式
――死神がやってきた
列を成してやってきた
どこへ行かれると尋ねれば、みな顔伏して嘆くだけ
よくよく考えみたならば、死神の行き先一つだけ
嗚呼、この地も地獄なら、帝都の城は獄の中――
作者:不明
ロマリア王国イリス姫は、帝都から彼女を迎え入れる為に送られた、帝国軍第一、三師団の混成部隊の手によって帝都まで護送される事となった。
名目上第一師団は皇帝直属の部隊であり、象徴として彼らが皇妃となる人物を迎えぬわけにもいかなかったのだ。ただ、もっとも優先すべきは皇帝の御身を守る事であり、グリードが帝都に鎮座している以上所属の全兵士で護送の任に就くわけにもいかない。そこで、実質的な主力は第三師団となり、師団長であるハンスが混成部隊の指揮を執る事になったのだった。
第一師団の人間も、彼らに対する指揮は普段からオイゲン将軍が執っていたので、その愛弟子とも言えるハンスの指揮下で動く事には対する反発は皆無だった。
第三師団にこの任が与えられたのには、この師団に対する帝国上層部の信頼の厚さが背景にある。
彼らは戦闘の練度だけでなく、平時の品位というべきものを備えており、それらは日頃の訓練と師団長であるハンス、その師である英雄オイゲン将軍に対する絶対的なまでの信望によって支えられていた。
帝国における有数の実力者となったジェイドも品位という面においては、彼らが自分の師団より幾分も優れている事を重々承知しており、オイゲンがこの任に第三師団を充てようとした時には、まったく反対しなかった。もとより彼には『名誉ある任』には何ら興味がなかったのだが。
唯一この決定に不満がわずかでもあったと言えるのは、同じ将軍の愛弟子である第四師団師団長ミロスラフだった。
彼は自分が戦時はともかく、このような任務、特に他師団まで指揮を執るとなると、ハンスに分がある事を理解していたので、二人同時に話があれば、結局はハンスに譲っていただろう。しかし、まったく自分に話がこずに、最初からハンスにいったとなると、内にしこるものがあるのは確かだった。
ただし、今の時期に帝国が多くの兵力をこの護送の任だけに充てるわけにもいかずにいる事を彼は理解しており、これが両名の不和の原因となるような事もなかった。むしろ、ハンスやオイゲンはジェイドを筆頭に醜悪に堕ちていく帝国軍内で信頼に値にする数少ない人物であり、皇帝であるグリードすらも、もはや軽蔑に値すると考えていた彼にとって帝国軍で命を懸けるその意味、理由となっていた。
護送の当日、王都に姿を現した帝国軍の部隊を見て、歓迎するロマリアの民など誰もいやしなかった。
王都を無血行進する帝国兵の姿は、彼らにロマリアの歴史的敗北という現実を残酷にも突き付け、見送る民衆に時折微笑み、気高く振舞わんとして馬車に乗り込む姫君の姿は、属国という張りぼてで飾られたロマリアを暗示するかのようで痛々しかった。
馬車を送り出すロマリアの楽団達の演奏も、滑稽なほど明るく勇ましいもので、いったい何の為に奏でられる音なのか、その場にいた多くの人々には理解出来なかった。
一人の従者すらも許されず異国へと運ばれていく少女の行き先は、一生そこからでる事も叶わぬやもしれん檻の中であり、その檻に棲むは神をも恐れぬ、おぞましき鬼なのだ。
いったい誰が、それを笑顔で見送れようか。
帝都までの護送の行進は、華々しいというよりかは重々しく緊張感の伴ったものであった。
ロマリア領内においては、講和に納得できない一部の反帝国主義者達が、イリス姫の奪還を企てているという噂も流れており、気の抜けぬものだったのである。
それでも、彼らが帝国領内へと入ると、だんだんと行進を見送る人々の顔にも変化が表れ、帝都へと着いた時には、まさに万雷の拍手と歓声が彼らを迎え入れた。
「帝国万歳、皇帝陛下万歳」
運ばれてきた勝利の証に、人々は沸き返る。
「帝国万歳、皇帝陛下万歳」
あちらこちらで同じ言葉が繰り返され、その誰もが狂気の祭りに興奮していた。
決して楽ではなかった暮らし、まるでそれらを忘れようとするかのように人々は、一人の少女の不幸と、一国の敗北を祝し、一人の青年の欲望と、一国の勝利に酔いしれた。
ロマリアの王都とは正反対に、迎え入れる帝国の楽団達の演奏は、それが何の為に奏でられる音であるかはっきりとしている。
浮かない顔をした馬車の中の少女が、狂気の行進を眺めながら何を考えていたのか、それを知ろうとする者は、この帝都には存在しない。
威厳ある帝都の巨城も、異国の姫君にはただ不気味で恐ろしく映るだけだった。
「ほう、悪くない」
陰悪な空気に覆われた皇帝の間、遠路はるばる連れてこられた美しきロマリアの姫君を、グリードは悪意を持ってにやつき見た。
まだ齢十三の王族の少女が、これまでグリードの抱いてきた娼婦達とは明らかに異なる女の資質を持つことは一目見ただけで理解できる。
同じ金髪なれど明確な違いがあり、同じ碧眼なれどやはりそれも違うものとしか見えない。
わずかでありながら、はっきりとしている。同質でありながら、異質であり、同色でありながら、異色である。
いったいそれはどこから生まれるのか。
上流階級に生まれた人間と、高級なれど所詮は卑しい身分の生まれである者達との違いなのだろうか。
それは違う。
彼は知っている、娼婦よりもよほど醜い貴族の女達を。
幼い日より見てきた醜悪な存在は、選ばれたはずの人間だったではないか。
だからこれまで、娼婦の女は数多く抱けど、貴族の娘は一人として抱いた事は無かった。
当時のグリードの地位ならば、有力貴族の娘ならいざ知らず、そこらの一介の貴族の娘なぞ、いくらでも遊び捨てれたのに、彼はそうしようとはしなかった。
上流階級層相手の娼婦ばかりを好み、一夜か数夜の遊びでその関係を終わらせたのだった。
無論容姿に限って言えば、数多の女から選びぬかれた高級娼婦達の方が平均的には優れていたし、その一点において彼は抱くに値するだけの価値を見出していた。
権力に、そしてそれが与えるだけの莫大な富に媚びる女達。
娼婦も貴族の娘も、その媚びた顔に違いはなかった。
己の為に媚び続ける娼婦も、家の為と偽る貴族も、その表情は偽りの妖艶さである。
いや、妖艶というもの自体が偽りであり、幻であり、脆く危ういものだという事は十分と理解していたはずだ。
ならば何故、娼婦が魅せる幻には酔えて、貴族の娘達が魅せる幻はああもひどく映ったのか。
それが顔をろくに知らぬ間に死んだ母親に対する一種のコンプレックスからくるものだという事には今のグリードが気付く事はなかった……。
イリスの存在が、そのグリードのコンプレックスの先へと進めたのには様々な理由がある。
一番に大きいのは、彼女が受け入れざるを得ない存在だったという事だ。
人間誰しも、己に与えられたものがどうしようもなく無価値で、無意味だとは思いたくはない。
グリードは無意識の内に、イリスという存在が一時的にでも妻となる、それだけに相応しい人物だと評価したかったのである。
もちろん手放しで彼女の存在を受け入れ、評価していたわけではない。ロマリアという落ちぶれた王国の王族にすぎぬ事は理解しており、そういった複雑な評価、感情が混ざり合った上でのものだった。
しかし、それが彼女に帝国の貴族娘達とは一線を引かせるだけの印象を持たせたのだ。
当然、彼女が元来持ってる性格やそこからでる立ち振る舞いといったものも、素晴らしいものではあった。それでも、この一見だけの場では、そこに違いを見出すのは難しいのである。
彼女が帝国ではなく異国の出身となる事も、グリードに母親の亡霊を感じさせぬには有利に働いた。
一部の特殊な性的嗜好の持ち主以外は、自分の下で喘ぐ母親など見たくはないものである。今のグリードが無意識ではあっても、『帝国』の貴族の女達に己の母親を感じる状態では本来誇るべき帝国という出自が妻になるには邪魔となったのである。
このように、小さくも様々な事情が、グリードにとってイリスを他の女とは違うモノに感じさせたのだった。
グリードとの謁見を終えたイリスには、それから翌日に控えた式まで過ごす場として、城内の豪勢な客室が与えられる事となった。
客室と言っても帝国の人間達が彼女の監視についており、心休まるような空間で一夜を過ごせるわけではない。そしてせまりくる式自体、決して彼女が、ロマリアの人々が心から望んだものではないのだから、憂いの夜となるのも当然であった。
翌日。
快晴、雲一つない空の下で偉大なる帝国の皇帝と、その皇妃となる姫の婚姻の式が盛大に執り行われた。
式典には、大陸西部の国々だけでなく、中部、そして、はるか遠い東部の国からも、祝いの使者が送られ、帝国はその者達に新たな力の象徴を誇示した。
それは式典そのもの、皇妃となるイリスそれ自身である。
この豪勢な式典においてロマリアからの列席者は認められず、そこに懲罰的な意味が込められているのは誰の目にも明らかであった。
ロマリア王国国王ローラントからの祝いの言葉が書かれた書状こそ読まれたものの、長らく抵抗を続けた一国の王がどのような気でそれを書かねばならなかったか、その心中を諸国の列席者は十分と理解し、哀れみ、逆らえば同じ末路だったのかと恐れた。
この式典を心から祝した者はそう多くはない、一部の過激な帝国主義者、帝国に狂酔する者達を除けば、帝国臣民達はおろか、グリード自身すら喜んではいなかったのだから。
彼らの多くが、この式典に笑みを持って臨んだのは、その先にあるそれぞれが画く未来があったからである。
オートリア帝国皇帝グリードが、宿敵ロマリア王国を破り、国王ローラントの最愛の娘を、最初の妻として娶ったのは、彼がまだわずか齢十九の頃の事であった。