切り札
「オイ、出番だぞ」
魔術師はガエルからの合図を確認すると傍で座り込む背丈の低い男に話しかけた。男は全身を黒のローブで覆っており、まるで闇夜に同化しているようで視認し辛い。
「見りゃあわかる」
男はゆっくりと立ちあがり、自身のローブに手をかける。
「やっとコイツのお披露目ってわけだ」
嬉しそうな声色で喋りながら男はそのままローブを脱ぎ捨てた。
「クレイグ様の大切な品だ。期待に応えるだけの仕事はしてくれよ」
「安心しろ、傭兵稼業を長い事やってきてるが、払った金貨の枚数に見合わない働きをした事は一度たりともねぇ」
「今回もそうしてくれ」
「ガッハッハ、まかせとけ。……しかし、コイツは本当に商人風情にはもったいない品だな。良い武具ってのはやはり実戦で使わないとな。部屋の片隅に置いて眺めるだけだなんて腐っちまうぜ」
男は身に着けている鎧と手に持つ両刃の斧を見ながら感嘆の声をあげた。
月と前線を照らすために打ち上げられる照明魔法、そして松明。それらからわずかに届いた光が男を赤く燃え上がらせる。
彼が纏う『それ』は炎そのものであった。いや、炎よりよほど神秘的に見える美しさを持っている武具である。炎と違い自ら光を放つ事はないが、わずかな明かるさの中でも十分とその美しさは実感できた。
「さすがドワーフってか」
「ああ。……本当に不思議だぜ。これだけのモノを作る力がありながら、何で俺達の国は滅んじまったのか」
嘆くドワーフの男は髭面の顔半分ほどの部分を除いて、頭から足の先までオリハルコン製の防具で守られている。
この一式を揃えるだけでいったいどれほどの金額がかかるものかドワーフの男には見当もつかない。
「歴史の授業をやる為にここに来たわけではないだろ。合図は既にでてるんだぞ」
急かす魔術師の言葉にドワーフは若干機嫌を損ねながらも、頷き了承する。
「それじゃあ始めるか。魔術師さんよぉ、前線に着くまでの障壁は頼んだぜ」
そして、装備の重さを気にする様子もなくドワーフは前線に向かって走り出したのだった。
ガエルの言う切り札とはオリハルコン装備で身を固めたドワーフの傭兵の事であった。しかも、一人だけでは無く三人もいたのだ。
彼らには防具に加え、オリハルコンの両刃斧、両手剣、メイスのいずれか一つが与えられていた。
これら三人のドワーフ達の装備品はすべてクレイグが長年をかけて集めたものであり、これだけのものは多くの時間と途方もないような大金をかけただけでは手にいれる事はできない。公国の大商人としての人脈があってこそ用意できたものであった。
オリハルコン製の武具を託された傭兵が三人共ドワーフだった一番の理由は装備の重さにある。オリハルコン製の武具は鉄や鋼の装備よりもはるかに重く、全身鎧となると普通の人間ではまずまともに動けない。そこで、人間達よりも筋力に長けるドワーフ達の出番となったわけである。重さだけではなく装備のサイズがドワーフ向けに作られていたものだったという事も大きい。平均な人間の戦士とドワーフの戦士の体型には差がありすぎたのだ。
このようにオリハルコンの全身鎧は装備できる者を選ぶ欠点を持っていたが、その防御力はまさに鉄壁と呼ぶに相応しいものであった。
「邪魔だ!! どけどけ!!」
ドワーフの傭兵スタールは目の前にいる帝国兵を片っ端から斬りつけていく。手に握られたオリハルコンの両手剣は敵を鎧ごと切り裂き絶命させた。
「ギャアア」
「何だよこのドワーフは!! どうしろって言うんだよ!!」
突如現れたオリハルコン装備の敵兵に帝国兵達は恐怖した。
――ガキーン。
「おい……、嘘だろ勘弁してくれよ」
たった一度敵の攻撃を受け止めただけで、自慢の武器も盾も使い物にならなくなっていく。
――キーン。
対して帝国兵の攻撃はオリハルコンの鎧にはかすり傷程度しかつけられない。
「公国の奴等、なんてものを用意してやがる……」
多くの者にとってオリハルコン製の武具など書物や噂話の中、金持ちが趣味で展示する為の美術品という存在であったし、当然の事ながら兵士達もオリハルコン装備の敵と戦う機会など今までありはしなかった。ましてや全身オリハルコンで固めた敵など信じがたいほどの存在である。
だが、現実にその敵が目の前に現れてしまったのだ。
「悪夢だ」
恐ろしいまでに優れたその性能を彼らは今まさに身をもって実感していた。
「剣や槍じゃどうしようないぞ!!」
「魔法だ、魔法攻撃しかない!!」
帝国兵の一人が魔術師の支援を受けようと大声をあげた。
「だめだ!! 俺達にも当たってしまうぞ!!」
それを慌てて別の兵士が止める。
強力な魔法攻撃は前線で戦う帝国兵を巻き添えにしてしまう為、できるわけがなかった。だからといって味方を巻き込まないような弱弱しい魔法ではオリハルコン装備の男に通用するようには思えない。それに、公国軍も魔法攻撃には細心の注意を払っているはずで、下級魔法では攻撃が届く前に男を支援しているであろう敵の魔術師の障壁に阻まれてしまう可能性が高かった。
他にも帝国軍魔術師達の大半はすでに魔力が枯渇してしまっているという問題があった。
一般的に大軍同士の戦闘において魔術師達は最初の魔法戦で魔力のほとんどを消費してしまう。それは味方を巻き込む危険なしに上級魔法を撃てる場面など最初の魔法戦ぐらいしかないからである。
大量の魔力を消費して強力な魔法を敵に向けて放ち、大量の魔力を消費して強力な障壁で味方を敵の魔法攻撃から守る。
そうして、その日使用できる魔力のすべて、あるいはそのほとんどを消費してしまうのは、言わば軍における常識であった。
魔力がわずかに残ってる魔術師達も下級魔法すら無駄に何発も撃てるような状態ではなかったのだ。
「ちくしょう!! じゃあどうすればいいんだよ!!」
絶望したような表情で叫ぶ帝国兵。
「顔だ、顔の部分を狙うしかない……」
スタールの兜はフルフェイスではなかった為に、唯一顔の部分のいくらかは露出させていたのだ。
「そんな無茶な」
「やるしかない、やらなきゃ殺られるだけなんだぞ!!」
「くそおおおお!!」
覚悟を決めた兵士達は次々とスタールに襲いかかる。
――キーン。
――ガキーン。
――カキーン。
だが、彼らの攻撃のすべてはあっさりとスタールの両手剣に阻まれてしまう。
当然の結果だった。相手はただオリハルコン装備をつけただけの素人ではなく、多くの戦場を経験してきたであろう傭兵なのだ。スタールにとって顔のわずかな部分を守るだけなど容易い事である。
「オイ、オイ。もう終わりかい、ひ弱な人間の戦士さん達」
ドワーフは馬鹿にするように笑いながら言った。
「じゃあ、今度はこっちからいかせてもらうぜ!!」
そう叫び次々と帝国軍兵士にスタールは襲いかかった。
「うわー」
「ギャアアァ」
いくつもの悲鳴があがる。
「おらおら、ドワーフ様の御通りだぜ!!」
まさに一騎当千、スタールの周囲には帝国兵の屍の山が築かれていく。
「おらぁ、俺様に続け野郎共!!」
「オオ!!」
暴れる回るドワーフに戦意高揚する公国兵達。
「いっきに押し崩せぇ」
「いけ!! いけ!! 押せ、押せえぇ!!」
公国軍が投入した三人のドワーフ達はそれぞれ脅威的な戦果を上げ続ける。
そして、ドワーフのもたらしたその勢いに乗り、公国軍はそのまま帝国軍を押し返し始めたのであった。