Prologue
「んぅぅ…」
うっすらと目を開くと、今日の始まりを告げる春の柔らかな日差しが飛び込んできた。
今日から高校2年生になるのだから、朝からしゃんとしなくては。
そう自分を奮い立たせ、少し痛む頭に顔をしかめながら登校までのカウントダウンのお告げを見やれば、
「まじ…かよ…」
自然とそう呟いてしまうのも無理はない。
カウントダウンはとっくにゼロを振り切っていたのだから。
とたんに寝ぼけ頭は一気に冴えわたり、遅刻回避という目的へ向かってフル回転を始めた。
なんで、目ざましに気付かなかったのかという反省は後回し。
朝ご飯は昼までお預け。
靴下の左右セットが合わないのも気にしない。
とにかく急ぐための尽力は惜しまない。起きがけの誓いに報いるため、がむしゃらに行動あるのみ!
支度を済ませチャリに乗り込んだら、あとは目的地を目指してひたすら漕ぎまくる!
漕いで
漕いで
漕ぎまくった――
そうして息を切らしながら、なぜか重い体に鞭をうちやっとの思いで校門をくぐると、
「間に合った…」
思わず安堵の言葉をもらし、相変わらず重い体を引きずりながら教室を目指した。
春休み前に新学期からのクラス編成のプリントが事前に配られていたため、難なく教室を目指す。
廊下に張り出すタイプじゃないと気分が出ないな、などと思っている間に教室に到着した。
教室の戸を開くと、一斉にクラスメイトの視線が刺さった。その顔は一様に怪訝さを湛えており何故か居心地の悪さを感じた。
もしかして、クラスを間違えたかとクラス編成のプリントに目を落としてみてもやはり間違いはない。
当然、遅刻の時間にはまだ幾ばくかの余裕はある。
釈然としない気持ちを抱えながら、とりあえず友人のもとへ歩みを進めた。
「おはよー。 なんだか皆俺見てるけどどうしたんだろ?」
1年の時から同じクラスの佐藤に朝の挨拶をしつつ現状の疑問を投げかけてみると、
「え…いや、初めて見る人だからじゃない?」
予想外の回答が返ってきた。
「え、俺のこと? 俺って結構有名だったと思うんだけどなー」
そんな友人のお茶目ないたずらに、こちらも多少のユーモアを交えて応戦してみた。
「はぁ、そうなの?」
友人の反応はいまいち。洒落の通じない奴め!
しかし、佐藤の次の一言でまたも虚を突かれることとなる。
「もしかして君、転校生? 名前はなんていうの?」
こっちのユーモアには乗ってこない癖に、そっちはまだ続ける気かよ。
ていうか、演技力ありすぎ。こんな冗談言う奴だっけ?
それならばと、初対面よろしく自己紹介してみることにした。
「俺の名前は、相川 一輝って言います。今年も一年よろしくお願いします」
爽やかな挨拶が出来たと思った。営業スマイル付きで。
対する佐藤の反応は、またも意外なものだった。
「え? あいかわ かずき君? すごい、同姓同名!? 僕の友達にもいるんだよー!」
嬉々とした表情でそう言われると、なんだかすごく悲しくなってきたので、この辺で佐藤を止めよう。
「もうそろそろ勘弁してくれよ佐藤ー なんだか悲しくなってきただろー」
嬉々とした表情だった佐藤がみるみる怪訝な表情へと変化していった。
「僕自己紹介してないのに、どうして僕の名前がわかったの?」
これで何度目だろう、今日の佐藤のからかいは度が過ぎている。
「どうしたんだよ、お前らしくない。いつもこんなに人のことからかわないだろ?
俺、なんかお前怒らせることしたっけ?」
努めて棘のないように、なぜかお怒りの友人を刺激しないように非難した。
しかし、尚も佐藤は、
「いや、いつもってなんだよ。僕たち初対面じゃないか」
さすがに少し苛立ちを覚え始めてきた。
俺の言葉にも少し棘がまじる。
「なんだよ、春休みボケかよ」
捨て台詞めいた言葉を残し、埒の明かない佐藤から視線を外し、教室を見回してみるとやはり興味津々な視線が刺さった。
その視線の中によく見知った顔を見つけた。早速そいつへ足を向ける。
「おはよ、今年は同じクラスだな」
いつも通り声をかけたはずだったのだが、こいつも反応がおかしい。
警戒心むき出しの表情で、
「え、だれ?」
愛しの幼馴染のその反応に、俺のガラスハートは割れる寸前。
「おいおい、かんな、お前まで佐藤と同じこと言うのかよー 何年幼馴染やってると思ってるんだよー」
泣きそうになりながら、なるべく陽気に答える。こいつ、島本 かんなはこういう冗談は好きじゃない…はず。
「ほんとにあなたを知らないわよ。それになんであたしの名前を知ってるのよ。
そういえば、その幼馴染はまだ来てないみたいね。新学期早々遅刻かしら?」
かんなの非情な一言に俺の期待は脆くも崩れ去った。
新学期早々いじめ勃発か? こうなれば、俺はもう必死だ。
「この顔を何十年と見てきただろー。 忘れるわけないよな? な? 頼むよー、覚えてるって言ってくれよ!」
そんな俺の必死さを鼻で笑いながら、かんなははき捨てるようにこう言った。
「ナンパならもっとましな文句を考えたら? あなたの顔なんて知らないわ。むしろ記憶から消したいくらい」
俺は撃沈した。なんて自然な演技なのだろう。いや、間違いなく本心だ。
なぜこんな状況になっているのか、皆目見当もつかない。
終了のゴング、もとい予鈴が鳴りとぼとぼと自分の席へ着いた。
教室に担任が入ってきた。1年の時と変わらない、やさしいおじさん先生だ。
そんな先生のクラスで、新学期早々いじめが発生なんて、しかも原因が俺だなんてかなり心が痛む…
先生が教壇に着き、出席名簿を広げおもむろに顔を上げた時俺と目があった。
すると先生が、
「君、見ない顔だな、クラス間違えてるぞ。 ここは4組だぞ? 休みボケか? は、は、は!」
ここに来て初めて異変だと感じた。クラスメイトならまだしも、先生までこんな悪ノリに付き合うわけがない。
なんだか、気分が悪くなってきた。朝から頭が痛いし、体も重い。おまけに皆から忘れ去られる始末。
とりあえず、教室から去ったほうがいいと判断した俺は、
「すみません。俺、隣のクラスと間違えてました」
皆の期待通りの言い訳を述べ足早に教室を去った。
行くあてが無くなってしまった。
気分が悪いのでトイレにでも行ってみることにした。
トイレに入り、顔でも洗ってすっきりしようと手洗い台の前に立つ。
当然、正面には鏡。いやでも目に入る。
鏡に映る自分の姿を見た瞬間、無意識に言葉が吐いて出た。
「え…だれ? これ…」