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第二十四話:魔界


 アビス・タワー、第一階層エントランス。

 かつては近代的なオフィスビルの回転扉があったはずの場所は、巨大な光の渦が巻く転移ゲートへと変貌していた。

 その光の中から、俺とフェンは弾き出されるようにして地上へと帰還した。


 足裏に伝わるアスファルトの硬質な感触。

 鼻孔をくすぐる潮風と、排気ガスの混じった都市特有の匂い。

 そして、鼓膜を震わせる街の喧騒。


 静寂と不条理に支配されていた塔内部とは対照的な、生々しい「現実」の音がそこにはあった。俺は深く息を吸い込み、乱れたジャケットの襟を整える。

 隣では、巨大な銀色の狼が、その毛並みをバサバサと振って、不快そうに鼻を鳴らしていた。


『カズ、空気がまずいのじゃ。埃っぽいし、鉄の味がする』


「それが東京の味だ。慣れろとは言わないが、我慢してくれ」


 俺たちはゲートを背にして歩き出す。

 背後では、これまで威圧的に明滅していたゲートの光が、急速に輝きを失い、沈黙していく気配がした。動力源であるコアを失ったことで、塔はその機能を停止したのだ。

 まるで、電源を抜かれたサーバーのように。


 周囲には、ゲートの異変を察知した探索者や、警備にあたるギルド職員たちが集まり始めていた。彼らは、突如として現れた俺たちと、背後で沈黙したゲートを交互に見比べ、ざわめき合っている。


「おい、あれ……あの二人組、どこから出てきた?」

「まさか、塔の中からか? 今まで封鎖されていたはずじゃ……」

「それに、あの巨大な銀色の狼……噂の『銀狼の主』じゃないか?」


 ひそひそとした囁き声が波紋のように広がる。

 どうやら、俺たちの知名度は、俺が認識している以上に高まっているらしい。SNSや掲示板での拡散力というのは恐ろしいものだ。

 面倒なことになる前に、さっさと報告を済ませて帰るとしよう。


「行くぞ、フェン。まずはギルドだ」


『うむ。早く肉を食わせろ。……ここは視線が多くて落ち着かぬ』


 俺たちは好奇の視線を向けてくる野次馬たちを無視し、品川の街へと足を踏み出した。



 品川ギルド本部、『セントラル・タワー』。

 駅前の再開発エリアにそびえ立つそのビルは、全面ガラス張りの威容を誇り、日本の探索者ビジネスの中枢として機能している。


 自動ドアを抜けると、そこは空港のロビーのように広大な吹き抜け空間だった。

 床は鏡のように磨き上げられた大理石。壁面には巨大な電光掲示板が設置され、リアルタイムで魔石の相場や、ダンジョンの攻略状況が流れている。


 行き交う人々も、泥臭い探索者だけではない。

 高そうなスーツを着たクランの幹部や、素材の買い付けに来た商社マンたちが、忙しなく歩き回っている。ここは冒険の拠点というよりは、巨大な取引所だ。


 俺は受付カウンターへと向かう。

 フェンは退屈そうにあくびを噛み殺しながら、俺の足元に影のように寄り添っている。その巨体だけで周囲の人間が道を空けるので、移動はスムーズだ。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 受付の女性が、完璧な営業用スマイルを浮かべて対応する。

 その視線が、俺の胸元のランクバッジ(まだC級のままだ)と、連れている「犬」を一瞬だけ撫でた。わずかに侮蔑の色が見えたのは、気のせいではないだろう。

 彼女にとって、俺たちは場違いな「田舎の探索者」に見えているのかもしれない。あるいは、ペット連れで冷やかしに来た観光客か。


「ダンジョン攻略の報告と、回収した物品の査定をお願いしたいのですが」

「攻略報告ですね。アビス・タワーの、何階層でしょうか?」

「五十階層です」


 俺が短く告げると、受付嬢の手が止まった。

 彼女は瞬きを数回繰り返し、困惑したように眉を寄せる。


「……お客様、冗談はおやめください。現在、アビス・タワーの到達記録は四十一階層です。それに、五十階層などというデータは……」

「データがないなら、更新すればいい。そのための証拠を持ってきました」


 俺は背負っていた【亜空の背嚢】をカウンターの上に置いた。

 そして、その口を少しだけ開け、中にある「それ」を取り出そうとする。


「ちょ、ちょっとお待ちください! ここで危険物は……!」


 彼女の制止を聞かずに、俺は「それ」をカウンターの鑑定トレイの上にゴトリと置いた。


 瞬間。

 ロビーの空気が凍りついた。


 置かれたのは、直径三十センチほどに圧縮した(背嚢から出すためにサイズ定義を一時的に変更した)、七色に脈動する結晶体。

 【アビス・コア】。

 その圧倒的な存在感。内包された魔力の密度があまりにも高すぎて、周囲の空間が陽炎のように揺らいで見える。


「こ、これは……?」


 受付嬢が震える手で、鑑定用のスキャナーをかざす。

 ピ、という電子音が鳴り、スキャナーが光を放つ。

 その直後だった。


 バチバチバチッ!!


 激しいスパーク音と共に、スキャナーから黒煙が噴き出した。


「きゃあっ!?」


 受付嬢が悲鳴を上げて飛び退く。

 それだけではない。カウンターに設置されていた大型の解析モニターにも、赤い警告灯が激しく明滅し始めた。


『WARNING! WARNING!』

『MEASUREMENT ERROR』

『OVER FLOW』


 無機質な警告音がロビー中に鳴り響く。

 さらに、ロビーの照明までもが、コアの魔力干渉を受けて明滅を始めた。


「な、なんだ!? 敵襲か!?」

「おい、あのカウンターを見ろ! なんだあの光る石は!」

「魔力数値が……計測不能だと!? スカウターが壊れたぞ!」


 周囲にいた探索者たちが騒然となる。

 警備員たちが警棒を手に駆け寄ってくるが、コアから放たれるプレッシャーと、その横に鎮座する銀狼の眼光に押され、誰も近づけない。


「……おいおい、品川の設備は最新鋭じゃなかったのか?」


 俺は呆れて溜息をつく。

 少し出力を絞っておくべきだったか。だが、これでもかなり抑制したつもりなのだが。


『カズ、人間たちの機械は脆いのう。私のくしゃみ一つで壊れそうじゃ』


 フェンが面白そうに、パニックになる人々を眺めている。

 彼女にとっては、この騒ぎも一種の余興でしかないようだ。


 騒ぎが収拾つかなくなりかけた、その時だった。


「――そこまでになさい」


 凛とした、しかし妖艶な響きを含んだ声が、ロビーの上空から降り注いだ。

 全員の視線が、吹き抜けの二階部分、回廊の手すりに向けられる。

 そこに立っていたのは、紫がかった黒髪を波打たせ、深いスリットの入った魔導ローブを纏った女性だった。


 『万象の魔女』、マリー・エリザベス。

 この品川ギルドの長であり、日本屈指の魔法使い。


 彼女は手すりに身を預け、眼下の混乱を冷ややかな、それでいて熱っぽい瞳で見下ろしていた。


「私の可愛いスキャナーを壊したのは、どこのどいつ……と言いたいところだけど」


 彼女の視線が、カウンターの上のコアに釘付けになる。

 その瞳孔が開いたのが、遠目にも分かった。


「……あら。とんでもない『お土産』を持ってきたようね」


 マリーは指をパチンと鳴らす。

 その瞬間、彼女の姿が掻き消え、次の瞬間には俺の目の前に転移していた。

 空間転移。相変わらず、出鱈目な魔法使いだ。


「マリーさん、お久しぶりです。頼まれていたブツですが」

「ええ、ええ、見れば分かるわ。挨拶は後よ」


 マリーは俺の言葉など耳に入らない様子で、コアに顔を近づける。

 その美しい顔が、歓喜と興奮で紅潮している。


「素晴らしい……! この純度、この密度! 物理次元に存在していること自体が奇跡だわ!」


 彼女は周囲の視線も気にせず、コアを愛おしそうに撫で回す。完全に自分の世界に入っている。

 周りの職員たちが「ギ、ギルドマスター!?」と困惑しているが、彼女には聞こえていないようだ。


「あの、マリーさん。周りが怖がっています。場所を変えませんか」

「……っ、そうね。ここでは目立ちすぎるわ」


 マリーは我に返り、周囲を一瞥する。

 その一睨みで、野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように視線を逸らした。


「ついてらっしゃい。特別に、私の『研究室』へ招待するわ」


 彼女はそう言うと、コアを魔力で浮遊させ、エレベーターホールへと歩き出した。

 俺とフェンも、その後に続く。

 すれ違いざま、茫然としている受付嬢に、俺は軽く会釈をしておいた。


「スキャナーの弁償は、このコアの買取額から引いておいてください。……経費で落ちるはずですから」



 通されたのは、最上階にあるギルドマスター執務室――という名の、魔女の実験室だった。


 重厚な扉を開けた先には、乱雑に積み上げられた古文書の山と、怪しげな液体が煮立つフラスコ、そして宙を舞う自律型の羽ペンたちが待っていた。

 高級なオフィス家具は部屋の隅に追いやられ、代わりに魔法陣が描かれた床が部屋の中央を占拠している。


「適当に座ってちょうだい。……ああ、そのソファは人食いミミックの標本だから気をつけて」


 マリーは平然と言ってのけ、浮遊させていたコアを部屋の中央にある台座へと安置した。


 俺は無難なパイプ椅子を選んで座る。

 フェンは「生意気な椅子じゃ」とミミックを鼻先で小突き、牙を剥いて威圧してから、その上にドカリと寝そべった。ミミックはプルプルと震えながら、大人しく高級革張りのクッションのふりをしている。

 神獣の尻に敷かれるとは、ミミックにしては光栄な最期かもしれない。


「さて、矢崎君。そして可愛いワンちゃん」


 マリーは振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 だが、その瞳の奥には、鋭い探究の光に染まっている。


「あなたたち、これが何だか分かっていて持ってきたの?」

「タワーの動力源、アビス・コアですよね。五十階層で回収しました」

「ええ、そうよ。でも、それだけじゃない」


 マリーは杖を一振りし、空中に複雑なホログラムを展開した。

 それは、日本の地図と、各地に点在するダンジョンの位置を示す赤い点だった。

 そして、その点の下には、地下深くへと伸びる無数の『線』が描かれている。

 それらの線は、地殻を貫き、さらにその奥深くにある『別の領域』へと繋がっていた。


「単刀直入に言うわ。この世界にある全てのダンジョンはね、『門』なのよ」

「門……ですか」

「そう。異界――あなたたちの言葉で言うなら『魔界』へと繋がる、巨大なトンネル。それがダンジョンの正体よ」


 俺は眉をひそめた。

 ダンジョンとは、魔力溜まりが変質した地下空間だというのが一般的な定説だ。

 だが、マリーの仮説はそれを根底から覆すものだった。


「本来、こちらの世界とあちらの世界は、強固な次元の壁で隔てられているわ。でも、何らかの理由でその壁に穴が開き、あちら側の空気が漏れ出してくることがある。その『漏れ出した空気』が魔力となり、周囲の環境を変質させてダンジョンを形成するの」


 マリーはアビス・コアを指差す。


『ふん、やはりな』


 それまで黙って、マリーが出した茶菓子の皿(マカロンが山盛りになっている)を前足で器用に引き寄せ、ガリガリと噛み砕いていたフェンが口を開いた。


『この石からは、懐かしい匂いがする。父上の庭……魔王城の裏手にある、彼岸花の園の匂いじゃ』


 フェンの言葉に、マリーが目を見開く。


「魔王城……! あなた、やはりあちら側の……」

『詮索は無用じゃ、魔女。私は今はカズのパートナーであるからな』


 フェンは興味なさそうに鼻を鳴らし、次のマカロンを口に放り込む。甘い菓子も、彼女にかかれば骨付き肉と同じ扱いだ。


 俺は情報を整理する。

 つまり、俺が引っこ抜いてきたこの石は、品川ダンジョンと魔界を繋ぐ要石であり、支柱だったわけだ。

 それを取ってしまったということは……。


「マリーさん。支柱を取ってしまった今、アビス・タワーはどうなるんです?」

「崩壊するわね」


 マリーは平然と言い放った。


「崩壊……?」

「ええ。あの塔は、このコアの魔力によって物理法則を無視して存在していたの。核を失った今、その構造を維持することは不可能よ。おそらく数日……いいえ、数時間以内に、ダンジョンとしての機能を失い、消滅するでしょうね」


 彼女は楽しそうに、けれど恐ろしいことを言った。

 品川のランドマークとも言える巨大ダンジョンが、消えてなくなる。

 それは魔物が溢れ出すパニックとはまた別の、社会的な混乱を引き起こすだろう。

 エネルギー資源の枯渇、探索者たちの失業、周辺経済への打撃。

 考えるだけで頭が痛くなる話だ。


「……笑い事じゃないでしょう。そんなことになったら大騒ぎですよ。責任問題、賠償請求、マスコミの追求……」

「だからこそ、口止めが必要なのよ」


 彼女は悪びれもせずに笑うと、デスクの引き出しから一枚のカードを取り出し、俺に向かって投げた。

 俺はそれを空中でキャッチする。

 金色に輝くカードには、ギルドの紋章と、『A』の文字が刻まれていた。


「これは?」

「A級探索者のライセンスよ。特例措置での昇格ね」


 俺はカードを裏返す。そこには既に『YAZAKI KAZU』の名が刻まれていた。

 用意周到だ。最初から、この結末をある程度予測していたのかもしれない。

 会社の不祥事を隠蔽するために、現場の人間を昇進させて口をつぐませる。

 よくある話だ。


「今回の件、ギルド本部としては公にできないわ。『品川のダンジョンが、探索者がコアを持ち去ったせいで消滅しました』なんて発表したら、責任問題になるもの。だから、表向きは『未知のエネルギー資源の発見による功績』として、ダンジョンの消滅は『自然現象』として処理するわ」

「口止め料、というわけですか」

「相応の対価よ。あなたの実力なら、Aランクのほうが何かと詮索されることはないでしょう」


 一瞬、目立つAランクというものを拒否しようと考えた。

 しかし――そうだ。

 この俺がダンジョンを攻略した事実は、早かれ遅かれ広まるに違いない。

 だとすれば、それ相当のランクに収まっていたほうが、面倒がない。


 そう、俺が求めているのは、名誉でも権力でもない。

 フェンと美味しいものを食べ、快適に眠るための『自由』だ。

 いちいちギルドからの呼び出しに煩わされることなく、好きな時に潜り、好きな時に休む。

 このカードは、そのためのパスポートだと考えればいいのだ。


「……いいでしょう。受け取ります」


 俺はカードをスーツのポケットに収めた。

 取引成立だ。


「ただし、俺たちはあくまで『自由』に行動させてもらいますよ。ダンジョンが崩壊しようが、魔界への門がどうなろうが、俺の生活を邪魔しない限りは関知しません」

「ええ、分かっているわ。……でも、きっと向こうから『お客様』がやって来ると思うけれどね」


 マリーは意味深に微笑むと、視線をコアに戻した。

 彼女の中では、もう俺たちとの会話よりも、目の前の研究対象の方が重要になっているようだ。


「用件は済みましたね。帰りますよ、フェン」


『うむ。腹が減って背中と腹がくっつきそうじゃ。マカロンとやらでは腹の足しにもならぬ』


 フェンがミミックのソファから飛び降りる。解放されたミミックが、安堵したようにぐったりと萎れた。

 俺たちは執務室を後にする。



 ギルドを出ると、外はすでに夜の帳が下りていた。

 品川のビル群が放つ人工の光が、星の見えない夜空を焦がしている。


 俺とフェンは、ベイサイドのマンションへと続く遊歩道を歩いていた。

 海風が火照った頬に心地よい。

 ダンジョンの中の、あの黴臭く、ピリついた空気とは大違いだ。


「カズ、今日の飯は何じゃ?」


 フェンが、巨大な狼の頭を俺の腰に擦り付けてくる。

 彼女の関心事は、世界の命運よりも、今夜の夕食にあるらしい。

 その単純さが、今はたまらなく愛おしい。


「約束通り、ステーキだ。最高級のシャトーブリアンを用意してある」

「しゃと……ぶり? なんじゃそれは。強いのか?」

「強さで言えば最強クラスだな。口に入れた瞬間、とろけるぞ」

「おお! それは楽しみじゃ!」


 フェンが太い尻尾をブンブンと振る。

 その無邪気な様子を見ていると、先ほどの『魔界の門』の話など、遠い世界の出来事のように思えてくる。


 これからの俺の視線の先にあるのは、温かい食事と、柔らかいベッド。

 そして、隣を歩くこの頼もしい家族との未来だけだ。


「帰ろう、フェン。肉が待ってる」

「うむ! 肉じゃ! 早く焼くのじゃ!」


 俺たちは足早に家路を急ぐ。

 背後の空では、アビス・タワーの灯りが、ひとつ、またひとつと消え始めていた。


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