第二十一話:空中庭園の剪定作業
アビス・タワー、第二十五階層。
そこは、俺たちが知るオフィスの光景とは決定的に異なる場所だった。
二十階層までの無機質なフロアや、吹きさらしの鉄骨エリアを抜けた先に待っていたのは、圧倒的な緑の暴力を具現化したような『密林』だったからだ。
ただし、それは自然のジャングルではない。
かつてビルの癒やしであったはずの観葉植物たちが、魔力という名の肥料を過剰摂取し、主役である人間を追い出して我が物顔で支配領域を広げた、成れの果ての姿だ。
視界を埋め尽くすのは、大人の胴回りよりも太い蔦と、鋼鉄のような質感を持った葉の群れ。それらが幾重にも絡まり合い、壁や床、天井という概念すら飲み込んで、緑色の迷宮を形成している。
むせ返るような草の匂い。
湿度が高く、肌にまとわりつくような空気。
俺はネクタイを少し緩めると、隣で鼻をひくつかせている相棒に声をかけた。
「どうだフェン、鼻は利きそうか?」
『むぅ……草の匂いが強すぎて、獲物の匂いが紛れてしまうのじゃ。それに、この匂い、あまり好きではない』
フェンは銀色の毛並みを少し逆立てて、不満げに尻尾を揺らした。
彼女は本来、広々とした雪原や岩場を駆ける狼だ。こういった鬱蒼とした場所は性に合わないのだろう。
『カズよ、これでは歩きにくいことこの上ないぞ。燃やしてしまっては駄目か? 私のブレスならば、この階層ごと灰にできる自信があるが』
物騒な提案を、さも明日の天気を語るような気軽さで言ってくる。
確かにそれなら手っ取り早いだろうが、このタワーはあくまで『ダンジョン』でありながら、構造上は『ビル』でもある。火災が発生した場合、上層へのルートがどうなるか予測がつかない。炎が消えずに酸欠で自滅するのは御免だ。
「却下だ。丸焼きにするのは、肉だけでいい」
『む、肉か。今日の夕飯は何じゃ?』
「この仕事が早く終わったら、特上のリブアイステーキを焼いてやるよ。付け合わせはマッシュポテトだ」
『リブアイ! うむ、それは良い響きじゃ。ならば急ぐとするかの!』
現金の、いや、現肉なやつだ。
フェンの機嫌が上向いたところで、俺たちは緑の壁へと向き直る。
行く手を阻むのは、絡まり合った蔦のバリケードだ。
試しに足元の小石を拾い、軽く放り投げてみる。
シュパッ!
乾いた音が響いた瞬間、石は真っ二つに断たれていた。
反応したのは、一見するとただ垂れ下がっているだけのシダ植物の葉だ。だが、その縁は剃刀のように鋭利で、動くものに過敏に反応するらしい。
『ふん、生意気な草だのう』
フェンが喉の奥で唸る。
通常の探索者であれば、ここで盾職人が前に出て、魔法使いが遠距離から焼き払うか、あるいは身軽な盗賊が隙間を縫って進むのがセオリーだろう。
だが、この物量は尋常ではない。
一歩進むごとに戦闘を行っていては、上の階層にたどり着くまでに何日かかるか分からない。おまけに、こいつらは切っても切ってもすぐに再生する類の厄介な植物だ。
だからこそ、俺の出番がある。
俺は右手をかざし、目の前の植物群を『視る』。
視界の端に、半透明のウィンドウがポップアップする。
『名称:キラー・アイビー(変異種)』
『ランク:A』
『分類:植物型モンスター』
『状態:活性化、捕食待機』
『硬度:S(特殊合金並み)』
『特性:【自動迎撃】【高速再生】【吸血】』
やはりな。
ただの植物ではない。明確な殺意を持ったモンスターだ。硬度が特殊合金並みというのも厄介極まりない。これではナタやチェーンソーを持ち込んだところで、刃がこぼれるだけだ。
だが、俺にとっては『文字』で書かれた情報に過ぎない。
俺は意識を集中させ、その記述に干渉する。
「……アクセス」
まずは、【分類】の項目だ。
『植物型モンスター』という定義を削除。
代わりに、『観賞用植物』と入力する。
さらに、【硬度】の項目。
『S(特殊合金並み)』を、『E(乾燥した小枝)』に変更。
ついでに【特性】の『自動迎撃』や『吸血』も削除し、『無害』『脆弱』というタグを貼り付ける。
決定する。
ブォン、と大気が低く振動する感覚。
世界が俺の記述を受け入れた瞬間、目の前の光景が変質した。
ぎらぎらとした油彩のような光沢を放っていた葉の色が、カサカサとした乾いた茶緑色へと褪せていく。ピンと張り詰めていた蔦は、水分を失ったようにだらりと垂れ下がった。
殺気が消えた。
そこにあるのは、手入れをサボって枯れかけた、ただの庭木だ。
「よし、フェン。道を開けてくれ」
『うむ、任せよ!』
フェンが前足の爪を軽く振るう。
本来であれば金属すら弾くはずの蔦の壁が、枯れ木を折るような軽快な音を立てて粉砕された。
バリバリバリッ!
粉塵となって舞い散る植物の残骸。
かつては凶悪なトラップだったものが、今はただの木屑となって俺たちの足元に降り注ぐ。
『脆いのう! まるでウエハースのようじゃ!』
「食べ物で例えるのはやめろよ。腹が減るだろ」
俺たちは粉砕された道を悠々と進む。
この階層での俺たちの役割分担は決まった。
俺が現場監督として仕様を変更し、フェンが重機として撤去作業を行う。
冒険というよりは、大規模な造園工事だ。
◇
二十六階層、二十七階層と進むにつれて、植物の種類も変化を見せ始めた。
足元には毒々しい色をした花が咲き乱れ、天井からは粘着質の樹液を垂らす袋状の器官がぶら下がっている。
前方から、ボウリングの球ほどの大きさがある種子が飛来した。
ヒュンッ!
風を切る音が鋭い。直撃すれば人体など容易く粉砕する威力だ。発射元は、奥に見える巨大なラフレシアのような花だ。
『カズ!』
フェンが迎撃しようと身構えるが、俺は片手でそれを制する。
視線だけで飛来する種子を捉え、その情報のラベルを読み取る。
『種別:爆裂種子』
『重量:15kg』
『効果:着弾時に爆発』
俺は即座に書き換える。
『重量:0.01g』
『材質:綿毛』
瞬間、凶器としての質量を失った種子は、ふわりと空中で減速した。
俺の目の前まで飛んできたそれは、最後は力なく漂い、俺のスーツの肩にちょこんと着地した。
指先で摘み上げると、フワフワとした感触が伝わってくる。
「……手品みたいじゃな」
フェンが呆れたような、感心したような声を出す。
「タネも仕掛けもあるからな」
俺は綿毛を放り捨てると、その親元である巨大花に視線を向ける。
あれが砲台だ。次弾を装填しようと花弁を蠢かせているのが見える。
俺は遠隔で記述権を行使する。
『状態:開花』を、『状態:蕾』へ。
さらに『成長段階』を、『休眠期』へ。
巨大な花は、何かを我慢するようにプルプルと震えた後、シュルシュルと音を立てて花弁を閉じていった。そのまま小さく縮こまり、二度と動かなくなる。
周囲にいた他の捕食植物たちも同様に処理していく。
毒の霧を吐く草は『ただの水蒸気』を出す加湿器へ。
酸を飛ばす花は『甘い蜜』を出すだけの観賞花へ。
俺たちが通った後には、無害化された安全な庭園だけが残されていく。
「これなら、後続の連中も楽ができるだろう」
皮肉を込めて呟く。
俺たちの後ろからついてくるであろう『テラ・ダンジョン』のエリート様たちは、この無害化された惨状を見てどう思うだろうか。
『なんだ、この階層は楽勝じゃないか』と勘違いするか、それとも『誰かが先回りして無力化した』と気づいて戦慄するか。
どちらにせよ、彼らが俺たちに追いつくことはないことだけは確かだった。
◇
二十九階層に到達した頃には、フェンの作業も手慣れたものになっていた。
彼女は爪で薙ぎ払うだけでなく、邪魔な太い幹には体当たりをかまし、時には尻尾で広範囲を一掃する。
その動きには無駄がなく、洗練されている。
ただの草刈り作業を楽しんでいる節すらあった。
『そこじゃ! えい!』
掛け声と共に、鉄骨に絡みついていた蔦の塊が吹き飛ぶ。
視界が開け、フロアの奥へと続く通路が現れた。
だが、その通路の真ん中に、異質な存在が鎮座していた。
それは、巨大なヒトガタの樹木のだった。
高さは五メートルほど。全身が太い幹と筋肉のような根で構成されており、頭部には単眼のように光る赤い宝石が埋め込まれている。
『ウッド・ジェネラル』
このエリアの番人といったところか。
通常のオークやゴブリンとは格が違う。纏っている魔力の濃度が濃い。
ウッド・ジェネラルは俺たちを認識すると、地面に根を突き刺し、地鳴りのような咆哮を上げた。
ゴゴゴゴゴ……!
床のコンクリートがひび割れ、そこから無数の尖った根が槍のように突き出してくる。
『カズ、跳ぶぞ!』
フェンが俺の襟首をくわえて、バックステップで回避する。
俺たちが元いた場所は、一瞬にして木の槍で串刺しにされていた。
「ありがとう、フェン。随分と激しい歓迎だな」
地面に降り立ち、スーツの襟を整える。
ウッド・ジェネラルは追撃の手を緩めない。両腕を振り上げると、その先端が巨大なハンマーのように変形した。
質量攻撃か。単純だが、それゆえに強力だ。
フェンが唸り声を上げ、戦闘態勢に入る。
『私がやる。あの程度の木偶の坊、薪にしてくれるわ』
「待て。正面からやり合うと、部屋が散らかる」
この階層は足場が悪い。下手に暴れ回れば、床が抜けて下の階層へ逆戻りなんてことになりかねない。
俺は冷静に敵のステータスを解析する。
『種族:魔化植物(統率個体)』
『弱点:火属性』
『構造:超高密度繊維』
弱点は火だが、前述の通り火気は厳禁だ。
ならば、別のアプローチをとる。
俺は敵の【構造】に注目した。
植物が硬いのは、繊維が密に詰まっているからだ。逆に言えば、その結合を解いてやればいい。
俺は右手を突き出し、記述権を発動させる。
ターゲット、ウッド・ジェネラル。
『構造:超高密度繊維』を削除。
代わりに、こう入力する。
『構造:腐朽した枯れ木』
さらに追加で。
『状態:シロアリ被害(末期)』
決定する。
バチンッ! と弾けるような音が脳内で響く。
ウッド・ジェネラルがハンマーと化した腕を振り下ろそうとした、その時だった。
ミシミシッ……パキッ!
不吉な音が巨体から漏れ出した。
振り上げられた腕が、重力に耐えきれずに根元から折れたのだ。
ドサッ、と地面に落ちた腕は、衝撃でボロボロと崩れ去った。中身はスカスカで、まるで何十年も雨風にさらされた廃材のようだ。
敵の赤い単眼が、何が起きたのか理解できないというように点滅する。
だが、崩壊は止まらない。
太い脚部が自身の体重を支えきれずにひしゃげ、胴体に亀裂が走る。
「仕上げだ、フェン。優しくな」
『わかっておる!』
フェンが軽い跳躍で敵の懐に飛び込む。
振るわれたのは、鋭い爪による一撃ではない。
彼女は鼻先で、軽く敵の胴体を小突いただけだ。
トンッ。
たったそれだけの衝撃で十分だった。
ズズズ……ドォォォン!!
巨木が倒れるごとき轟音……ではなく、乾いた木材が崩れるような軽い音を立てて、ウッド・ジェネラルは粉々になった。
後に残ったのは、山積みになった木屑と、頭部に埋め込まれていた赤い宝石だけだ。
「リサイクル完了だな」
俺は木屑の山から宝石を拾い上げる。
上質な『樹精の魔石』だ。これ一つで、かなりの金額になるだろう。
『なんともあっけない。張り合いがないのう』
フェンがつまらなそうに欠伸をする。
「楽な仕事でいいじゃないか。汗もかかずに済む」
俺はハンカチで額を拭うふりをする。実際には汗など一滴もかいていないが。
周囲を見渡せば、親玉を失ったせいか、周囲の植物たちの活性も著しく低下しているのが分かった。どうやら、あの個体がこのエリアの植物たちに魔力を供給していたらしい。
これで、このエリアの『剪定作業』は完了だ。
◇
三十階層への階段が見えてきた。
そこまでの道のりは、まさに手入れの行き届いた遊歩道のようだった。
俺たちが通った道だけが綺麗に切り開かれ、両脇には無害化された植物たちが大人しく並んでいる。
時間にして数時間。
通常の探索者パーティならば、数日は野営を覚悟しなければならない距離を、俺たちは散歩感覚で踏破してしまった。
「さて、次はどんなエリアだ?」
階段の前で足を止める。
上から吹き下ろしてくる風の質が変わった。
湿った草の匂いは消え、代わりにオゾン臭のような、焦げたような匂いが混じり始めている。
『カズ、上からビリビリする気配がするぞ』
フェンが耳をピコピコと動かしながら警告する。
「ビリビリ、か。雷属性の敵がいるのかもしれないな」
俺はスーツの埃を払い、ネクタイを締め直す。
ここまでは順調すぎるほど順調だ。
だが、ダンジョンの深層へ近づくにつれて、敵の『理不尽さ』も増していくだろう。
しかし、何も心配することはなかった。
なにせ、ここには『攻略法』がある。書き換えるべき『ラベル』が見えている。
「行こうか、フェン。ステーキが待ってる」
『うむ! 早く帰って肉を食うのじゃ!』
俺たちは軽やかな足取りで、階段を登り始めた。
その背後には、綺麗に整地された静寂の庭園が広がっていた。




