腰の重りを外した。それでも、波野と緑子が浮力を得られる感触はなかった。

「ちっ」

 舌打ちすると、早房は波野の装備を外し始めた。重りだけでなく、潜水服そのものを脱がし始めたのだ。水の中が得意ではない波野は慌てる素振りを見せたが、すぐにその意図を理解して協力し始めた。


重装備の潜水服から、波野が脱皮する蝉のように抜け出した。

「朔間!」

「うん!」

早房の叫びに合わせ、緑子も潜水服を脱皮するように脱ぎ捨て、イソギンチャク男から離れて水槽の床に降りる。

タコのようにしなる手足は、実際に伸縮自在のようだった。早房の足が天井に伸び、吸盤で張り付いているかのように固定される。早房は腕をイソギンチャク男の胴体に回した。早房の顔がゆがむ。刺されたのかもしれない。

波野が脱いだ潜水服ごと、イソギンチャク男を頭上に押し出す。水の中であり、ふわりと浮き上がる。しかし、おとなしく水上を目指すイソギンチャクではなかった。緑子が床を蹴る。緑子の体が、高速で水中を伸び上がった。イソギンチャク男に体当たりをする。 

伸びきった早房の手足が縮む。加速された巨体は、水槽の天井に達し、なお止まらなかった。水面から飛び出し、イソギンチャク男が空を舞った。

「後、任せるぞ」

「おう」

 飯塚が、舌なめずりをした。


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