衆愚
――人間が愚かな生き物だと言えるのならば、民衆もまた愚かな存在と呼べるであろう。彼らには、目の前にいる人物が名君であるかどうかの判断などできやしない。それどころか、目の前にあるモノが人であるかどうかの判断すらできない。だから私は言ってやったのだ。あれは『豚』だと。――
反帝国活動家 ヨシップ:著『革命の日々』より
ロマリアとの問題に解決の目処がつき、今後の大方の方針も決まった事を受け、内外に新皇帝の力を誇示する目的も含めた皇帝即位の正式な祝典が、帝都オートリアで盛大に行われた。
新たに皇帝となる人物を一目見ようと大勢の人が集まり、彼らの多くが歓声を上げてその青年を迎えた。
青年の風貌は決して皇帝として十分な風格をそなえていると言えるものではなかったが、それでも人々は彼の皇帝即位を歓迎した。
今の彼らにとってグリードは血を分けた兄である人物を殺して皇帝となった悪党ではなく、バスティアンの圧政から自分達を救ってくれた英雄として目に映っていたのだ。
そして、これから先自分達が『普通』の暮らしをする事ができるのだという喜びと期待が彼らの表情を笑顔にさせた。
グリードが太く短い腕をあげ手を振ると、人々から大きな歓声が上がる。人々のその反応にグリードの顔からは笑みがこぼれた。
だがそれは何も微笑ましく暖かい光景であるわけではなかった。
グリードは滑稽すぎて笑っていたのだ、これから先何が起こるかも知らず笑顔で自分に向かって手を振る人々の姿が。
自身の希望とはほど遠い現実が彼らの前に現れた時、今度はどんな目で自分を見るのだろうか、その事を想像すると、歪んだ快楽がグリードの中で湧き上がった。
見え透いた嘘の好意、尊敬、畏怖の視線。そんなものよりはるかに、偽りのない、隠しようのない恐怖、屈辱、怒り、後悔、絶望。愚かな者達が見せるその表情の方が彼にとって心地よいものなのだ。
やはり皇帝とは良いものだとグリードは痛感する。目の前にいる何千者人間を破滅させる事すら簡単にできるその力の素晴らしさを。それに比べれば皇帝の息子、弟そんな存在はただの赤子同然だった。
群集を見ながら彼は再び確信する。変化を。空虚な日々が終わりを告げた事を。
祝典も終わりにさしかかった時、手錠をされ目と口を塞がれた男達が連れてこられた。
男達が一列に並ばされた後、衛兵の一人が群集に向かって大声で告げた。
「この者達は、暴君バスティアンの圧政に協力し、皇帝陛下に敵対した者達である」
群集からどよめきが起こり、そのうち何処からともなく声があがった。
「殺せ、そんな奴等殺してしまえ!!」
「そうだ!!そうだ!!」
どよめきの中、男達は磔台に吊るされ衛兵達に槍を突きつけられる。
すると、どよめきが収まり、群集は彼らの死の瞬間を目に焼き付けようと見守った。
僅かに感じる者もいたであろうし、永遠にも感じた者もいただろう。
その静かな時間が流れた後、一人の青年が声を発した。
「ヤれ」
グリードが合図を出すと磔台に吊るされていた男達に向かって槍が突き立てられた。
その瞬間、その様子を見守っていた人々から歓喜の声が上がる。
「ざまぁみやがれ!!」
「天罰だ!!」
既に絶命してるであろう男達に向かって次々と罵声が浴びせられていく。
「奴等にはこれでも甘いぐらいだ!!」
「これであの悪夢のような暮らしもは終わりなんや!!」
歓声と怒号が帝都を覆いつくさんとばかりに響き渡り、そしてそれは帝国中にすら伝わるような声となった。
その声を耳にしながらオイゲンは感じていた。
それが忠義を貫き死んでいった者達とそれを哀れに思う存在の『悲鳴』だったのだと。
グリード達は軍の再建に躍起になり、ありとあらゆる手段を講じ、祝典が催されてから二月も過ぎれば人々は現実を知る事となった。
バスティアンが課した異常なまでに重い税は軽減される事となったが、それでもバスティアン帝より前の時代と比べれば負担は大きなままであった。そして、農村部では若い男子を強制的に徴兵される事が住民にとって深刻な問題となり始めていた。免除規定はあったのだが、徴兵の免除を受けれるような資金を彼らが用意できるはずもなく、多くの若者が帝国兵として徴集されていく事となる。示された徴兵期間は二年という比較的短いものであったが、度重なる戦争で疲弊しきっている彼らにとってはあまりにも重い負担であった。
そして、グリード達は闘技大会をすぐに各地で開催し始める。これは人材の発見以外にも臣民の不満を帝国から少しでも逸らそうという意図、さらには掛け金を徴収する事によって軍資金を調達する意味をもっていた。久しぶりに正式に開催される大会に多くの人間が夢中になり、目的は達成されていったが、当然治安の悪化など問題も起きた。だが、グリード達はそんな事を気にする事もなく闘技大会の開催を続けた。
これらはすべて軍事力の強化というものを目指して行われたものであったが、グリード達はこれら以外にも禁じ手とも呼べる方法で兵集めを強行する。
それは、魔術師達の強制徴集だった。
彼ら魔術(魔法)の才能を持つ人間は限られており、その才能を開花させ十分に魔術を使いこなせるようになるには多くの歳月を必要とする。もちろん彼らの中にも例外はいた。僅かな期間で力をつける者もいたが、そのような者は後に大魔術師と呼ばれるような者達であり、非常に希少な存在である。このように魔術師達は特別な存在であり、多くの国々が彼らの力を欲していた。
帝国も例外ではなく、他の兵達とは比べ物にはならない高額な報酬をだし彼らを軍に加えていた。それだけでは無い、軍に直接参加していない魔術師達にも公認の魔術師の集まり『魔術ギルド』に資金を提供する事で、彼らの研究や育成を支援した。帝国側は支援の見返りに研究の成果の一部を受け取り、非常時には兵員として彼らの力を借りる事もあった。
しかし、これらはあくまで帝国の要請にギルド側が応えるという形であって、強制力を持つものではなかった。それは強制力を持たせ、戦時の度に動員される事を懸念した者達が国外に脱し異国に行けば、自国の脅威となる事もありえたからだ。そのため大国であればあるほど潤沢資金をつぎ込み彼らを囲おうと必死になっていた。
帝国には非公認、つまり支援を受けていない魔術ギルドも数多くある。彼らは様々な理由で支援を受けずにいるが、情報や研究に必要な物品を入手する事の容易さの利がある為に帝国内で活動していた。帝国側も一部の禁忌の魔術を研究する非合法集団以外は寛容に扱っていた。
しかし、それらの状況は一変する。
皇帝の命の下、公認、非公認問わずギルドの魔術師達に軍への協力を強制したのだった。
条件に多額の報酬と二年未満の短期間というものがついていたが、当然戦時での動員も可能とするものであった為に、ギルド側は猛反発した。
それをグリード達は力で抑えこむ。研究資料や家族、あるいは未熟な弟子達を人質にし、抵抗を無理に封じ、魔術師ギルドとの戦闘を避けると同時に徴集に応じさせ人材の確保に成功するが、同時に多くの魔術師達が他国へ流出し始めた。
これらの無茶な策の数々は帝国内に軋みを生み、暴発寸前までもっていく。その限界がまさに一年という期間だった。その一年という期間の先にあった目標は当然ロマリア王国である。
だが、ロマリアを打ち破るには単純な兵員の増強だけでは足りないと帝国は考え、一人の男に密命を与え北東に隣接する国、スタンチオ公国へと送り込んだ。