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第三話 はじめに言があった

 はじめに言があった。

 言は神とともにあった。

 言は神であった。


 新訳聖書、ヨハネによる福音書の冒頭である。

 この三段論法はクールだ。

 言は”ことば”と読むが、いわゆる言葉を包含するロゴス(理性)のことらしい。

 だから、この三行は「神が理性によってこの世をお作りになられた」と理解するのが正しい。しかし、この三段論法には、そんな平凡な解釈(クリスチャンの方ごめんなさい)をはるかに超越した卓抜さがあると思う。


 はじめにAがあった。

 AはBとともにあった。

 AはBであった。


 ちっとも論理的でない物言いであることは、記号に置き換えればよくわかる。AとともにBがあったからといって、A=Bの証明にはならない。ところが、”言”と”神”の組み合わせの場合、不思議にすんなり受け入れることができるのは何故だろう?

 字面を何度か追うと、この論法が成立させるためには、次の条件を満たしていればよいことがわかってくる。

 まずAは、世の中にある事象、物事のうち、知との結びつきが強く、複雑さを有し、万人が大切に思うもの。そしてBは”神”という定数が望ましい、ということである。この法則を使ってみると、なかなか応用が効く。


 はじめに法があった。

 法は神とともにあった。

 法は神であった。


 はじめにDNAがあった。

 DNAは神とともにあった。

 DNAは神であった。


 どうだろう? 悪くないのでは?

 さて、ミステリーではどう応用するか?

 言わずと知れたことだが、次のようになる。


 はじめに名探偵があった。

 名探偵は神とともにあった。

 名探偵は神であった。


 ただし、これは一部のマニアだけが感動する言い草である。


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