第七話 -ミスデイレクション- ヴォーリズとメンターム
メンタームの製造元は近江兄弟社で、その創業者のひとりは、建築家のメレル・ヴォーリズであることをご存じだろうか?
ヴォーリズは、1905年に来日した宣教師で、キリスト教の布教と語学教育へ専心するかたわら、建築家として、日本全国に文化価値の高い建造物を数多く残した人物である。代表作には、関西学院大学、神戸女学院といったミッション系の学校をはじめとして、山の上ホテルや、大阪大丸心斎橋店等がある。いずれも均整が取れていて、堅牢な作風で、時代の変遷により風化することもなく、現代でも日本的洋風建築のひとつの到達点として、高く評価されている。
ミステリー、とりわけ探偵小説、本格推理と呼ばれるジャンルにおいては、建築物や建築家と関わりのあるものが数多い。島田荘司の「斜め屋敷の犯罪」や、森博嗣の「笑わない数学者」、泡坂妻夫の「砂蛾家の消失」などの作品では、建築物が小説のキー・ファクターを担っているし、綾辻行人の「中村青司」のように、建築家がストーリーの要を支える重要な人物となっている作品もある。また、そこまでいかなくても、古色蒼然とした洋館や、おどろおどろしい日本家屋の描写があると、読み手側は待ってましたとばかり、膝頭をたたいてしまうものだ。いつからかはわからないが、もはやミステリのひとつの様式美となっているといえる。
さて、ヴォーリズとメンタームに話を戻そう。
ヴォーリズは、近江八幡で宣教師としての活動をはじめるにあたり、その費用の捻出するために、友人であるメンソレータム社長から、日本での販売権を譲り受けた。そうして始まったのが近江兄弟社である。
「近江兄弟社」という名前から、ほかの創業者が近江姓で、兄弟であったのだろうと類推してしまいがちだ。わたしはメンタームの缶裏の社名表記をみて、ずっとそう思っていたのである。
ところがさにあらん。「近江兄弟社」の兄弟というのは、神の下では皆兄弟というキリスト教的な発想に由来したもので、修道女をシスターと呼ぶのと同じだという。滋賀県の「近江」という地名と、キリスト教的意味の「兄弟」を、くっつけて「近江兄弟社」なのである。
仲のいい実兄弟の会社というのも悪くないが、人類皆兄弟という発想でできた社名というのは、なかなか印象がよい。
「近江兄弟」はヴォーリズがその広い活動において好んで使った言葉のようで、病院や養老院、学校経営などで、今でもその名前を耳にすることができる。
社名の由来がわかったところで、ひとつ質問したい。「メンターム」と「メンソレータム」は同じものか?
実はこの二つ、容器もデザインも酷似しているが、現在では違うものである。メンソレータムが黄色ワセリンを使用しているのに対し、メンタームは白色ワセリンを使っている。
だが前述のとおり、メンソレータムは、ヴォーリズがメンソレータム社から、日本でのライセンスを得て製造されるようになったものだ。
では、どうして違うのか?
それは、ヴォーリズ亡き後、近江兄弟社が経営破綻し、その際、米国メンソレータムへ販売権も返上したためである。販売権は、ロート製薬が取得し、さらに後年、メンソレータム社本体をも、ロート製薬が買収するに至って、名実ともに、メンソレータムは同社のブランドとなった。
それゆえ、再生した近江兄弟社は、「メンソレータム」という呼称は使えず、「メンターム」と名を改めて、販売するようになったわけである。
一説にはシャーリー・テンプルがモデルだといわれる「リトルナース」のかわいいシンボル。あれも、ロート製薬の所有するものとなり、メンタームの缶表には、アポロンをモデルにしたメンタームキッドが代わりに使われるようになった。
以上のとおり、たかがメンタームなれど、由来と、歴史と、いろいろな思惑が相乱れている。
ミステリーでは、注意を本筋からそらすこと、また、そのために用いるものを、ミスディレクションという。
このエッセイは、ミスディレクションを題名に冠しているが、これまでのメンタームの話は、本筋である。
あれっ、何がミスディレクションなんだろう?