気付けばそこにアレが無い
異変に気付いたのは、お昼過ぎ。
昼食を食べ終えて、部屋に戻ってきた時の事でした。
豪奢なベッドに顔面からボフッと倒れこみ、食後の軽い眠気に身を任せます。
「ぷはっ」
そのままでは息苦しいので顔だけ横に向けて、気道を確保。
そして、何気なくベッドの横に設置されている棚に視線を移すと、そこに置いてあったはずの薬瓶が、忽然と姿を消していたのです。
「おやおや?」
見間違えかと思って、よくよく探してみることにしましたが、やはりいくつかの薬瓶がゴッソリと棚から失くなっていました。しかもそれは、私がつい最近書物の情報を元に調合した、悪用されるとちょっとマズイ事になりそうな薬。
「やはり、あの薬だけ無くなっている……どういう事でしょうか?」
盗まれた?
いやしかし、部屋に鍵は掛かっていましたし、もしかして自分でも気付かない間に持ち出したか。
とっさに思いついたその考えは、割と現実的なものでした。
人体実験と称しては、付き人や城の兵士達で薬品を試験している私にとって、調合した薬品が失くなる事なんて日常茶飯事。とはいえ、あの薬は今まで調合してきた薬品とは違って少々危険な物でして、それ故取り扱いも十分注意していたはず。
間違っても持ち出して使ってしまうなどという事は無いはずなのですが。
棚に置かれた薬瓶のラベルをひとつひとつ確認しましたが、やはり見当たりません。
「マズイマズイマズイ」
床に転がっている可能性も考え、這いつくばって棚の下を注意深く覗き込むと、
「何かお探しですか?」
不意に声をかけられました。
声のした方向に顔を向けると、ドアの隙間からこちらを覗き込む少女。
「……マール」
床に這いつくばる姿勢を正して、すっくと立ち上がります。
「アンネ様。這いつくばるのは良いですけど、ドレスは汚さないで下さいね」
「どうしろと」
無茶な事を言いながら、群青色のショートヘアーを揺らして少女が近付いてきました。真っ白のワイシャツをパリっと着こなし、胸元には青いリボン、青色のスカートに膝上まである白いタイツ、と清楚な格好をした彼女の名前はマール=オイスター。
私の付き人であり、古くからの友人です。
「マール。私の部屋に入る時にはノックくらいしなさいと、あれほど言ったでしょう」
少し強めの口調で言いますが、少女は全く気にした様子もありません。
マールは私の目の前まで近付くと、ドレスについた埃を手で払ってくれながら、顔を上げます。
同性の私から見ても可愛らしくあどけない顔立ち。
「そう言いますけどね、アンネ様。毎度毎度ノックしても実験とかに夢中で全く気付かないじゃないですか。ドアの前で立ち往生するのには飽きましたよ」
年齢は私の一つ下なのですが、幼い頃からずっと一緒に育ってきたので、王女と付き人という立場にも関わらず、ズバズバと意見を言ってくれる有り難い存在でもあります。
「うぐぐ」
何も言い返せない私は、目の前にある少女のつむじをグイグイっと指で押してやりました。
「えいえい」
「痛っ、痛いですアンネ様、やめて下さい」
痛みから逃れようとするつむじ、それを絶妙のバランスで追撃する私の人差し指。
言い合いでは勝てませんが、マールの背丈は私よりも小さいので、こういう場面では絶対的優位に立てるのです。
「いいですか、マール。これは、おまじないです」
「な、何のですか」
つむじを押されたせいか、少しだけ涙目になっている少女の顔にゾクリとした快感を覚えます。やはりこの子はイジメ甲斐がありますね。
「マールの身長が更に縮ゴフッ!」
せいっという掛け声と共に、みぞおちへと鋭い一撃を加えられ、私は床に崩れ落ちます。
王女の付き人であり、私を護るためにも一通りの護身術を身に付けているマールを相手にするには、いささか無用心な振る舞いでした。それにしても、この子の辞書には忠誠心とか遠慮とか、そういった類の単語は無いのでしょうか。
「マ、マール……貴方、最近……王女である、私への配慮が……足りない気がするのですが……」
ジワジワと痛む腹を押さえながら、私は呻く様に呟きます。
「気のせいです……ところで、アンネ様。探し物でしたら手伝いますけど?」
「えっ、あぁ。いやいや気にしないで下さい、別に大した物ではないので……」
「そうですか? すごく必死に探していたように見えましたけど」
自分で言っておいて何ですが、失くしたのは凄く大した物です。
実は棚から姿を消したのは永眠薬と名付けられた薬で、文字通り使用者を永眠させる薬。とはいえ、使用者を死に至らしめるという効果ではなく、真逆の成分を持つ目覚薬を使用しない限り、絶対に目覚める事のない眠りにつかせるという薬でした。
普通の睡眠薬では目覚めてしまう重度の不眠症とか、邪魔者をしばらくの間黙らせておくとか、そういう用途の為に調合した物で本来、目覚薬とペアになっていれば割と安全な薬なのですが、一番の問題が目覚薬の調合がまだ終わっていないということ。
つまり、もし今の状態で永眠薬が悪用された場合、使用者は絶対に眠りから覚める事がないのです。
目覚薬の調合が成功するまでは、もはや死の薬といっても過言ではないでしょう。
表情には出ていないはずですが、内心では物凄く焦っていました。
早く目覚薬を調合しなければ。
「えぇと、マールこそ、何か用事があったのでは?」
薬について問われる事を恐れた私は、話の流れを逸らす事に。
「おっと、そうでした。国王様がアンネ様を連れて来る様にと申されまして」
「お父様が? 分かりました。では行きましょう、すぐ行きましょう」
そう言うと、私はマールの手を引いて部屋から出ようとしました。
が、小さな体に似合わない力で私の体をグイっと引っ張り返したマールは、部屋から出ようとしません。
「どうしました。早く行かないと、お父様が待っているのでしょう?」
「あの、探し物は本当に良いのですか?」
勘の鋭い子です、恐らくマールは私が焦っている表情を見抜いたのでしょう。
「マール、細かい事を気にしているようでは、私みたいに大きくなれませんよ」
「アンネ様だって小さいじゃないですか」
「どこを見て言っているんですか。胸じゃありません、背丈の話です。さ、行きますよ」
「あ、ちょっと! アンネ様!」
冗談を言って誤魔化す作戦成功です。
部屋から出てしばらくの間、マールは何か言いたげな顔でしたが、何も言わずに私の後を付いて来てくれています。赤い絨毯の敷かれた廊下をせかせかと早歩きで進み、私とマールは謁見の間へと向かいました。