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第二十六話:死地への案内人

 翌朝、俺たちは青木ヶ原樹海の入り口に立っていた。

 鬱蒼とした木々が頭上を覆い、湿った空気が肌にまとわりつく。かつては自殺の名所として知られ、今は魔物が跋扈するダンジョンとして恐れられる場所。

 だが、ここに集まった人間たちの顔に、緊張感は微塵もなかった。


「遅いぞ、矢崎! 集合時間の五分前には来るのが社会人の常識だろうが!」


 開口一番、罵声を浴びせてきたのは高野だ。

 彼は新品の、それも値札がついたままの高級ブランドの登山ウェアに身を包んでいた。形から入るタイプなのは知っていたが、ダンジョン探索をキャンプか何かと勘違いしているのではないか。

 その後ろには、同じく真新しい装備で固めた大河原、以前俺の陰口を叩いていた女性社員、そして事なかれ主義だった係長の男の姿がある。

 彼らの足元には、パンパンに膨れ上がった巨大なリュックサックが四つ、鎮座していた。


「申し訳ありません。少々、準備に手間取りまして」


 俺は殊勝な態度で頭を下げた。

 実際には、フェンが朝食の骨付き肉を噛み砕くのに夢中で、なかなか家を出ようとしなかったせいだが、それを言う必要はない。

 俺の横には、体高二メートル近い巨大な銀色の狼――フェンが、悠然と佇んでいる。

 その威容は、動物園の猛獣など比較にならないほどの圧力を放っていたが、高野たちは顔をしかめるだけだった。


「おい、なんだそのデカい犬は。まさか連れて行く気か?」


 高野が汚いものを見るような目でフェンを指差した。


「はい。私の相棒でして。鼻が利くので、探索には役立ちますよ」


「ちっ、これだから素人は……。そんな獣、足手まといになるだけだぞ。吠えて魔物を呼び寄せたらどうするんだ。責任取れんのか?」


 責任。

 その言葉を聞くたびに、乾いた笑いが込み上げてくる。

 フェンが喉の奥で「グルルゥ……」と低く唸った。彼女の言葉が、念話として俺の脳内に直接響く。


『カズ、こいつの頭を噛み砕いていいか? 非常に不快な音を出す生き物だ』

『まだだ。楽しみは取っておけ』


 俺は視線だけでフェンをなだめ、高野に向き直った。


「躾は行き届いていますのでご安心を。それより、出発しましょう」


「ふん、まあいい。ほら、ぼさっとしてないで、これを持て」


 大河原が顎ではなく、指先で足元の荷物を指し示した。

 俺はその意図を察し、四つのリュックサックすべてを両肩と両手に抱え上げた。

 ずっしりとした重量が腕にかかる。中身は食料や水、テントだろうか。自分たちの荷物をすべて俺に持たせるつもりらしい。


「よし、出発だ! 目指すは最下層、未開拓エリアの財宝だ!」


 高野がステッキを振り上げ、高らかに宣言した。

 最下層。

 そこがどれほどの魔境か、彼らは理解していない。

 観光気分で足を踏み入れれば、骨も残らない場所だ。

 だが、俺は止めない。

 むしろ、彼らをそこへ連れて行くのが、俺の役目なのだから。


 俺たちは樹海の奥へと進み、ダンジョンの入り口である崩落した大穴へと足を踏み入れた。



 ダンジョン内部は、冷ややかな空気に満ちていた。

 岩肌から滲み出る水滴が、ポツリポツリと音を立てて落ちている。

 足元は悪く、濡れた木の根や岩が突き出しているが、高野たちは最新のトレッキングシューズのおかげか、今のところ順調に進んでいる。


「へえ、意外と明るいのね」


 女性社員が壁面に生えた発光苔を見て、感心した声を上げた。


「獣臭いわね。あんたの犬、ちゃんとシャンプーしてるの?」


 彼女はハンカチで鼻を押さえながら、フェンに嫌悪の視線を向ける。

 フェンは気にする素振りも見せず、ただ俺の影のように静かに歩いていた。その銀の毛並みは、暗闇の中でも自ら発光しているかのように美しいのだが、彼らの曇った目にはただの汚い獣にしか映らないらしい。


 キキキッ! ギャアアアッ!


 頭上から、金切り声と共に黒い塊が降ってきた。

 ジャイアント・バットの群れだ。翼長一メートルを超える巨大なコウモリが、鋭い牙を剥いて襲いかかってくる。


「ひっ、なんだ!?」

「いやあああ! 来ないで!」


 高野たちは悲鳴を上げ、頭を抱えてうずくまった。

 戦闘態勢をとるどころか、逃げることさえ忘れてパニックに陥っている。

 俺は荷物を下ろすことなく、短く命じた。


「フェン」


 その一言で十分だった。

 銀色の疾風が舞った。

 フェンが床を蹴り、重力を無視したような動きで湿った壁面を駆け上がる。

 巨大な顎が開き、空中でコウモリの一匹を食らいついた。

 バキリ、という骨の砕ける音が響く。

 着地と同時に、彼女は鋭利な爪で残りのコウモリを切り裂いた。

 鮮血が舞い、肉片が散らばる。

 一瞬の出来事だった。


「……え?」


 大河原が顔を上げ、呆然と呟く。

 目の前には、口元を血で赤く染めた巨大な狼が、冷ややかな瞳で彼らを見下ろしていた。


「掃除完了だ。先を急ごう」


 俺は何事もなかったかのように歩き出した。

 フェンは口元の血を舌で舐め取り、俺の横に並ぶ。

 高野たちは腰を抜かしたまま、震える声で言った。


「お、おい矢崎! 今の……あの犬がやったのか?」


「ええ。言ったでしょう、役に立つと」


「す、すごいな……化け物じゃないか」


 係長の男が冷や汗を拭きながら、フェンから距離を取るように歩き出した。

 だが、すぐにその視線は地面に転がる魔物の残骸へと移った。

 死体が消滅した後に残された、紫色の石へと。


「これ、魔石か!? 結構でかいぞ!」


 高野が駆け寄り、泥にまみれた魔石を拾い上げた。

 市場価値にして数千円程度のものだが、彼にとっては宝の山に見えるらしい。


「おい、他にも落ちてるぞ! 全部拾え!」

「すごい、これだけで今日のランチ代になるわ!」


 彼らは地面を這いつくばり、魔石を拾い集め始めた。

 その浅ましい姿に、フェンが呆れたような息を吐く。


『カズ、人間というのは地面の石ころを拾って喜ぶ習性があるのか?』

『彼らにとっては、それが命より大事なものなんだよ』


 俺は心の中で答え、彼らが拾い終わるのを待った。



 中層エリアに進むにつれ、環境は過酷さを増していった。

 「灼熱と氷雪の回廊」と呼ばれるエリアでは、極端な温度差による乱気流が高野たちの体力を奪ったが、俺とフェンが先導することで何とか突破した。

 オーク、リザードマン、ポイズン・スパイダー。

 襲い来るモンスターはフェンが蹂躙し、高野たちはその後ろで安全にドロップアイテムを回収するだけ。


「へへっ、楽勝だな! 犬っころにしてはやるじゃねえか!」


 大河原がフェンの背中を叩こうと手を伸ばしたが、フェンが喉を鳴らして牙を見せると、慌てて手を引っ込めた。


「ちっ、可愛げのない犬だ」

「本当ね。矢崎君、もっとちゃんと調教しなさいよ。飼い主に似て無愛想なんだから」


 女性社員も調子に乗って軽口を叩く。

 彼らの感覚は麻痺していた。

 この巨大な狼が、その気になれば自分たちを一噛みで殺せる存在だということを忘れている。俺が首輪を握っているからこそ、彼らは生きていられるのだ。

 虎の威を借る狐。いや、魔獣に守られた家畜と言うべきか。


 俺は端末を確認した。

 エリザからのメッセージ。

 『手続き完了。いつでもどうぞ』。


 準備は整った。

 俺は彼らの背中を見ながら、静かに笑った。

 そろそろ、本当の「業務」を始めようか。


「皆さん、ペースを上げましょう。とっておきの場所へご案内します」


「おう、頼むぞ! もっと稼がせてくれよ!」


 高野が上機嫌で答える。

 俺たちは地上の常識が通用しない暗黒の領域。

 地下五十階層相当、『深層エリア』へと足を踏み入れた。



 深層エリアに入ると、空気の質が劇的に変わった。

 肌を刺すような重圧。濃密な魔素が視界を歪ませ、カビと腐敗臭が混じった澱んだ空気が肺を満たす。

 壁面には発光する苔が張り付き、ぼんやりと青白い明かりを灯している。

 高野たちの口数が減り始めた。

 フェンも警戒心を露わにし、全身の毛を逆立てている。


「お、おい矢崎……なんか、雰囲気やばくないか? 床も……なんかブヨブヨして歩きにくいぞ」


 大河原が掠れた声で言った。

 足元は岩ではなく、何百年も降り積もった菌糸と腐葉土の層だ。踏み込むたびに靴が沈み込み、足を取られる。

 ようやく本能が危険を察知したか。だが、もう遅い。


「何言ってるんですか。お宝は目の前ですよ」


 俺が指差した先。

 天井が見えないほど広大な空間の中央に、古びた祭壇のようなものが見える。

 その周囲には、煌めく結晶や、古びた金属製品が山のように積まれていた。


「う、うおおお! なんだあれ!? 全部宝石か!?」


 高野が恐怖を忘れ、叫び声を上げた。

 彼らは我先にと駆け出した。足元のぬかるみも気にせず、祭壇へと一直線に向かう。


 ズズズ……ッ。


 重苦しい地響きと共に、祭壇の奥の闇が動いた。

 ここはこのダンジョンの吹き溜まり。地下河川によって上層からあらゆるものが流れ着く場所。

 その山の主。

 【アビス・ベヒーモス】。

 全身を黒曜石のような漆黒の甲殻に包んだ、六本脚の巨大な魔獣が、ぬらりと姿を現した。


「な……ッ!?」


 高野たちが急ブレーキをかけ、尻餅をついた。

 ベヒーモスの複眼が怪しく光り、その巨体が重戦車のように一歩を踏み出す。


「や、矢崎! なんとかしろ! おい、早くその犬をけしかけろ!」


 高野が悲鳴のような命令を下す。

 しかし、俺は動かなかった。フェンもまた、俺の横でお座りをしたまま、冷ややかに彼らを見つめている。


「嫌ですよ」


「は……?」


「い、嫌って……契約はどうした! 会社の命令だぞ! 業務命令違反でクビにするぞ!」


 クビ。

 その言葉を聞いて、俺は吹き出しそうになった。


「高野さん、一つ訂正させてください。あなたはもう、私の上司ではありません」


 俺は懐から端末を取り出し、会社の登記情報の画面を見せた。

 代表取締役の欄には、はっきりと『矢崎カズ』の名前。


「たった今、手続きが完了しました。私はこの会社の全株式を取得し、新社長に就任しました。つまり、今のあなたは私の部下です」


 俺は冷徹に告げた。

 高野の顔から血の気が引いていく。


「そ、そんな馬鹿な……乗っ取りだ!」


「合法的な買収ですよ。さて、新社長として最初の業務命令です」


 俺は声を張り上げた。


「あなた方には、このアビス・ベヒーモスの討伐、および周辺資源の回収を命じます。これは業務命令です。拒否権はありません」


「ふ、ふざけるな! 死ぬぞ! あんな化け物、勝てるわけないだろ!」


「おや、おかしいですね。以前、あなたは私にこう言いましたよね? 『死ぬ気でやれ』と。私はその教えを忠実に守っているだけですが?」


 俺の言葉が、彼らに突き刺さる。

 俺は指をパチンと鳴らした。

 同時に、ベヒーモスへの『威圧』を解く。

 解き放たれた巨獣が、飢えた目をぎらつかせ、目の前の無防備な獲物へと視線を定めた。


「ひ、ひいいいっ!」


 四人は逃げようと背を向けた。

 だが、菌糸の絨毯に足を取られ、思うように走れない。


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