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ウォルード

 オートリア帝国の繁栄に陰りが見え始め帝権の影響力が弱ると、有力貴族達の間には自領の独立性をさらに高め、皇帝の影響力を排除しようという動きが起こり始めた。

 彼らは帝位を争う皇子達を利用し、自分達により有利な条件を引き出す形でそれぞれの後援者となり、幾派にも分かれた半独立地域が帝国内に次々と生まれた。 

 そうした中の一つ、帝国北西の領邦貴族達は第四皇子であったプロフォークの後援者となる事を選び、彼の帝位継承に向け動いていく。

 各派が帝位継承の争いを続ける中、ついに時の皇帝であったガスパール帝が急死すると、争いはより激化し表面化していった。

 最初に、第一皇子、つまりは皇太子であったコンラートとその後援者が慣例通り、彼の帝位継承を行おうとしたが、その他の皇子勢力がその資質を疑問視し猛反発、結局は継承の儀式は延期され、有力な継承権を持つ皇子達と主だった貴族達を集めた会談の場が後日設けられる事になる。

 話し合いは各派主張の平行線となり、二週間に渡る激論も虚しく合意に達する事はなかった。コンラート派は話し合いは無意味であり、これ以上帝位を空位にしておくわけにはいかないと帝位継承に動く。

 皇帝の意向が特に残されていない場合は皇太子であるコンラートが帝位に付く事が当然であり、穏便な手段でそれを止めるなど他派の者には不可能だったのだ。

 そうした状況の中で動いたのはプロフォーク派の者達である。コンラートは彼らの手によって、帝位継承の儀式前日に暗殺されてしまう。

 コンラートの死について最初に疑われたのは継承順位で次ぎにくる、第二皇子であったカンダとその一派であった。

 彼らは自分達の潔白を訴え、他派の陰謀を主張し争った。

 暗殺に関して第三皇子とその一派は静観の構えを見せたが、そこをプロフォーク派が突き、プロフォークこそが帝位に就くに相応しいと唱えた。

 カンダ派とプロフォーク派の対立が決定的となる中で、プロフォーク暗殺未遂事件が発生する。

 これはカンダ派を陥れる為に行ったプロフォーク達の自作自演だったのだが、この出来事をきっかけに両者の争いは武力を伴ったものに、つまりは内戦に突入した。

 両者の争いは当初こそ一進一退の攻防であったが、徐々に戦況はプロフォーク達の方に傾き、プロフォーク達の離反工作の成功により決着。

 カンダはコンラート暗殺とプロフォーク暗殺未遂事件の首謀者として処刑され、プロフォークが帝位継承者としての地位を確立したかに思われた。

 だが事態は急変する。

 第三皇子派が突如プロフォークを捕らえ拘留し、二つの暗殺事件の真相を明かしたのだ。

 彼らは計画書や密談の詳細までも提示し、その信憑性の高さを示した。これらの情報や証拠品は皇子暗殺という大罪に耐えられぬ一部のプロフォーク派貴族の裏切りによって、第三皇子達にもたらされた事になっていたが、実際は裏切った貴族達は最初から第三皇子側が送り込んだまわし者達であった。

 つまりはすべて第三皇子側の企みであったのだ。

 陰謀を主張する側となったプロフォーク派貴族達の反発の中、プロフォークの処刑は強行され、第三皇子が帝位を継承。

 一部貴族の強い反感を買いながらも、帝国臣民の多くはそれを歓迎した。新たなる若き皇帝の誕生を。

 名をオリバー、皇子時代より既に英雄として人々の敬意を集めた男の皇帝即位はこうした動きの中で行われたのである。



 少年は商人の一人息子として生まれ育った。

 彼が生まれた街は帝国北西部、バーマス子爵領にあるターザという街だった。

 少年が十二の頃にターザの街は、新皇帝の即位に異を唱え対立した旧プロフォーク派貴族達の戦いに巻き込まれる事となる。

 何故ならば、旧プロフォーク派貴族にはバーマス子爵も加わっていたからだ。

 若き皇帝オリバーと旧プロフォーク派北西領邦貴族達との戦いは、皇帝側が優位に進めながらも予想以上に長期化し、バーマス子爵領における戦いでも皇帝軍は決定打に欠いていた。

 堅牢な城に篭ったバーマス子爵を討ち取るのは容易ではなく、オリバー帝は彼を誘き出そうと子爵の息子が守備するターザの街を大軍を用いて包囲した。

「父さん、これで最後だってさ」

 小さな袋に入ったわずかなパンと干し肉の一欠けを取り出すと少年は父親を責めるように言った。

「そうか。もう配給が底を尽きたか」

 父親が溜め息をつく。

 皇帝軍の包囲から一月も過ぎれば、商工都市であったターザの街の食料は底を尽き始めていた。

 食料は兵に優先して分配され、市民向けの配給はこの日を以て終了となったのだ。

「ばれたら大変だよ。家にはまだ余裕があるのに配給品なんて受けとって」

 少年の家はターザの街においても比較的裕福で、用心深い父親の考えもあってか、日頃から食料の備蓄に努め、まだいくらか余裕があった。

「皆やってる事だ」

 父親は平然と言った。

「ウォルード、この戦いはお前が想像するよりも遥かに長く続く、多くの市民が飢えて死ぬ事になるほどにな」

 父親の顔は真剣だった。

「なんでさ。そうなる前に降伏すればいいじゃないか」

「無理だ。私達も降伏の嘆願をしはしたが一蹴された。この街の守備についてるのは子爵の息子だ。息子達とその周囲の子爵への心酔は狂信的なほどとも言われてる。市民が飢えたところで揺らいだりはせぬ」

「だったら無理にでも」

「フン、誰がそんな危険を率先し犯す。それが出来るのは己の尻にもっと火がついてからだ」

 ターザ市民の間には食料への不安から降伏を望む声が多くなっていたが、それを守備兵隊は拒否し続けた。

 だが、この時にはまだ市民の間にも子爵が包囲救出に兵を出すとの希望的観測があり、直接な衝突は起こらずにあった。

 市民向け配給の停止より二週間、街には不穏な空気が漂い始める。

 特に備蓄をもたない貧民街では食料をめぐる殺傷事件が多発、守備兵隊により貧民街の閉鎖が行われ、事実上彼らは見捨てられた。

「ウォルード、ジョンの事だがそろそろいいか」

 貧民達と守備兵隊の武力衝突が起こると父親は少年に残酷な話を切り出した。

「いいって何がさ」

「これ以上飼っておくのは無理だ」

「無理って……、馬鹿言うなよ父さん。ジョンは俺達の家族だろ!! 無理ってなんだよ!!」

 ウォルードは珍しく激高した。

 ジョンは彼の家で長年飼っていた犬であり、家や街の事情を考えるとそのまま飼い続けるなど出来ないと家長である父親が判断するのも無理ない事だったが、一人っ子のウォルードにとって兄弟同然の存在で、父親の判断を認める気にはとてもなれなかった。

「これから飢えは今まで以上に厳しくなる。とてもじゃないが犬を飼う余裕など、それはお前もわかっておるだろう」

「余裕だとか、そうじゃないとかじゃないだろ父さん。ジョンは俺にとって弟同然に育った家族だ。あんたにとってもう一人の息子のはずだろ」

「犬は犬だ。ジョンはかしこい犬だ。主人を害してまで生きたいとは思ってないはずだ」

「家族は支えあうものだろ!! 邪魔だとかなんだとか、そういったのとは違う!!」

「母さんまで巻き込むのか」

「くっ!!」

 あまり体が丈夫ではない母親の事をだされるとウォルードも反論し辛かった。

「母さんだってジョンの事をすごく大切にしていた。そんな事許しはしないはずだ」

「もう母さんには話した」

「なんだって……」

 ウォルードは動揺した。

「あとはお前だけだ」

「そんな……、そんなわけ、母さんがジョンを見捨てるって言うのか」

「お前の為だ、お前の為なんだウォルード。母さんだって辛い。だが、お前を思えばこそ」

「俺はそんな事頼んじゃいない!!」

「わがままを言うな!!」

「わがままだって? どっちがわがままだ!! 家族を見捨ててまで生きたいとは俺は思わないね!!」

「分からず屋が!!」

「家族を見捨てようなんていう道理だったら、俺は分かりたくもない!!」

 ジョンの処遇についての話し合いは物別れに終わり、二人の溝が深まっただけであった。

 それから三日後の夕食時に事件は起こる。

 市民達に混じり、街中から雑草や木の根でも食べられそうなものを掻き集めた帰ったウォルードにひさしぶりの肉料理が出された。

 それを見て彼は直感した。

「なにこれ……」

 料理を見た空腹の少年の第一声がそれだった。

「母さん……、この肉どうしたのさ……」

「お父さんが兵隊さんからもらってきたそうなの」

 母親の顔には無理に笑顔が作られていたが、声には明らかに動揺が聞き取れた。 

「父さん……」

 父親の方見ると、彼は難しい顔をしていた。

「食べなさい」

 命令する声に何か後ろめたいものが混じっていた。

 少年はまわりを見渡し、母親に尋ねた。

「母さん……、ジョンは、ジョンはどこ」

 人目を避ける為に家に入れてたはずの犬の所在を尋ねるウォルード。

 母親は沈黙で返した。

「父さん、ジョンは……」

「いいからまずはそれを食べ」

 父親の言葉を聞き終える事なく、ウォルードは語気を強め言う。

「嘘だろ。嘘だと言ってくれよ。なぁ、だってこんな事、いくらなんでも」

 言葉がでてこない。

「黙れウォルード。まずは母さんが作ってくれた料理食べるんだ!!」

「母さん!!」

 息子の強い視線に母親は両手で顔を覆い膝から崩れ落ちた。

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 壊れた機械のように繰り返す母親を見て、ウォルードは料理の正体を確信した。

「そんな……、だってそんな……、母さんだって!! あんなに大切にしてたのに!!」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 胸が痛い。頭が痛い。思考が上手くいかない。

 いったい自分が何をしようとしているのか、何故ここにいるのかウォルードにはわからない。

――吐きそうだ。

 ここにいてはいけない、ここにいれば自分は壊れてしまう。

 彼の本能が叫び声をあげた。

「待てウォルード!!」

 父親の呼び止める声も耳には届かず、彼は家を飛び出した。

――もうあの家には戻れない。

 彼はこの時、本気でそう思っていた。

 それから二日ばかり街をさ迷ったウォルード、あとはもう死ぬだけだろうと路上に倒れていた彼を母親が見つける。

「お願い、帰りましょうウォルード。私が悪かったわ」

 泣きながら息子に帰りを促がす母親の目にはくまが出来ていた。ほとんど寝ずにこの二日ウォルードを探していたのだろう。

 自分の命は惜しくない。だが心優しい母親の体調と心境を思うとウォルードには家に帰る選択肢しかありはしなかった。

 犬のジョンの事には誰も触れようとはせず家族はそれから三週間近く何とか過ごしたが、ついには備蓄食料も切れてしまう。

 街の混乱は拡大する一方で、あちこちで発生する反乱、街からの脱出を図る市民と守備隊との戦闘が繰り広げられる事に。

 包囲から三ヶ月。

 街からは草木のみならず虫すらも消え失せるほどに食料事情は深刻化、守備兵達の士気にも影響が出始めていた。

 そんな中で恐ろしい噂が市民達の間に広まる。反乱や脱走を図った市民を虐殺した守備兵達がその肉を喰らっているのだという。

 禁忌中の禁忌、人肉を食するという選択が生まれるほどの飢餓が街を覆っていたのだ。

 市民達は限界だった。そして守備兵隊の中にも脱落者は生まれ始めていた。

 包囲から三ヶ月と一週間。

 市民と一部守備兵を混ぜた大規模な反乱が発生。反乱は成功し、守備兵隊の指揮を執るバーマス子爵の息子共々守備兵隊の主だった者達が捕らえられ彼らの手で処刑された。

 そして市民達は皇帝軍に降伏する事を伝えたのだが……。

 オリバー帝はそれを拒否、包囲を続行した。オリバーにとって目的はターザの街ではない、あくまでバーマス子爵なのだ。

 皇帝軍の降伏拒絶後、ウォルードの父親がついに倒れる。

 体の弱い母親や、息子に優先して食料を分配していた事が災いした。

「私はもう駄目だ」

 生気の衰えた父親はベッドの上で言う。

「二人ともよく聞いてくれ。……私を食え」

 耳を疑う台詞だった。

「何言ってんだ父さん、正気か!?」

「正気も正気だ。私はもう助からん。せめてお前達だけでも、いやウォルードお前だけでも」

「やめてくれよ。そんな事してまで生きたくなんかない!!」

「生きろウォルード。私の分も生きるんだ」

「嫌だ、やめてくれ!!」

 まるで呪いだ。

「母さんも言ってやってよ。そんな事おかしいって」

「ウォルード、わかってあげて。貴方の事を愛しているからこそなのよ」

 優しい母親の心はとうの昔に壊れてしまっていたのだろう、ウォルードには理解出来ない言葉が返ってきた。

「狂ってる。狂ってるよそんなの。そこまでして生きて何になるんだ!! 教えてくれよ!!」

「お願いよ」

「わかってくれウォルード」

 そこからの出来事はまるで呪印のように少年に焼き付いた。

 泣いてすがる父と母。

 課せられるものの重さがウォルードを圧迫し、思考を麻痺させた。

 覚えているのは涙も枯れた母の姿。

 覚えているのは吐き気と地獄のような苦痛に満ちた父親の肉の味。

 覚えているのは父と同じ事を呟く母の言葉。

 覚えているのは母の亡骸を呆然と眺める自分という存在。

 犬が死に、父が死に、母が死んだ。

 生きろ、生きろ、生きろと叫び死んだ。

 一体自分にどれだけの価値があるというのか、少年にはわからなかった。


 包囲から四ヶ月、バーマス子爵降伏。

 少年が全てを失った頃にターザの街の包囲は解かれた。

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