馬鹿は踊る2
「えぇい、じれったい!! 来るならはやく来いってんだ!!」
同盟の若き兵士が吼える。
それは姿の見えぬ敵に対する怯え、苛立ちから生まれた、虚勢と自暴の念である。
マルダラが別働隊として動き出した後、入れ替わるようにしてクルスク大草原に現れた帝国軍だったが、彼らはそのまますぐに同盟本軍へ攻勢をかけるような手は打たず、両軍睨み合うような形で数日が過ぎる事となった。
「急な問題でもあったのか」
「ならば今が、こちらから攻撃を掛ける好機ではないか」
「いや、それこそが帝国の狙いだ」
なぜ敵軍は動かずにいるのか、その意図を探る同盟の王や諸将達。正解の見えぬ問答を繰り返す間に、日が昇り、沈む。
だが、戦場で流れていく『時』は、無為に失われているだけではない。
いつ始まるかもわからぬ帝国軍の攻勢、それに備える同盟の兵士達は十分な休息をとれずにいたのだ。
身体的疲労は精神的疲労を増加させ、精神的疲労からさらなる身体的疲労へとつながる。日が経つ事に兵士達の士気へ与える影響は大きくなるのである。特に郷土の防衛という揺るぎ難い原動力を持つ国民兵士とは違い、金で動く傭兵達にはそれが顕著に表れていた。
「このままでは剣を交える前に、勝負がついてしまう。こちらから仕掛けるべきだ」
「何を言う。数の差は無くとも帝国兵は精鋭揃い。こちらと敵の魔術師隊の差は埋め難きもの。布陣する帝国軍にこちらから仕掛けるなど自殺行為だ」
「何のための別働隊か。日は十分と経った。挟撃されれば帝国とてたまらぬわ」
「いやいや、敵が動き、多少なりとも足並み乱れたところでの挟撃こそ……」
ああだ、こうだと議論する者達、その熱が致命的な亀裂を生じさせる寸前、転がり込むようにして現れた同盟兵が急報を告げる。
「敵軍に動きあり!!」
「ついにくるか、帝国め!! よし、返り討ちじゃ!!」
待ってましたと言わんばかりに同盟の指導者の一人が意気込むが、兵は困ったような顔を浮かべ言った。
「それが攻撃を仕掛けてくるというより、兵を分けているようで……」
「何!?」
兵士曰く、帝国は軍を三つに分けており、その規模もかなりのものだという。
「何と、半包囲でもするつもりか」
「それが……、一部隊は南へ向かってるようですが、もう一部隊は後方に下がっていくようで」
草原に展開する同盟軍に対して北、西、南、三方から攻撃を加えれれば見事な半包囲攻撃にはなる。
だが奇妙な事に、帝国は北に向かわせるべき一部隊を後方に下がらせているという。
「一体何を考えておるのか……」
急変する事態を飲み込めぬ者達に混じり、ある一角には興奮と喜びを押し殺そうとする集団があった。
「レアンドロ殿の予想通りですな」
にやつきを押さえながらそっと声をかけてきた男に、レアンドロは短い言葉で返答する。
「ええ、順調です」
上手くいっている、ここまでは恐いぐらいに上手くいっているのだ。全てが彼の予想範囲内で進行していた。
後方に消えた帝国の部隊はパルメント王国近郊で姿を見せるはずである。そしてそれは、始まりの合図となる。
失意と怒りに狂うボルドーを犠牲にしてでも、同盟の兵士達は帝国の本隊へと噛み付き、敵の半包囲が迫るよりも早く同盟の挟撃が成功するはずなのだ。
上手くいっている、上手くいっているのだ。
――天運は私が握ったか。
もし、神々というものが本当に存在しているのなら、その大いなる存在は、己を否定し横暴に振る舞う『皇帝』という人物をひどくお嫌いになっておられるに違いないとレアンドロは感じていた。
「帝国軍の接近を確認。このままいけば半日もせず王都が戦場になるものかと」
パルメント王国方面に放った斥候よりレアンドロのもとに待ちわびた報が届けられた時、幸いにも王国の主ボルドーがその事実に気付いた様子は見られなかった。
レアンドロは迅速に軍を動かす必要があった。
パルメント王国軍の王都守備隊が脅威の接近を察していないとは限らない。わずかばかり早く、彼の斥候がその事実を届けたにすぎないのかもしれないのだ。
報を受けてからレアンドロはすぐに同盟各国の君主達を集め、前面に布陣する帝国軍への攻勢を提唱した。
鈍間の亀のように布陣を続けていた同盟軍も、レアンドロと彼の真意を知る者達が生みだす流れによってついに攻勢にでる事を決意。
その時、前面に見える帝国軍は数を大きく減らし一万二千ばかり、対する同盟軍主力は約一万七千五百と数では大きく優位に立っていた。
それでも数で劣る帝国軍を粉砕するのは容易い事ではない、派遣されたのは帝国でも有数の精鋭兵なのだから。
日は十分と高いが、闇夜が訪れれば半包囲せよと迫る敵の発見が送れ、破滅へと直結する。退路はない。ひたすら前進、ひたすら攻勢するしか生きる道はないのだ。
「足を止めるな!! 前へ、前へ!! 勝利はその先だ!!」
同盟軍指揮官達が叫び、兵を地獄の業火の中、押し上げる。
魔法戦での同盟軍の劣勢は明らかであり、兵達の足が止まればそこで勝負は決まる。
レアンドロも近衛の魔術師に守られながら積極的に前線に立ち、兵を鼓舞した。
その効果はたしかにあった。
王を崇拝する兵や郷土防衛の為決死の覚悟で戦場に立った同盟各国の正規兵達は、死地の中足を速め、それに背を押されるように傭兵たちも前進する。
そうして彼らが死地を超え、先へと辿り着いた時、二千名近い者達が骸へと姿を変えた。さらにそこに広がるは新たな死地である。
「上出来だ」
白兵戦に入った同盟兵達と肩を並べながら王は呟く。
大きく、また尊い犠牲ではあるが、数の優位を保ち接近戦へと持ち込めたのは良い展開であった。
現在この戦場で彼らが帝国に勝るは郷土防衛から来る士気の高さと兵の数であり、それこそが勝利への支柱だった。
あとは退路なき奮戦と敵後方へと送り込んだ伏兵達との挟撃に期待するしかない。
「くたばれ帝国兵!!」
同盟兵士の突き出す槍が屈強な帝国兵の体を貫くと、それでもなお反撃しようと帝国兵は剣を振り上げる。だがその凶刃が同盟兵の頭を砕くより早く、別方向からさらなる槍の穂先が彼へと突き刺さった。
「押せ!! 押せ!!」
レアンドロの目に映った同盟の奮戦は予想以上のものだった。
個人の技量では帝国の精鋭兵とは大きな差がある。しかし、それを補って余りある士気の高さが帝国兵を圧倒しているかのようだった。
「これが大陸に覇を唱えんとする帝国の精鋭兵なのか!?」
挟撃に入るまでもなく、崩れ始めた帝国兵を見てレアンドロの頭の中に小さな違和感が掠めていく。それでも怒涛のように押し寄せる好機攻勢の波を止めるには至らない。
「いけるぞ!! 一気に崩し、殲滅せよ!!」
「退け!! 退却だ!!」
帝国軍側には早くも退却の指令下される。
「押せ、押せ!! 狩り取れ!!」
対する同盟はこれを逃すまいと全力の攻勢を展開、序盤の魔法戦の優勢虚しく早期に崩れ始めた帝国軍を殲滅せんとした。
一度崩れた軍を立て直すのは容易ではない。なればこそ、帝国軍はぎりぎりのところで総崩れとなるを堪えていた。
魔法での優位を生かして、後方への退却を始める帝国兵達。精鋭兵達による退却戦。追撃する同盟側は思うような成果をあげれない。
それでも同盟側に焦りはなかった。
「ウルクサの森に入って、我らを撒くつもりだろうがそうはいかん」
帝国軍の退却先である後方の森は、まさにレアンドロの指示で四千もの同盟兵が伏せられた場である。帝国軍は奇しくも、自ら挟撃の間へと足を踏み入れようとしていた。
森の中へと逃げ込んだ帝国軍は平原での統制された退却から、蜘蛛の子を散らすかのようなそれへと変貌する。
森が人の群れを分断したのである。
生い茂る木々や藪が逃げる側の行く手を阻み、追う側の視界を遮った。
逃げる者も追う者も陣営の指揮系統から逸脱せざるを得ない。
――そろそろ足が止まっても良い頃合だが……。
敵を追撃しながらレアンドロは思案した。
森に伏したマルダラ達の部隊は、同盟主力が動いた時点で同様に挟撃の為に動いたはずである。ならば例え帝国の退却が予想外に早いものであっても、既に敵軍への挟撃がこの近辺で成されていなくてはいけなかった。
――まさか失敗したのか?
攻勢に出る直前まで伏兵がばれた報告は入っていない。しかし、現状を顧みるにその可能性は否定出来なくなっていた。
それでも彼らに出来る事は変わらない。
この戦いで致命の一撃を、出来れば指揮をとっているであろうジェイドを討ち、大陸西部各国、反帝への狼煙とせねばならない。
兵士達は懸命に追った。追う敵軍の小隊の群れに、あるいはその先にジェイドがいるとは限らないが、捕らえた獲物は確実に仕留める必要があった。逃した獲物の数だけ、やがて同胞に向けられるであろう刃が増すのだから。
「こ、これは!?」
レアンドロに直接率いられた三百名にも満たない兵士達は信じられない光景を目にする。
視界がいくらか開けたその場には崖があり、上には弓兵を率いる隻腕の男が立っているではないか。それこそが今回、帝国軍の総指揮を執る男ジェイドだった。
だが、問題はそこではない。
崖上の帝国兵にではなく、崖下に立つ男とその兵に彼らは驚愕したのだ。
「ガッハッハッハ、こりゃついてる」
男は下品に笑う。
「マルダラ、貴様……」
レアンドロは自分の置かれた状況を、同盟軍全体が置かれた危機的状況を知る。
眼前に立つトリニ首長国の頭領、そして彼のトリニ首長国兵が向ける刃の意味がわからぬほど馬鹿ではない。
「始めろ」
まだ混乱する頭を整理しきれぬ同盟兵達を前に、冷徹にジェイドの指示が飛ぶ。
「まずい!! 障壁を展開させろ!!」
彼らもまた危機を察してか、レアンドロの叫びとほぼ同時に同盟の魔術師達が魔法による障壁を空中に張りめぐらす。
だが……。
「ぐわぁ!?」
「うわあああ!!」
崖上より弓兵の放った矢の多くはその障壁を貫いた。
「危ない陛下!!」
レアンドロの近衛兵が庇うように王の前に立つと、矢は鎧を粉砕しその心臓へと突き刺さった。
「さすがは帝国魔術師の付与魔法、咄嗟の魔法障壁など屁でもねぇか。いくぞお前ら!! 帝国兵としての初陣だ!!」
マルダラのトリニ首長国兵達がレアンドロ達に襲いかかる。
「退け!! 退け!! 退却だ!!」
状況は一変した、追う側が追われる側へと。いや、追わされる側から追われる側への変貌だった。
「無駄!! 無駄!! お前達の退路などありはしない!! 同盟はここで潰えるんだよ!!」
マルダラ自ら大斧を手にレアンドロを追う。
「陛下!! こちらにも敵兵が!!」
逃げる同盟兵達の退路に次から次へと敵兵が現れる。視界の悪い森の中では敵軍の正確な規模とその配置を知る事は出来ない。確かなのは己の退路が断たれたという事実だけ。
「強硬突破しろ!!」
突破を図る同盟兵、だがそれを阻むはトリニの兵のみならず、帝国の精鋭兵もいた。
「くそ!!」
「つ、強い……」
一人、また一人と同盟兵が討ち取られる。
「王を、陛下を何としてもお守りするのだ!!」
そう叫ぶ近衛兵達すらも倒れていく。帝国兵達の殺気が森を覆う。
「俺が仕留める」
トリニ兵が興奮からくる震えを抑えながら、狙いを澄ます。
そして武芸を嗜み、人並み以上にその才はあると自認する男も、殺気と疲労、極度の緊張から集中の合間を抜けたそれに不覚をとってしまう。
「ぐっ!!」
逃げるレアンドロの後方より飛来した矢がその足に命中したのだ。
「でかした!!」
マルダラは弓兵を褒めると、射抜かれ体勢を崩した男の前に立つ。
「滑稽、無様。 帝国の、そして俺の勝ちだレアンドロ」
満足気な笑みを浮かべ見下ろすその男を睨み返し、レアンドロは言う。
「裏切りとはまったく貴方らしい……」
「ああ、裏切り上等。俺は強い者の味方だ。だが、勘違いしてほしくないが俺があんたらを見捨てたのは最初からだ」
「最初から……」
「そう、最初からだ!! それでも付き合いのあった仲だ。警告ぐらいはしてやっていたさ、帝国に刃向かうなど無理があるとな。帝国は、ジェイドはお前達の考える事など見透かしていた。笑いを堪えられなかったぜ、頭を捻ったつもりでジェイドの想像通りにしか動けないお前らを見てるとな!!」
「くっ……」
矢に射抜かれた苦痛とは別の、忸怩たる思いがレアンドロの顔を歪ませる。
「あの夜、俺は言ったよな。あんたは大馬鹿野郎だってな。お前達には降伏するしか道はなかったんだ。それを下らぬ拘りを捨てれぬからそうなる」
「拘り?」
「あんたは帝国が信用出来ぬからと言ったが、それだけではないだろ。刃向かった理由は」
「何が言いたい」
「王族の誇り。そんな下らぬものに囚われていなかったと断言できるかな? レアンドロさんよ」
レアンドロは沈黙で答える。
「ジェイドは人を見る目がある。お前やラウルのように中途半端なプライドを持つ者ではなく、実利をとれる俺様に真っ先に声をかけてきた」
「貴方の主人は下劣な臭いを嗅ぎ分けるのが得意らしい」
「だからこそ強い、あの男は。……俺は国を捨て、一領主として生きる。民も肩書きが変わるだけで後は今まで通りの生活だ。だが、食えもせぬ半端な誇りを捨てきれなかったあんたのせいでダルタールの民は国家に殉じ、王国諸共破滅!!」
「国は滅びても、人は滅びぬ。理知と王道が、野卑た覇道に一時敗れようと、貴方方の悪行蛮行、後世語り継がれる事になるぞ」
「歴史は滅するさ!! 勝者の手により!! 伝説に残るは覇者の歴史。俺は帝国貴族としてその歴史を生きるのだ」
マルダラは一国家の主という地位を失い、帝国貴族の地位を得た。対するレアンドロは今まさに、全てを失おうとしている。
「レアンドロ!! 覇者の歴史は塵にも満たぬダルタール王国の名と歴史を消し去るだろう!! ……しかし、俺は覚えといてやるぜ。レアンドロという大馬鹿野郎の首が帝国へのいい土産になった事をな!!」
マルダラが大斧を高々と振り上げる。それは勝者が誰であるかを誇示するかのようであった。
血の臭いに塗れた男に抵抗の術はない。既に敗軍の王を守る者はみな散った、彼もその後を追うだけである。
「無念」
斬首の凶音が森に響く。