敗軍の将
勝敗は決した。
ガエルのもとにスタールとギンが戦死したという報が届いた時、彼は自身の命脈が尽きた事を悟った。
「どうするんだ!!」
公国正規軍総大将トレントは大見得を切って傭兵達を動かしたガエルを責めるように問いただす。
現状の戦況は反転攻勢にでた公国軍が帝国を押し込んでおり、一見公国有利というものであった。
だが、三枚の切り札のうち二枚が無力化されたとなれば、いつ帝国側に戦況が傾いてもおかしくはない。それどころか、兵士の質を考えればそうなる事は必然であった。
「どうもこうもない。このまま押しきる」
「無茶だ。こちらにはこのまま敵を押し切るだけの力はない。それどころかじきに押し返されはじめるぞ!!」
「言っただろうここで勝つ必要があるのだと。撤退させたいのか? 退かせてどうするつもりだ。籠城でもするのか? してどうなる。してどこを守る、何を守る。ここで敵軍を破らねば貴様らの焼かれる街が増えるだけだぞ」
「それは……」
まるでガエルは彼の作戦には非がなかったかのようにトレントに対して強い口調で言った。
トレントは答えに窮する。
「だが、何か……」
「何か? 貴様にできる事はせいぜい神に祈る事ぐらいだ」
「言わせておけば」
ガエルのさすがの言い様にトレントもついに激怒する。
だが、そんな彼を無視するかのように振る舞い、ガエルは自身の馬を呼んだ。
「オイ、聞いているのか!! もとはと言えばあんたが勝手に……」
ガエルは理解していた、この戦に勝ち目がなくなった事を。しかし、軍を退かせるわけにはいかなかった。
この敗戦の責任は間違いなくガエルにある。逃げ帰ったところで傭兵軍の大将としての任を解かれる事は間違いなく、それはガエルにとって死と同等の意味を持った。例えこの場から逃げおおせようと前回の反乱軍戦と違い再起する為の舞台はもうないのだ。
だとするならば、今この男に出来る事は自分をこのような状況に追い込んだ者への復讐、ただそれだけである。
たった一人の人間を殺す事が目的となった今の彼にとって、もはや帝国と公国との戦いの結末に意味はない。
「どこへ行く!!」
トレントは馬に跨り陣を離れようとするガエルを引き止める。
「最初から間違っていた。俺が直接動けばこんな事にはならなかったのだ」
「馬鹿な事を。あんたが一人でたところでどうにかなるもんではないだろう」
「どうかな、貴様らが頼りにならんから俺がでる必要があるんだ」
戦況が悪化していくのを変える事は出来はしないだろう。それでも目的の人物を抹殺する為にはガエル自身が動くしかなかった。
――ドーン。
突然前線で大きな爆発が起こる。
それは最後の切り札であるゴールがいるであろう場所であった。
急がなければならない、時間が過ぎるほどにガエルにとっての目標達成が困難になるだけなのだから。
「チッ、とにかく俺はでる!!」
「待て!!」
トレントの最後の制止を振り切るようにガエルは強引に馬を走らせる。
「クソッ、勝手にしろ!! もう付き合いきれん!!」
前線に向かうガエルの後ろ姿を見送りながらトレントは吐き捨てるように言った。
「おい、傭兵共を囮にいつでも撤退できるよう準備しておけ」
「撤退ですか……」
「そうだ。何か文句でもあるのか?」
「いえ」
近くにいた副官に撤退準備の指示をだすトレント。
彼ももうこの戦が負け戦となるであろうという事は理解できていた。
ただ、退かせたところで何か特別な打開策があるわけではなく、それが彼がずるずるとガエルの作戦に付き合わされる事に繋がっていたのだ。
それでもガエルとは違い彼には時間、猶予があった。
この戦の結果はガエルの暴走と呼ぶべき強引な作戦の強行によるものだと主張できるし、この戦場から撤退後に公国軍の独力で帝国軍を押し返せずともロマリアが帝国を破る可能性は十分にある。ここでガエルと共に破滅する必要も義理もなかったのだ。
「傭兵共にはこちらの動きを悟られるなよ」
「はっ」
これから劣勢となるであろう公国軍にとって、金の為だけに働く忠誠心の低い傭兵達は信頼できない。
ならば弱兵であろうと公国領地内に家族を持つ公国正規軍を籠城戦に備えて温存する必要があるとトレントは判断した。
「オリバーの三騎士も残るはオイゲンだけとなるか」
トレントは破滅していく一人の男に世の無常を少なからずとも感じていた。
「そんなに怖い顔しないでくださいよ、前師団長殿」
目前の男のそんな言葉を聞きながら、ガエルは憎しみと怒り増幅させる。だが、彼の中にはそれ以外にも喜びに似た感情が僅かながらも生まれていた。
広い戦場の中でこんなにも早くジェイドを見つけられるとは、まるで抹殺するチャンスを大いなる存在が与えてくれているかのようだったからだ。
「賊上がりの分際で、一端の師団長気取りか。虫唾が走るわ!! キサマのような姑息な奴さえいなければ俺は!!」
「まだ帝国軍の師団長でいられた? フフ、それに何の意味があるのですか。貴方が今のような境遇にあるのは何も私のせいではない。貴方はよくご存知なはずでしょう、この世界には弱い者に生きる資格などありはしない事を。……貴方が弱かっただけですよ、いや弱くなりすぎたのかもしれませんね。でも、同じ事です、もう貴方は必要のない人間だ。だから私は必要のない人間に退場していただくのを少し早めただけ」
「黙れ!!」
「もう終わったのですよ、貴方が生きる事を許した時代が」
そう言いながらジェイドは辺りに転がる遺体から使えそうな一本の剣を拾いあげた。
「ジェイド!!」
ガエルが馬の横腹を蹴り、馬を急発進させる。
――ガキーン。
馬の突進をかわし、さらに馬上から放たれたガエルの剣の一撃を受け流すジェイド。
攻撃を流されたガエルは馬を反転させ、再びジェイドに向かっていく。
――ヒヒーン。
馬が悲鳴をあげた。
ジェイドが突進をかわしながら馬体を剣で切り裂いたのだ。
「もらったあぁ!!」
その隙を付くようにガエルは馬上から飛び降りるようにしてジェイド目掛けて剣を叩きつけた。
だが、その攻撃も避けられてガエルの剣は激しく地面を斬り付ける形となってしまう。
砂埃が宙に舞い、大きく体勢を崩したガエルにジェイドは反撃の剣を繰り出そうとするが。
――ヒュン。
ジェイドの顔先わずかのところでガエルの剣が空を切った。
体勢を崩したまま斬りあげるように放ったガエルの攻撃はそこらの兵士が万全の体勢から放つ一撃よりよほど速いものであった。
「なるほど、これは予想以上だ」
ジェイドの試しているかのような言い方はガエルの不快感をさらに募らせる。
「自惚れるなよ」
一目見た時からガエルはジェイドの事を嫌っていた。それは生理的嫌悪としか言いようがないものである。
自分の部下となってからはジェイドの振る舞い方がいちいち癪に障り、嫌悪感は日増しに強くなった。
それでも、ガエルはジェイドの実力を認めていた。いや、認めざるを得なかった。ジェイドの武人としての実力は彼の存在をどれだけ嫌悪していようが、突出していたからだ。
「それは貴方でしょう」
――カキーン、ガキーン。
何度もぶつかり合う剣と剣。
――ガキーン、カキーン。
ガエルの攻撃はドワーフ達のように重い一撃でありながら、さらに速さも備わっていた。
致命の一撃を受ける事は無かったが、徐々にジェイドが押されていく。
やがて、ジェイドから余裕が消え、狂人の顔が浮かぶ。
「フフ、敬意を表するよ。老いてなお醜く抗うお前の姿には」
そう言ってジェイドが強く念じるとおどろおどろしい魔力が彼を覆い始めた。
それは鼻をつく臭気を放つ魔力だった。
「キサマ、そんな術をどこで」
「知る必要はない。お前はもう死ぬのだから」
ゆっくりとジェイドが踏み出したかのように見えた。
「なっ!?」
だが、彼はそこから驚異的な加速で一気にガエルとの距離をつめると、これまでとは比べ物にならない速さで斬り付けた。
――キーン。
間一髪の所でその攻撃を剣で弾くガエル。
だが、体勢を立て直す間も無く、次の攻撃がガエルの左腕を斬りつけた。
「ぐっ!!」
血が飛び散る。
苦痛に少し顔を歪ませたガエルに対してジェイドの圧倒的な速度での攻撃はさらに続く。
――ヒュン、シュン、キーン。
その全てをぎりぎりの所で避け、流してはいるがいつ次の一撃をもらってもおかしくない状況である。
戦いを優位に運んでいたはずのガエルを防戦一方に追いつめるジェイド。ブラッドマジックによる強化魔法の効果はそれほど強力なものだった。
強化魔法はいつかは切れるものではあるが、それまで守りきれる様子ではない。
「無様だな。三騎士様も所詮はこの程度か!!」
必死で攻撃をかわす、ガエルに罵声を浴びせるジェイド。
「いい加減に理解しろ。弱者であるお前は俺に殺されるだけの存在なのだ!!」
右から左から、上から下から、自由自在に剣を操るジェイドの攻撃が再びガエルの肉体を捉える。
「うっ」
右腕、右足、左足、右肩、左肩。
深い致命の一撃にならずとも、斬りつけられた各所から次々と血が噴き出す。
「アッハッハッハ、踊れ、踊れ。虫ケラの踊りで俺を楽しませろ!!」
小さな虫の羽や足を千切り遊ぶ子供よりも、確かな悪意と強い快楽に溺れるようにジェイドは笑った。
「ほら、ほらどうした。威勢よくでてきてその様か」
もはや勝負になっていなかった。
ジェイドの攻撃を防ぎきるだけの体力はガエルにはすでになく、ジェイドがわざと急所を外して遊んでいる状態である。
必死に攻撃に耐えるガエルの姿は痛々しく、それがジェイドを余計に興奮させた。
「殺してやるよ」
ジェイドが宣言する。
「殺してやるよ。お前もお前の妻も子供も。俺が全部殺して奪ってやるよ!!」
その挑発的で、屈辱的で、醜悪で、おぞましいジェイドの言葉はガエルの鬱積してきた感情をついに真に爆発させた。
「ジェイドォオオオオ!!」
ガエルが馬に乗って現れた最初の時よりも強く絶叫した。
傷だらけとなったガエルの体。その彼の指にはめられていた一つの指輪が叫び声に呼応するかのように輝く。
「くっ」
指輪は強力な魔力を放ち、ジェイドを吹き飛ばした。
吹き飛ばされたジェイドが顔をあげるとその視線の先には指輪から放たれた強い魔力に覆われたガエルの姿があった。
「これは……」
魔力に覆われたガエルの持つ雰囲気、オーラは人としてのそれではなく、獣どころか、鬼と言うべきほどのものに変化していく。
その凄絶な魔力のオーラは、ガエルの持つ真の力を目覚めさせた事を証明するものだった。
「ようやく狂鬼士ガエル様のお目覚めってわけだ」
強力な力を誇示するかのようなガエルのオーラを見てジェイドは喜んでいた。