集結された被害者たち
朔間緑子は、都内某所に突然の招待を受けた。迎えの車は黒塗りで感じは悪かったものの、どこかで見たような手帳を提示され、信用することにした。何も解らないまま誘導されるに任せて移動すると、緑子と同じように戸惑った表情をした、同世代と思われる少女たちが集まった部屋に案内された。
二一世紀末のことである。その部屋にいたのは、朔間緑子を含む五人の女子高校生である。互いに顔を知らず、会話を始めるような雰囲気でもなかった。高校生であることはわかる。だが全員学校が違う。制服も趣向も、まったく不揃いな五人である。特にきっかけがなければ友達になることはないだろう。話さなくとも、身に着けているもので明白だった。
丁寧に招待されたわりには、飾り気のない薄暗い部屋だった。
「よう。集まったようだな」
まるで教師のように鷹揚な態度で現れたのは、くたびれたスーツを着た中年の男だった。
朔間緑子を含む少女達は、胡乱な目を向けた。だれも口を開かない。互いに牽制していた。目立ちたくないという集団心理が働いていたかもしれない。男は気にせず話し始めた。神経が太いのか、あるいは空気を読むということができないのだろう。
「俺は、中谷警部補。お前さんがたは、身分上今日から自衛官になる。従って、直接俺の部下というわけじゃない。だが、手続き的なことは全部俺がやることになったから、なんでも言ってくれ。仕事的には……警察に近くなるのかなあ」
「おい」
口火を切ったのは、長い髪を茶色く染めた、日焼けした少女だった。朔間緑子はまじめな一般生徒のつもりでいる。髪を染めているだけでも、恐怖の対象だった。もっとも、学業の成績まで優等生というわけではない。
「あたしは何も聞かされていないぜ。なんだよ、自衛官とか、仕事とか。他の連中はどうなんだ?」
「あなた、もう少し丁寧な言葉づかいできないのですの?」
黒い眼鏡の少女が応じた。透けるように肌が白く、漆黒の長い髪を背後に垂らした、整った顔立ちをした少女だ。少女は上品を売り物にしているかのような話し方で続けた。
「わたくしも存じませんわよ。そもそも、どうしてここに呼ばれたのか、それから説明してくださらない?」
「てめえの言葉づかいがまともだとは、到底思えねぇがな」
鼻で笑ったのは、また別の少女だった。髪を深紅に染めている。ショートカットで、目が異様にぎらついている。薄く浮かべた笑みからは、犬歯がこぼれていた。八重歯というより、緑子にはなぜか牙に見えた。
目立つのは嫌だったが、乗り遅れるのはもっと嫌だった。何か言わなければ。そう思い、緑子は慌てた。上品を装った黒髪の少女と目があった。少女の言葉使いを思い出し、赤紙の少女の指摘が脳裏をかすめた。すると、突然可笑しくなった。なるほど、確かに普通ではない。フォローしようとして、諦めた。つい、盛大に笑ってしまった。謝らなければと思ったが、思えば思うほど、笑いがこみ上げてきた。不機嫌な顔をした黒髪の少女も、緑子の笑いが収まらないのを見て、毒気を抜かれたような表情になった。
もう一人、髪を黄色くした少女は、全く表情を変えるでもなく、口を開く気もなさそうだった。ただ、顎を小さく動かした。中谷警部補に先を促したのだ。一つ咳払いをした後、中谷は話し出した。
日本で、一時期行方不明事件が相次いだ。一五年以上前のことである。多くは自ら失踪したものと見られていた。犯罪に巻き込まれた者も少なくない。また、独裁者が支配する国に拉致された者も判明し、国際問題に発展した。その中で、宇宙船にさらわれた者がいた。宇宙船にさらわれたと見られるものたちの共通の特徴が、記憶どころかさらわれた認識すらないことである。
「オレ達が、全員そうだっていうのか?」
赤髪の少女の言葉を、中谷は首肯で返した。
「これは、最近判明したことなんだが……」
中谷の話が続いた。
宇宙船は、地球で作られたものではなかった。どこかもわからない、外宇宙で作られたと考えられている。それは音もなく飛来し、全く無差別に人々をさらい、消え去った。赤ん坊とて例外ではなかった。両親たちは半狂乱だったが、せめて良心的だったのは、寝ていたベッドに帰されたことだろう。不思議な事件だったが、さらわれた本人たちが戻ってきていたこともあり、公の事件としては扱われなかった。ただし、政府は誘拐された者たちのその後を慎重に調査していた。
「それで、わたくし達になんの御用ですの?」
黒ぶちの眼鏡をした、背に長く髪を垂らした少女が尋ねる。有名なお嬢様学校の制服を着ている。一時あこがれたことがある緑子はすぐに気づいた。
中谷は、一枚の写真を懐から取り出した。近くにいた緑子に差し出す。
「回してくれ」
「人数分コピーしておけよ。気が利かねえな」
茶髪の日に焼けた少女が毒づいたが、事実なので中谷も反論しなかった。
写っていたのは、ネズミの死骸だった。ただのネズミではない。背中の丸まり方、手足の様子、顔など、違和感に満ちていた。
「恐怖、ネズミ男」
三つ編みのお下げ髪をした緑子が呟いた。思いのほか、明るい声が出た。気味が悪い死骸だったが、緑子が深刻になる話ではない。死因は、出血死だろうか。理由はわからないが、全身から血を流しているようだ。
「体長は、一・七メートルだ」
「オレよりでけえな」
中谷の補足に、一番体格のよい赤い髪の少女が、驚いた声を口に出した。女子にしてはがっしりした体つきをしているが、写真のネズミは人間より大きいということになる。
「その写真は二ヶ月前のものだ。その一週間前まで、その男は真面目な郵便局員として働いていた」
「ネズミの国の?」
黒眼鏡の発言を、中谷は手で制した。極めて真剣なまなざしだった。
「この男も、むかし宇宙船にさらわれている」
「ちっ」
赤髪の舌打ちが、盛大に響いた。
話が一通り終わると、緑子と四人は、記録フィルムを見せられた。白い壁をスクリーン代わりに、パソコンに接続しているところをみると、古い映像ではあるまい。
中谷が四苦八苦してその準備をしている間、赤い髪の少女が、茶髪の少女に話し掛ける声が聞こえた。髪を染めている者同士、通じるものがあるのだろうか。
「さっきの話、本当だと思うか?」
「あたし等を騙す理由がないね。あいつこそ、警察のふりをした妙な人買いだっていうなら別だけどよ」
「オレ達も……あのネズミ男みたいな化物に変わるっていうのか?」
「あなた達はともかく、わたくしまで……信じられませんわね」
話を聞いていたのだろう。黒眼鏡が口を挟んだ。お嬢様学校に通っているはずだが、よく平然と会話に加われるものだと緑子は感心して聞いていた。不良たちの会話にしか聞こえなかったのだ。警察官を名乗る者が近くにいる安心感だからだろうか。お金持ちは公権力を信望していると、どこかの本で読んだかもしれない。
「「『あなた達はともかく』ってのは、どういうことだよ」」
茶色い髪と赤い髪が同時に発した。初対面とは思えないタイミングである。
「だって、もともと獣みたいな方々じゃありませんか」
黒ぶちの眼鏡は、当然のことだと言わんばかりである。二人に絡まれているのにも動じない。もともとこういう性格なのだろう。緑子も、聞き捨てできない発言だった。
「なんだと! 表へ出ろ! いや、いまここで殺す」「ひど―い。私もなの?」
赤毛の声が裏返るのと、緑子が思わず発した声が同時に響いた。黒ぶちの眼鏡は赤毛を無視して、緑子に笑顔を向けた。
「いいえ。あなたは別だと、いいですわね」
微妙な言い方だ。赤毛はますますいきり立った。
「あっ! ますます気にいらねえ。おい、止めるなよ」
「止めねえよ」
茶色い髪をした少女は、呆れたようにあさってを向いていた。口にタバコをくわえている。
「あー、不良―」
三つ編みの緑子が条件反射で指さした。
初対面であろうとも、一度騒ぎ出すと止まらない。多感な女子高生なのだ。中谷は、頭を掻きむしった。
「静かにしろ! うるさくて作業ができないだろうが!」
黄色い髪が立ち上がった。一人だけ、さっきから一言も発していない。四人は相変らず大騒ぎしていたが、黄色い髪の少女は中谷に歩み寄った。
「な、なんだ?」
パソコンと映写機を一瞥すると、黄色い髪の少女は接続を数箇所直し、ノートパソコンを覗き込んだ。
「お、おい……」
瞬く間に、中谷の望んでいた映像が出たらしい。
「す、すまんな」
にこりともせず、少女が自分の席に戻る。
「なかなかやりますわね」
黒ぶちの眼鏡が声をかけたが、黄色い髪の少女は一瞥さえくれなかった。
一同がようやく静まったのは、映像を鮮明にするため、照明が落とされてからだった。
緑子たちが見せられたのは、非常に殺伐とした映像だった。実写だと思われるが、フィクションでないという保証は無い。先程の写真に写っていたネズミ男が、人間から変異し、自我を失い、暴れ回る。大勢の警官に囲まれ、警棒で殴られても怯まず、逃走のうえ民家にたてこもり、結果、蜂の巣になる。現実には信じられない映像だった。
モグラ男、ミミズ男と続いた。同じような内容だった。部屋の明かりが点けられ、緑子は四人の少女たちが憮然たる表情をしているのを見て取った。自分も、間違いなく同じような顔をしているのだという自覚があった。
「すべての者がああなるわけではない。変化せず一生を終える者もいるようだ。高齢でさらわれた者とか、ああなる前に病気や事故で死んだ者も大勢いる。彼らが長生きした場合にどうなるのかは検証しようがないから、あまり参考にはできないかもしれないが。なにがきっかけに変わるのかは、判明していない。だが、原因の一部はわかっている。遺伝子情報だ。宇宙船にさらわれた者は、それが一部書き換えられているらしい」
「ネズミ、モグラ、ミミズ、のものにか?」
タバコをくわえたまま、茶色い髪の少女が尋ねた。未成年であり、さらに警官の前であるというのに、注意さえされていなかった。それどころではない、ということだろうか。
「今のところはな。変身した者は、人間に類似した体に獣の能力を宿すようだ。悪意と理性を備えれば恐るべき能力だが、今のところ、少なくとも理性を保ったまま変わった者は発見されていない。君達の任務は、こいつらの捕獲、あるいは抹殺だ」
「待てよ」
大人しく聞いていた少女たちの一人が、ついに我慢の限度を超えた。赤毛で体格のいい少女である。緑子は、もともとあまり気が長い印象は受けていなかった。
「どうしてオレ等が、そんなことしなきゃならねえんだよ。そもそも、できねえよ」
「できるんだ。君達なら。いや、君達しかできない。だから、これは命令だが、同時に依頼でもある」
「ちゃんと説明してよ。私たちならって、どういうこと?」
緑子も便乗した。あまり目立つことはしたくなかったが、つい便乗してしまうのは緑子の癖である。緑子自身も自覚があるが、変えようという努力はしていない。性格を変える必要をそもそも感じていないのだ。
「いままで変化した例は、すべて男だ。さらわれたのは、男女とも同比率だったのにもかかわらず。女性は変化していない。つまり、遺伝子的に強い。それが、ある一定の電磁波を浴びせることによって、獣の持つ能力だけが強くなることが判明した。だが、それも、肉体的に成熟する前の、十代のころでないと耐えられないようだ。我々は、血眼になって探した。そして、君達を探し出したのだ」
「チャカで死ぬんだろ? あたしらに頼る意味ねーじゃん」
茶髪の少女が人差し指で何かを突き刺すような動作をした。『チャカ』がピストルの隠語だとは、緑子はかろうじて理解できた。
「ちょっと、その言い方では、今の話を肯定したことになりますわよ」
黒ぶちの眼鏡が聞きとがめる。
「とにかく、最後まで話させてやろうぜ」
真っ先に話を止めた赤髪の少女が先を促した。中谷は続ける。
「変化したといっても、人であることにかわりはない。どんなに危険であっても、相手は丸腰だ。発砲の許可を得るのは時間がかかる。その間に、多くの人命が犠牲になってしまう。特に自衛隊が出動することになったら、事実をすべて公表しなくてはならなくなる。日本中がパニックになってしまう。素手の相手は素手で捕らえる。これが警察の限界だ。君達は、身分上は自衛官となってもらうが、警察傘下に入り、素手であいつらを捕獲してもらいたい。身分が自衛官だというのは、自衛隊の所有する移動手段を自由に使用するための方便だと思ってくれていい。日本のどこで変化する者がでるかわからないんだ。時には、航空機を利用することも考えられる」
「誘拐された全員について、慎重に調査していたのでしょう? 誰がそうなのか、把握していないのですの?」
「正直に言うが……誘拐された人間が帰って来てから一五年以上というのは長すぎたんだ。警察の担当者も減らされ、すべてを把握していることは不可能だった。君たちを探し出すのにも、ずいぶん苦労した」
しばらく、誰も口を利かなかった。緑子が共に集められた少女達の顔を伺うと、同様に苦虫を噛み潰していた。無表情の黄色い髪の少女を除いて、緑子を含む四人の視線が交差した。突然の話に声が出なかった。自分たちが改造されているらしいこと。突然自衛隊所属にさせられること。すべてが理不尽だ。あまりにも理不尽だが、怒りをぶつける相手が見つからない。中谷の話に乗ろうと乗るまいと、おそらく結論は同じことだ。
中谷が立ち上がり、退出する。それでも、誰も口を開かなかった。すぐに戻ってきた。銀色のケースを運んできた。五人の前で静かに開ける。腕時計の形をした、五つの機械が並んでいた。
「スイッチはオンとオフだけだ。オンにするときは、こちらから指示を出す。それ以外では使用することは許されん。外見はただの腕時計だ。怪しまれることはない。学校には今までどおり通ってくれていい。奴等が出現したら、すぐに君達を招集する」
「わたし、帰る」
黄色い髪の少女が始めて口を開いた。四人にも、中谷にも一瞥もくれず、戸口に向かった。
「待て。断ることはできないぞ。それに、君達のことは調べはついている。藤原美香くん、君は……不登校だな。このままでは、高校を退学になる。もし十分な働きをしてくれれば、高校どころか大学卒業の経歴を準備する」
「マジかよ」
茶色い少女が歓声を上げ、他の三人が冷たく見つめた。ただ、黄色い髪の少女は、振り向いた視線でまっすぐ中谷に射た。
「わたしが不登校になった原因を知ってるの?」
「い、いや、そこまでは知らないが」
中谷が言葉を濁したのは、不登校の原因が愉快なはずがないとの考えからだろう。それは正しかった。かろうじて聞こえる程度の声で、篠原美香と呼ばれた少女は言った。
「現象はわかっても、ずっと原因はわからなかった。こんな力、いらない」
篠原の瞳が、変わったように見えた。色でも光でもない。ただ、緑子がそう感じただけなのかもしれない。緑子の感じたものを裏付けるように、見つめられた現職の警察官が、言葉を紡げずに立ち尽くしていた。篠原が言葉を発した。
「子供の成績が悪い。奥さんの浮気を心配している。明日は虫歯の治療に行く……つまらない人生だって、いつも思っているでしょ? 知りたいときだけじゃないの。人ごみの中にいると、吐き気がする」
篠原が何を言ったのか、しばらく緑子には理解できなかった。中谷の顔色が真っ青になり、篠原が中谷の心を暴露したのだと理解した。
「君は……今のままでも力が使えるのか……その力、日本のために使おうとは思わないか?」
「いままでわたしに何をしてくれたの? これから何をしてくれるの? わたしには、危険を侵して守る価値があるとは、思えない」
一人、去った。
「わたくし達も、これをつけると人の心が読めるんですの?」
頭を掻いて弱っている中谷に、黒眼鏡の少女が話し掛けた。中谷が首を振る。
「いや。君達が遺伝子に取り込んだ動物は、それぞれ異なる。力の特性は別々だろう。さっきの藤原くんは、イルカを取り込んでいるらしい。事前に遺伝子のサンプルを取らしてもらった。髪の毛からでも調べられる」
全国の美容店に張り込んでいる警官たちの姿を想像し、緑子は噴出しそうになったが、このときは我慢した。
「イルカって、人の心読めるのか?」
赤毛の少女が尋ねた。緑子も知りたかった。篠原は嫌っていたが、人の心を読めるのは面白そうだ。誰も答えを持っていないようだった。ただ黒ぶち眼鏡の少女は反応した。
「さあ? イルカに聞かないとわからないことよ。ところで、わたくし達もどんな動物が入っているか、わかっているのかしら?」
質問を出されたのは、間違いなく中谷だった。中谷は小さくうなずくと、四人をあらためて見回した。
「協力してくれる、と考えていいのだろうな?」
「まあ、あたしらが特別だってとこは気に入った。もうちょっと、聞いてやる」
茶色い少女は警察の前だというのに、タバコを自慢するかのように上下に揺らした。すでに火がついており、口からは煙が立ち昇っている。中谷は注意さえしなかった。
「協力するのしないのは、全部聞いてからだな」
赤い髪の少女は、鋭くぎらついた瞳を中谷に向けた。少女の能力はともかく、性格には獣が色濃く混じっているようだった。