時を歩いて。
時を止める夢を見た。
そこには母がいて、カッとなった僕が母の胸をカッターで一突きした直後だった。
慌てて刃物を抜いて止まれ、止まれと泣いている僕がいた。
赤ん坊のように泣いて死んで凍った様に冷たくなった母に縋り付く様は惨めだった。
挙げ句の果てに力尽きて時を止めたまま死んだ僕は、母の隣に寝そべっていた。
きっと、笑っていた。
時を戻す夢を見た。
母を一突きした直後、泣いて戻れと叫んでいた。
最初の、最初へと。
目を覚ますと、さみしそうに離婚届を見つめる母がいた。
違う、こんな過去をまた見たくて戻ったわけじゃない。
「時人、あなただけは私のそばを離れないで、いなくならないでね。」
柔らかく微笑みながら母は包丁を高くあげ、僕に突き刺した。
時を歩く夢を見た。
…いや、これは僕が生きている現在だ。
「あら、時人もう起きたの?」
起き上がり、振り返ると台所に立つ母がいた。
どうやら昨晩はソファで寝てしまったらしく、身体のあちこちが痛い。
少し背伸びをするとパキパキと腰や肩から音がした。
珍しく窓も空いていて換気がされている。
しかしもう十一月。
寒い。
母は馬鹿なのだろうか。
台所の方から味噌汁、ご飯の炊けた香り、魚を焼いたであろう焦げ臭さが混じった匂いが漂っている。
こんなに朝早く起きたのはいつぶりだろう。
こんなに普通の家庭と感じたのはいつぶりだろう。
そこには母がいて、朝ごはんを作っているのだ。
「朝ご飯ということで和食を作ってみました〜」
その美味しそうな香りを嗅ぐとたまらなくお腹がすいた。
「なんで今日はきたの?」
さっそくご飯にがっつきながらも聞く。
ご飯をオカズにご飯が食べれる勢いだ。
「やだ、私一応あなたのママなのよ?たまには息子にご飯を作ってあげたくもなるじゃない!」
持ち前の眩しい笑顔で笑ってみせる。
僕にはこの笑顔が心底ムカつく。
「今更母親ぶられても困るんだけど。」
そっけなく返すと母は少し、寂しそうな顔をした。
言い過ぎた、だろうか。
僕の持つ器に入っていた米は既に綺麗になくなっていた。
「おかわり。」
「そんなに食べたら太るわよ〜…あ、父さんに似てもやしだったんだっけ〜?じゃああと五膳くらい食べなきゃ太らないわね〜」
母は差し出した器を取ると台所の方へと向かった。
父と似ている、は言わないで欲しい。
僕はあの人とは違う。
「母さん、何かあったりした?」
母は余程の事が無ければここにはこない。
理由を誤魔化して何かを隠している。
背を向けた母はしゃもじを動かしご飯をつぐのをやめた。
「いや…もうすぐ、時人の誕生日だから…」
今日はまだ、11月4日だ。
「…母さん、俺の誕生日まだ一週間先だよ。」
振り向いた母は目を潤ませていた。
「しょ、しょうがないでしょ!?だって、だって明日からしばらく仕事が入ってるんだもん〜…どうしても抜けれなくて…うぅ…」
フラフラしながらご飯を持って来ると僕に泣きついて来た。
「そ、そんな落ち込むなって。」
「うぇ〜…、まさくぅん…」
まさ君、は政宗…父のことだろう。
「俺…父さんじゃないから。」
ハッとした母はすぐに僕から離れニコニコしてみせた。
「出張帰ってくるの十一日の夜中でさ…多分誕生日間に合えないと思うのよ…そ、それに私なんかより彼女の雪ちゃんと一夜を共にした方が良いんじゃないかしらと…」
「か、彼女じゃないって!」
何より、母が自分の誕生日を覚えていた事にびっくりした。
そして少し、嬉しく感じた。
「…いいよ、俺帰ってくるの待つから。」
「…え?」
きょとんとした顔で僕を見る。
「だ、だから、誕生日…誕生日ケーキ買ってくるの待ってる…誕生日過ぎても待ってるから…」
何だかこっぱずかしくなってきて母から目を反らす。
「いいの!?いいの!?こんなママを待っててくれるの!?」
「待つ!…待つから!」
母はとびっきりの笑顔になった。
さっきとは違う、作ったような笑顔ではない。
太陽みたいな笑顔だ。
「うん…!あ、じゃあ私もう仕事始まるから、行かなきゃ!ご飯いっぱい食べてね!じゃあね!」
嬉しそうに身体を弾ませながらエプロンを外しカバンを持って玄関を出て行く。
仕事に行く前のくせに、無茶してご飯を作りに来てくれたのだろうか。
本当なら気づかないうちに去ってしまおうとか思っていたのかもしれない。
「…あ、母さん!」
「ん?」
マフラーを巻きながら振り返る母にとびっきりの笑顔で手を降った。
「いってらっしゃい…!」
「……いってきます!!!」
外へ繋がるドアが開いて、閉まる音がした。