鍬>(だいなり)勇者の剣
勇者ユーリアの朝は今日も鶏の声と共に始まった。
伸びをして起きた彼女は、汲んで置いた冷たい
井戸水で顔を洗って大きな栗色の瞳を覚醒させる。
薄い生地の寝間着を、麻で作られた簡素な白い
服に着替え、木で出来た飾り気のない櫛でとかして
三つ編みにしっかりと結ったら朝の準備は万端だ。
髪をいつも結わえるそっけのない黒のゴムは、
地味だと言われるが作りがしっかりしているので
ユーリアはとても気に入っていた。
「おはよう、鶏達。明日もいい卵を出してね」
いつものユーリアの最初の日課は、真っ先に
卵を産んでくれる鶏にあいさつして卵を集める
事だった。
ぱっちりとした目で愛しげにヒヨコを眺める。
それが終わると、今度は牛のたくさんいる小屋に
歩いて行く。
全部の牛を撫でてから、手なれた手つきで乳を
搾るのだ。ユーリアは愛しい動物達との交流を
心から愛していた。
「おはよう、牛達。明日もいいミルクを――」
「っておい勇者ああ!!」
ずっと後ろから様子をうかがっているのにも
関わらず、スルーする勇者についに魔王が痺れを
切らした。菫のような大きな瞳に怒りをにじませ
ながら喚くが、ユーリアは一瞥もしない。
「明日もいいミルクを出してね」
「聞けええええっ! 何やり直してんだよ、気づい
てんだろ反応しろよ勇者ああ!!」
「出ましたね、ひ弱変態ストーカー魔王」
「変なあだ名をつけんな!」
「あなたは暇なんですね……私は忙しいのでもう
来ないでくれますか?
「暇じゃねえよ! ってかお前が俺の城にやって
くれば俺がこんな所に来る必要ねえんだよ!」
「……毎回のように叫んでてよく声がかれませんね」
「誰のせいで叫んでいると……!?」
一応は身構えながら反応をするユーリアだが、魔王は
不名誉なあだ名をつけられて怒っていた。
その際、暇だと言われたのでさらに彼は怒って反論
するも、ユーリアに何故か半場感心されてしまう。
どこまでもマイペースな彼女に、イラっとして小さな
拳を握る魔王。しかしユーリアはもう興味がなくなった
らしく小屋を出ようとしていた。
「おい勇者待て俺が出てないだろうが! 鍵かけんな、
牛達に手を振んな、ここから出せえええ!」
鍵をかけられてしまい、金網をがちゃがちゃ揺らすも
魔王個人の握力と腕力だけでは出れないようだ。
黒や白や茶色の牛に、邪魔だと言わんばかりにモー!
と唸られてしまい魔王はびくっとなっていた。
慌ててはじに寄るも、次第にユーリアは本当に姿が
見えなくなりそうで青ざめてまた金網の前へと行く。
「……すみません、調子乗ってましたここから出して
ください」
ついにはぎゃんぎゃん叫ぶ元気もなくなってきた
らしい半泣きの魔王を見ていたユーリアは、ためいきを
つきながら黙って鍵を外すと魔王を外へ出してやった。
魔王は半泣きで鼻をすすっている。
ユーリアは仕方なく、ぽんぽんと軽く魔王の頭を叩くと
仕事に戻ろうとした。まだ幼い妹シーナががいるので彼女は
子供の扱いには慣れていたのだ。
「待てよ勇者! 俺と戦え!! ……一度戦ったら帰って
やる、有りがたいと思え!!」
「はぁ……分かりました」
ユーリアは背中に背負っていた鍬を抜くと構えた。
魔王はコイツなにやってんだ、とでも言いたげな表情を
している。
勇者はその表情の意図する意味が分からないのか首を
かしげていた。無表情でなければかなり可愛らしかった
事だろう。
「おい、勇者」
「なんでしょうか、何か問題でも?」
「問題大アリだよ! 何で鍬なんだよナメてんのか
テメエ!! 勇者の剣とかどうしたんだよ!?」
「勇者の剣は売っぱらいました。そして私はあなたを
ナメてます」
「何だこの駄目勇者!!」
「それほどでも……」
「褒めてねえから!!」
だんだん突っ込むのが大変になって来た魔王だった。
ユーリアは頭のいい娘ではあったが、どこか天然ボケというか
村からほとんど出る事がないために常識外れな部分があった。
ピカピカに磨き上げられた黒い鉄製の鍬はそれなりに鋭利
ではあったが、畑仕事はともかく戦いには無論向いていない。
「今すぐ勇者の剣買い戻せよ! ってか何で勇者の癖に女神
からもらった剣売っぱらってんだよ!?」
「嫌です、買い戻したら鍬を手放さなければならないじゃない
ですか」
「鍬>(だいなり)勇者の剣!? どこまで駄目なんだよこの
勇者……」
魔王は愕然として地面に手をついてしまった。
どこの世界に、女神様から託された聖なる剣をためらいもなく
売る勇者がいるのだろうか。それも、鍬を買うための資金が
ないという理由で……。
いや目の前にいるのだがまさのその勇者が。
ユーリアは戦わないのですか、と魔王を一瞥もせずに
言った。無表情だけれど、どことなく面倒そうなのを
隠そうともしていない。
「戦うよ! 勝ち逃げされてたまるか!!」
「一つ思ったのですが、今日は手下の魔物はいないので?」
鍬を素振りしながらユーリアが言う。それに対して、魔王は
胸を張るとこれ以上もないドヤ顔で語り出した。
ユーリアは黙ってそれを聞いている。
「俺は思ったんだ、か弱い人間を倒すのに手下をぞろぞろ引き
連れて行くのは卑怯だと! ありがたく思え勇者! 一騎討ちに
してやるぜ!!」
それは強い者が弱い者に言う台詞セリフなのでは?
か弱いというのなら一度でも勝ってから言って欲しいのですが。
というか、前口上などどうでもいいので早く戦ってください。
思わずユーリアはそんな事を思ったが、さすがにそれを言ったら
魔王が本気で泣くような気がしたので言うのは止めておいた。
「鍬だからって甘く見ないでください、この鍬の強度は私が
保証しますよ」
「鍬なんかで俺に勝とうなんて笑止! ――いいぜ、本気出して
やるよ。いでよ、魔剣・ルシフェル!!」
ユーリアは魔王の体から魔力の高ぶりを感じぎゅっ、と鍬を
握った手に力を込めた。魔王は聞いた事もない呪文のような物を
唱えるや、地面に巨大な大剣を出現させた。
禍々しき闇色のオーラを放つ剣にユーリアは思わず一歩
下がる。
「どうした、勇者、来ないのかぁ!?」
魔王は剣の柄に手をかけた。ユーリアが魔王から距離を取り、
鍬であれに勝てるのかと逡巡した。今まで感じた事のない恐怖が
彼女に襲い掛かって来る。
そして魔王は大剣を引き抜く――。……事が出来なかった。
うんうん唸りながら今度は両手で挑戦するが、やっぱり引き
抜けない。ユーリアは呆れたような顔で魔王に近づいた。
「戦わないのですか?」
「ちょ、ちょっと待ってろ!」
ユーリアはこのまま魔王を軽く押せば勝利出来るような気が
したが、さすがにそれは可哀想だったので止めることにして
待った。
一時間が経過した時の事である。
「ぬ、抜けた!」
ようやく魔王が震える両手で魔剣・ルシフェルを抜いた。
しかし、ユーリアは動く様子もなく魔王を見つめ続けている。
ユーリアには分かっていた。魔王はそれを振り抜く事は
絶対に出来ない、と。
自然と体に入っていた力が抜けた勇者は、もう恐怖など
感じようもなかった。
「オイ勇者! さっきまでの緊迫した表情はどうした
んだよ!?」
「それ、あなたの身の丈に明らかにあってないと……あ」
「んぎゃ――――ッ!!」
魔王の汗で滑り両手から離れた魔剣が魔王をそのまま押し
つぶした。かなり痛そうな音がしたのでユーリアはふぅと
一つため息をつく。
魔王はしばらくわんわん泣きながら手足を振り回して
いたが、ユーリアが軽々と魔剣を持ち上げてどかして
やると、涙目で顔を真っ赤にした。かなりの間があった。
「「……」」
と、魔王が服の埃を払いながら立ち上がるとユーリアに
指をびしっとつきつけるといきなり宣言した。
魔王はどうやら自分の失敗をなかった事にし、勇者に
攻撃を受けた事にしたらしい。まあ自滅したなどど部下に
報告はしずらそうだが。
「よくもやりやがったな!! つ、次は負けないから
覚えとけ!!」
「私は……まだ何もやっていないのですが」
うわあああん!と泣きながら魔王はそのまま村を出て
突っ走って行った。魔剣は魔王が村から消えた直後に
消失したようだ。
ユーリアはまた彼は来るのだろうか、と思いながら
畑仕事の続きをするために鍬を振りあげた。
今回は魔王自滅のため、勇者の不戦敗となった
ようだ――。
結局今回のダメダメなちびっこ魔王様
でした(笑)。勇者も女神様からいただい
た剣を売り払って鍬を買うというダメダメ
ぶりですが……。今回自滅した魔王様ですが、
全く諦めてません。