驚報
南のルドー王国方面は膠着状態にあった。
帝国軍第四十師団がルーガ砦の前に布陣してから幾日、攻勢に出る動きはなく、ただただルーガ砦を守備する兵との睨み合いを続けていた。
ロベルト率いる五千の帝国兵に対するはわずか三千にも満たぬルドー王国兵とドワーフの混成守備隊。
帝国軍が擁する魔術師隊の強力さを考えれば、数の上でこの砦を破るなど殊更に困難な事ではないだろう。
しかし、ここはただの砦ではない。
南方の要所ルーガ、古き魔法陣と三王国の冒険者達が守る難攻不落の砦。
「このまま奴ら動かないつもりかね」
ルーガ砦内から前方に布陣し続ける帝国軍を眺めスレインが言う。
呑気そうに聞こえるその口調の裏には苛立ちと緊張が隠れている。彼の言葉に耳を傾けるシュウはその事に気付いていた。
「どうかな。主攻はドラクレア方面らしいけど、こっちが全く動きなしというのは怪しい。四十師団を率いるロベルトという男、貪欲に戦果を欲するようなタイプではないらしいけど、一度も剣を交えず国に帰れば、兵士共々笑われるだろう。誇り高い帝国騎士がそれをよしとするとは思えないが……」
「まっとるんじゃろう」
影から濃く暗い緑色のローブを纏った老魔術師が現れ、シュウとスレインの会話に口を挟む。
「何をだよ爺さん」
「動くのをさ。ここではない北の動きを待っておる」
スレインの問いに、長らく彼らと冒険を共にしてきた老魔術師マバロはそう答えた。
「北の動きねぇ。それが妥当なとこだろうがね、果たして向こうさんが思うようにいくかね。はっきり言ってこの戦いちょっと無茶だろ」
どうにも合点がいかぬといった表情で話すスレイン。
彼の気持ちにはこの場にいる二人とて同意していた。
難攻不落の三王国を攻めるにしては帝国軍の規模が小さい、さらにはそれを三軍に分けて攻めさせているいうのだから余計に理解に苦しむ。
ルーガ砦の前に現れた五千の帝国兵も、強敵には違いないだろうが、戦争の行方を決定付けるほどの力は彼らにないだろう。
古の魔法陣が備え付けられたこの砦はそれほどに堅固であるし、例え万が一に突破に成功してもドラクレアやバテノアの地と違いルドーの地は起伏に富み、複雑。
五千程度では反撃に合い、すぐに押し返されてしまうだろう。
「理に適わぬように見えても、敵には敵の理があるものじゃ」
「北のドラクレアを破る自信があるってか」
スレインとマバロの会話を聞きながらシュウの脳裏にある噂話が過ぎる。
「インテの魔手」
シュウから零れ出た兵器の名にスレインが反応する。
「大竜殺しの伝説の兵器か」
「伝説などではないわ。奴らは八十年前にもあの悪魔の兵器を使っておる」
「そうは言うが爺さん、実物見た事あんのかよ」
「それは……、うむぅ……」
もごもごと魔術師は言葉に困った様子。
彼らはまだ知らなかった、バテノアの大砦に対してその兵器が使用された事を。
答えの出ぬ悩みに顔を曇らせている三人のもとへ。
――ガン!!
部屋の扉をけたたましく開き、女が青白い顔をして飛び込んできた。
冒険の仲間であり、シュウの妻カーラだ。
「皆、大変よ……大変……」
息を切らしながら彼女は言う。
「帝国がドラーゼを越えたって……」
ドラーゼ、三王国外からドラクレア王国へ玄関口である彼の地はこのルーガ砦やウガルガ大砦に優るとも劣らない鉄壁の要塞に守られていたはず。
ドラーゼの地を帝国軍が越えた。
その意味を三王国に暮らす者達が理解出来ぬはずがない。
「ドラーゼを越えたって……、嘘だろ!! 奴らの戦力でどうやってあの難所を越える!!」
「インテの魔手……」
「北の戦線を魔法兵器でぶち破ったっていうのか……」
シュウとスレインの的外れなやりとり、それをカーラは否定しながら、衝撃的な事実を突きつける。
「違う!! 裏切りよ!! ドラクレア王アルバートが私達を裏切って帝国についたわ!!」
「何だと!!」
一番大声をあげたのはスレインだった。残りの二人も同じように驚愕していた。
「馬鹿を言え!! そんな事ありえるか!! ドラクレアが帝国につくなんて、偽報だ!! 偽報に決まってるそんなもの!!」
「本当よ!! ドラクレアの王印で封された書がルドー、バテノア王のもとに届けられたって皆、大騒ぎよ!!」
彼女の言う皆とはこの砦を守るルドー軍のドミンゴ将軍を含めた上層部の者達だ。かつて王国の危機を救った彼女らは特別な境遇にあり、軍の人間にも顔が利く立場。
これほど重要な知らせを、いち早く耳にする立場に彼女らはいた。この戦いにおいてこの英雄達に向けられた期待、そして責任は大きかった。
「嘘だろ……」
「なんとおろかな事をアルバート王……」
誰もが青ざめ、絶望的な表情に変わり、やがて……。
「糞野郎が!!」
スレインは激昂した。
「ドラクレアの糞共は何してやがる!? ええ!! 糞野郎の言いなりに帝国を通したって言うのか!! てめぇらのご先祖様が命張って守り通してきた地だろうが!!」
「わからない、わからないけど……もう北は……」
泣きそうな声になりながらカーラは言う。彼女とて信じたくはなかった。この絶望的な状況を。
「カーラ、将軍は何か言っていたか?」
それまで言葉少なにやりとりを見守っていたシュウが彼女に尋ねた。
女は首を振り否定する。
「大慌てで会議だって、皆を集めて……」
「俺達も行こう、こんな場所で外を眺めてる場合じゃない」
重要な話し合いになるだろう。
その場に参加するだけの資格が彼らにはある。いや、そうあるべきだ。
数多の魔物を屠ってきた冒険者である彼らの力無しに、ルドーの地を守る事など不可能なのだから。
それとももう……。
「糞が!!」
やるせない怒りを吐き出しながらスレインが部屋を出る三人の後へと続く。
一人遅れて部屋から出る、その前に彼はふと振り返り、窓の外に見える帝国軍を見た。
そして急激に冷めていく頭で彼は理解した。
――そうか奴らはこれを待っていたのか。
わずか五千で布陣し続ける帝国軍第四十師団、彼らの姿が、凶報が事実である事を告げていた。