It is sunset.
夕焼け空、
僕の視界はオレンジ色に染まる。だから、ほら、綺麗な空。
「おぎゃあ」としわくちゃの顔を歪ませて、臭い汚い危険の3Kの中、僕は産声をあげた。
そんな僕の両親は二人共、なかなか変わった人だった。
僕のお父さんは所謂クズ。酒を呑んで、怒鳴って、殴った。この三点セットが常にお父さんの傍らに有ったし、お父さんにはそれしかなかった。
僕のお母さんは所謂バカ。売女で、脳が少ない。お父さんに殴られて、へらへら笑い、それが、愛だと信じてた。「殴ると具合が良くなるって言ってくれたの」幸せそうによだれを垂らして、脳足らず。決して僕に危害を加えなかったけれど、守ってくれる事もなかった。脳足らずだから死んだ。殺されたのかも知れない、どうでもいい。
お母さんが死ぬと、お父さんの玩具は僕になった。
汚い物で挿されたり、刺されたり。舐めさせられたり、くわえさせられた。
僕が痛みに耐えきれなくなり、悲鳴をあげると、お父さんは下品に笑った。
唯一感謝しているのは、外傷が背中に集中していたお陰で、余り傷が目立たないで済むという事だった。
僕は、頻繁に公園に行った。お父さんから逃げるためだ。流石にお父さんも、外では僕に暴力を振るわない。お父さんはクズでは有ったけど、バカでは無い、って、え?そんな馬鹿な。いや、バカに違いないのだけれど、メインディッシュはクズで、バカはあくまでもそれを彩り、引き立てるスパイスというかなんというか、閑話休題。
ともかく、公園に行った。何の憂いもなく遊ぶ子ども達を、ブランコに揺られながら、ぼんやりと眺めていると、つい、「阿呆くさ」と言葉が口から零れ落ちてしまう事も有った。
それでも、僕は、公園が好きだった。何故なら、あの夕焼け空。子ども達が親に連れられて帰った頃に訪れる、あのオレンジ色。
あれだけが、あの空だけは、阿呆じゃなかったから。
ある日、お父さんは、「良いことを思い付いた」と満面の笑みを浮かべて、僕を引きずり出すと、僕の背中にアイロンを押し付けた。
甘い、焦げた匂いと、皮が剥がれる音がした。
お父さんは、意識が朦朧とする僕の髪を掴んで洗面所まで引きずり、床屋さんのように、二枚の鏡を使って、僕の背中を見せてくれた。
「天使だぞ、ほらぁ」
例によって、お父さんは下品に笑った。
確かに、肉を削がれた僕の背中は、まるで天使が翼をもがれた跡のようだった。
朦朧とし薄れていく景色の中、見えた空は、オレンジ色で、この上なく美しかった。
その翌日、目が覚めた僕はとても爽やかな気分だった。
僕は天使だから、人間を救うのが役目なんだ。
僕はまずお父さんを救った。
救い方は、ひどく簡単だった。
キッチンに行って包丁を掴み、お父さんの背中へ、突進する。何度も何度も。殴られたり、抵抗は有ったけれど、僕には対して意味が無かった。
いつまでも、何回も。刺し続けた。
人間とは、案外、簡単に殺せてしまう物で、否、やはりなかなか死なない物だろうか。どうでもいい。とにかく、手にこびり付いた血が固まり始め、父が死んでいる事に気付いた時、僕は振り上げた腕を止めた。
僕が救ってあげたお陰で、お父さんはとても安らかな顔をしていた。生前に有った下品さはどこにも見当たらず、それどころか一種の神聖な何かを感じた気がしたが気のせいだった。糞くらえ。本当はもっと苦しんで貰いたかったけれど、まぁ、いいや。
僕は指でお父さんの瞼を閉じた。そして十字架を切り、呟く。
「阿呆くさ!」
やはり、空は夕焼け色。
その後、何があったか、余り記憶が無い。が、しかし、今の僕が予想するに、食べ物も食べず、血塗れの服も着替えず、呆然と空を眺めていたのではないだろうか。なんだそりゃ、バカジャネーノ。
ただ、気付いたら、沢山の大人たちに連れられて、お姉さんやお兄さんに優しくされて、「これから君は身体を売って生きていくんだよ」と教えられ、やっとの事で、今の状況を認識したけれども、お父さん(生前、死後、両方含む)と一緒に暮らし続ける事と比べたらずっといいっていうか、正直、お父さんで体験済みだから特にショックも無いんだよな、とかなんとか色んな思惑があったけれど、まぁともかく僕は新しい居場所を手に入れた。
その新しい居場所の中、僕に優しくしてくれた人の中で、ベリーさんという人がいた。
ベリー(仮名)さんはかなり片言の日本語を喋る中国人だった。
彼女の片言の日本語の断片を繋ぎ合わせてみたところ、彼女は身売りをするつもりなど全く無くて、何かの手違いでこの場所に連れてこられたらしい。つまり、大体僕と同じだ。あ、ごめん全然違う。
そして、僕と同じ日に、同じ様に、初めての客を取った。
恐らく、相当暴れたのだろう、その日の夜、顔に痣、服をはだけさせたままで、ぐったりうずくまるベリーさんがいた。
その時の僕はまだまだ嘘吐きでは無かったので、彼女を励ます言葉を持っていなかった。
「ベリーさん」
「……」
ベリーさんは、俯いたまま、反応をしなかった。
僕は、その時、空を指差し、教えてあげた。
「夕焼け」
それは、朝の事で、夕焼けでは無かったけれど、確かに、オレンジ色の空だった、
ベリーさんはやっと顔をあげ、無表情に空を見ていた。
僕がもう一度、
「夕焼け」
と呟くと、ベリーさんは静かにゆっくりと涙を流した。
今の僕なら、ここら辺で「阿呆くさ」と言うところだけれど、あの頃の僕は、空っぽだったから、
「夕焼け」
と唱えて、ベリーさんと一緒に朝が明けるまで、眺めていた。
あの空の焼け跡と、背中の火傷と重ね合わせて。
客は、男の時も女の時も、あった。殴ったりする人も居れば、何もせず、ただ会話だけして帰る人も居た。
僕は、何もしなかった。
ただ、されるがまま、望まれるがまま、漂って。
与えられなければ、飯も食べないので、皆から心配された。
特に、あの人。
ホテルのオーナー、
彼は、やたらと僕を気にかけ、色んな事を教えてくれた。
なぜだか、あの人は、自分の事を悪魔だ、と言う。
こんなに優しい、大馬鹿野郎なのに、悪魔だなんて。と、僕は思っていた。しかし、皆、彼の事を悪魔と呼んでいた。
彼から文字を教えられ、彼から服を与えられ、彼から、愛を。
貰えたのだろうか?
分からない。
彼は最後まで、悪魔だったから。
ちなみに、彼はベリーさんと一緒に死んだ。
オーナーが死ぬ、少し前ぐらい、だったか。
僕を、引き取りたい、と申し出た人が居た。
勿論、引き取りたい、というのは、単に、囲いたい、という意味なのだが、それでも今よりはずっと良い暮らしが出来るようだった。
その為、オーナーは僕にしつこくこの話を勧めたが、僕はオーナーと一緒に、――こういう感情を口に出すのは大嫌いだ、何だか冷めてしまう気がして。まぁ、一緒に居たかったかも知れないな。この方が僕らしい。ああ、閑話休題。――だからオーナーが死んだ後、僕はそのおじいちゃんにホイホイついて行ったのさ。
おじいちゃんは、張さんっていう名前なのだけれど、マフィア?ヤクザ?とかのボスらしい。いや、正確にはヤクザでもマフィアでも無いらしいのだが。まぁ、ともかく、張さんは優しかった。主に布団の上で。
でも、そうじゃない人も居た。
ええと、岩、なんだっけ?忘れたけれどゴツい名前の人。見た目もゴツいこの人は僕を嫌っていた。
僕の前では「おじいちゃん」な張さんも、どうやら部下の前では「ボス」なようで、僕が居る事で張さんが腑抜けてしまう事が、ゴツい人は気に入らなかったようだ。
どうにか、僕を追い出す事を模索していた。
そんな人も居たけれど、あそこは大方居心地が良かった。
毎日、頑丈に造られた部屋の中監禁されて、此処で死ぬのも悪くない、とか思ってたはずなのだけれども。
なんでそんな事をしたのか、僕にも正直分からない。食事の為に扉が開いた時、心がざわついて、足が止まらなくなった。
そう、僕は脱走した。
走って、走って、走って、走った。
細い足を動かして、もつれそうになりながらも動かして。
でも、そんなに速くなくて、それでも逃げられたのは、毎日食事を持ってきてくれたあの人、あの目、きっと、それが理由だ。
それで、やっと逃げて外に出れて、見えたのはビル群の背中。これじゃ、駄目だ。少ししか見えない。
早く、此処から出ようと思った時、現れたのは岩なんとか。
元々悪い人相が、益々凶悪になって、僕の元に寄ってきた。
ぶっ殺してやる、みたいな乱暴な言葉を吐き捨てて、襲いかかって来たんだったかな? 間抜け臭い。そのまま、放置してれば、僕も居なくなって、両者の得は一致してると思うのだけれど。それでも、主人の言い付けに従うのは忠誠心故か、それとも、ただの脳足らずか。
ともかく、僕は、殴られたのか、刺されたのか、ああ、頭が朦朧としてきた、真っ赤だ。それでも逃げて。
この広い大空中に広がる茜色、赤色、オレンジ色、紫色、その他沢山の色、夕焼け。今、此処で。
嗚呼、なんて綺麗なんでしょう。阿呆臭いこの世界の中、なんで綺麗なんでしょう。
お父様、お母様、感謝など、僕は致しません、ですが、恨みもしません。この夕焼けの前では。
僕は、僕は、ゆっくり揺らぎ、幽かに薄れて、昇って往く。あの焼け落ちた空へ。ただ、僕は。