新たな皇帝
反乱軍と帝国軍の戦いは反乱軍の勝利でおわった。皇帝バスティアンは死に、ベルントやファビアンと言った有力な将や貴族の多くが戦死し、まさに帝国側の大敗である。
反乱軍の勝利を多くの帝国臣民は歓迎した。人々はバスティアンの圧政から開放された事を祝い、帝都内を行進する反乱軍に対して笑顔で手を振った。
オートリア城の玉座に腰掛けるとグリードは大きく溜め息をつき、近くにいたオイゲンに話しかける。
「それで、まず何をするんだ」
グリードには新たな皇帝になる事への感慨などありはしなかった。これからしなければならない事が彼を憂鬱な気分にさせているのだ。
「時間がありません、さっそくロマリアに使者をだし和平を申し込みます。書状の文面はこちらで用意しています。それと皇帝即位の簡単な式典を開きます。後は今回帝国側についた将や貴族に関する処分。それから……」
「面倒なものだな」
「面倒なものであろうとやらなければならない事はこれから幾らでもあります」
オイゲンは新皇帝を戒める。
「幾らでもか……。お前が適当に処理してくれれば楽でいいんだがな」
「グリード様。いや、陛下がそんな考えでは困ります。あなたにはなすべき事が多くあるのです」
「ふん、なすべき事か」
悪態をつくグリードは幼い頃、イェンスと交わした会話を思い出していた。
年の離れた兄は自分とは違い無口な男で、感情をあまり表に出すような人間では無かった。そんなイェンスに幼いグリードは不満をぶつける。何故、先に生まれたというだけでイェンスが次の皇帝に決まるのかと。そんなグリードにイェンスは、自分が決めた事ではない事で文句を言われても困る。皇帝など面倒なだけで、もし代われるもの代わりたいものだと淡々とした様子で答えた。
当時は皇帝になれる事が決まっている男の嫌味にしかとれなかったが、今になって考えれば兄の気持ちが多少理解できた。
その後、長々とオイゲンは今後の予定を説明をし、最後に紙切れをグリードに見せた。
「こちらが、ロマリアに出す書状の文面になります」
グリードはそれを見て不満気に口を開く。
「ここまでする必要があるのか?」
書状には、バスティアンの行いに対する謝罪や多額の賠償金を支払うだけではなく。ロマリア国境付近の一部領土の割譲をする事が新皇帝となるグリードの名で明記されていた。
「陛下、我々が置かれている状況はそれほどのものなのです。ご理解いただけませんか」
そう言うオイゲンには皇帝に物事を頼む卑屈な臣下というものではなく、有無を言わさぬ凄味があった。
「ああ、分かった、分かった。これでいい好きにしろ」
グリードが書状の内容を渋々承諾すると、オイゲンはすぐに部下に書状を届けさすように命令した。
書状受け取った兵を見送りながらグリードは呟く。
「屈辱だな」
オートリア帝国皇帝としての最初の仕事、それは隣国の王に対する謝罪の書状を出す事であった。今まで親兄弟以外に謝った事などない男にとってそれは簡単にできるものではない。
「オイゲン、俺はこのままでは終わらせんぞ」
グリードの言葉はあの書状が真の平和の為ではなく、仮初の平和の為にすぎない事をオイゲンに予感させる。
帝国の新たな時代の幕開けは、新たな争いの時代の幕開けにすぎないのであった。
グリードの目の前に一人の男が連れてこられた。男は跪き、深々と頭を下げる。先の戦で帝国軍を裏切り、反乱軍に勝利をもたらしたジェイドである。
「ジェイド、お前の働きは素晴らしいものだ」
「お褒めに与かりまして光栄です」
ジェイドは形式的にお決まりの言葉を返す。
「だがな、一つ聞いておきたい事がある。お前が討ったという兄の遺体は腹が裂かれ、足が切り落とされ無惨なものだった。それは何か意図があってのものか?」
グリードの口調はジェイドを強く責めるようなものではないが、明らかに不快感を示すものであった。
「まさか。バスティアン様に降伏する事を勧告致しましたが受け入れられず、逃亡を図ったためやむ終えず手にかける事になっただけであります。激しく抵抗された為に、オートリア家の者のご遺体があのようなものになってしまい私も大変残念で、申し訳なく思っています」
「申し訳ないか。口だけで、お前からは全然そのようなものが感じられないがな」
「陛下は何か私の事を誤解なさっているのではないでしょうか」
「まぁいい。お前の働きが素晴らしかったのは確かだ。何か望むものがあるなら言ってみろ」
「力を。陛下の為に存分に働けるだけの力を頂きとうございます」
「力? そんな抽象的にではなく具体的に言え」
「これからの戦に備え、二個師団級の部隊の独自運用を任せて頂きたい。それと、いい仕事をする兵を作り上げるのには金がかかります。資金面の方も充実したものにして頂きたく思っています」
傲慢にも思えるジェイドの要求をグリードは苦々しく思う。
「強欲にもほどがあるなジェイド。裏切り者の男を信用して人と金を湯水のごとく費やせと言うのか」
「やはり陛下は私という人間を何か勘違いしておられるようです」
ジェイドは表情一つ変えず言った。
「勘違い?」
「私は裏切り者ではなく、ただ働き者なだけです」
堂々とそう主張するジェイドを見て、グリードは大きな笑い声をあげた。
「つまらん事をよくもまぁそうぬけぬけと言えるな。それでその働き者はどれだけの成果を約束してくれるんだ?」
「天下を。大陸平定を為すための駒となる事を約束しましょう」
「口だけでは何とでも言える。信用できんな」
「信用できないのは私の実力がでしょうか」
「違う、お前の今までの戦場での活躍は聞いている。部下としての信用だ」
「部下としての信用……。それは何をもってそう仰られているのでしょうか。私は戦場で多くの敵を打ち倒す力をもっている。それで十分ではありませんか? 無能な忠臣を集めたところで何の役に立ちましょう。有能な部下とは力のある者の事です。力のある人間にさらなる力を与えて、ただそれを利用すればいい。裏切りなど恐れる必要などありません。その力を利用して裏切るかもしれない男よりも強い力を持てばよいだけなのですから。もったいなくは思いませんか、天下を取るための逸材を人としての信用などとつまらん理由でふいにするのは。……私が口だけではない事をロマリアとの戦いで証明してみせましょう」
ジェイドの言葉にグリードはしばらく黙り込んで考えこむ。
「お前の言う事にも一理あるが、ロマリアとは和平するつもりだ。もう書状も送っている。残念だがお前の活躍を見れそうにはないな」
「和平ですか……。ですがそれで終わりではないでしょう」
「何が言いたい」
「私は大陸平定の為の駒にすぎないと言ったはずです。野心なき臆病者に私という存在は必要ない。しかし、大陸を治めるべき存在、皇帝と呼ばれるに相応しい人間には必ず私という駒は必要になります。陛下は皇帝として、何を為すつもりなのでしょうか。何を為すために皇帝になろうとしたのでしょうか」
「兄が私の事を誤解して恐れ幽閉などするからだ。何度話をしても聞く耳を持たず、仕方なくこういう事になっただけだ」
「ご冗談を。では幽閉される前、お父上であるオリバー様やイェンス様の時代には皇帝になりたい気持ちなど微塵もなかったと仰るのですか? そんな事はないはずです」
「貴様、あまり調子にのるなよ。俺が父上や兄上達が皇帝である事に何の不満を懐く必要がある」
「そうです。何故不満だったのか。欲しいものは何でも手に入る金があった、望めばいくらでも女を抱けた、誰もが貴方に頭をさげる地位もあった。それでも貴方は満足できはしなかったはずです。皇帝にあって、皇帝の息子に、弟にはないもの。それは自由だ。真の自由を手にする権利だ」
「真の自由?」
「何者にも邪魔される事のない世界。それを築く権利を今の貴方は得たのです。大陸の西部で縮こまってつまらない王様ごっこをするのではなく。大陸を平定し、邪魔者のいない世界を築く事ができるのです。何万、何十、いや何百万という兵を動かし、邪魔者を滅ぼす手段を貴方は得たのです。それは皇帝の息子や弟では決してできぬ事」
「クックック、お前は本当に変わった奴だな。おもしろい、お前の望み叶えてやろう。だが、口だけの働きだったらどうなるかわかっているだろうな」
「私は陛下の期待に背くほどの無能ではありませんよ」
「いいだろう。さがれ」
そう言ってグリードはジェイドの姿を満足そうに見送る。
「あのジェイドという男は信頼できる男ではありません。あまり力を与えすぎるのは危険だと思いますが」
皇帝の間からジェイドが出て行った後、二人のやり取りを見ていたオイゲンがグリードに近づき口を開いた。
「あの男も言っていただろう、信頼や信用など必要ないと。うまく利用すればいい」
「しかし」
「オイゲン。刃物で怪我をする事を恐れては、料理もできぬし、敵兵も討ち取れんぞ」
「あの男はただの刃物ではございませんぞ。言うなれば妖刀」
「ふん、その方がおもしろい。俺は疲れたすこし休むとする」
そう言って自室に戻るグリードを見送るとオイゲンは大きく溜め息をついた。
後にオイゲンはこの日の出来事を自身の著書にこう記している。
――グリードという皇帝が優れていたのは、軍事的な才能や内政の才、人臣の心を把握するカリスマ性ではない。自身に向けられる敵意を非常に敏感に感じ取る事が出来る事である。そんな男でも、人の持つ狂気というモノの本質を見抜く事は出来なかったのである。――