震動
暗闇が全てを覆う世界の中に、うごめく影がいくつもあった。暑苦しく窮屈な空間にそれらはあり、日常とはかけ離れた場所に彼らはいた。
ここに朝は訪れないであろうし、夜もまたなかった。
常人には、この場で長く過ごす事などできはしない。彼らがここにいるのは与えられた使命をまっとうする為である。
彼らはただひたすらにその時を待った。それが短いものだったのかあるいは長いものであったのか、彼らには判断つかぬ事である。
何故なら闇はその感覚すら狂わすのだから。
「本当に奴らはきてるのか?」
影が別の影にむかって何かを確かめようとする。
「俺が知るかよ」
「もうだいぶ時間が経っているだろ」
「だからそんな事、俺がわかるかよ!!」
影は何かに苛立ち。影は影に苛立った。
彼らは待っていた、ただひたすらに。
「そろそろだ」
また別の影が呟いた。
「何でわかるんだよ」
「そんな気がするんだ」
影の予感が的中する。
突如ゴオオっと地鳴りがし、世界が震動した。
「来たぞ」
「来たぞ」
「出番だ」
影が、いくつもの影が闇の中で興奮し叫んだ。
使者の要請を受けて目的地を変更したロマリア軍であったが、無論、何の障害もなくそこまで進めるわけではなかった。
進路を変えたロマリア軍を追跡しようとノード城から帝国軍部隊が出てきたのだ。
数で圧倒するロマリア軍は野戦にさえ持ち込めばその程度の敵は粉砕できるのだが、迎え撃とうにも追跡してくる部隊には戦闘を行う意志は無く、ただ執拗に後を追ってくるばかりであった。
敵軍の追跡を妨害する為にローラントは後方にいくらか大きな部隊を置く事にする。それは戦力分散を行うという事になるのだが、適切な規模ならば、本軍が接敵した時に包囲されてしまうという危険性を大きく下げる事ができるという判断のもと実行された。
部隊の規模は一万人近く、つまり本軍約五万八千、距離をおいて後方に約一万。それらの大軍がシチニ街道を通り公国へと向かう形となる。
シチニ街道は帝国と公国とを結ぶ街道の中でも最も頻繁につかわれるものであり、他に比べ道幅が広く、短い距離で安全に目的地へと目指せるルートだった。
行軍に際しても有用なこの道を、公国の救援にと急ぐロマリア軍が使用するのは至極当然で、万人が予想できる事でもあった。
そんなシチニ街道には途中、帝国領側の国境地帯においてヒミリ森林が存在していた。この森は凶暴な魔物こそでずに獣がいくらかでる程度であったが、なかなかに規模の大きなもので兵を隠すに適した場でもあった。
当然ローラント達は警戒する。
斥候を放ち、丹念に森を調べさせながら進んだが帝国軍の姿を見つける事はなかった。
それでもなお警戒を怠らずに進んでいき、もう森を抜けようかという時になって、彼らの眼前に街道を挟むようにしてそびえ立つ小高い丘が現れる。
ローラントは兵を隠すのならば、まずそこであろうと考え、念入りにその丘を調べさせたのだが、戻ってきた斥候の報告は意外なものだった。
「帝国軍を発見いたしました!! この森を抜けた平野にて公国軍と交戦中のもようです!! 敵軍の規模はおそらく一万ほど、公国も同程度であるかと思われます。丘に敵兵の姿はありませんでした!!」
何という天命か、背を向けた敵軍がこの先にいるというのだ。
周りの者が興奮気味に王に言った。
「陛下、これはチャンスです」
誰でもわかる事だった。わずか一万の敵軍が交戦しながら背を向けてるのだ。
しかし、王は諸手を挙げて事態を喜びはしなかった。上手く事が行き過ぎているのが不気味だったのだ。
それに、ここはまだ端といっても帝国領土内であり、追い込まれたはずの公国軍が反撃にでたとしてもうここまで追い返したというのか。あるいは何らかの事情でここに孤立していたのだろうか。釈然としないものが彼の心の内に残る。
それでも、攻撃の命令を王は出した。
森にも、道の両脇にあるあの丘にも敵はいないのだ。敵がいるのは前方の平野。それで他に何を警戒すればよいというのか。
部隊は行軍速度を上げ森を抜け、わらわらと前方の平野へでていく。
帝国軍もとっくに彼らの存在に気付き、大慌てしているだろう。ロマリア軍の兵士達はそう想像していた。
半分ほどだろうか、それほどの数が丘を横切り、平野へとでた頃にそれは突如として訪れた。
――ガタガタガタ。
一度大地が小刻みに揺れた。それが始まりの合図である。
――ゴォオオオオオ。
今度は大きく大地が揺れた。
激しい地鳴りを立て、大地が裂ける。
裂け目は街道を切るだけでなく木々をも飲み込み、森の奥へと続くような大きなものだった。
「うわあああ」
「なんだあああああ」
次々と人がその裂け目に飲まれていく。
「ぎゃあああ、たすけてええぇ」
裂け目に落ちずにすんだ者達も激しい揺れに立っておれず、地面に倒れこんだ。
「何だ、何だ」
突然の地震にロマリア兵達は騒然となる。
巨大な裂け目に部隊は分断されてしまい、一時的な混乱にロマリア軍は陥った。
本軍の前方で指揮を執るアーノルドのもとにも地震での被害の知らせがすぐに届いたが、アーノルドは部隊をそのまま進めるよう指示をだした。
「かまうな。救助は後方の部隊に任せておけ!!」
ここで部隊を止めているわけにはいかない。もう目の前に敵がいるのだ。ここで引き返しても助けられる数などしれているし、どれだけ時間がかかるかもわからない。
本隊が裂け目によって約半分に分断されてしまったとしても、二万以上の兵達がいる計算になる。
それだけいれば、おそらく一万ほどの敵軍を後方から討ち破るのにそう手間はかからないはずである。結局前方の敵軍を速やかに殲滅する方が多くの者を救う事につながるのだ。
だが、その指示をだして幾ばくかもしないうちに新たな報告が彼のもとに入ってくる。
「敵が反転してこちらに向かってきます!!」
その報にアーノルド達は驚愕した。
帝国軍の前方にいる公国軍も約一万、後方のロマリアを相手にするよりも強引に前を押し崩し、戦場からの離脱を図る方がまだ懸命な選択である。
何故、帝国が強引に反転しロマリア軍に挑もうとしているのか。その意図を瞬時に理解できたものはロマリア兵の中にはいなかった。
前方にも異変が起こり始めた頃、裂け目の辺りでは必死の救助作業が始まっていた。
「早く助けろ!!」
裂け目に飲まれそうになっている男が、わずかなでっぱりに掴まりながら叫ぶ。
「今助けるぞ!!」
男に気付いた兵士が引き上げようとその手を伸ばした時、森の奥から何かが飛んできた。
――ボーン。
何かは兵士の体を直撃し、彼は火だるまになってそのまま男より先に裂け目へと落ちていく。
その光景を見た兵士達には何が起こったのか、何が起きようとしているのか理解できなかった。
正常に頭が働くよりも先に、無数の新たな凶器が彼らへと襲いかかる。
「なんだ!!」
「うわあああああ!!」
あちらこちらで小規模な爆発が起こり、鮮血が飛んだ。
「な、て、敵襲だぁああああ!!」
隊列のどこかで叫ぶ声がする。
「何だって!!」
ロマリア兵達は自身の目を疑った。いつまにか、右手にある木々の奥にそれがいたのだ。
矢を放とうと弓を構えた幾人、幾十、幾百者もの帝国兵がそこにはいた。
「放てぇぇぇぇ」
帝国軍の部隊長が命令を出すと、帝国兵達は一斉に矢を放つ。無数の矢が木々の間を風を切りながら飛んだ。
唖然とする者、覚悟を決めた者、救助しようとしてる者、地面に今なお飲まれようとしている者。その誰もに等しく無差別にその矢が降り注ぐ。
「ぎゃああああ」
「うわああああ」
ロマリアの兵士達が次々と矢に倒れる。
救助活動で隊列が崩れているところに、いきなり敵が現れたのだ。
魔術師達が魔法の障壁を張る時間などなかった。
「くそ、斥候の奴等の目は節穴か!!」
いくら視界の悪い森でもこれだけの数の敵を見逃すなど通常はありえない。
だが仲間の失態と考え、それを責めたところで事態が改善されるわけでもなかった。
「急げ!! 障壁を張れ!!」
次の攻撃は何としても防がねばならない、ロマリア軍の部隊長が魔術師達に命令を飛ばした。
「放てぇぇぇ」
魔術師達が障壁を張るよりも早く、帝国兵の弓から矢が再び放たれる。だが、その矢が目標物に届く前に障壁の魔法が発動した。
――バチーン。
雷、火、水に地。多彩で統一性のない障壁が次々と発動し、矢を弾く。
「間に合った!!」
誰かが歓喜の声をあげた。
「放てぇぇぇ」
帝国軍が障壁にも構わず、攻撃を重ねる。今度は矢だけではない。攻撃魔法も発動され、それらは木々を薙ぎ倒してロマリア兵達に襲いかかる。
――ドーン。
爆音がし、空気が揺れる。
――バリバリ、バチーン。
石や氷の凶器が砕け、雷撃が弾かれる音がした。
障壁は帝国魔術師達の攻撃になんとか持ち堪えている状態だった。
いつまでも、この街道で固まって敵の攻撃に耐えているだけにはいかない。
「反撃だ!!」
ロマリア兵達が武器を構え、敵に向かおうとする。魔法使い達も守勢一辺倒ではなく反撃の魔法を発動させようとした。
「ぎゃあああああ」
だが、再びロマリア兵が絶命していく声をあげた。
「何だ。うわ!!」
張られた魔法の障壁、そのまったく反対側から新たな敵の攻撃があったのだ。
「何故、こっちにも!!」
右手側に出現した帝国兵達と同じように左手側の森からも突如として現れた敵の姿があった。
同じ様に無数の矢と魔法攻撃がロマリア兵に襲いかかる。
氷の刃が木々を切り飛ばし、肉を裂いて、大地に突き刺さる。
炎の爆発が動揺する兵士達を吹き飛ばす。
致命的と言える一撃だった。
ロマリアの魔術師達は最初に現れた帝国兵の攻撃を防ごうと距離を取り、障壁を張っていたのだ。
つまり、左手側。今受けた攻撃の最前列となる場に多くの魔術師が無防備とも言える状態でいた事になる。
魔術師は攻防の要であり、それを失うはあまりに大きな痛手だった。
「どっから出てきやがった!!」
まさに混乱としか言いようがない状態にロマリア軍は陥る。隊列は乱れ、どう守り、どう攻撃すればいいのか判断できない。
このような絶望的な事態に陥っていたのは、何も裂け目付近の部隊だけではなかった。
街道を挟むように森からは次々と帝国軍が姿を現し、ロマリア軍のほぼ全ての部隊が突然の挟撃に曝されていた。
ただひたすらに左右から飛んでくる攻撃に嬲り殺されるような地獄。この戦場はロマリア軍にとって、まさに地獄へと変貌する。