第八話 本格の王様
何が本格ミステリーで、何がそうではないか?
タイトルを見て手に取り、その帯の惹句に惹かれて、「おおっ、これは本格ミステリーに違いない」、と思って買っても、読了後に、「なんだよ、これっ」と、思ったことは一度や二度ではないはず。
「本格ミステリーとは、推理小説のジャンルの一つで、謎解き、トリック、名探偵の活躍などを主眼とするもの」、というのは易しいが、読者の嗜好により、その境界には大きな幅があって、誰もが「ストライク」と親指を立てる作品はことのほか少ない。それは読者ばかりでなく、作家や書評家にもいえることらしく、東野圭吾氏の「容疑者X の献身」を本格とみるか否かで、大論争があったことも記憶に新しい。
ということで、本格を語るのはとても難しい。
市井のしがないミステリー好きのオッサンが、気ままに胡乱な理屈をこねている、「ミステリー・フリーク」の主題としては荷が重く、ふさわしくない。
このエッセイ自体が「本格」とは言い難いのだから、やっぱりこれまでと変わらず、「変格」的に攻めねばなるまいな、たぶん。(笑)
ということで、「本格」という言葉が使われる対象について考察する。
ミステリ以外で本格という修飾がなされるものをグーグルのサジェストで調べてみよう。
「本格焼酎」「本格中華」「本格イタリアン」「本格炭火焼肉」「本格カレー」……。
なるほど、本格○○は、食べ物が圧倒的である。本格イコール美味しいという意味で使われているようだ。
確かに本格ミステリーも美味しい。
「本格折り紙」「本格派投手」「本格ヨガ」「本格塗り絵」……。
こちらは本格イコール正統という意味で使われているようだ。
確かに本格ミステリーはミステリーの本流だろう。
「本格占い」「本格姓名判断」……。
これも正統という意味ではあろうが、本格であっても、当たりはずれがあることを暗に物語っている。
確かに本格ミステリーも然り。
このとおり、本格ミステリーは、いずれの意味の本格であっても成立するのだから、これはもう、あらゆる本格物の「王様」といえよう。
ただ、断わっておくが、本格とわざわざ付けるものは、本格でないものが跋扈しているともいえるわけで、必ずしも喜ばしいことでもない。誰ひとりとして本格でないものはないと願いたい、たとえば医師や裁判官に対して、本格医師とか、本格裁判官という言葉がはびこる世の中など、考えたくもないではないか?
一方で、残念ながら、本格という言葉を冠するにも値しない場合もある。
そのよい例が、政治家である。
彼らは、美味しくもなく、世襲はあっても正統であろうはずもなく、はずれしかない。