同盟、それぞれの思惑
クレイグのだした主な条件は二つ。
ロマリアとの交渉に関してキュウジを補佐する為の同行者をつける事。そして、交渉にかかる費用を同盟に失敗した場合はすべてキュウジが負担する事である。
クレイグのつけた人間がキュウジの行動を監視する為のものである事は明白であったが、それは計画の大きな障害とはなりえなかった。キュウジは武器の密輸に関する取引は済ませており、あとはロマリア王国内での交渉が当面の仕事となるからだ。
資金に関しても同盟成立後にクレイグから掛かった費用分が支払われる事となり、事前援助を受けられなかったがその事もあまり問題とはならなかった。
それらの小さな障害よりもキュウジがクレイグの持つロマリア内の人脈と彼の名を使える事は大きな収穫であった。
事実、キュウジのロマリア内での交渉活動は驚くほど順調に進む。同盟交渉を始めてからわずか一月足らずという短い期間で同盟を成立させる寸前のところまで進める事が出来たのだ。
それはロマリアが再び急速に軍拡を進める帝国に対して不信と警戒心を強め、軍拡が完了する前に先に攻撃をしかけるべきだと主戦論を唱える者達が多く現れはじめており、穏健派もスタンチオ公国との同盟という圧力をもって帝国の矛を収めさせようと考え、主戦派、穏健派共に公国との同盟が有益であるという点は一致していた為である。同盟が帝国を刺激し戦争を招くとして反対する者はほとんどいなかったのだ。
クレイグの公国商工会に対する説得もすんなりと完了した。クレイグ自身、商工会役員の中でも大きな力をもっており、彼に頭の上がらない者は数多くいたし、同盟交渉がバレれば帝国を刺激すると反対していた者達も日に日に強まる帝国の圧力と、ロマリアが同盟に前向きである判明した事でその多くが賛成に回った。
同盟の成立。その新たな戦火の火種はまさに激しく燃え上がろうとしていたのだった。
ハンスとミロスラフが軍務関係の報告をする為に皇帝の間を訪れるとグリードとオイゲン、ジェイドと何人かの衛兵達が見守る中で半裸の男が二人、殴り合いをしていた。
「またか」
ミロスラフは嫌悪の表情を浮かべながら吐き捨てた。
「陛下の御前だぞ」
ハンスがミロスラフの露骨な態度を注意する。
「ああ、わかっている」
「陛下、軍務に関する報告に参りました」
「これが終わるまで、少し待っていろ」
グリードにそう言われ二人はオイゲン将軍のそばへと移動し、男達が殴り合う様を静かに見守った。
皇帝の間には殴り合う二人の男の拳の音と怒声だけが響き合っていた。
いくらかの時が過ぎていく中で、何度も血飛沫が男達から飛び散ちり、元来、神聖であるべきこの部屋の床を醜く汚す。そして、二人の息はあがり、足元もおぼつかないものへとなっていく。
「うおおおおおおお!!」
片方の男が大声をあげながら放った渾身の一撃がもう片方の男の顔面を捉えると鈍く骨の砕けるような音がし、殴られた男は床に倒れこんだ。
「やった……。やったぞ!! 俺の勝ちだ!!」
殴り倒した方の男は息をきらしながら叫び、グリードの方へ顔を向ける。
「これで、これで、いいんだな」
「ああ、これでお前の刑期はチャラだ」
グリードは血だらけの男に自身が犯した殺人と強盗の罪が清算された事を告げる。すると、男は腫れ上がった顔で満面の笑みを浮かべた。
「やったぜ、へへへ」
「まぁ、待て」
グリードはジェイドの方に目で合図を送り、ジェイドはそれを受けて、ゆっくりと喜ぶ男の方へと近付いていく。
「なんだよ」
「お前の罪は清算された。だが、お前には死んでもらおう」
戸惑う男にグリードは死の宣告を下す。
「はぁ!? 何わけのわかんねぇ事を言ってやがる。奴に勝てば自由の身にするって約束だろうが!!」
「クックック」
混乱しながら怒鳴る男の姿をグリードは馬鹿にするように笑った。
「何だよ!!」
「俺が約束したのはお前の罪を清算するという事だけだ」
「だから俺はそれで晴れて自由の身ってわけだろ!!」
「勘違いするなよ、屑の分際で。この国で自由の身であるのは一人だけだ。お前は死ななくてはならない、俺が今そう決めた」
「ふざけるな!! わけわかんねぇ事言ってねぇで約束は守れよ!!」
「約束は守っている。お前はもう罪人ではない。だが、皇帝であるこの俺がお前の死を望んでるいるんだ。お前が死ぬ理由にはそれで十分だ」
「馬鹿いうな!! そんな無茶があるか!!」
「好きにほざけ。お前は死ぬ」
そう言ってグリードが再び目でジェイドに合図を送ると、ジェイドが剣を抜く。
「待てよ。おかしいだろ。無茶苦茶だ!! クソ、てめぇぶっころして……!!」
男がグリードに襲いかかろうと動いた瞬間、ジェイドの鋭い一刀が男を肉体を切り裂く。
「ぎゃああああ」
男は悲鳴をあげながら絶命し、床に倒れ付した。
「これも飽きてきたな」
誰に言うわけでもなく死体を眺めながらグリードが呟く。
「おい、お前らこのゴミを片付けろ。……ハンス、ミロスラフ待たせたな」
グリードは衛兵達に後始末の指示をし、ハンス達に報告を促した。
「陛下、これまでの……」
目の前で二人の人間が死んだばかりだというのに、まるで何事も無かったかのようにハンスとミロスラフの報告が始められたのだった。
キュウジの同盟工作が順調に進みロマリアとスタンチオの同盟成立が目前となってきた頃、オイゲンはアレクサンダル伯爵の自宅へと招かれていた。
「旦那様はお庭の方でお待ちになっておられます。ご案内いたします」
「ああ」
応対にでてきた使用人に案内され大きな庭園にでると、そこに白い椅子に優雅に腰かけるアレクサンダルの姿があった。
「着たか、オイゲン」
帝国唯一の大貴族となったアレクサンダルは神妙な面持ちで客人を迎える。
オイゲンは言葉を発する事なくアレクサンダルの傍にある空いた椅子に座り、彼とは向かい合う形となった。
二人の老齢の男の間には椅子と同じ白い机があり、その上にはティーポットと紅茶の注がれたティーカップが一つ、空のものが一つあった。
案内をした使用人が空いたカップ方に紅茶を注ぎ終えるとアレクサンダルは彼にさがるよう命じた。
「それで、わざわざ呼びつけるとはなに用だ」
二人きりになって、先に口を開いたのはオイゲンの方だった。
「美しい花を愛でる余裕すらもないか」
オイゲンがアレクサンダルの邸宅を訪れる事は初めての事ではなかった。二人は古くから既知の間柄であり数々の戦を共にした戦友でもあった。
そして、そんな二人がアレクサンダルの邸宅で会談する時は、彼の自慢の美しい庭園で花々を愛でながらゆっくりとするものだった。
だが、今のオイゲンから発っせられる言葉にはそのような余裕は感じられなかった。
「……アレク、申し訳ないが今の私には時間がないのだ。為すべき事が多くあるのだ」
「為すべき事か……。オイゲンよ、それを為した先に何がある」
問い掛けにオイゲンは沈黙する。
「それは本当にお前がすべき事なのか? お前は、聡明な男だ。気づいているはずではないのか、本当に為すべき事に」
「話はそれだけか。今日はこれで失礼しよう」
「待て、オイゲン!!」
席を立とうとするオイゲンをアレクサンダルは大声で制止した。
「陛下はまた、ロマリアとの戦争をはじめるつもりであろう。今、そのような事をしている場合か? 民は疲弊しきっておる。その民の為に為すべき事が今お前がしようとしてる事なのか?」
「私がすべき事は陛下の命に従い、滞りなく進める事だ」
「ただ命令に従うだけなら、誰でもできる。お前がすべき事はこの国が間違った道へと進むの止める事だ。それがわからんお前でもなかろう」
「陛下の決意は固い」
「それでもお前がすべき事は変わらぬ」
アレクサンダルの顔がより神妙なものになる。
「オイゲン、陛下は……、いやあの小僧は人の上に立つ器ではない」
アレクサンダルの衝撃的な発言にもオイゲンは顔色を変えずにいる。
「陛下は陛下だ。どのような人間であろうとあの方がこの国の皇帝だ」
「皇帝足る人物こそが皇帝でなくてはならない。そうでなければこの国は滅ぶだけだ。そう思ったからこそ、オイゲン。貴様もバスティアンを討ったのであろう。何故あの時、そのままお前が皇帝の座につかなかったのだ。グリードに才がない事をお前はよく理解していただろうに」
問い詰めるアレクサンダルとオイゲンの間に短い沈黙が訪れる。
「グリードはオリバーの最後の子だ」
沈黙を破ったオイゲンの言葉は静かな決意とも諦めの境地ともとれる複雑なものだった。
「それだけか。それだけが多くの人間を犠牲にしてでもあの小僧を皇帝の座に座らせておく理由なのか!!」
「それで十分であろう」
「馬鹿げた事をいうな。オリバーは確かに素晴らしい男だった。だからと言って、その子がこの国を破滅へとおいやるのを黙って見ているつもりか!?」
「頼まれたのだ。彼の死の直前に、この国と子供達の事を」
オリバーが死の直前にグリード達の事をオイゲンに頼んだのは、それが親心からきたものではなくただ帝国の事を考えてのものだった可能性は高かった。だが、オイゲンはそれがほとんどまったくと言っていいほど父からの愛情を与えらずにいた子供達へ、帝国を愛し、尽くして死んでいった男が見せた唯一の愛情だったのだと願いたかった。
「オイゲン、オリバーなら斬るぞ。この国が破滅に向かうぐらいならば自身の最後の子であろうと」
「そうかもしれんな」
「だったら」
「だが、約束は約束だ。……アレクよ、私はもう歳を取りすぎた。英雄はすでに死んだのだ」
その言葉にアレクサンダルは唖然と、そして絶望にも似た表情を浮かべた。
「本気で言ってるのか?」
「ああ」
「そうか、英雄も老いて死んだか……」
悲しみの満ちた目をしてアレクサンダルは呟いた。
「誰もが老いるさ」
「そうか、ならばもう何も言うまい……」
「すまんな」
席を立ち去ろうとするオイゲンにアレクサンダルは忠告する。
「……オイゲン。ジェイドは、あの男は危険だ。あの男は必ずこの国の災いとなるぞ。……いや、既になっておるか」
「わかっている。では、失礼する」
そう言ってオイゲンが去ると、あとには美しい花に囲まれた老人と、一口も飲まれる事の無かったティーカップが残されていた。