時を戻して。
少し、前。
私の息子が中学生だった時だ。
息子は、父を殺した。
私、高島愛梨は元々北上政宗と結婚をしていた。
そして、たくさんの偶然が重なって私と政宗は離婚した。
その日は、久しぶりに家に帰ることができた日だった。
もう少しで昇格出来るかもしれないというところで出張命令が出たのだ。
ここしばらく時人にご飯を作れていなかったタイミングでの出張。
もう時人と親子の絆のようなものを深める事は諦めてはいたものの、これ以上離れるのは阻止したかった。
出張が終わり慌てて家に帰ると珍しく少し甘ったるいような、懐かしい政宗の香りがした。
もう夜中十二時、リビングの明かりをつけテーブルの上を見ると離婚届が置いてあった。
急いで政宗に電話をかけ、今すぐ話したい、と言った。
いつも一緒に飲んでは愚痴を言い合ってた居酒屋につくと、私があげたお気に入りの黒いカーディガンを着て政宗はカウンターに座っていた。
「…久しぶり。」
渇いた笑顔で政宗が迎えてくれた。
「ねぇ、本当に離婚するの?」
今日晩御飯何食べた?のノリで聞く。
私もマサも、この離婚が他人事のように思えていたのだと思う。
マサはちょっと待って、と言って持ってきたカバンからカッターを取り出した。
刃、出して。と言われカチカチカチと刃を出すと真っ赤に染まった刃がでてきた。
「え…?」
店員に見られないよう、すぐにカチカチカチと刃を戻す。
「マサくん、何したの?」
「俺じゃないよ。」
じゃあ誰が、と聞こうとしたがその答えは出ていた。
…時人だ。
「信じたくない…な。」
これが離婚の原因とは思えなかった。
マサはこれくらいでビビるような人間ではない。
もっと人間の命を軽く認識してるはずだ。
「多分、時人はいつか俺かアイリを殺す。」
未来を分かり切っているかのように眈々と口に出すマサ。
マサの言ってる事はいつも当たる。
初めて公園ですれ違った時こちらをわざわざ振り向いて「君と結婚しそう」と言われた。
確かに結婚した。
「私たちを殺すの?」
「いや、殺すならどちらか、だろう。」
どちらか…
「アイリ、この離婚は時人の私怨を俺に向ける為のものだ。」
おでんをつまみにワインを一口飲みニッコリと笑って見せた。
何故かはわからないがマサはおでんとワインの組み合わせを好んでいる。
一回試して見たがもう一度食べたいとは思わなかった。
「マサくん、時人を止めれるの?」
「止めれないよ、多分。そのまま殺されるのが俺の運命。」
自分の生死が関わったってマサは他人事のように眈々と話す。
「アイリ、俺が死んだ後時人を正しい道に進めさせれるかは、アイリと時人の友人関係に決められると思う。…重いことだ、君に頼んでしまってもいいだろうか。」
マサは珍しく困ったような顔をした。
そうだ、マサはいつも人に迷惑がかかるのを心の奥で嫌がっていた。
「いいよ、マサくん。…あのね、私、貴方が死んでも一生貴方を愛しますから。」
「ありがとう、俺もアイリの事愛してるよ。」
そっと唇を交わすと懐かしい、優しい味がした。
それからこれからのこと、時人の事を朝まで語り続けたのだった。
「はぁ…緊張する。」
もうすぐ時人の誕生日だ。
いつもタイミング悪く大事な時に限って出張が入る。
一週間前に祝っても喜んでくれないだろうか。
そんなことを考えながら歩いているとすっかり来れなくなった我が家についた。
「…ただいま。」
私は冷えたインターホンを恐る恐る、押した。