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有用な駒

「今日のところはこれで終いにする。あとは任せたぞ、オイゲン、マルセル」

「はっ」

 少し前まで、形だけながらも、日が沈むまで政務に勤しんでいたグリード。

 それが今や、最低限の報告を受けるだけで仕事を切り上げ、あとは重臣達に任せ皇帝の間から退室してしまう。

 イリスがグリードに菓子を作った日以来、そしてその夜の出来事以来、皇帝は人が変わったように国政への興味を大きく削がれたようだった。

 いや、というより、それよりももっと大きな関心事項が新たに出来てしまった様であった。

 それは無論イリスの事である。

 式を挙げて一月ほどの間は、ひどくぞんざいな扱いをされていた。それが今では朝から昼まで、そして、わずかの時間だけ政務をこなすと早々にグリードはイリスのもとへと戻り、あとはもう離れる事をしなかった。

 イリスを伴っての城外への外出もし始め、傍目には非常に仲のいい夫婦になったように見える。

 そんな皇帝のあまりの態度の急変にも、当初、多くの者は困惑こそしていたが、それほど大きな問題とは捉えていなかった。

 夫婦仲が急激に良くなったからといって、実務に多大な影響を持つオイゲン、マルセル、ジェイドといった者達に、現段階では何ら支障は無く、彼らに不慮の事故や病でもない限り、体制に影響はでないからである。

 オイゲンに至っては、この状況を歓迎している節があるぐらいだったのだが、ジェイドの様子だけは少しばかり違った。

「まったく気楽なもんだぜ。こっちは、また命のやりとりしようかって時に、大将は嫁さんとお楽しみしてんじゃあなぁ。引き締まらねぇ」

 巨漢が広々とした一室で愚痴っていた。

 帝都の外れに建てられたばかりの屋敷。豪勢というよりかは気品に重きを置いた外観を持つそれは、軍においてオイゲン将軍と対にならんとすジェイドの新居。

 ジェイドは今日、そこに珍しくもトンボを招いて、何やら談議していたのである。

「お前はいつも好き放題暴れるだけじゃないのか」

「まぁ、そりゃあそうなんだがよ。……しかし、また今頃になって女に嵌り出すなんて、そんなにイイのかね、あの姫さん。別品って言ってもまだ十三のガキだろ。最低あと四、五年は寝かさんとおもしろくも何ともねぇだろ」

「お前の趣味も、あの男の趣味も、俺には関係ない事だ」

「ガッハッハッハ、ちげぇねぇ」

「だが、女の方は別だ」

「別?」

「ああ。あの娘、少々やっかいな事になるやもしれん」

「夢見がちのお姫様って話だが」

「その夢を見せている相手が悪い」

「豚に夢は見れんぞ」

「その豚に見せようとするからタチが悪い」

「マジで言ってんのかよ。あの豚が善政なんて興味持つはずがねぇ。欲望に忠実だぜ、あのタイプ」

「欲望の矛先が変われば結果、政の仕方も変わる」

「へぇ、そんなもんかね。で? それを防ぐのに、あの小娘を消すってか?」

「その選択も当然残しておく」

「グハハハ、平然とおもしろい話してくれるじゃねぇか。いいねぇ、それで俺にどうしろと? 俺様と仲良く談笑したいわけじゃねぇだろ、本題に入ってくれや」

「……トカゲ、蜥蜴の頭が欲しい」

 トンボの顔つきが変わる。

「どこから聞いた」

「耳から入ってきた」

「いつも通り、気色悪い野郎だ。まぁ、いい。尻尾ならまだしも頭になると高くつくぜ」

「金は惜しまん、命もな」

「ご立派になられたもんだ。おめぇには似合わん立派な屋敷まで建てて、さすがは次期将軍の呼び声高いジェイド様だぜ」

 帝国軍における頂点は皇帝であり、その下に将軍がある。現在、帝国の将軍は、正式にはオイゲン一人しかおらず、その影響力は絶大。

 かなりの部分で独自運用の利く、ジェイドの師団もその影響を完全に排除する事は難しい。無論それはジェイドにとって好ましい事ではない。

「人を使い、人に会う立場になるとボロ屋に住まうというわけにはいかない」

「悪鬼、狂人の類いには、ボロ屋が似合いだがなぁ」

「つまらん事ぐだぐだ言ってないで、紹介するのか、しないのか。はっきりしろ」

「別に金だ、地位だ。そんな見返りを期待するわけじゃねぇ。ジェイド、おめぇに蜥蜴を紹介してやったら、おもしろくなるか?」

「当然。……その為の駒だ」

「ガッハッハッハ。なら断る理由もないわな」

 トンボはジェイドの要請を快諾すると、席を立った。

「まぁ、会うだけならそう難しい事じゃない。だけど、奴等が駒になるかはお前次第だぜ」

「駒にならないならそのまま潰すまで」

「どっちに転んでもおもしろい事になりそうだなぁ、おい。楽しみだ」


 帝都から南方に馬を飛ばして三日と半日、主要街道から外れ、森を抜けた先に廃墟と化した小さな街があった。

 疫病と度重なる戦争、恐ろしい魔物達の襲撃によってもう五十年以上も昔に滅んだこの街には、いつの頃からか帝都を追われた悪人達や、行き場のない棄民達が集い暮らし始めていた。

 そうして出来上がったスラムにも劣る『人捨て場』の治安は格別に悪く、この場で一年生きれれば一人前、五年生きれればたいしたものだと言われる世界だった。

 ただひたすらに他者を食い物にする地獄では、強者とそれに媚びへつらい力となれる者しか生きられない。他に行き場のない者達が派閥を作り、別の行き場のない者達を貪り食う。

 目立った産業など無いこの人捨て場の収入源と言えば、街道での強盗、追い剥ぎや人攫いがもっぱらである。その稼ぎも、人捨て場に帰ると、多くの者達が狙い奪おうとしてくるのだ。

 何故、人捨て場に大勢の犯罪者達がいながら、彼らは大規模に団結せずに少ない稼ぎを食い合うのか。それは協調を嫌う彼らの性質にも問題があった。しかし、一番大きな理由は、やりすぎるわけにはいかない、というのがあったのだ。

 人捨て場は帝国の領土を考えれば帝都からそれほど離れているわけではない。手当たり次第街、村を襲い、人を攫い、金品を強奪してたのでは、すぐに帝国軍に目をつけられ、人捨て場ごと掃除されてしまうのである。

 それに対して、ほどよく襲う人間を選別していれば、つまり他国からの重要な使者、有力貴族や、軍関係の家族などには手をださないなどある程度節度を持っていさえすれば、帝国側としても、犯罪者や貧民の隔離、屑同士の共食いによる手間の削減と、人捨て場という場所を残しておくメリットも大きいのである。

 政府と犯罪者達の妥協点、そこに生まれたのがこの人捨て場だった。

「ああ、相変わらず陰気臭いところね」

 少女は空気が淀み、腐った臭いを放つ街に戻ってきた。

 死んだ街の街道を何ら躊躇いも無く歩く彼女を、道端の男達はしげしげと見つめる。

「おい見ろよ、ありゃあ……」

「何だよ、もう帰ってきやがった」

「あの、噂は本当みたいだな」

「俺も昨日見たぜ。別の奴をさ」

 あるグループは、疎んじるように会話をし別のグループは。

「嘘だろ……、なんで奴がいるんだよ」

「しっ。あんま見るんじゃねぇ」

 怯えるように会話していた。

「へっへっへ、女じゃねぇか」

 背中に大きな刺青を入れた半裸の大男が、どす黒い欲を含んだ目で少女を観察している。

 この街で女は貴重である。弱肉強食、わずかな富の中でその存在は非力すぎ、彼女らの多くは街の強者の特権としての所有物という存在でしかない。

 だから、この掃き溜めを堂々と歩く見た目十と二、三年の少女によからぬ事をたくらむ輩がいても不思議ではなかった。

「おい、まずい事考えてるんじゃないだろな」

 大男の隣にいる、ぼさぼさ頭の小汚い男が言った。

「ああん?」

「身形を見ろ。服だって、結構な値がしそうだぜ。どこぞの奴の飼い猫だ」

「だから何だっていうんだ。ヤり終わったら埋めちまえば、誰がやったなんかわからねぇよ」

「目撃者が多すぎる」

「うるせぇ、こんなチャンス滅多にねぇんだ。派閥だろうがボスだろうが、文句ある奴は俺がぶっ殺してやるよ。びびってるならここでじっとしときな。お楽しみを見せるだけなら許してやるからよ」

「くそっ、俺はどうなってもしらんぞ」

 大男は仲間の忠告も聞かず、少女の方へと近付いていく。

「あいつ……、馬鹿だろ」

「新入りか、かわいそうに」

「馬鹿で運の無い奴は長生きできないもんだ」

 大男の行動を見たまわりの奴等はひそひそとそれを揶揄した。

「止めなくていいのかい。あんた」

 ぼさぼさ頭の小汚い男に一人別の男が近付き声をかけた。

「知らねぇよ。ああなったら奴は止められん。派閥のボスだろうが、何だろうが殺し合うまでだ。俺はもう縁を切らさせてもらうけどな。ここに来て日が浅いのにさっそく目つけられたらたまんねぇよ」

「派閥のボスねぇ。そんな生易しいもんじゃないんだがなぁ」

「えっ」

「悪魔だよ、ありゃあ。鬼を食ってでも生きる悪魔だ」

「はぁ?」

 小汚い男にはその意味をまだ理解する事は出来なかった。しかし、わずか一分と経たぬ後に彼は知る、悪魔の持つ牙の恐ろしさを。

「お嬢さん、ダメじゃないか。一人でお散歩してちゃあ。危ない所なんだ、おじさんが守ってあげるよ。まぁ、料金はちょっと特別だけど」

「邪魔よデカブツ、退きなさい」

 下品な大男に少女は怯む事無く言った。

「おいおい、手厳しいな。生意気なイイ女は嫌いじゃないが、ガキはだめだなぁ。ガキは素直に怯えてないと」

「最後の忠告よ。目の前から消えて、薄汚いデカ豚」

 少女の言葉に大男がキレる。

「ふざけんなよ、糞餓鬼!! ……いいや、面倒だ。殺しちまってからヤるか」

 大男の腕が少女の首へと目掛けて伸びた次の瞬間。

――バチーン。

 音を鳴らして閃光が走り、大男の巨体を貫いた。

「汚いうえに馬鹿で、弱い。まさにゴミね」

 声を発する暇なく絶命した男の肉片を見て、少女は嘲罵を浴びせる。

 そんな光景に驚愕する大男の仲間だった小汚い男。

「ま、魔法か?」

「しかも、あの発動の速さだ。並の奴じゃ一傷すら負わせられねぇよ」

「ちっ、だからやめとけって……、俺は止めたんだ」

「ケッケッケ、まぁ怖いのはあの娘の強さだけじゃないがね」

 意味有り気に男が笑う。

「はっ?」

 疑問符の付いた顔をする小汚い男に、彼は手のひらを差し出す。

「銀貨一枚ってとこだ」

「何が」

「今からの情報料、聞きたいなら銀貨一枚」

「ふざけんな、そんな金あるか」

「ないならこっちはかまわないけどさ。この街で長生きしたいなら知っておいて損はないぜ」

「……ちっ、わかったよ」

 小汚い男が銀貨一枚を渡す。

「まいど」

「それで、何だよあの娘の強さ以外に怖いところって」

「属してる組織さ」

「何だよ派閥の話かよ。んなの見ればわかるだろ。あの強さの奴がいる派閥のヤバさなんて」

「ただの派閥じゃねぇ。アレに比べれば、ここでの派閥のボスなんてまさに猿山のボスにすぎない」

「どういう事だよ」

 男が周囲を一度見回した後、小声になり言った。

「蜥蜴だよ」

「はっ? トカゲ?」

「馬鹿!! 声がでかい!!」

 慌てたように小汚い男を注意する。

「何だよ……、トカゲがどうしたって……」

「アンタ、この世界に入って短いのか?」

「いや、キャリアは結構ある方だと」

「だったら、噂ぐらい聞いた事あるだろ」

「トカゲねぇ。トカゲ……」

 少しばかり思考する小汚い男だったが、急に血の気が引いた顔になる。

「おい、トカゲって、あの蜥蜴かよ」

「そう、まさにそれだよ」

「嘘だろ、何でこんな掃き溜めに」

「理由なんて誰も知らない。……わかってるのはある日やつ等が現れて、丁度三ヶ月ほど前にまたこの街を去って行った事だ」

「去って行ったって……、じゃあ何で今いるんだよ」

「さぁな。またしばらくここの街を拠点にするのか、それとも臨時の用があるだけか。どっちしろ関わらないのが一番だ」

「ほんとにやっかいな奴等ばかりの掃き溜めだな、ここは。しかし、それだけの話で銀貨一枚もとるのかよ」

「それだけでも、その価値はあるぜ。何せここでは蜥蜴の名は……」

「ここでは蜥蜴の名は禁句」

 いきなり二人とは別の声が聞こえてきた。

 その声に男の顔が、恐怖でかたまる。

「知っててなお口にするなら、それは我々への挑戦、挑発でしかありません」

「あんた、いつのまに……」

 小汚い男の視界に突然、不気味な男が現れる。

 前身を黒のローブで覆い、頭頂の高い帽子に白い顔化粧。まるで、道化の奇術師の様をするその男が笑う。

「待ってくれ!! これはちょっとした手違いというか、悪かったもう二度とあんたらの事は……」

「二度目があるのは、その価値を有する人間だけ、残念ですが貴方は死ぬ方に価値がある」

 道化の男の腕が動いた瞬間に、怯える男の首は胴体から飛んでいた。

 唖然とするしかない小汚い男の前に、その首が落ち、転がる。

「少しばかり長生きしたいのならよく覚えておいてください、ここでの禁句というものを。貴方もこの世界にいるなら理解できるでしょう。居場所をあまり明るみにしたくない者達がいるという事を」

「あ、ああ。わかった、わかったよ。俺は何も見てないし、何も喋らない」

「そうです。弱い人間はせめて、そうやって賢く生きるべきです。では、さようなら」

 道化が一礼して去っていく。

 大男と情報を売った男、わずかの時間に二人の人間が死んだ。

 だが、この掃き溜めの街で明日までその事を気に止める者など、そう多くはない。

「た、助かった……」

 その場にへたり込む小汚い男。

 男は知った。

 ゴミが集い、消えていくこの場所に蜥蜴がいたのだと。そして、それを知る者はこの街に大勢いるが、その名を口にする者は滅多にいない事も。

 強欲な犯罪者達がまったく逆らう事の出来ない集団『蜥蜴』。彼らを駒にしようとジェイドは考えていた。

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