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小心、小王

 マルダーマヤの王都に築かれたその城は、帝都オートリアの巨城に比べればまるで巨人と小人である。そしてその差が、そっくりそのまま国力の差をも示していた。

 王国の君主、国王キニチの姿は同盟主力へと合流する部隊の中にはなく、小城の玉座にあった。

 全て己の保身の為。同盟の想定する帝国の進軍ルートからは最後方となるこの王国の主には、主力決戦の結果を聞いてからでも動ける余裕があると考え城に残っていたのだ。

「まぁ、そんなに怖い顔をして、お似合いになりませんわ」

 美しい女が王の機嫌を取ろうと色香をふりまきながら話し掛ける。

 キニチは日頃から暇があれば周囲に美女達をはべらし遊んで暮らしていたのだが、今の彼にとってそれは何の安らぎにもなりやしない。

 己の命運が決まろうというこの大事な時に、女如きは何の救いにもならない。

「うるさい女だ。お喋りも時と場合を考えろ」

 癖だろうか、髭を指でいじりながら女を侮蔑するキニチ。

「なっ、……ひどい人」

 怒りを露にする女にもキニチの関心は向かなかった。普段ならば注意するか、逆になだめるかするものなのだが。

 周囲の美女達のひどく退屈そうなだらけた様は、苛立ち落ち着きのないキニチの姿とは対照的である。

「大変です!! キニチ様!! 帝国からの使者を名乗る男が!!」

 急ぎ現れた兵士の報告に、キニチは動揺した。

「何だと、帝国からだと。もう戦は始まっておるのだぞ」

 キニチはどうすべきか悩んだ。

 帝国との戦い、必ず勝てるわけではない。それどころか、どう贔屓目に見ても同盟が負ける確率の方が高い。今後の事を考えれば、戦の最中だからと言って強気に追い返すのはまずいように思えたのだ。

 しかし、だからと言って使者が無条件降伏など厳しい要求を突きつけてくれば、決戦の結果を受ける前に判断を迫られる事になってしまう。

 帝国の要求を撥ねれば、間違いなく敗戦後には己の首を狙ってくる事になるだろうし、まさか保留にさせてくれと通じるわけもない。

 分の悪い賭けで勝負し今の地位を欲するのか、己が命の為に地位を捨てる覚悟を持てるのか。……それが出来ぬ、出来ないからこそ同盟として対帝国戦に参加しているのだ。

 しかし……。

「いかが致しましょう」

 兵士は王に判断を仰いだ。

「使者は何人だ」

「お一人のようです」

「護衛もなしか」

「はい」

「私の命を狙って送り込んできたわけでもないか……」

 マルダーマヤ軍の人員のほとんどを同盟連合軍との合流地点へと向かわせていたのだが、それでも城には百名以上の兵士が残っている。

 たった一人でどうにかなるものではないだろうとキニチは考えた。

「とにかく会ってみるとしよう」

 キニチは誘惑と恐怖に負けた。

 帝国が良い条件を示してくれるのではないか、怪物をこれ以上怒らせたら……。そんな考えが脳裏に焼きつき離れなかったのだ。

 同盟は所詮小国の集まり。小国の小心者の王の存在こそが、同盟が、レアンドロら対帝国に積極的な者達がもっとも危惧した弱点だった。

「謁見の許し、まずは感謝致しましょう、キニチ王」

 帝国の使者を名乗り現れた男は、形だけの一礼こそするものの、不遜で薄気味悪い雰囲気を全身から醸し出していた。

「まずは、ですか」

「ええ。こちらも会って頂くだけで感謝して帰るというわけにもいきませんので」

 気に食わない、それがキニチの男に対する第一印象だった。

 男の顔は端麗ではある、しかしそれは能面的な美しさ、どこか不気味で感情の起伏が見えづらい。

 今のキニチが置かれた状況では、そこから恐怖すら感じてしまう。

「なるほど。それで、戦が始まったばかりだというのに、一体何の御用でわざわざこんな小さな城まで御越しになられたのですかな」

 理由など限られている、そんな事はキニチもわかっていた。

「単刀直入にいきましょう。キニチ王、十二指同盟から離脱し帝国に降伏してもらえませんか」

 予想通りすぎる要求、問題はそこに至る条件。

「これは貴方にとって唯一のチャンスでもあります」

「チャンスですと」

「ええ、帝国も良き判断が下せる者の全てを奪うような事まではしません。相応の見返りを約束しましょう。貴族として帝国を支える名誉を与え、この地の領主としての地位を保証しましょう」

「これまで通りに暮らせるという事ですかな」

「何の変化もなしにとはいきませんが、悪い暮らしにはならないでしょう」

「変化?」

「ご存知の通り、戦には金がかかる。この同盟戦、そして帝国とこの地方の素晴らしき未来に対して、相応の負担をして頂かないと」

「なるほど。貴国の考えはよくわかりました。ですが、こちらにもいろいろと事情がありましてね、少々お時間を頂ければと」

「では、この話は無かったという事で」

 キニチがその場での返答を渋るやいなや、男はまったく躊躇う事無く会談を打ち切ろうとした。

「なっ、お待ちを。何も我々は断ろうなどとは言っておりません。時間をと……」

 慌てるキニチに帝国からの使者は厳しい現実を突きつける。

「寝惚けた事を言われても困ります。今ここで、その決断にこそ帝国は価値を見出している。キニチ王、それがわからぬほど愚鈍な男というわけでもないでしょう?」

「ぐっ……」

 キニチには返す言葉がない。

 待てと言って、待ってくれるほど政治の世界は、外交の世界は甘くないのだ。

「返答を」

 使者の言う通り、これは帝国から与えられた最後の機会。その内容も悪くない、追放されず領主として君臨できるのだ。これまでと同じといかずともある程度の贅沢は出来るはずである。

 問題は信用。

 本当に約束は守られるのか、そこが問題だった。

 これまでの帝国の行動を考えれば、同盟との戦い後、知らぬ存ぜぬと言い出す事も十分にある。それでは困るのだ。

 しかし逆に、マルダーマヤ王国が同盟として帝国と戦う事に、勝利に対する信用がどれほどあるというのだろうか。

 数では同数近く、それが勝利を保証しているわけではなく、負けても不思議ではない。

 一戦勝てたとしてその次は、本当に各国は対帝国に動いてくれるのか。動いたとして結局は帝国に負けやしないのか。

 疑いだせば限が無い。だったらここ一度、各国を喰らう怪物の言葉に賭ける方が良いのではないかと思えだす。

 そもそも、この話を自分達だけに持ってきてるという保証もない。同盟の他の国から裏切り者が出ればそれで投了。同盟は崩壊する。

 だったらここは……、キニチの答えが出掛かる。だがそれが声となるにはまだ何かが足りなかった。

「なかなかご決断していただけないようですが、選択の余地など無いように思えますがね。一つお伝えしときましょう」

 返答を渋る王を見ながら使者はその皮算用を打ち砕く、愕然とする事実を告げる。

「貴方がクルスク大草原に向かわせた本隊ですが、もう全滅していますよ」

 キニチは驚きのあまり言葉を失う。そして次にようやく捻り出した言葉も冷静さを欠いたものだった。

「な、何を馬鹿な事を。どうしてそんな事が、起こるわけが……」

「帝国にはそれだけの力があるという事です」

「貴国の仕業ですと!! 何という事を……。いや、帝国の軍がこの一帯に現れた報告など入ってきていなかった。やはりそんな事があるわけ……」

「信じるも信じないも勝手ですが、貴方の本隊を撃ち破った戦力をこちらに向かわす事ができるというのは揺ぎ無い事実」

「ふ、ふざけるな!! 交渉の結果がでる前に我が軍に手をだすとは帝国が信用ならぬという何よりの証。貴様とて無事では済まぬわ。この場で斬り捨ててくれる!!」

「では死を選ぶと?」

「黙れ!! 死ぬのは貴様だ!!」

「死を選ぶと?」

 興奮するキニチとは対照的な男の言葉は、男が全てを見透かしている事を表していた。

 使者を斬ればそれはすなわち帝国に対する後のない宣戦布告である。

 そんなものを突きつけるほどの君主としての器がキニチにない事をこの使者は、帝国は知っていたのだ。

「あ、い、いや……」

 臆病者の興奮は使者の目と言葉にあっと言う間に冷めて、その先には恐怖しかない。

「で、ですがいったいどうやって。急にそんな事を言われても我々としても……」

「もう一度言っておきますが、信じるも信じないも勝手です。その上で返答を聞かせて頂きたい。今すぐに、ここで」

「そ、それは……」

 まごつくばかりのキニチだったが、突如として彼は圧倒的な恐怖、不安に、その存在に気付いてしまう。

――何故、この男は我が軍がクルスク大草原に向かっていた事を知っているんだ。

 何故帝国は知っているのか。偶然、予想、軍事上の常識、そんなもので済ませられるものなのか。

 もっと絶望的な答えがあるのではないか。

 全滅させたという本隊から直接聞き出したのか、それとも既に内通者が同盟側に存在するのか。それは何匹かの鼠、それとももっと大きな、一国という単位……。

「何故知っているのだ……。我が本隊がクルスクに向かっていた事を」

「敵になるやも知れぬお方にそれをお伝えするのは、私には出来かねます」

 まるで踊らされる人形。

 全ては帝国の手の平の上の出来事なのだろうか。キニチは混乱するしかない。

「て、敵だなんて」

「だってそうではないですか。貴方が我々の要求を拒むのなら、マルダーマヤは帝国の完全なる敵。排除すべき存在。その王は殺さなければならない」

「待ってくれ!!」

 キニチは絶叫にも近い声を上げた。

 もうこの王には、選択肢など無かった。怪物のきまぐれが、その牙が己に降り掛からぬ事を願う、それにすがるしかなかった。

「わ、わかりました。話をお受けしましょう。我々も何も帝国と戦いたくて武器を取ったわけではありません。一領主となろうと我々の生活と安全を守って頂けるなら喜んで皇帝陛下に従いましょう」

 冷や汗を掻きながら、愛想笑いを浮かべて答えるキニチ。

「そうですか。ではしっかりとお伝えしておきましょう。マルダーマヤの王は賢明な方だったと」

 男は最後に再び形だけの一礼を小国の王に向かってした。

 この会談の後、しばらくしてキニチは男の言葉が偽りでない事を現場に送った兵士達を通して知る。

 城へと戻ってきた兵士達が口々に語るその光景の凄惨さに、キニチは帝国の恐ろしさをあらためて実感するのだった。

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