舞い降りた女神
「――っ!」
勇者ユーリアは、思わず栗色の
瞳をぎゅっ、と閉じた。
まだ、死ぬ気なんてなかった。
でも、友達や妹の命には代えられ
ない。
愚かと言われようとも、馬鹿と
言われようとも、大事なのは自分の
命よりも大事な人達の命だ。
(ここで、終わりなんですね)
出来れば、あまり苦しまずに死にたい。
そう思いながらもユーリアは体を堅く
して痛みに備えようとした。
――が、痛みはいつまで経ってもやって
来ない。
ユーリアは、首をかしげながら目を開き、
そしてぎょっとなった。
時が、止まっていた。悲鳴を上げかけた、
栗色の瞳を大きく見開いた、妹シーナと、
青い瞳を潤ませたナナと、紫の瞳に悔しげ
な色をにじませたリーシェが動きを
止めている。
助けに入ろうとしたらしい、村人達も。
いや、彼らだけではない。ユーリアに襲い
かかろうとした魔物までもが動きを止めて
しまっていた。
「これは……どういう事、なんでしょうか」
「こういう事よ~」
「あ、あなたは!」
ユーリアがさらに瞳を大きく見開いたまま
叫んだ――。
ユーリアがとりあえずはピンチを脱して
いる、その頃。
魔王アンゴルモアは、走っていた。
その足は決して速くはない。それでも、泣き
ながら足がもつれそうになりながら、必死で
彼は走っていた。
(勇者、大丈夫かな……)
彼女は、勇者はかなり強い。
それは、魔王にも分かっている。
しかし、彼女だって女の子で人間なのだ。
絶対に負けないという確証はない。
彼女が心配だという気持ちはあるけれど、
魔王は戻る訳にはいかない。勇者は、自分を
助けたのだ。
その彼女の努力を、無にしたくはないし、
やっぱり彼女の言う通り自分が負けたら魔王が
代替わりして反逆者イヴリスが魔王となって
しまう。
それは絶対に避けなければならなかった。
怪我をした箇所が痛いけれど、決して止まる
訳にはいかない。
もし、代替わりしてしまったら、イヴリスは
勇者達や他の人間達を襲うだろう。
そして、今は平和を保っていた世界は争いの
世界となる。
「――ようやく追いついたぞ、魔王アンゴル
モア!」
「チッ!」
もう追いついたのか! 魔王は可愛らしい
顔を歪め、大きな菫色の瞳を見開いた。
迷っている暇などない。
殺られてたまるものかと、魔王は一端足を
止めると、足元の砂を拾ってイヴリスへと
投げつけた。
殺傷性はないが、多少時間稼ぎには
なるはずだ。
「くそっ! ――このガキ!」
見事目に入ったらしく、イヴリスが
苦悶の表情になって悪態をつくがそんなの
魔王には知った事ではない。
自分は、逃げなくてはならないのだ。
決して捕まってはいけない。
自分のためではない。イヴリスに従って
いない部下達と、勇者達を守るためだ。
特に、勇者は自分を身を挺してかばって
くれた。
その恩も、犠牲も、決して無駄にはしたく
ない。魔王はイヴリスが足を止めたのを確認
するや、再び逃げ出した――。
一方。ユーリアは開いた口がふさがらない
という状況に追い込まれていた。
体から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
自分の目の前に舞い降り、なおかつほのぼの~と
した口調で言外にこの状況の説明をユーリアにした
のは、自分に聖剣を送り、しかも自分を「勇者」に
勝手に仕立て上げてくれた女神だった。
彼女が時を止めてユーリアを助けてくれた
らしい。
青い長い髪を後ろで一つのお団子型に結い上げ、
同色の瞳をきらきらさせながら見つめて来る、
見た目年齢推定十六歳の女神にユーリアは完全に
脱力してしまっていた。
「私は女神、よ。あなたも知っているでしょう?
私は、あなたに剣を与える時あなたの前に顔を
表しているのだから」
「もちろん知ってはいますが、何故あなたがここに
いるのですか? 女神」
ユーリアは女神を敬う気持ちもあれど、平伏する
気はない。なにしろ、自分にありあまるほどの力を
与え勝手に勇者にしてくれた人物なのだから。
力があるのは畑仕事などにも重宝してはいるけれど、
ウィル=オルドを力の加減が分からず傷つけてしまった
過去があるユーリアには、強すぎる力はあんまり好ましい
物ではなかったのだ。
「あら、ご挨拶ねぇ。私は、あなたに力とこの剣を与え
たのに。もっとも、あなたは早々に売り払ってしまった
みたいだけど」
「私は、剣も力もいりませんでした。……ただ、村で
ただの村娘として平和に生きたかった、何者も傷つけず、
力ない一般人でいたかった」
ユーリアは正直な気持ちを女神に吐露した。
力なんてなければ、ユーリアはウィル=オルドを傷つ
ける事はなかったし、逃げるように王都の学校から
去らずに済んだ。
そう思うと、ユーリアは力を女神にもらった事を
素直に喜べそうにはなかった。
贅沢だと自分でも分かっているけれど。
「まあ気持ちは分からなくはないけれど、力がないと
誰も守る事は出来ないわ。力を疎み、剣も何もかも捨てた
所で、この世界は平和になどならない。弦に、こうして
魔族の反逆者が出たでしょう?」
「それは……」
でも、女神はそんなに甘くはなかった。
厳しくセリフを切り捨てられ、ユーリアは言い返す
事が出来ない。
「今は、甘ったれて誰かを傷つけた事を悩んでいる
暇じゃないのよ。魔王が殺されたら、代替わりした
イヴリスはこの世界を魔族達の天下とするでしょう。
そうしたら、あなたといずれあなたの仲間になる
人達だけでは敵わないかもしれないのよ? ――
私は、直接魔族を断罪する事は出来ない。出来るのは、
あなただけなのよ」
ユーリアは二の句を告げられずしばらく黙り込む。
しかし、悩んでいても駄目だと思ったのだろう、キッと
顔を上げると剣を構えてただ静かにうなずいた。
「――さあ、行きなさい勇者! この村には結界を張り、
魔族に立ち入らせないようにします。だから、あなたは
魔王を守るだけでいいわ」
「はい……!」
ユーリアの顔はもう曇ってはいなかった。
決意で輝く顔で、剣を握りしめ村の外へと飛び出
していく。
女神が張った結界により村からはじき出された
魔物達や魔族達が悲鳴を上げる中、村人達はいまだ
人形のように立ち尽くしているのみだった。
この村は、ユーリアが帰るまで時が止まって
いるのだ。
結界が解かれないために、女神がそう設定した。
ユーリアと魔王が両方帰らない限りは、何人たりとも
この村に立ち入る事は許されない。
こうして女神は姿を消し、後には村に入ろうとして
躍起になるも入れない魔族達と、人形のように時を
止めた村人達だけが残されていた――。
ようやく十一話完成しました。
ユーリアは女神の助けと、言葉で
決意して魔王を助けるために村を
出て行きます。そして、村は結界を
張られ、時が止まったままとなった
感じです。魔族達は村に入れなく
なりました。
ユーリアと勇者が帰還したら、また
時が動き出す設定です。