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開戦、好機、そして

 両軍、共に横一列の陣形を組んでいた。帝国側は数を活かしてさらに横に長く展開し、敵を包囲殲滅する作戦を取る事もできたが、厚みがなくなる事で反乱軍側のハンスやミロスラフなどの練度の高い騎兵部隊に突破されるのを恐れた。数で大きく劣る反乱軍は距離を取った弓や魔術部隊の戦いは望まないと考え、限界までひきつけた所で一気に数で押し切る、華麗さはなく帝国軍も無傷では済まないが、確実に勝てる作戦を取ったつもりであった。


 この戦いにおける反乱軍の主な部隊の布陣は右翼側からハンス、メスト、ホーガン、アレクサンダル、フィリップ、マヌエル、ミロスラフ。後方の本陣には僅かな兵達がグリード、オイゲンを守るだけであった。

 帝国側は左翼側からベルント、ピオトル、アンドレアス、ルーカス、ファビアン。皇帝直属の部隊である第一師団の一部や貴族達の私兵部隊はそれらの師団を支援する形で配備され、特にベルントとファビアンの両翼の部隊には多くの私兵部隊が投入された。それには端から敵陣形を崩す意図と、逆に端から自軍が崩されないようにする意図があったからだった。また適時投入する為の予備兵力としてガエルの部隊が後方待機し、第一師団の兵のうち前線に投入されていない兵は本来の役目であるバスティアンの護衛と予備兵力の役割として配備された。


 反乱軍の足音がゆっくりと帝国軍の方へと近づいていく。遥か前方に米粒のように見えていた敵の姿が徐々に大きくなり迫って来る。帝国の弓兵達は息を殺して自分の所属する部隊長の合図を待っていた。

 「弓部隊、用意!!」

 師団長が大声で叫ぶと太鼓の音が鳴り響き始めた。

 「弓部隊、用意」

 太鼓の音を合図に部隊長達が自分達の部隊に指令を発する。弓兵達は弓を構え、今度は矢を放つ為の合図を待った。張り詰めた空気が辺りを覆う。じわりじわりと近づいて来る反乱軍が弓矢の射程圏内入り始めてもなかなか合図が出されず、その事は若い弓兵達に焦りと緊張感を生んだ。その緊張感がピーク達した時、ついに射撃の命令が下される。

 「放てぇ!!」

 限界まで引かれた弦をはなすと矢は空で弧を描きながら敵軍めがけて飛んでいく。帝国軍の放った無数の矢が反乱軍に降り注ごうとしたその時、空気の流れが歪み、反乱軍の頭上に様々な色の壁が作られる。火、水、石、風で作られた様々な魔術の障壁を通ろうした矢は燃え尽き、折れ、切り裂かれた。障壁の隙間を縫うように擦り抜けた矢だけが反乱軍の元に届くのだった。多くの矢が無効化される一方で、反乱軍の左翼を担当するミロスラフ部隊の頭上に張られる魔法の壁は極端に数が少なく、他の師団より被害が大きくなっていた。

 「怯むな!! 前に進め行くぞ!!」

 ミロスラフは矢を切り払いながら味方を鼓舞し、部隊の速度を上げる。帝国軍側の右翼、つまりミロスラフの部隊と対峙したファビアンはその弱みに気づいていた。

 「敵の魔術部隊の被害は深刻なようですね。部隊を下げながら距離を取って戦いたいところですが、軍全体の陣形を崩すわけにもいきません。今のうちに出来るだけ弓矢を射ちなさい」

 帝国軍の弓矢の射程圏内に入った反乱軍が間合いをさらにつめると、今度は反乱軍が帝国軍に向かって魔法による反撃をはじめる。帝国軍も対抗して障壁を張り、魔術と矢で応戦するが、過去の戦いで受けていた魔術部隊の被害は相当深刻なもので分が悪かった。

 「全軍突撃!! 火の玉を食らって死にたくなければ、距離をつめろ!! 敵にはりつけ!!」

 アンドレアスはファビアン以外の部隊の状況が良くないと判断すると、すぐに全軍に突撃の命令を発した。混戦になればあまり射程の長くない強力な魔法を撃つ事は、味方を巻き添えにする危険がある為できなくなるのだ。

 帝国兵の突撃に合わせ、反乱軍も一気に前進し、両軍が激しく衝突する。


「おっ、始まったみたいだな、ジェイド」

 坊主頭の巨漢の男は戦い始めた帝国軍を前方に眺めながら、呑気な声で白髪の男に話しかけた。

「ああ」

「しかし、俺達がこんな場所で待機とはねぇ。暇で、暇で仕方がないぜ。敵に討たれる前に退屈すぎて死んじまいそうだ」

 そう言って男は大笑いする。

「心配するな、トンボ。必ず出番はくる」

「なんだぁ、戦争狂のお前にしちゃあ、えらく落ち着いてるな。てっきり殺したくて、殺したくて、我慢できずに発狂でもしだすかと思ってたんだがな」

 そう言ってトンボは再び豪快に笑った。

「あぁ、殺したくて仕方がない。だから我慢するんだよ」

 ジェイドは冷たく言い放ちながら、不気味な笑みを浮かべる。

「何が言いたいのか、よくわからんが、難しい事を考えるのはお前に任せるぜ。それより、アレ見ろよ。おっさんも相当焦ってるみたいだぜ」

 ジェイドがトンボの指差す方を見てみると、苛立ちを隠せず動き回りながら戦況を見守るガエルの姿があった。

「師団長殿、そんなに焦らずとも、必ず我々の出番はきますよ」

 ジェイドはガエルに近づき声をかけた。

「何を呑気な事を言ってるんだ。貴様とて、このまま戦果を上げれなければ、ただではすまぬぞ!!」

 ジェイドはガエルの率いる第二十師団所属の第四二〇旅団の旅団長であり、フィリップやホルガー達は彼の同僚になる。フィリップやホルガーの動きを察知できなかった責任はジェイドにもあるとガエルは言いたいようだった。

「私もですか、それは困りましたね」

「冗談で言ってるわけではないぞ」

「わかっていますよ。安心してください、好機は必ずくる。そして、その時には戦況を決定付ける仕事をしてみせましょう」

「えらく自信だな」

「結果は常にだしてきました。その事は師団長殿も重々承知のはず」

 ガエルはどこか生意気なこの男の事は気に入らなかったが、戦場での活躍は認めており、自身が追い込まれている今回の状況を打開するには必要な人間であると認識していた。

「ふん、口だけで終わる事のないようにな」

 そう吐き捨てるように言うとガエルは視線を再び戦場の方へ向けた。


 金属音と兵士達の怒声が戦場を飛び交い、鮮血が宙に舞う。

「一歩も退くな!! この戦の勝敗はお前達にかかっている。逃げ出すような醜態、俺に見せてくれるなよ!!」

「オーー!!」

 ミロスラフが馬上から檄を飛ばし、兵達がそれに応える。ミロスラフ自身も先頭に立って戦い、敵兵を自慢の槍で次々と薙ぎ払う。序盤こそは帝国軍の弓矢による攻撃で損害を受け、不利な状況であったが兵達の奮戦によって次第に好転しはじめる。逆に押され始めたファビアンの兵達には焦りが生まれ、状況は余計に悪化していった。そんな中、一人の若い兵士が息を切らせながらファビアンの元に駆け寄る。

「報告!! やはり相手はミロスラフ様の部隊のようです。前線に立って戦っている姿が確認されました」

「やはり、そうでしたか。オイゲンの三弟……、やっかいな相手にあたりましたね。しかし、相変わらず無茶をする男だ」

「どうなさいますか」

「どんなに優れた将も、所詮は人の子。優秀な部隊も将を失えば、ただの烏合の衆。ミロスラフを狙いなさい!! 彼の首をあげた者には陛下から莫大な報奨が与えられるでしょう」

 ファビアンはミロスラフの師団の強さは十分に理解しており、同時に彼らの弱点もわかっていた。先頭に立ち戦うというミロスラフの行動は、兵士達の結束と士気を高め、彼の部隊を強力なものにしている一つの要因であったが、一軍の将を失う危険を常にはらんでいた。そこに大きなチャンスがあると考えていたのだった。

 だが、指示を受けた何人、何十人という兵士がミロスラフを討たんと飛びかかっていっても、馬上から引きずり落とす事すらできなかった。

「ば、化け物だ……」

 若い帝国兵が仲間の兵士に声を震わせながら言った。

「俺達、新兵ごときがあんな奴に勝てるわけなかったんだ。あ、あれを見ろよ」

 ミロスラフの槍や鎧だけでなく馬も何人もの男達の返り血で真っ赤に染まっている。

「悪魔だよ、あんな事ができるのは悪魔に決まってる!!」

「落ち着け」

 恐怖のあまり精神に異常をきたす仲間を落ち着かせようするが、効果はない。瞳孔が開き、震えが止まらないでいる。

「殺される!!」

 既に戦意を失った若い兵士にミロスラフが気づく。ミロスラフは馬をその兵士の方へと向け一気に突進する。

「うわぁぁぁぁ」

「くそっ!!」

 まだ戦意の残ってる男の方はもう一人を庇うように立ち剣をかまえる。だが、ミロスラフが槍を一突きすると呆気なくその男の心臓は貫かれ、そのまま横に薙ぎ払うようにすると怯えて立ちすくむ男の頭蓋骨を粉砕した。

「っち、これじゃあいくら倒してもきりがない。ハンスの奴は何やってんだ、急いでくれないとちょっとまずいぜ」

 ミロスラフは息をきらしながら呟いた。


 ミロスラフとファビアンの戦いの丁度反対側ではハンスとベルントの部隊が戦っていた。

「ちょこまかと鬱陶しい奴等だ」

 ベルントはハンスの騎兵部隊に手を焼いていた。帝国兵達の間を縫うようように駆け抜け、戦線離脱と攻撃を繰り返すその様は芸術的なもので、なかなか捉える事ができない。

「無駄に深追いするなよ!!」

 ベルントは兵達に大声で指示をだす。騎兵部隊を追いかけようとして、これ以上陣形を崩すのは自殺行為であったし、例え深追いさせて捉えたとしても未熟な新兵や頼りにならない貴族の兵では返り討ちにされるのが関の山だと考え、敵の騎兵部隊の相手に兵を割くよりも、前方の歩兵部隊への攻撃に集中する事にした。

 だが、なかなか押し切れない。数で勝っていても訓練不足の兵ではどうしてもバラバラの攻撃になってしまい、その優位さを活かせないのだ。それはベルントの部隊だけでなく、他の帝国軍部隊も同じだった。

「こんなやつ等に何を梃子摺っている!! 貴様らそれでも栄えあるオートリア帝国軍人か!!」

 ベルントが発破をかけても効果はでない。一進一退の攻防が続き、両軍の兵の屍の数だけが増えていく。

「くそ、何か手は無いものか……。ん」

 考え込むベルントがハンスの部隊の異変に気づく。徐々にではあるが後退しはじめ、明らかに前線で戦う兵士の数が減っている。

「ついに兵が尽きたか。よしこれはいけるぞ」

 ハンスの騎兵隊が正面から再び突撃してくる。

「構うな!! 前方の敵にだけ注意しろ!!」

 ハンスの騎兵隊が部隊の正面から入り側面へ抜け出た瞬間、ベルントは大声で叫ぶ。

「今だ、一気に押し上げろ!!」

 ベルントの叫び声がすると、太鼓の音が鳴り響き、兵達が雄叫びをあげ雪崩のようにハンスの部隊へと押し寄せた。

「いける!! 押せ、押せぇ!!」

 ハンスの歩兵隊の陣形は崩れ、後退をはじめる。

「勝った……」

 自身も前進しながら、ベルントはこの戦いの勝利を確信していた。

「釣れそうか?」

 グリードは雪崩を打って押し寄せようとする帝国軍を見ながらオイゲンに尋ねた。

「ええ、そろそろいいでしょう」

 オイゲンはそう言うと近くにいた男に合図を送った。すると男は空に片手を掲げ、呪文を唱え始める。

――ヒューー、ドン。

 火球が男の手から打ちあがり、大きな音をたててはじけた。それを合図に反乱軍の右翼側、ハンスの部隊は後退を停止する。それだけではない、丁度停止した部隊の後ろに伏せていた兵達が立ち上がり前線に加わっていく。

「っな、何だと伏兵か!!」

 ベルントは一瞬その出来事に動揺する。

「正面に兵を加えようと押し込む形になっているのは変わりない。焦る事はない、このまま押し潰せ!!」

 勝てるという思い込みがベルントの瞬時に冷静な判断を下す力を奪っていた。明らかに反乱軍に誘い込まれているという状況なのに、何の策も打とうしない。だが、もし冷静に判断できていたとしてもすでにこの状況で打てる策などなかったのかもしれない。

 帝国軍を包む空気の流れが変わる。魔術師でなくとも、魔術の資質を持つ者達はいち早くその異変に気づいた。自分達の頭上で恐ろしいものが生まれようとしている。

「ま、まずい!!」

 ベルントの表情が青ざめる。

 獣が唸る様な低い音、大きな爆発音、何かを切り裂くような風の音。様々な産声を上げ、それらはベルントの部隊の頭上に現れた。

「障壁を張らせろ!!」

 慌てて指示をだそうとするベルントであったが間に合うわけもなかった。上空から長時間魔力を練る事によって生まれた強力な魔法が降り注ぐ。それらは燃え盛る火炎の雨であり、すべてを切り裂くカマイタチであった。巨大な火の球が、魔力で作られた無数の矢が兵士達を襲う。ベルントの魔術部隊も急いで魔力の障壁を張ろうとするが、押し込もうと突出した歩兵達をカバーするには距離があきすぎ、自分達の身を守るの精一杯であった。さらに移動中であった為、十分な魔力を練られず、障壁自体も脆いものしか作れない。

 あっという間の出来事であった。多くの人間が一瞬のうちに屍に変わり、混乱する新兵達は前線から離脱しようと勝手に後退しはじめる。

「馬鹿者めが!! 無理に下がれば余計に被害がでるだけだぞ!! 前の敵にはりつけ!!」

 ベルントの怒声も混乱する兵達の声にかき消される。後退しようと最前線をはなれた兵は次々と反乱軍の魔法攻撃の餌食になっていった。

「よし、今がチャンスだ!! 突撃開始!!」

 魔法による攻撃が終わった瞬間、ハンスが部隊に指示をだした。押し込まれていたハンスの部隊が反攻にでる。歩兵部隊が前線を押し返し、騎兵部隊は再び側面から攻撃を加え敵の魔術師部隊に襲いかかる。ベルントの部隊は崩壊し、組織として動く事ができない状態に陥っていた。

「くそぉぉぉ!!」

 ベルントは馬上で絶叫した。彼のまわりにいた兵達のほとんどは討たれ、反乱軍の兵で溢れかえっている。突進してくる反乱軍の中に、馬に乗った一人の男の姿をベルントは捉えた。

「ハーーンス!!」

 ベルントは反乱軍の兵を次々と斬り捨てながらハンスに向かって突き進む。ハンスもベルントに気づき剣を馬上で構えた。

――キーン。

 お互いの剣がぶつかり音をたてると、ベルントはバランスを崩し、馬から転げ落ちた。そのまま無視して先に進もうとするハンスをベルントは呼び止める。

「逃げるな小僧!! 貴様のような若蔵、この俺が!!」

 その声を聞き、ハンスは再びベルントの方へと馬を向ける。すでに勝敗は決したこの状況で、ハンス自身がベルントと戦う必要性などありはしなかった。だが、かつては師であるオイゲンと共に戦い、帝国を守ってきた男に対しての手向けとして、そして自分の騎士としての誇りをかけてベルントの勝負を受けてたつ事にしたのだった。

――キーン、カキーン。

 ベルントの攻撃は巧みに馬を操るハンスによってすべて流される。攻撃が当たらないのはハンスの巧さだけのせいではなかった。老い始めていた肉体が、自分の思い描くイメージについていけない。それは戦場で数々の敵を打ち倒す事でここまでのし上がってきた男にとって耐え難いほどの屈辱であった。

「こんなガキに、この俺が、この俺が!!」

 いきり立った所で何の効果もない。

「冷静にだ。冷静に」

 気持ちを落ち着かせハンスの馬の動きに集中する、確実に馬をし止め、ハンスを馬上から引き摺り落とす事を狙う。

「ここだ!!」

 馬の足を思いっきり切りつけるベルント。手には肉を切り裂く感触が確かに伝わってくる。馬は鮮血を飛び散らしながら悲鳴を上げ倒れた。しかし、鮮血を飛び散らしたの馬だけではなかった。馬から飛び降りるハンスにベルントの背中も斬りつけられたのだ。

「く、くそぉ」

 背後を取られ慌てて、ハンスの方のへ向きなおろうとするベルント。

「ご覚悟!!」

 一瞬の隙をついて襲いかかるハンスの攻撃になす術も無く、ベルントの首がはねられる。それが、オイゲンの栄光の影に甘んじ続けた男のあっけない最後であった。



 ベルントの部隊の壊滅は帝国全軍に影響した。ベルントの穴を埋める為に隣のピオトルが兵を割かねばならず、ピオトルが押されはじめると今度はその隣のアンドレアスがピオトルを支援しようとするという悪循環に陥りはじめたのだ。さらに反乱軍は全面的な反攻を開始する。特にミロスラフの部隊の攻勢は非常に強いもので、ファビアンの部隊もかなり危険な状態に追い込まれていた。

「馬鹿共が、最初から俺がでてればこんな事に成らずに済んだものを」

 崩壊し始める帝国軍を見ながらガエルは吐き捨てるように言った。

「ジェイド、貴様はベルントの尻拭いをしてやれ。俺はファビアンの方へ行く」

「私がベルント殿の?」

「不服か?」

 常識で考えれば、一旅団にすぎないジェイドの部隊にベルントの部隊の穴埋めなど到底できるものではない。

「いえ、そうではありません。ここでベルント殿の失態を帳消しにする活躍をすれば陛下も喜ばれるはず。てっきりガエル殿が直々に向かわれるかと思ったのですが」

「その素晴らしいチャンスの場を貴様に譲ってやろうというのだ。感謝しろ」

 そう言うとさっさとガエルは自分の部隊に指示だし始め、ファビアンの支援に向かっていった。

「おっさん、逃げやがったな」

 トンボが移動していくガエルの兵達を見ながら言った。

「まぁ、構わないさ」

「なんだ、えらく余裕だな。勝算でもあるのか?」

 トンボの疑問にジェイドは何も答えず、にやりと笑うだけだった。


「おらぁ、急げ、急げ」

 トンボは戦場に向かう兵達に向かって声を荒げた。

「しかし、よぉ。ここは素直に撤退した方がいいんじゃねぇか?」

 特にまわりの事を気にするわけでもなく、トンボは大声でジェイドに尋ねる。

「どうした、お前にしては弱気だな」

「オイオイ。弱気も何も、この状況じゃどんな馬鹿でもヤバイ事ぐらいわかるぜ」

「安心しろ。俺は負け戦をするつもりなんてさらさらない。……この辺りでいいか」

 突然、ジェイドが兵達の進軍を止めた。

「何だ、早く行かねぇと余計まずい事になるだろ」

 トンボがジェイドの行動に不服そうな顔をする。

「なぁ、トンボ。お前は義理だとか、忠誠心ってのをどう思う」

「何だ、急にへんな事言い出して」

 戸惑うトンボを見るジェイドの目は真剣なものだった。

「まぁ、食えもしねぇし、何の役にもたたねぇもんだ。そんなもの俺にはいらねぇな。そんな事、お前がよくわかってるだろ。いざとなれば、お前をぶち殺す事だっていとわないぜ」

 トンボが豪快に笑う。

「ああ、安心した。それでいい」

「ジェイド、何を考え……、お前まさか」

 鈍いトンボもジェイドの真意にようやく気づく。

「言ったろ、俺は負け戦をするつもりなんてないと」

「ハッハッハ。そうか、そうりゃあそうだよな。どうせ暴れるなら、勝って旨い思いをしないとな。クック、こりゃあ傑作だ」

 筋肉質な巨体を揺らしながら大男が笑う。

「で、どうするんだ」

「どうせ、殺るなら一番いい首をあげる」

「そうこなくっちゃな」

 トンボは満面の笑みで頷いた後、兵達に向け大声で話しかける。

「おい、野郎共、ジェイド様からありがたいお話がある。耳の穴かっぽじって聞けよ」

 ジェイドは改めて自分の兵達の顔をみた。

 見慣れた顔が多く、それは敗戦を重ねてきた他の帝国軍の部隊ではまずない事だった。

 ジェイドの部隊の強さの要因は単純なものである。力、ただそれだけが彼らを数々の戦場で勝利へと導いたのだ。部隊の中には出自の怪しい者や、犯罪者で逃亡の身の者など普通、兵士になれないような男達が大勢いた。ジェイドは単純に人殺しの技術だけを見込んで彼らを受け入れたのだ。だが、彼らを兵士にしても並みの人間では統率する事などできはしない。ジェイドの持つ絶対的な力が彼らを従わせた。彼らの間に信頼や友情などありはしない、ジェイドに対する本能的な恐怖と戦場で獲られる殺戮での快楽や活躍に対する見返りが彼らの間にある種奇妙な絆を生み、部隊として機能する事を可能にしたのだった。

「よく聞け、お前達、私はこの戦いに勝利するのは反乱軍だと考えている」

 兵達がどよめく。

「おらぁ、うるせぇぞ!!」

 トンボが一喝し、兵達を黙らせると、ジェイドは話を続けた。

「何度でも言う、この戦いに勝つのは反乱軍だ。帝国軍は負ける」

 再び騒がしくなる兵達。

「おいおい、狂乱の貴公子様もついに怖気づいたのか?」

 近くの仲間とコソコソと話す男の言葉をジェイドは聞き逃さなかった。ジェイドはその男を睨みつけながら男に近づいていく。ジェイドに気づいた男は、しまったという表情した後、目を伏せながら自分の身の安全を神に祈りはじめた。

「あーあ。あいつ、終わったな」

「ご愁傷様」

 まわりの兵達は男と露骨に距離をとり離れようとする。

「俺が、怖気づくだと?」

 ジェイドは冷たい声で男を責めるように話かけた。

「い、いえ……」

 震える声で精一杯に答える男の表情にはすでに生気がない。

「俺はな、お前らみたいな能無し共のためにも、勝てる戦ってのをしてやってるんだ。現に今までお前らゴミ共にも旨い思いをさせてきてやっただろ。ちがうか?」

「ち、ちがいません」

 男は泣きそうになっている。

「その俺が、冷静に考えてこの戦いは帝国軍の負けだと判断したんだ。それを言うに事欠いて怖気づいただ? そんなに帝国兵として死にたいなら、俺がこの場で殺してやる。いや、お前一人で反乱軍に挑んでこい」

 ジェイドには既にいつもの落ち着いた雰囲気などない。獲物を見つけた獣のような、いや、それ以上の狂気が彼を覆い、駆り立てている。

「お、お許しを」

「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」

 冷たく言い放ち、ジェイドは命乞いする男の剣を抜き取ると、そのまま素早く心臓を一突きで貫いた。

「ゲ、ゲフォ」

 男は血を吐き、倒れ絶命する。

 一連のやりとりを見ていた兵達の大多数は、この光景に慣れきっているのか特別慌てる様子もなかったが、配属されてきたばかりの新兵達は噂で聞いていただけのジェイドの恐ろしさを目の当りにして、肝を冷やした。

 顔についた男の返り血を拭うと、ジェイドはいつもの落ち着いた調子に戻り、話を続けた。

「勝つのは反乱軍だ。だが、私は負ける戦などするつもりはない。もちろん、戦わず逃げ出すような馬鹿な真似もしない。どうするか……、簡単な話だ、私達は反乱軍側につく」

 このジェイドの宣言に普通の部隊なら再び騒がしくなるものだろうが、さきほどのやりとりを見ている兵達はただ黙って話を聞くしかなかった。

「頭を使え、どうすれば自分達にとってプラスになるか。……忠義、そんなものの為に私は無駄死にする気はない。第一、考えてみろ、現帝であるバスティアンは実の兄であるイェンスを殺して今の地位についた屑だ。そんな男の為に命をかけるのか? 奴の圧政を助ける為に死ぬのか?」

 バスティアンが兄であり、先帝だったイェンスを殺した。もちろん、そんな証拠はありはしない。だが、イェンスの急死の原因はバスティアンが何か謀ったからだと、多くの人々は考えていたし、それは帝国臣民の間では暗黙の了解のようなものとなっていた。

「私達は命をかけて戦場で戦っているのだ。その働きには当然の対価が支払われなければならない。だが何もそれをバスティアンから得る必要はないし、あの男はもう終わりだ。戦って負けて何も得れない、そんな馬鹿な話を良しとするほど私達は愚かではないはずだ。お前達の中には裏切り者と人々に後ろ指をさされるのを恐れる者もいるかもしれない。しかし、裏切り者と呼ばれるべき存在は誰なのか、それは私達か? それとも反乱軍か? 違う!! 実の兄を殺し、のうのうと皇帝の地位につき、踏ん反り返る男こそがそう呼ばれるべきなのだ。奴は反乱軍を賊だというが、その蔑称はあの男にこそ相応しい。大義名分は反乱軍にあり。何も恥じる必要はない、私達はあの丘にいる賊を討ち、真に相応しい皇帝の即位を手助けし、大手を振って帝都に帰還する」

「オー!!」

 多くの兵達はジェイドに賛同の声を上げた。誰もバスティアンを慕う者などいやしないし、もとより、ならず者の集まりのような部隊なのだ。忠誠や義などとは程遠い存在であり、反乱軍側に寝返る事に戸惑いを覚える者などほとんどいない。一部の配属されてきたばかりの新兵も完全にまわりの雰囲気に呑まれている。

「全軍反転!! 敵はあの丘にいる賊だ。賊を討った者には新皇帝から莫大な報酬が与えられるぞ!!」

 ジェイドの部隊は来た道を戻りはじめる。兵の間にはもう躊躇いや不安などありはしない。必ず負ける戦から必ず勝てる戦に変わったのだ。ただ無惨に殺される為に歩を進めるのではなく、莫大な報酬を得る可能性すらある今のこの状況に兵達は興奮していた。

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