スタンチオ公国
スタンチオ公国。百五十年ほど前、帝国貴族であったスタンチオ公爵によって建国された貿易国家である。この国が貿易国家として発展した要因は帝国の北東に位置し海に面していた事と、大陸北西部から中央部へと繋がる一つの海道を擁していた事が大きかった。大陸西部と中央部はアルベス大山脈とエルフ達の聖地でもあるサンタリオ大森林によって隔てられており、この海道が貴重な陸路での交易ルートとなっていたからである。大陸西部からの輸出品の多くがこの国に集まり、逆に大陸中央部や東部の様々な物品もこの国へと集まっていたのだ。
帝国からの独立は比較的穏便なものであった為、独立後しばらくの間は公国と帝国は蜜月の関係にあったが、やがてその関係は冷めたものになっていき、バスティアンの時代には決定的に悪化してしまう。そして、オートリア帝国とロマリア王国との戦争が始まると公国側は帝国への武器など様々な物の輸出を制限する事を決定する。
その決定は今も継続されており、軍拡を進める帝国側にとって問題であった。そこで、帝国は公国からの武器の密輸を計画し、その任務を何人かの男達に命じた。
その内の一人がキュウジであった。彼はかつて商人としてスタンチオ公国で暮らしていた事があり、いくつか有力なパイプを持っていたからである。
キュウジはオイゲンの弟子であり、側近でもあるマルセルから命を受けるとすぐに、公国最大の貿易都市スタンチオノードへと向かった。
そして、この男には武器の確保以外にも別に大きな任務が与えられていたのである。
キュウジが通りを歩いていると、二人の男達が立ち話をしているのが見えた。
二人はかなり大声で話してるらしく、少し近づくと話の内容がまる聞こえであった。
「聞いたか帝国の奴等、また兵を集めてるらしいぞ」
「ああ、武器の方もかなり買い漁ってるって噂だ」
「また、戦争始めるつもりなのかね。やっぱり相手はロマリアか?」
「どうだろうな、この間停戦したばかりだろ。違うところに吹っ掛けるんじゃないか」
「嫌だねぇ。せっかく皇帝が変わって多少はまともな国になるかと思ったら、これだもんなぁ」
「本当に今度こそ終わりかもな。かなりガタがきてるみたいだし」
「そりゃあ、あれだけ戦争続きじゃな。いくらでかい国だからって持たないだろ」
男達の話を聞いて、キュウジは失笑してしまった。
――まぁ、やれるだけの事はやってみるわ。
そう心の中で呟き、歩みを早め港の方へと向かう。
潮の香りがつよくなってきた所でキュウジはそのまま港の方へと出る事をせず、陽の当たりの悪い裏路地の方へと向きを変え進み始めた。薄暗い石畳の道を行くと古汚い一軒の建物があり、その前には無愛想そうな男が一人、鋭利な刃物をちらつかせながら立っていた。
キュウジはその男を気にする様子もなく家の扉に手をかける。
そのまま古びた木製の扉を押し開けると、薄暗い室内に大小様々な武器、防具が陳列されているのがキュウジの視界に入ってきた。さらに暗い奥の方にはカウンターテーブルがあり、その上には昼間だというのに灯のついたランプが置かれていた。
「誰かと思えば、懐かしい顔じゃあないか」
テーブルの脇にある通路から男がでて来ると、キュウジの顔を確認するなり少し驚いた表情をして言った。男の風貌は痩せ気味で顔の皺がひどく、中年というよりも初老に見えるものだった。頭は所々白髪でハゲかかっている。
「仕事を頼みに来た」
「ヘッヘッへ。旨い話だろうな」
男が笑うとボロボロになった歯が見えた。
この男の笑い方とその声には何度会っても嫌悪感を感じる。
「あぁ、多少は危険を伴うがでかい仕事や」
「こんな商売をしていて危険のない仕事の方が珍しいよ、ケッケッケ」
「なら、引き受けてくれるな」
けらけらと笑っていた男は、突然笑うのを止めキュウジを睨むようにして見つめると、甲高い声から急にドスの利いた低い声へと変わる。
「危険な仕事が多いからこそ、仕事は選ばないといけない。そうだろ」
「危険な仕事ほど得られる報酬もでかい」
「まぁ、話してみろ」
「兵士に必要な装備が欲しい。用意できるだけ」
その言葉に男の表情が戻り、再び甲高い声を発する。
「ヘッヘッへ、いちおうどこに運びたいかも聞いておこう。まさかお前が戦争始めようってわけじゃないよなぁ」
「帝国に。オートリアに運び入れたい」
「クックック、噂は本当みたいだな。いやぁ、結構、結構。帝国相手だろうが儲かる話なら大歓迎だ。しかし、お前がそれを頼みに来るって事は、今は帝国の下で働いてるってわけだ」
「俺がどこにいようが俺の勝手。自分には関係ない話や」
「ケッケッケ、それもそうだ。だが、少し羨ましくてねぇ。さぞ、皇帝陛下のケツを舐めて稼ぐ金は良いものだろうね。クックック、冴えないの商売人の嫉妬だと思って聞き流してくれよ」
キュウジは無視をして話を進めようとする。
「受けんのか、受けへんのか」
「受けるさ。受けてやらないと困るんだろ? お前が。昔の商売仲間として助けてやろうじゃないか」
「どれぐらい用意できる」
「期間にもよるが……。一週間もらえれば槍と剣がそれぞれ二千、防具は一式揃えて千五百って所だ」
「それだけか」
「おいおい、無茶を言うなよ。堂々と運べる状況じゃないんだ。帝国側へ運ぼうとする物の取り締まりが最近厳しくなっている。いろいろと準備がいるんだ。お前もそれぐらいわかるだろ」
「臆病風に吹かれて、大金逃がすつもりなんか? これだけのでかい仕事は滅多にない」
「チッ、いいだろう。二週間で倍用意する。その代わり、五割増し、いや二倍だ。相場の二倍は払ってもらうぞ」
「金は惜しまんよ」
「クック、皇帝陛下はたいそう民から慕われているんだろうな、景気のいい事だ」
「とりあえず前金や。残りは実際に武器を受け渡す時に貰ってくれ、準備させておく。一週間したら細かい日時を決めにもう一度来る」
そう言ってキュウジが金貨の入った小袋をテーブルの上にだし、立ち去ろうとすると男が呼び止めた。
「待て、そう言えばおもしろいものが手に入ったんだ。まぁ、見ていけよ」
男は近くにあった呼び鈴をとり鳴らす。しばらくすると、通路の奥から少女が一人でて来た。少女はこの陰鬱な室内とは不釣り合いに着飾られており、場所が違えば良家の娘にも見えていたであろう姿をしていた。
少女はキュウジの方に一礼すると、男の方へと近づいていく。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「ああ、この間手に入ったアレを持ってきてくれ」
少女は黙って頷くと再び通路の奥へと消えていった。
「相変わらずか」
キュウジが呆れたようなに言うと男は悪びれた様子もなく答えた。
「クヒヒ、一ヶ月ほど前に買ったばかりさ。値ははったがな、物覚えがいい。久しぶりにいい買い物ができたよ」
「仕事に使いたいだけなら若い男の方がええやろうけどな」
「オイオイ、そう睨むなって、俺が買わないでもそのまま餓死するか、他の奴が買ってくかなんだ。俺よりひどいのなんてザラにいる」
キュウジには睨みつけるつもりなど無かったが自然とそういう目つきになっていたらしい。
「……前によく見かけた子達の姿が見えんが」
「前にいた? ……あぁ、ナタリーとクレアか」
「売りにだしたんか」
「クック、まさか。俺もそこまで腐っちゃねぇよ。ナタリーならたぶん奥で休んでるよ」
「休んでる?」
「チッ、……俺とした事が失敗した。ガキ孕みやがった」
男が苛立った様子で吐き捨てるように言った。
「お前のか?」
「他に誰がいるってんだ」
この男が奴隷商から女を買い始めたのは何も最近の話しではない。今までそういう話は一度たりとも聞いた事が無かった。キュウジはてっきりこの男は体質的に無理なものなのだと、そう思っていた男からの言葉だったので、キュウジは多少驚いた。
「いや、そりゃあ」
「ケッケッケ、他の男ってか。そりゃあないよ。奴隷にそんな暇がないのはお前ならよくわかるんじゃないか?」
古い記憶が、一瞬キュウジの頭の中を過ぎる。
――束縛され、監視された生活。
「……で、そのガキは?」
「生まれたらシメるつもりだったが。クソッ、あの女どうしても育ってるって聞きやしねぇ」
どうやら押されているらしい。この男なら問答無用でシメるか、孕んだ女ごと捨てるもんだと思っていたので、男の予想外の反応によほど女の事を気に入っているのかとキュウジは感じた。
「お前が父親か。生まれてるくるガキにとってはとんだ不幸やな」
「俺にとってもとんだ不幸だよ。赤ん坊なんて五月蝿いだけじゃねぇか、まったく」
男が溜め息ついた丁度その時、さきほど少女が消えていた通路からかわりに、年頃の美しい女が小箱を抱えて現れた。
「旦那様、シェリーの代わりに私が持って参りました」
「ああ、ご苦労」
小箱を男に渡すと女はすぐにまた奥の通路へと戻っていった。
「今のも新しく買ってきた女か」
キュウジの問いに男は箱を開けようとしていた手を止め、怪訝な顔をした。
「何を言ってる。さっきのはクレアだぞ、あいつは昔からいるだろ」
「あれがか」
最後にみた記憶の中のクレアという女は冴えない暗そうな少女であり、さっきの綺麗な女とは結び付かずキュウジは戸惑った。
「ケケケ、俺があの年代の女をわざわざ買ってくるわけないだろ。あれぐらいの年でいい女だとだいたい手つけられてるし、無駄に高いからな。それなら将来性あるのを買ってくる方が安くていい。何より長く楽しめる。クックック」
「ガキが好みの女になるかなんてわからんやろ」
「俺にはわかるさ」
男はニヤリと笑い自信のある様子で言いきった。
「お前にはそっちの仕事の方が向いてるんちゃうか」
「趣味を仕事にしちゃだめだ。息抜きじゃなくなっちまう」
「下種な趣味しとるわ」
「クックック、そういうなよ。下種な仕事をしている者同士だろ」
そう言いながらは男は何処からか小さな鍵を取り出して小箱を開けた。
「こいつも滅多にお目にかかれないとびっきりの美女だ」
キュウジの前に開かれた小箱が置かれる。
中には短剣が一本入っていた。
「こいつは……」
キュウジは短剣を手に取り、まじまじと見つめた。
握りや柄頭の部分には、小さい宝石なようなものが散りばめられて、細かな装飾が施されておりその部分だけでも注目に値すべきものであったが、もっとも特徴的だったのは赤く炎のように輝く刃の部分であった。
「オリハルコンか」