勇者の秘密と過去
勇者ユーリアは、何故か見知った
場所にいた。
昔、自分がいた場所だった。
そして、二度と踏み入れたくない
場所でもある。
声が喉に張り付いて出てこない。
何か話したいのに、何故か声が出ない。
どうしたらいいのだろうとユーリアは
思った。
動く事も出来ず、話す事も出来ない彼女は
ただ目の前に広がる光景を見ているしかない。
「――ユーリア」
(呼ばないで! 私を呼ばないで!)
恐怖を思い起こさせる男性の声が聞こえた。
トール=フレイアではない、別の男だ。
彼の事も怖いという感情はあるが、あいつ
よりはマシである。
何故彼の声がこんなに近くで聞こえるの
だろう。傷つけてしまった。
その事に対する負い目は確かにある。
だけど、それを理由に迫られるのは怖い。
彼の事なんて、好きじゃないのに――。
なかなか起きない娘を心配してやって来た
勇者の父親は、娘を揺り動かして起こそうと
した――、のだが、運悪く娘に投げ飛ば
されてしまった。
「ユーリア、ユーリア?」
「嫌っ!」
「ぎゃああっ!
「はっ。あれ? お父さん? ――ご、
ごめんなさい、怪我はないですか?」
「ユーリア、そんなにお父さんが嫌なのか、
反抗期なのかああ……」
「話を聞いてくださいお父さん……」
ユーリアは冷たい栗色の目で父親を
見つめた。父親はまだ娘が反抗期だと
思っているらしく、そんなにお父さんが
嫌なのかああ!などとまだ言っている。
面倒になったユーリアは父親を放置して
部屋を出た。
時計を見ると、いつもはとっくに起きて
作業を終えている時間なのでびっくりして
栗色の瞳を見開く。
こんな時間だから父親もわざわざ起こしに
来てくれたのだろう。
何故あんな夢を見てしまったのか、ユーリア
には分からない。
ひょっとしたら、トール=フレイアの登場と、
手の中に聖剣が現れた事と関係しているの
かもしれない。
珍しくむしゃくしゃした気持ちになった
ユーリアは、家畜の世話などを妹のシーナに
頼んで秘密の場所へとやってきた。
とりあえず寝起きでくしゃくしゃになって
いた栗色の髪を櫛でとかし、いつものように
黒いそっけないゴムで結わえて、簡素な茶色の
上着とスカートに着替えてから、だが。
森の中の小屋は、今は誰も使ってはおらず、
誰もいない。小さい頃からユーリアの秘密の
場所になっていた。
ユーリアは今日、珍しく仕事をサボったの
だった。ほとんど何も置いていない、静かな
小屋も好きなのだけれど、ユーリアがもっとも
好きなのは森のようになっている場所だった。
「はぁ……」
少し気分が明るくなりながらも、まだ仕事を
する気にはなれず、小屋から出て草の生い茂った
地面に寝転ぶ。
すると、「勇者?」という聞き慣れた声がした。
ちらりとそちらに目をやると、そこにいたのは
やっぱり魔王アンゴルモアだった。
紫色の瞳を大きく見開いて見つめてくる。
「何故、魔王がここにいるのですか?」
「ここ、俺の隠れ家だもん」
「……ここは、私の隠れ家ですよ?」
「奇遇だし、じゃあ二人の隠れ家にしようぜ。
なっ?」
嬉しそうに笑ってくる魔王に、何故かユーリアは
苛立ちを隠せずにいた。いつもなら多少の嬉しさは
覚えるのに、今日は無理そうだ。
「別に私は構いませんが……」
「じゃあ決まりな! ――ところで、勇者は今日は
仕事はしないのか?」
「今日は気分が悪いのでお休みです」
「珍しいな、勇者が村の仕事をしないなんて。何か
あったのか?」
「――魔王には、関係ありませんよ」
冷たい声で言い捨てると、魔王は一瞬ぽかんと
呆けたように口を開けていた。
しかし、次の瞬間には泣きそうになって
見つめてくる。
ユーリアは泣きそうな魔王も、魔王は悪く
ないのに八つ当たりする自分もなんだか嫌
だった。
でも、魔王には関係ないというのは事実である。
それ以上魔王の事が見ていられなくなって
ユーリアはまたその場を飛び出した――。
ユーリアはどうしたらいいのか分からなかった。
嫌な夢を見たけれど、誰にも話す事は出来そうにない。
それはユーリアの失点だった。
悪いのはユーリアで、彼は悪くなかった。
わざとではないということは免罪符にはなりは
しない。
だけど、傷つけた事を理由に恋人になれという
彼の言葉は間違っている気がして、怖くて、ユーリアは
逃げたのだ。
勉強のためにお金を出してくれている村と、両親と、
学生達と、教師をも裏切って。
「私は、どうしたら……」
「ユーリア、ここにいたのか」
「っ……!」
やっぱり魔王に謝り、全てを告白してしまおうか。
そう考え戻ろうとしたユーリアの耳に響いたのは、もう
二度と会いたくないと恐怖した男の声だった――。
勇者のもう一人の会いたくない男登場です。
ユーリアにはとある過去があるのですが、それは
次回に明かされます。