騎士
――考えるな、信じろ。お前が選んだ道だ――
大騎士 ジェラール
『騎士』と一概に言っても、種族、時代、数多ある国々によってこの称号が持つ意味は異なってくる。
とは言え、多くの場合それが指すのは主君と仰ぐ者の為に己の武を以て貢献せんとす者達であり、主君とは大抵、王であり、皇帝であった。
オートリア帝国においても例外ではない。
『帝国騎士とは皇帝の剣である』、そう評したのはオートリア帝国三十五代皇帝モノバースである。
当時の帝国では貴族達と皇帝との対立が深刻化していた。元来、皇帝の臣下として忠を尽くすべき貴族達が私欲に走る事で皇帝との関係は悪化し続け、皇帝は己の地位と国家の安寧を守護する為の確かな武を必要としていた。
当初、帝国において騎士という称号、地位はそれほど高いものではなかった。
金銭の保障はあれど爵位の低位として貴族と認められる事はなく領地を与えられる事もまずない為に、武勲を重ねた者達は皆貴族としての爵位を求め、得た爵位を子に継承する事はあっても、貴族となった者が騎士の位をその子へと受け継がせる事はあまりなかったほどである。
そうした状況に目を付けたのがモノバース帝であった。
彼は広大な領地を持つ事によって私欲に走り、国体を脅かすまでになった貴族達を悪徳の権化と批難し、領地を持たず帝国全土こそが故郷とし皇帝に忠誠を誓う騎士達を美徳と称賛したのだ。
『貴族達の先祖が建国と躍進の立役者になった事は疑いようのない事実である。しかし、それを受け継いだだけの者達が一体、今もまさに帝国の為に血を流す彼の騎士達に比べ何が優れていようか。謀略をめぐらし帝国に仇なす者は最早国賊である。国民よ、彼の者達を称えよ。偉大なる騎士達を、諸君らを守護する我が剣達を称えよ』
貴族を賊同然呼ばわりし、騎士達を称えた皇帝の言葉は帝国の人々に支持された。
遠くにあり、平民から税を搾る貴族達よりも身近な騎士達が支持されたのだ。
貴族達の全てが悪徳に染まっていたわけではないし、騎士達の全てが聖人であったわけでもない。
されど平民男子、とくに農村部の男子の多くには徴兵の経験があり、上司として戦友として戦場で共に血を流した騎士達に情が傾くのは当然だった。
モノバース帝の政策によって騎士達の金銭的な待遇は改善したものの、それでも貴族の暮らしと比べればまだまだ大きな差が存在していた。
しかし、皇帝と臣民達による称賛と、国賊とまで蔑まされた貴族達との歴然とした差は騎士達の士気と忠誠を大いに高めた。
こうして軍事行動における主要な実働隊である騎士や帝国正規兵達の熱烈な支持を受けた皇帝は、貴族達の暴走を防ぐ術を持つ事になったのだ。
それは帝国貴族と帝国騎士の対立、その長い長い歴史の始まりでもあった。
また、これらの経緯により帝国騎士は皇帝への絶対の忠誠こそが美徳であり、貴族のように政に頭を捻らすのは騎士の領分から外れるとされるようになったのだった。
無論、グリードが騎士達を味方に、反乱によって皇帝の地位を簒奪したように一切の例外すらなく騎士達が常に皇帝に忠を尽くしたわけではない。
それでも、金銭的待遇に差はあれど英雄的活躍をした騎士達の中に貴族の爵位を受ける事なく生涯を一騎士として全うする者が現れたのは、その帝国騎士の美徳に多くの人々が、何より騎士達が共感したからである。
帝国における騎士達の社会的地位が向上すると、それ以前では考えられなかった者達も多く出現した。
貴族に生まれながら帝国騎士となる者、あるいは武勲をたてて貴族の爵位を与えられながらも騎士としての生き方を誇る者達もそういった類いであった。
前者は貴族騎士と後者は騎士貴族と呼ばれるようになる。
そしてさらに時代が流れ『騎士』というものへの憧れが人々の間で格別に強まった頃、貴族騎士という言葉は二つの意味を持つようになる。
一つ目は元来通りの貴族の地位にありながら騎士の称号を得た者、そして二つ目は皇帝ではなく貴族を主君とし騎士を名乗るようになった者達の事である。
後者は帝国騎士の身にある者にとっては邪道であった。
その為に皇帝に忠誠を誓う帝国騎士達の中には、貴族風情に忠誠を誓った彼らが騎士を名乗る事を快く思わない者が大勢いた。
アレクサンダル伯爵に忠誠を誓った男ブレオベリスも、帝国騎士に嫌われる貴族騎士の一人であった。
帝都より南西に下る道、その道中。
野を埋める大軍の陣中に彼はいた。
彼は将軍オイゲンの前にて頭を垂れて跪き、口を開く。
「アレクサンダル伯付き貴族騎士ブレオベリス・ルイマール、伯爵より兵五千預かり受け参上致しました」
ブレオベリスがオイゲンに言上すると、周囲の者達がざわついた。それは五千もの大軍という一伯爵が出すにしては大きすぎる援軍に対する驚きなどではなかった。
「なんと将軍の前で堂々と……」
「ふん、さすがはブレオベリス殿だ」
「不遜な者よ」
彼らは皆己の持つ帝国『騎士』という身分を自尊していた。
彼らにとって、躊躇いなく貴族騎士を名乗るこの男は傲慢に映ったのだ。
「静かに。何も騒ぐ事はあるまい。彼の主であるアレクサンダル伯は陛下の臣下、ならば彼もまた皇帝陛下に忠する立派な騎士である事は疑いない事実であろう」
オイゲンが周囲をそう言って静まらせる。
「そうであろう、ブレオベリス殿」
オイゲンがブレオベリスにかけた言葉は何とも言えぬ迫力があった。
伯爵と親交のあるオイゲンとは伯爵宅で、あるいは戦地で幾度となくこれまでにも会っている。しかしそれでも、帝国のあらゆる人間が英雄と崇めるこの男に心許す事がブレオベリスには出来なかった。この男は好かない、そして恐ろしいと三十年近く剣に生きてきた彼が改めて思うのだ。
「無論」
心中を押し殺し吐き出した言葉を将軍はどう捉えるか、その確認の為に顔を見る事すらブレオベリスには恐ろしかった。
「まぁ、そう硬くならずに。我らも頼りにしておるのだ、アレクサンダル伯の勇敢な兵達を」
死地に誘う死神の言葉に聞こえた。
そう彼らがこれから向かうのは戦場である。
向かうのだ。
帝国に虐げられた人々が逃れた先で開拓し築いた王国の地へ。
偉大なる皇帝達が無数の血を流して尚、征服叶わなかった難攻不落の地へ。
ドラクレア、バテノア、ルドー、三つの王国が支配する地へ。
帝国の人々は呪詛を込めて、その地に暮らす人々は祝福を込めてその名を呼ぶ、『三王国の地』へ。