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実験場

橋の下のお宝

掲載日:2026/07/29




 三連休の初日。


 俺は父の七回忌のため、久しぶりに実家へ帰省していた。

 葬式のときほどではないが、親戚の顔ぶれはやはり少しだけ老けて見える。

 時間というやつは、こういう場面でだけ妙に実感する。



「元気そうで何よりだね」



 母はそう言って笑った。

 その顔を見て、少しだけ肩の力が抜ける。


 確かに歳は取ったが、その笑い方だけは昔のままだった。




 ******




 翌日、特にやることもなく、納屋にあったママチャリを引っ張り出す。

 タイヤの空気は少し抜けていたが、構わずペダルを踏む。


 目的地はない。


 ただ、気分の向くまま走り続ける。

 気づけば、二つの街を結ぶ橋の下に来ていた。


 実家と、小学校と中学校。そのちょうど中間地点。

 子どもの頃、意味もなくここで時間を潰していた場所だ。


 あの頃は世界がやけに広くて、一日が長かった。


 息を整えようと、ママチャリを停める。

 コンクリートの土手に腰を下ろそうとして、ふと違和感に気づく。


 橋桁の影、そこに『何か』が置いてある。



「はっはっ……。変わらないな」



 思わず笑みがこぼれた。


 エロ本だった。

 それは昔もよくあった光景だった。


 色褪せた表紙。

 湿気を吸い、波打ったページ。


 誰が置いたのかも分からない。

 いつからそこにあるのかも分からない。


 子どもの頃の俺たちは、それを『事件』と呼んでいた。

 覗く勇気と、見てはいけないという理性の間で、真面目に議論したものだ。


『勇者』の称号を得た、あの日の記憶が鮮明に蘇る。



「あいつら……。今、何やってるのかな」



 呆れながらも、少しだけ懐かしい気持ちになる。

 たぶん皆、俺と同じように歳を取ったのだろう。




 ******




 その日の夜、俺は実家の自室を漁っていた。


 押し入れの奥。段ボールの底。

 大学に入学して以来、使っていない部屋。


 母が定期的に掃除と換気しているはずなのに、なぜか完全には消えない『過去』があった。


 念入りに隠した場所へ手を伸ばす。

 三十年近く経っているというのに、指は迷わなかった。


 エロ本だった。

 さすがに、表紙の女の子の髪型は古い。



「……ずいぶん、お世話になりました」



 意味の分からない感謝の言葉が、口をついて出る。


 普通なら処分するべきものだ。

 価値だって、ない。


 だが俺は、それを丁寧に紙袋の中に入れた。




 ******




 翌朝、清々しい空気の中、俺はママチャリで再び橋へ向かった。


 理由は自分でもよく分からない。

 ただ、『世界は循環する』という使命だけがあった。


 この街も、過疎化は進んでいる。

 昼間、子どもたちの遊ぶ声は聞こえない。


 だが、太陽があって、そこに人の営みがある限り。

 『未知』を欲する男の子は、きっといる。


 橋の下に降りる。

 子どもの頃と同じように、土手に足をかける。


 そして橋桁の隙間に、本を差し込もうとした、その瞬間。



「ちょっといいですか」



 背後から声がした。

 振り返ると、警察官が立っていた。


 年は若い。

 確実に、俺より下だ。



「そこで何をしているんですか?」



 俺は一瞬、言葉を探した。


 普通に考えれば、終わっている状況だ。

 だが、なぜか口から出たのは別の答えだった。



「いや、その……。男の子の夢を、返そうかなって」

「……は?」



 橋の下を、風が吹き抜ける。

 気まずい沈黙が落ちた。


 夢って、何だよ。

 返すって、何だよ。


 俺に分からないのだから、警察官に分かるはずもない。

 やがて、警察官はため息をついた。



「不法投棄は困ります」

「……ですよねー」



 エロ本を持ち帰る道中、俺は自転車を押しながら空を見上げた。

 三十年前と同じ場所なのに、空だけはやけに広かった。


 世界は循環しなかったらしい。


 いや、今どきの子どもはネットでもっとすごいものを見ている。

 いい時代になったものだ。




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