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愛するも虚しく

 皇帝の間にて、グリードはジェイドの話を聞いていた。

「陛下、次の戦に関してですが……」

 ジェイドは軍事に関する細かい報告を行っていたのだが、最後に、本題となる話を切り出し始める。

「ああ、そろそろか」

「ええ」

 玉座に皇帝が座っている時には大抵、将軍であるオイゲンも傍らに立っているのだが、この時ばかりは珍しくもオイゲン、マルセルがいないどころか、その他師団長さえもおらず、衛兵達や何人かの使用人を除けばグリードとジェイドの二人っきりとなっていた。

 それは皇帝と師団長のやりとりに口を挟める者が存在しない、つまりそこで交わされる話がどれだけおぞましく残酷だろうと、ブレーキをかける人間がいない事になる。

「予定通り、東南部平定を進めます」

 帝国の次なる目標は十二指同盟各国領地の完全併合だった。

「大丈夫なんだろうな、オイゲンはまだ早すぎると言っていたが」

「遅いぐらいですよ陛下、何も心配はいりません」

「最近、反帝の輩の活動が活発になってきていると聞いたが」

 グリードの言う反帝とは、帝国領内に存在する反帝国、皇帝打倒を掲げる者達を指した言葉だった。

 彼らはここ最近になって、どこから仕入れたのか質の良い武器、防具を得た上で、金銭をばらまき、不満の高い地方の貧民や、流れの傭兵を集めて、暴れだしていた。

 あくまで広い帝国の辺境地帯の反乱が、多少活発になっている程度ではあるが、これが全領土へと拡大する可能性は否定できない。

 放置できる問題ではなかった。

「だからこそです陛下。ここにきて奴等が派手に暴れはじめたのは、その背後に支援する者が現れたからでしょう。それも、一貴族や商人のものではない。おそらく国家レベルの支援かと」

「ロマリアか?」

「それはないでしょう。どちらかと言えば、我らの急速な拡大に脅威を感じている者達」

「次の目標となる十二指同盟か」

「その可能性は十分に。……ですが、どこが反乱を支援しているかというのはたいした問題ではないのです」

「ほう」

「どこが支援していようと、あからさまな動きはできません。問答無用で周辺各国の併合を進めれば、反乱の拡大の前に資金源は断たれ、自然と弱体化しましょう。今は反乱分子に関しては最低限の戦力だけを割き、鎮圧ではなく拡大防止に努め、その代わりその支援者となり得る各国の併合を急ぐのです」

 これだけ広い国の反乱を、発生する度にいちいち潰すだけでは限が無い。それは確かである。

「まぁ、お前の実力は評価している。先のロマリア、公国戦もお前の働きが大きい」

「陛下の期待に応えるは臣下の者として当然の事。私は己の力を発揮しただけにすぎず、陛下の、私の実力への事前の評価があってこその賜物でございます」

「謙遜しているのか、尊大なのかわからん奴だ」

「思う事をありのままに申したまでです」

「まぁ、よい。今回の戦も前回のお前の働きを評価して、将軍の反対よりお前の意見を優先したのだ。失望させるなよジェイド」

「もちろんでございます陛下。……しかし、少しばかりお頼み申したい事が」

「なんだ」

「この度の戦、私に全て任せて頂けませんか。つまり、全軍の指揮権を将軍ではなく、私にお預け頂きたい」

 ジェイドの大胆な提案は、グリードにとって少しばかりの驚きであると同時に、愉快でもあった。

「クックック」

「そして戦の後には、オイゲン将軍の指揮系統とは完全に別の軍を持つ事をお許し頂きたい」

「二人目の将軍になりたいというわけか」

「肩書きに興味はありません。ただ将軍の干渉を受けずに部隊を動かせるようにしたいのです。もちろん陛下の忠実なる僕である事には違いありません」

「オイゲンも優秀な男なんだがな」

「しかし、少しばかり甘いところがあります」

「慎重なところ、だろう?」

「陛下がどのようにお考えであろうと、私にとって彼は素晴らしき同志ではなく、手足を縛り不自由にするだけの存在となりかけています」

「お前の監視も兼ねてるからな」

 平然と信頼していぬと言い放つ皇帝に、ジェイドは表情一つ変えない。

「それで手間取る事になるのでは、非常にもったいなくはありませんか」

「お前の才能がか」

「ええ、そしてそれが陛下の夢の実現の為でもあります」

 ロマリアという大きな障害は既に取り除いた。

 これからしばらくは中小国の一群が相手となり、指揮系統を無理に一本化する必要も薄くなった事もある。それほど悪い話でもないようにグリードには思える。

「それで、どれだけの規模のものにする気だ。その新たな軍は」

「まずは三個師団規模のものをと」

「まずは、か」

「成果を出すにつれ徐々にその規模の拡大に許可を頂ければ」

「大きくなりすぎた剣で、最後に狙うは俺の首か」

「まさか。陛下、信用できぬと申されるならそれでも構いません。私はただ、陛下の為に大陸平定の軍を進ませ続けるだけです」

 深い闇に包まれた瞳でまっすぐと見つめるジェイド。その姿を見てグリードは笑い、言った。

「クックック、いいだろう。オイゲンは狂人の飼い方を知らぬようだ。……今回の戦、お前に指揮の優先権を与える。そして問題なく勝利すれば、望み通り三師団規模の完全なる指揮権も与えてやる」

「はっ」

「ただし、条件がある」

 邪悪な愉悦がグリードの内から湧き出てくる。

「絵描きを同行させ、お前達の活躍を一景描かせよ」

「絵ですか」

「そうだ。その絵が俺を納得させるだけの物である事が条件だ。絵が駄目なら、戦に勝とうが、指揮権はやれん。いいな?」

「御意のままに」

 そしてそのまま下がろうとしたジェイドだったが、グリードに呼び止められる。

「ジェイド。……お前は良く思ってないんだろ? 俺がイリスを愛でる事など」

 ジェイドは無言で応じる。

「だったら証明してみせろ。この世にあやつと等しく、……何ならそれ以上に手放し難きモノが存在する事を」

「美しき姫君にも劣らぬ美女を描かせ、お持ちしてみせましょう」

「期待しているぞ」

 このグリードがどのような絵を望んでいたのか、ジェイドは瞬時に理解していた。

 そして、それは間違いなく手に入るであろうと、彼は確信していたのである。


 帝国東南部に点在する十二ヶ国の連合組織、十二指同盟。

 同盟は帝国各地で活動する大小様々な反体制グループの支援を先の会議にて決定しており、その手始めとして比較的治安維持用員が少ない、帝都からはるか遠く離れた田舎街や村での反帝活動を物資、金銭のみならず、少数ながらも口の固い信頼出来る傭兵さえも雇い、人材面でも支援を開始していた。

 その効果はまずまず順調で、辺境といっても広範囲に点在するように発生したのでは、帝国軍も全て鎮圧する事は容易にはいかなかった。

 大規模な軍を中央から派遣すればすぐにでも鎮圧できるだろうが、その分金がかかる。反乱の鎮圧は、対外戦争と違い、無事勝利したところで金銭的な面で得る物は何もない。費用がかかるばかりなのである。

 同盟の狙いはそこにあった。

 彼らは端から反乱活動がそのまま帝国の体制崩壊へと繋がるなどと期待はしておらず、支援対象が鎮圧されれば、また別の地域の組織を支援するだけの事。それによって帝国の円滑な統治を妨害し、軍事、経済の両面で損傷を与え、対外行動への時間稼ぎを図る、それこそが目的だったのだ。

 同時に彼らが対帝国の切り札として模索していた帝国周辺諸国との大規模な連携の方はというと、順調とは言えなかった。

 巨大化する帝国の脅威を感じながらも多くの国々は、十二指同盟自身が帝国とロマリア、公国の大戦争時に動けなかったように、今、この状況を理解し、動き出すなど出来ずにいた。

 誰もが、帝国を刺激する事を恐れ、無条件での併合要求すら呑みかねない国もある始末。十二指同盟内部の国にも、そう考えていた者も少なくはなかったのだから、他の小国の王達を責めるのは酷と言えよう。

 秘密裏の外交は、緻密で繊細な交渉が要求される。時間を費やし、わずかずつ前進させるしかないのだが、悠長にやっている暇はない。

 そんな中で、同盟の話に比較的良い反応を示したのは帝国南西部、三王国だった。バテノア王国、ルドー王国の二王国間で勃発した戦争がドラクレア王国の仲介によって終息に向かっており、彼らは戦争の終結後、対帝国について、そして十二指同盟との連携について話合う事になっていたのだ。

 だが、小さな希望が見え始めたまさにその時、それを容赦なく粉砕する一報が大陸西部各国に入る。

――オートリア帝国、東南部諸国平定に挙兵。



 自分の娘の結婚式にすら参加が許されなかったロマリア王国国王ローラント。

 彼に帝国皇帝グリードの名で、『帝都オートリアへ精鋭五千の兵を率いて参上せよ』との命がだされたのは、ロマリアとの講和成立から三ヶ月近く過ぎての事だった。

 表向きの目的は、ローラントとイリスの面会を許し、両国トップの友好を深めるだけでなく、合同訓練や兵士達の交流により、先の戦での軍同士のわだかまりを少しでも解消しようという事だった。

 これをそのまま信じるほど、ローラントやロマリアの重臣達も馬鹿ではなかったが断れるはずもなく、早急に帝都までの行軍の準備を整え、出発。

 二週間ばかり過ぎた頃には、早くもロマリア軍五千を引き連れたローラントの姿が帝都にあった。

「遠路遥々ご苦労だったな」

 グリードは片膝をつき、頭を下げた国王を、尊大な態度で迎えた。

「陛下の命とあれば、この老体に鞭を打ってでも、参上せねばなりますまい」

「おいおい、歩けぬほど老いるにはまだ早いだろう。それとも、最愛の娘が傍におらぬのがそれほど堪えたのかな、義父上?」

 義父としての敬いなどグリードにありはしない。

 十九の青年が、四十を超える一国の国王を見下す姿。玉座の隣で一人の少女は複雑そうな表情でそれを見つめていた。ローラントの娘にしてグリードの妻、帝国皇妃イリスである。

 この日、ローラントを迎える特別処置として、玉座の隣に席が設けられ、そこに彼女は座らされていたのだ。

 ただし、勝手に口を開く事は事前に禁じられており、父親との再会だというのに、声一つ掛けられずにいる。

「私の失態で多くの兵や民を苦しめる事になった事、為政者としての苦しみに比べれば、娘が無事生きている姿を見られただけで、どうしてそれ以上を望めましょうか」

「クックック、悪くない心掛けだ。……安心しろローラント。お前が妙なマネさえしなければ、この通りイリスは無事に過ごせるのだ。俺も、彼女が臓物撒き散らせて苦しみ死ぬ様など見たくはない、なぁ?」

 グリードはそう言ってイリスの方を見る。

 イリスは何か言いたげにしていたが、結局はそれを耐え、父と夫に目で訴えるだけに止めた。

「まぁ、俺も鬼ではない。こうして寛大な処置として、親子の再会の場を作ってやったのだ。お前が分をわきまえる事さえできれば、上手くやっていけるさ」

「陛下の慈悲の心に感謝の言葉もありません」

 言葉とは裏腹にローラントの表情は硬い。

「ああ。これからは手紙のやりとりぐらい許してやるぞ、当然検閲が入るがな。それに……おい、イリス。三十分だけ時間をやる、一室用意させるからそこで親子二人で好きに話せ」

「よろしいのですか」

 イリスは驚いた。

「嫌か?」 

「あ、いえ、ありがとうございます陛下」

 思いもよらぬ話をイリスは素直に喜ぶ。

「という事だ、衛兵。空いてる部屋を用意して案内してやれ」

 グリードに命じられ、衛兵の何人かと一人の使用人が、親子二人を皇帝の間から連れ出す。

「話はあとで?」

 今まで黙ってやりとりを見ていたジェイドが口を開いた。

 皇帝の間には、衛兵や使用人のみならず、オイゲンを始めとして師団長達もいたのである。

 師団長の中でこの場に姿を見せていないのは、反乱鎮圧の命を受け部隊を動かしている第十師団長フィリップと、こういった会見を嫌う第三十師団長トンボの二名だけであった。

「ああ、三十分ほどならかまわんだろう」

 グリードが面倒臭さそうに言う。

「私としては一分一秒が惜しいのですが」

「俺のやり方にケチをつける気か?」

「いいえまさか。私の考えをお伝えしたまでです。そのうえで陛下がどのように致そうと私はそれに従うのみ」

「フンッ、心にも無い事を」

 不愉快そうにジェイドの事を見るグリードだったが、だからと言って特別罰しようとはしない。

「ローラント王は了承するでしょうか」

 第十六師団長メストが誰に言うわけでもなく言葉を零す。

「当然だ。その選択しか奴には残っていない、この帝都にやって来たからには、従わざるを得まい」

 グリードが余裕の笑みで答える。

「そういう事です」

 ジェイドも続き、メストを見て言った。

 それから彼らは、ほとんど会話する事もなく、ただ親子二人の会話が終わるのを、三十分の時間が過ぎるのを待った。

 待つ者達の心境はいろいろであったが、場を覆う空気には緊張感が漂っている。

「どうだったかな、お二方」

 再び皇帝の間にやってきたローラントとイリスに声を掛けるグリード。

「はい、ありがとうございます陛下。とても有意義な時間でした」

 久しぶりに会った愛する父親の前で、耐えきれぬものもあったのだろう。微笑むイリスの目は赤く、泣き腫らした後のようにも見える。

「陛下のお心遣いに感謝致します」

 ローラントの方は硬い表情のままである。

「それはよかった。イリス、こっちに座れ」

 義父親と並び立つ妻を隣の席へとグリードは呼び寄せる。

 呼ばれた方は父親に、では、と一礼して席へと向かうのだが、それを見たオイゲンがグリードに言った。

「よろしいのですか、陛下?」

「でしゃばるなオイゲン」

「しかし、イリス様には少々お辛い事かと」

 最近では城の者達は、皇妃様ではなく、イリス様と呼ぶようになっていた。

 イリスは最初から身分で呼ばれる事を嫌がっていたのだが、最初のうちは皇帝の妻としての自覚を促がす意味もあり、皇妃様と呼ぶよう命が出されていた。

 しかし、グリードとの関係が改善してからは、そんなイリスに配慮して、グリードは名で呼んでやるように通達したのである。

 強制といったほどでないにしても、少なくとも彼女の前で皇妃様呼ばわりする人間は減っていた。

「だからどうした。これで取り乱すようでは話にならんだろうが」

 イリスは不安げに二人を見てはいるが、席を立とうとはしなかった。

 彼女には良くない予感があった。

 話しづらいだけの、他愛のない話ならば気をきかせて、自分から席を外すが、もし予感が当たってしまうのなら、何もせずに去るのは逃げになってしまう。

 一度だけちらりとイリスを見たあと、ローラントの方へと向きなおり、グリードが言う。

「ロマリアの国王ローラントよ。この度の集まりは帝国と王国の友好を深める為のものだ。それに違いはない」

 いよいよ本題。ローラントが帝都へと呼ばれた理由が明らかにされる。

「だが、それには親子の再会や宴会、合同訓練などよりもっと手っ取り早い手段がある」

 ローラントはグリードの話を黙って聞いている。

「……戦争だ。ともに血を流し、勝利を分かち合えばこそ、真の友好というものが生まれるわけだ」

「そんな……」

 イリスには知らされていなかった。

 そして、漠然とした不安、その可能性は感じながらも、最初に会った時とは違う、自分が愛する事によって生まれたグリードの変化に、彼女は淡い期待を抱いていた。

 もう二度と大きな戦争を起こさずに済むのではないかと。それが、呆気なくも裏切られる形となる。

「陛下、どうして、何故……。また大勢の人が、罪のない人達が血を流す事になるのですよ。そのような事はもう……」

 堪らず立ち上がり、口を挟んだイリスに、グリードは強い口調で制止する。

「誰が喋っていいと言った? 事前の約束、まさか忘れたわけじゃないだろうな、イリス」

「ですが……」

「止さないか、イリス」

 泣きそうな顔の娘をローラントも制止した。

「お前ではまだ力不足なのだ、我が娘よ。受け入れ、強くなれ。いつの日にか必ずお前の正しき思いは報われる」

「ですが父上、黙って見てよいはずがありません」

「わめいたところで、何も救えぬ」

 親子のやりとりを愉快そうに眺めるグリード。

「そう言うことだ、イリス。黙って話を聞いていろ」

「私は……」

 それでも抵抗するイリスにグリードは容赦のない言葉をかけた。

「あまり思い上がるな。お前はロマリアからの戦利品なのだ。ぐだぐだ言ったところで、この決定は覆せぬ」

 今度は明らかに怒りを込めた言葉遣いである。

「それでも私は……」

「イリス。正しき思いが伝わるには時間がかかる、そう言ったのはお前であろう。今は耐えよ、我が娘よ」

 これ以上イリスには何も言えなかった。

 泣きそうになるのを必死に堪え、この場から逃げだしそうになる足を止め、自分の席につく。

「理解のある義父親でよかったよ。……では話を戻そう」

「その相手は」

「十二指同盟」

「何故、十二指同盟を目標に」

 理由など一つ、己が覇道の為に過ぎない。しかし、一応表向きの理由をグリードは語る。

「反体制の輩に、組織立った支援をしている疑いがね」

「証拠は」

「疑いがあるんだよ、ローラント王」

「なるほど、わかり申した」

 つまり証拠などありはしないのだ。

「そこでだ。察しのよいお前ならもう気付いているだろうが、東南部平定の協力を命じる。講和要項の中にも、戦時には人的な支援を含む、あらゆる協力の義務が明記されている。文句はあるまいな?」

「まだ戦時ではありませんが」

「細かい事は気にするな、もう間もなく戦時だ。国に引き返す暇などない」

「戦えと命じられるなら、私達はそれに従うまで。しかし、数日ほどの滞在の予定と聞いておりましたから兵糧が、戦を決行できるほど用意できておりません」

「それは気にするな。こっちで準備させている。ローラント王に命じるのは今帝都に滞在している五千のロマリア兵を率いて参戦する事、そしてここにいるジェイドの指揮下に入り従う事だ」

「私が直接ですか」

「そうだ。異論はあるまいな」

「何の問題もなく……」

 とくに躊躇する様子も見せず、ローラントはグリードの要求に従った。

 それをイリスは悲痛な面持ちで見ている事しか出来ない。

 ローラントが皇帝の間から退室すると、グリードは後の事をオイゲンやジェイド達に任せて、イリスを連れて寝室へと戻った。

 そこでイリスは夫の行動を改めて咎めた。

「グリード様、どうしてです。本当に、本当にたくさんの人が死んでしまうのですよ。この戦にどれほどの意味があるのですか」

 最愛の夫であるからこそ、戦争の愚かさをわかってもらえぬのがイリスには辛い。

「良い暮らしには経費がかかる。いろいろと必要になるわけだ」

「今の暮らしで十分過ぎるほどではないですか」

「足りぬさ。素晴らしい妻と美味い食、貴重な本に、絵画。この部屋に今あるモノだけでは足りんのだ」

「何故です。たくさんの無辜の民を犠牲にしてまで、どうして望むのです。……グリード様。もしも、もしも、戦争で私が死ぬような事があっても、貴方は平気なのですか?」

「まさか、馬鹿らしい」

 そう言って、グリードはイリスを抱きよせる。

「お前を失うぐらいなら、十二指同盟ごときと戦などせんわ」

「そういう思いを、家族を失い辛い思いする人が大勢でてしまうのです」

「だが、それは所詮、他人だ。お前じゃないなら、どうでもよい」

「……では私が、戦争を止めて頂けないなら、自ら命を絶つとしたら、グリード様はどうなさられますか」

 イリスの目は真剣だった。

 その目を見ながら、ジェイドは彼女の頭を撫で答える。

「俺が愛してるのは、馬鹿げた事の無意味さを知る女だ。自らの命を利用して脅せば、何でも叶うなどと本気で考える馬鹿な女がいたら、俺が先に殺してやろう。……イリス、お前は賢い女だろ?」

 彼女もわかっていた。そのような振る舞いをグリードが一番嫌う事など。

 それでも、何とか戦争を止めたいと、恥を忍んで尋ねたのだ。

「私は……」

 もう何を言えばよいのか、イリスにはわかない。

 泣くだけでは何にも解決せぬと必死に耐え、グリードにしがみ付くだけである。

「もうお前にはこの戦争は止められないんだ理解しろ。……それより、時間はたっぷりとある。お前を抱きたい」

「えっ」

 グリードは突然、有無を言わさず彼女をベッドまで移動させると、強引に押し倒す。

 そして覆い被さりながらイリスの耳元にささやいた。

「失望したか?」

 イリスは静かに答える。

「ショックがないと言えば嘘になります」

 何の話か。無論、このような状況で行為に及ぼうとするグリードの浅ましさについてではない。

 戦争を強行しようとする事が、である。

「もう嫌いになったか」

「どうして……。愛していればこそ、お止めしたいのではありませんか」

「それはよかった」

 イリスにとっては何も良くはないのだが、グリードはひどく安心したような表情を浮かべる。

「グリード様、もしかして私の事を試しておられるのですか?」

「半分そうかもしれんな」

「ならば、信じてください。私はどのような事があっても貴方の事をお慕いしてるという事を。だから……」

「だが、もう止められんさ。イリス、お前は良い女だ。だが、今はまだ、お前の嫌う戦争の持つ魅力には勝ちきれぬ」

「戦争の魅力……」

「そうだ。人間というのは、基本的にお前ほど無欲にはなれんものだ」

「そんな事は」

 グリードが首を振る。

「得れば得るほどに次を欲す。戦はそれを叶える手段だ。……お前と過ごす時間は代え難いほどに愛しい。しかし、戦争というものから生まれるそれもまた代え難き美味であるのだ。こうしてお前といれるのも、戦に勝てたからだ」

「戦など無くても、私はきっとグリード様のお傍に」

「有り得ぬ話はよせ」

 現実的な話、もし帝国とロマリアとの戦争が無ければ、あるいは帝国が敗れていたなら、この二人は決して結び付く事はなかっただろう。

 グリードはともかく、イリスには相応しい相手が用意され、その者と今よりもずっと幸福な暮らしをしていてもおかしくないのだ。

 その事をグリード自身理解しているからこそ、その確実に現れたであろう架空の存在に嫉妬し、イリスに対して異常な執着から生まれる言動を時折みせるのであった。

 イリスの方も、あれだけ多くの死人を出した戦が無ければグリードと結ばれる事はなかったのかもしれぬと、あの戦争に対しては複雑な気持ちと、今の暮らし対する負い目を常に感じさせられていた。

 だからと言って、グリード意外の人間と結婚したかったなどという考えは毛頭ない。

 イリスのグリードに対する愛情は、互いに尊重し合う夫へのモノとしてよりかは、無償の愛を与える母子の関係とした方が近いと言える。

 わがまま好き放題に振舞うグリードに愛想を尽かすのではなく、本人の為にとまるでしつけをするかのように、粘り強く接するそれは、母親そのものである。

 しかしながら当然に、人を殺すまでの息子を愛するのが、理想であるかどうかまでは、意見の分かれるところである。イリスのグリードに対する愛情が、甘やかすだけの最低の部類のモノだと感じる者がいても何ら不思議ではない。

 だがそうは言っても、今のグリードの求めに応えられるのはそういったイリスの愛情でしかないのも事実だった。

「……グリード様、私はどうすればよいのでしょうか。私はただ貴方のお傍にいたいのです。貴方が誤った事をなさろうとするならそれを止めたいだけなのです。私は……」

「今のままでいい。お前は俺を愛してさえいれば、それでいい」

 それで本当にいいのか、イリスにはまだ答えはだせない。

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