マヌエル対ウォルード
黒い嵐が戦場を薙ぐ。
その暴力は周囲の敵を萎縮させ、目標を圧倒した。
「どうしたその程度か?」
高速で放たれる上段への剣の乱舞は、強力かつ無慈悲に敵の首目掛け襲い掛かかる。
それをぎりぎりのところで受け流し捌くウォルード。
「賊の剣にしてはなかなか悪くない。どこで学んだ」
獲物を射抜くような鋭い目付きでマヌエルはウォルードを睨む。
「俺に剣を教えた人間は、みな殺された」
「ほう、賊を斬る機会は幾度となくあった。私の斬った男の中にもお前が師と慕った者達がいたやもしれんな。だが悪く思うな、それがお前達が選んだ道の行く末だ」
マヌエルの意地の悪い言葉をウォルードは鼻で笑って答えた。
「剣を手に取った者の生き死にで、恨むも恨まぬもなかろう」
「その覚悟、見事。目的は違えど、感情を殺し己が思想に生きる者に私は敬意を持つぞ!!」
大きく振りあがったマヌエルの剣が天をも斬る。
「……結局あんたも、何も見えていない人間か」
それは聞き取れぬほど小さな声で漏れたウォルードの失望であり、悟りだった。
「そんな大振りじゃいつまでたっても俺は捉えられんぞマヌエル」
振り下ろされたマヌエルの縦の一撃は空を切るだけであった。
「避けるばかりじゃ、私は斬れんよウォルード君」
マヌエルの言葉通りここまでは一方的な展開だった。ウォルードは防戦一方で、ろくに反撃出来ずにいたのだ。
「隙を見て、仕掛けてこんのは考えあってかね? それともまさか臆したわけではあるまい」
「案外と言うべきか、予想に違わずと言うべきか、帝国師団長殿は悪い冗談が過ぎるな」
ウォルードは理解していた。
マヌエルの剣に隙などない。少なくとも自分の力量からして突けるようなものはこれまでの戦いの中にはなかった。
大振りの一撃も、空を斬った後のそれも、踏み込めば斬られる、そう敵の剣筋が語っていたのだ。
「ほう、見えているのか。惜しいな、実に惜しい。剣の才は眼の良さに依存する。賊などならず正道を歩めば大成していたろうに」
「そのお喋りな口も、大成するには必要だったのですかな?」
マヌエルは一瞬言葉を失い、そして笑った。
「わっはっはっは。至極最も、久方ぶりの逸材につい口も緩んだというもの、許せ。……続けようか、血の灯火団長ウォルード」
先に動いたのはウォルードだった。
マヌエルの剣が力強い黒い嵐なら、ウォルードの剣はかまいたち、切りつけるような高速の剣であった。
連続する金属音。
それはマヌエルの捌きが完璧であった事を証明していた。
「軽いな、……軽い」
攻撃を捌ききった男はそう呟き、敵の方へ一歩踏み込む。そこから不意に、高速の一撃を放つ。
「くっ……」
咄嗟の回避行動も、マヌエルの剣は脛当ての防具ごとウォルードの血肉を削いだ。
傷自体はたいした事はない、しかしあと半歩、あとわずかにでも反応が遅れていれば、脚は真っ二つに切断されていた。
「これにも反応するか」
マヌエルが少しばかり驚いた表情を見せる。
彼の攻撃はそれまでほとんど上段に集中していた。わずかに繰り出されていた下段への攻撃も上段へのものと比べると鈍く弱いものであった。
しかし、ここにきて放った必殺の一撃は上段へのものと比べても速く、力強いものだった。それを軽傷で済まされたのだ、驚くも無理のない事だった。
「よくよく殺すには惜しい男だ。だが、これもお前の運命だったという事だろう」
剣を構えなおし、獲物であるウォルードをマヌエルはまっすぐ捉える。
彼の殺気が高まる。
それだけではない、体内から漏れ出る魔力が増大していた。まるで体内で暴走する魔力が肉体に収まりきれぬと言わんばかりにあふれ出ていた。
その異常に周囲で戦う者達も気付く。
それを見て戸惑う者、驚く者、笑う者、そして悲鳴をあげる者がいた。
「団長まずい!!」
血の灯火の団員が叫ぶ。
それと同時に、爆発が起こった。
魔力の爆発が、殺気の爆発が、そして筋肉の爆発が。
歴戦の戦士であるマヌエルの隆々たる筋肉は確かにその瞬間爆発した。いや、そう見えるほど歪に増大したのだ。
マヌエルと両腕と両脚がまるで巨人のそれであるかのように、胴に比べ不均衡に盛り上がったのである。
そして、その異様な筋肉を持つ両脚が大地を蹴ると、彼は地を翔けた。まさしく『翔』けたのだ。
瞬時に目標との距離を縮めたマヌエルは宙にありながら剣で獲物の両脚目掛けて斬りかかる。
それはこれまでどんな攻撃よりも高速で力強い一撃。
――ガキーン。
脅威の反応だった。
咄嗟にウォルードの剣がその一撃を逸らすが、彼の腕はその衝撃に耐え切れず剣を吹き飛ばされてしまう。
マヌエルの目がそれを逃すはずはない。
わずかに指先より放たれたウォルードの剣を見て、彼は己の勝利を確信した。
大地にマヌエルの両脚が突き刺さる。
「終わりだウォルード!!」
男が勝利の笑みを浮かべる。
誰もがマヌエルの勝利をその光景に見ていた。剣を失い、斬られようとする男と、まさに斬りかからんとする男のその姿に見ていたのだ。
いや、そうではない。この場にありながらウォルードと彼の狙いを知る者は違った。
――ブオン。
剣が空を斬った。
自らの首目掛けて斬りかかってきたマヌエルの剣をウォルードが上体を反らし、体勢を崩しながら回避したのである。
だが、その事自体は何らマヌエルにとって問題ないはずだった。
もはや回避行動も取れぬほどに崩れ落ちた男に、次の一撃で止めを刺せばいいだけの事、そのはずだった。
――マヌエル、死ぬのはお前だ。
それは意識の外にあった。
それは死角からの必殺の一撃だった。
誰もが剣に注目し、誰もが二人の男に注目していた。他ならぬ当事者であるマヌエルがウォルードと彼の剣に注目していたのだ。
それはまったくの不意であった。
それを目にしたマヌエルは……、苦笑した。
――剣の道に生きた私が、剣で死ねぬとはな。
ウォルードの後方より飛来した一本の矢が、帝国第五十二師団師団長マヌエルの頭蓋骨を粉砕しながら突き刺ささる。
「帝国師団長マヌエルを討ち取ったぞ!! 他にも伝えろ、マヌエルは死んだ!! 俺達の勝ちだ!!」
ウォルードの叫びに義勇兵達は歓声を上げ、帝国兵達は動揺しながら罵声を飛ばした。
「卑怯者どもめ!! 許さん、許さんぞ!!」
「賊共を殺せ!! 一人残らずぶち殺せ!!」
実質一対一の決闘状態であったマヌエルとウォルードの戦いにおいて、第三者の矢による決着など帝国兵士達が容認するはずもない。
彼らにとってこれは礼節を欠いた賊の卑劣極まる攻撃であった。
だが、ウォルード達には知ったことではない。彼らは騎士ではない。名誉の為に生きる人間ではないのだ。
どれだけ罵倒を浴びようと、それが腐敗した皇帝の横暴な犬達からのものならば、なんら後ろめたさを感じるような事はないのだ。
激昂した帝国兵達が義勇兵達に襲い掛かる。
「殺せ!! 奴らを皆殺しにしろ!!」
マヌエルが師団長としてそれなりに人望を集めていた証なのだろう、帝国兵の中には涙を浮かべてる者すらいる。
各地で戦闘が激化する。
師団長を失った帝国軍はそのまま劣勢になるどころか、逆に義勇兵達を押し返し始めていた。
もとより兵の質では帝国側がに分があるのだ、彼らが師団長の死によって士気を高め、恐怖を忘れ命すらも惜しまぬ状態になれば、義勇兵達ではまともに正面きっては戦えない。
「簡単にはいかないか。後退だ!! 予定通り後退の合図をだせ!!」
ウォルードの指示で各地の義勇兵達が後退していく。
逃すまいと帝国兵が彼らを追うが、事前に仕掛けられていた無数の罠と敵兵の攻撃がそれを阻んだ。
「うわぁあぁ」
「ぎゃあっ」
罠の位置を把握し器用に避けて後退していく義勇兵達に比べ、士気が高くとも帝国軍側の損害は無視できぬほどに膨らんでいく。
「糞、撤退だ!! 一度態勢を立て直す!!」
戦死したマヌエルに代わり指揮をとるデキムスが退却を兵達に命じる。
「デキムス!! 馬鹿を言うな!! 師団長の仇もとらず逃げ帰れるか!!」
「そうだデキムス!! お前は悔しくないのか!!」
「このまま一気に、軟弱な賊共の砦を落としてしまい、マヌエル様の無念を晴らすのだ!!」
デキムスとほとんど同格にあるであろう男達が撤退命令に抗議の声を上げた。
「頭を冷やせ!! 戦っているのはお前達だけではないのだぞ!! 全滅して、第五十二師団の兵は無能揃いかと笑われるのは俺達だけではない、マヌエル様の顔にも泥をぬる気か!! 我らが無能の為に死んでいく兵士達の家族にいったいどう顔向けする気だ!!」
やり切れぬといった表情を面々が浮かべる。
「撤退だ。生きこその復讐の機会もあろう」
デキムスの言葉に誰も逆らえはしなかった。
森に撤退の笛の音が響く。それは両軍に聞こえるほど強く、広く響き渡っていた。
コガルガの砦を巡る戦いは、まずは王国側の勝利に終わったのである。