魔力球
ロマリアへの出発を明日にと控えた夜中、ジェイドは部屋で一人激痛に悶え、呻いていた。
「くっ……」
腕が焼けるように熱をもったかと思うと、次の瞬間には凍えるような冷たさになり、また次の瞬間には肉が張り裂けそうな激痛へと変化する。
彼に残された右腕が叫ぶ、殺してくれと。
「ハァ、ハァ、ハァ」
どれほどの時間を耐えたのか、気がつけば夜が明けようとしている。
この一夜、彼は一睡もする事なく、朝を迎えた。
――まだだ、まだ完璧には……。
ジェイドはさきほどまでとは違い、嘘のように軽くなった右腕を見ながら今日彼がすべき事について思いだそうとしていた。
彼の頭はまだどこかぼやけ、意識がはっきりとしていなかったのである。
男が古びたその建物にやってきたのは、帝国と公国との一戦、ガエルが死んだ日からそう遠くない時、まだロマリアが帝国に大敗を喫する前の事だった。
「アンタが、噂の、ケッケッケ」
薄暗い部屋で、ぼろのローブを纏った老人が笑う。
彼は、冷たい目で自分を見つめる男を前にしても何ら動じる事無く、余裕の態度でいた。
「話は聞いているだろうな」
「ああ、言われた物はちゃんと用意しとるよ。ジェイドさん、ケッケッケ」
老人の笑い声と同時に落雷の音がジェイドの耳に入ってきた。
「見せろ」
「へいへい、こっちに来てもらえますかね」
老人は手にランプを持つと、薄暗い部屋からさらに暗い地下室へとジェイドを案内する。
「しかし、また急ですな。受け渡しはもう少し後になるかと思ってましたが」
「事情が変わった」
「その腕ですかい。最近でしょう、それを失くしたの。ケッケッケ」
ジェイドは返答しなかった。する必要も無かったからである。
「おやぁ、無視ですか。まぁ、いいでしょう。どのような事情があるにしても、私はこいつをアンタに渡すだけだ」
地下室の隅に積み上げられた木箱から、老人は二つの奇妙な球状の物体を取り出し、箱の上に置く。
「こいつですよ。アンタが望んだ品は。魔力球、どうです、綺麗でしょう。ケッケッケ」
老人が魔力球と呼んだその物体を手に取り、自分の顔の横までもってきて振る。
それはランプの明かりを反射し、鈍く光っていた。
木箱から取り出された二つの魔力球のうち、一つは小さく、もう一つはそれよりも一回り大きい。共に奇怪な装飾がされていながらも、中心部は宝石が埋められたかなように妖艶な色を放っている。
人を惑わす、悪魔の色。
「使い方は簡単。こいつをアンタの腕に埋め込むだけ」
「どうやる」
「たいそうな手術なんていらんよ。力を発動させて押し付けるだけでいい。それだけでコイツはアンタの腕に潜り込む。ああ、でもその腕じゃな、無理か、ケッケッケ。まぁ、強く握るだけでも問題ない」
「それじゃあ試してみるか」
ジェイドが置かれた大きい方の魔力球を手にとると、老人は慌てて止めに入った。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。ここでか? 聞いてるとは思うがこいつはまだ完璧とは言えないんだ。無茶をして死なれても後片付けするのは私だ」
「黙れ、じじい。お前は自分の立場がわかっているのか?」
「くっ……。ちっ、それじゃあせめてこっちの試作品を試してからにしてくれんかね。こいつなら負荷は少ないし、これで問題を起こすようじゃ話にならん。と言っても、百人いて九十九人は死ぬ。残った一人も死なず済むだけって話で、まともに扱えたのは数えるほどしかおらん。それでもやるっていうのかい。ケッケッケ」
小さい方の魔力球をジェイドに渡しながら、老人は不気味に笑う。
ジェイドは魔力球を受け取ると、無言でその力を発動させ強く握りこんだ。
魔力球は、雨が地面に染み込むように、ジェイドの手の平から右腕の中へと溶け込んでいく。
その瞬間、彼の腕には激痛が走り、たまらずジェイドは顔を歪める。
戦いで受ける傷とは違い、魔力球がもたらすそれは非常に不快なものだった。
「ぐっ」
「ほう、ご立派、ご立派。ケッケッケ。それだけで意識を失う奴等も大勢いるのに、立派だよアンタ」
老人の馬鹿にしたような声も今のジェイドには届かない。彼は必死に激痛に耐えていたのだ。
五分ほどだろうか、ようやく痛みが落ち着きだした頃になって老人はジェイドに再び声をかける。
「どうですかな、ケッケッケ。ご気分は」
「悪くない」
ジェイドが右腕をかざしながら言った。彼は感じていた、新たな小さな魔力を。
「確かに、力を感じる」
「ほう、ほう。上出来、上出来。さすがは帝国の騎士様はそこらのボンクラとは違いますな。ケッケッケ」
「これでどれだけの力になる」
「言ったでしょう。これは所詮試作品だ。筋力にしても一割の強化にも届かないでしょうな」
「それじゃあ話にならん」
「だから、こいつが肝心。ケッケッケ」
残された大きい方の魔力球を老人が持ち上げる。
「私は生涯をかけてこの魔力球の研究に取り組んできた。来る日も来る日も、研究し続けついにここまできたんですよ、ケッケッケ。はるか古の時代の魔術師達が作りだした傑作。それに、オリジナルに、限りなく近づけたのがこの第三世代の作品」
「御託はいい。そいつはどれだけの性能がある」
「計算上は筋力なら最低二割は、魔力も一割は上がるでしょう」
「たったそれだけか」
「それだけとはなんとも残酷な事をおっしゃる。アンタほどの一流の人間ならそのすごさ、差がわかるでしょうに」
「まぁ、ないよりはマシか」
ジェイドが老人の手から魔力球を奪い取り、また己の腕に埋め込もうとする。
それを見て、老人がまた慌てた。
「おいおい、今さっき、腕に試作品を入れたところだろう。試作品は二、三日もすれば自然と消滅する。それからにしないと、お互いの魔力球が干渉して負荷がとんでもない事になる!!」
「何だと? 消滅するだと? おい、まさか、こっちのでかいのも時間が経てば消えるのか」
「いや、第三世代のこいつはそうそう消滅しない。一度埋めたら、人間の寿命ならまず間違いなく持つ。しかし、そんな事を問題にしてるんじゃ」
「なら、いい」
「本気か? アンタ間違いなく死ぬぞ。言っておくがこの第三世代でも、今だに人間では完全に成功した事はないんだ。ただでさえ危険だっていうのに、それを……」
「理論上は成功する人間だっているはず、そうなんだろ?」
「それはそうだがな」
「だったら問題ない。俺がどの程度の存在か試す機会にもなる」
「ああ、もう私は知らんね。好きになさい、ケッケッケ」
呆れたような視線をジェイドに向ける老人。
ジェイドはそんな視線を気にする事無く、再び魔力球の力を発動させ、強く握り込んだ。
「ぐああああああああああ」
さきほどより激しい苦痛が、ジェイドを襲う。
「さて、大言壮語とならん事を祈りますよ」
老人はのた打ち回るジェイドを暗い地下室に残し、上の部屋と戻っていた。
そして、ジェイドは一人、明かりのない一室で苦しみ続ける。
「おやぁ、まさか、こいつは驚いた」
地下室に残して三十分、ジェイドが暗黒の地下室から生還してきたのを見て、老人は驚きと喜びの顔で彼を迎えた。
「アンタ本当に……、ケッケッケ。最高だよ、最高の逸材だ。生還おめでとう。ケッケッケ」
ジェイドは老人の祝辞を無視して、ドスのきいた声をだして睨み付ける。
「あとどれぐらい残ってる」
「っへ?」
「同じものが、あとどれぐらい残ってるか聞いてるんだ」
「同じものって、魔力球かい? こいつはそう簡単に作れるもんじゃないんだ。もう二つほどしか予備はない」
「よこせ。そいつを全部だせ」
「ちょっと待ってくれ、一つだけなら構わんが、二つともってのは勘弁してくれ」
「死にたいのか? お前を今すぐここで殺しても構わないんだ、俺は……」
「アンタ、そいつは約束が……」
「だせ、とっとと全部」
「ったく、年寄りをいじめて楽しいのかい。……言っておくがな、こいつをあと二つ手にしたところで、アンタ以外に耐えられる人間はそう見つかるもんじゃない。どうせ、無駄になるだけだよ。ケッケッケ」
「黙れ」
「ハァ、わかったよ、わかった。だせばいいんだろ」
老人は呆れながら溜め息をつき、再び地下室から残る魔力球を持ってくる。
「もう一度言っておくがな。アンタを除いて、まともに扱えた人間はいない。そのアンタだって、今は力が安定しているようだが、これから先までどうなるかの保障はない」
老人の忠告をまったく聞く事なく、ジェイドは置かれた魔力球のうちの一つを手にとり力を発動させる。
魔力球が怪しい光を放つ。
「おい!! 狂ったか!! こいつは一人一つまでだ。さっきは試作品だから耐えられたかもしれんが、今度は必ず死ぬぞ!!」
「がああああああああああ」
ジェイドの絶叫が、部屋に轟いた。
それからどれだけ時間が過ぎたか、老人は目の前のものをすぐには受け入れる事が出来ずにいた。
「信じられん。夢でも見てるのか、それとも悪夢か? 本当にやりやがった。アンタの体はいったいどうなってるんだ?」
驚愕する老いた男の前には、人間というものを超越してしまったとしか言いようのない男が立っている。
「こいつは確かにいい。力を感じるぞ、じじい」
この男、ジェイドの腕には三つの魔力球と、試作品が埋め込まれていた。
老人の長年の研究、構築された理論、論理、計算。全てを否定し、無視するかのように、彼は何の問題もなしに生存していた。
「ほんとになんともないのか? ケッケッケ」
「さぁな」
「今のアンタはとんでもない力を手にしていることになる。三つも、正確には今は四つか。それだけの魔力球が同時に腕に埋まってるんだ。とんでもないパワーだ。だが、その不安定さも予測できん。今は無事だとしても……」
「覚悟の上だ」
「そうかい、本当に驚いたよ。……いったい何がそこまでアンタに力を求めさせる。ケッケッケ」
「見たい景色がある」
「見たい景色?」
「その為に、その為だけにこいつの力は必要になる」
「そいつはまたぁ。……アンタの見たい景色ねぇ。ろくでもないんだろうな。ケッケッケ」
狂人の世界は凡人には理解できない。そして異種の狂人にとっても完璧に理解できるものではない。