第二十話:鋼鉄の門番と、招かれざる観客
豪勢なステーキで腹を満たし、短い仮眠を取った俺たちは、再び巨大な扉の前に立っていた。
第20階層の最奥部。
この先に待ち受けているのは、このエリアを統括するボスモンスターだ。
扉は分厚い青銅で作られており、表面には威圧的な鬼のレリーフが彫り込まれている。
隙間からは、重く冷たい空気が漏れ出していた。
「カズよ、準備はよいか?」
フェンが、体を軽くほぐしながら問いかけてくる。
その銀色の瞳は、獲物を前にした狩人の輝きを帯びていた。
先ほどの食事でエネルギーを充填し、やる気は十分といったところか。
「ああ、問題ない。……さっさと片付けて、次の階層へ行こう」
俺はネクタイを締め直し、扉に手をかけた。
ズズズッ……という地響きのような音と共に、巨大な扉がゆっくりと内側へと開いていく。
開かれた空間は、円形の闘技場のような造りになっていた。
高い天井からはシャンデリアの残骸がぶら下がり、床には無数の武器や防具が散乱している。
かつてここで敗れ去った探索者たちの遺品だろうか。
その中央に、一つの巨影が佇んでいた。
ガシャン、ガシャン。
俺たちの足音に反応して、その影が動き出す。
身長は五メートルほど。
全身を鈍色に輝くフルプレートメイルで覆った、鋼鉄の巨人だ。
兜の奥では、二つの赤い光が不気味に明滅している。
手には、自身の身長ほどもある巨大なハルバードが握られていた。
『名称:重装の守護者』
『種別:魔法生物』
『ランク:Aマイナス』
『特性:物理攻撃無効、魔法耐性(強)』
俺の視界に、敵の情報が表示される。
Aマイナス。
中層への門番としては、破格の強さだ。
生半可な物理攻撃では、あの分厚い装甲に傷一つつけることさえできないだろう。
「ほう、硬そうな奴じゃな」
フェンが楽しそうに牙を剥く。
彼女にとって、敵の強さは障害ではなく、ただのスパイスでしかないらしい。
「カズ、手出しは無用だぞ。食後の運動には丁度良い」
「わかった。だが、あまり時間をかけるなよ」
「ふん、瞬きしている間に終わらせてやるわ!」
ドンッ!
フェンが床を蹴った。
銀色の閃光となり、巨人に肉薄する。
速い。
だが、巨人も伊達に門番を名乗っていない。
フェンの接近に反応し、その巨大なハルバードを横薙ぎに振るった。
ブォォォォン!!
風圧だけで人が吹き飛びそうな一撃。
だが、フェンは空中で身をひねり、紙一重でそれを回避する。
そのままハルバードの柄を駆け上がり、巨人の懐へと飛び込んだ。
「砕けろ!」
魔力を纏った前足の一撃が、巨人の胸甲に叩き込まれる。
ガギィィィン!!
凄まじい金属音が響き渡り、火花が散った。
巨人の巨体が数メートル後退する。
だが、それだけだ。
胸甲には浅い傷がついた程度で、致命的なダメージには至っていない。
「……チッ、硬いのう!」
フェンが着地し、不満げに鼻を鳴らす。
さすがは物理無効の特性持ちだ。
神獣の一撃ですら、正面からでは防ぎきってしまうか。
巨人が体勢を立て直し、再びハルバードを振り上げる。
今度は、振り下ろしによる叩きつけ攻撃だ。
「カズ、あれは少し面倒じゃ。魔法で焼いてもよいか?」
「いや、換気が悪いからやめろと言っただろ」
俺は苦笑しながら、一歩前に出た。
フェンが本気を出せば、この部屋ごと敵を消滅させることも可能だ。
だが、それでは貴重な素材まで消し飛んでしまうし、何より崩落に巻き込まれるのは御免だ。
「少し手伝うぞ」
「む? 余計なお世話じゃ」
「いいから見てろ」
俺は右手を掲げ、指先を巨人の装甲へと向けた。
物理攻撃が効かないなら、効くようにすればいいだけの話だ。
【ラベル閲覧】。
巨人の胸部に貼られた『材質:アダマンタイト合金』というラベルを視認する。
硬度と魔力耐性を兼ね備えた、最高級の金属だ。
まともに買えば、国家予算並みの金額が動く代物だろう。
だが、今の俺にとっては、ただの編集可能なテキストデータでしかない。
【ラベル書き換え】。
俺は指先で、その文字列をなぞった。
『材質:アダマンタイト合金』
↓
『材質:ビスケット』
書き換え、実行。
その瞬間、世界が変わった。
冷たく鈍色に輝いていた巨人の装甲から、急速に金属の質感が失われていく。代わって浮かび上がったのは、こんがりとおいしそうなキツネ色。
同時に、闘技場に充満していた淀んだカビ臭さが一掃され、まるで焼きたての洋菓子店に迷い込んだかのような、芳醇なバターと小麦の甘い香りが爆発的に広がった。
ミシミシッ……ボロッ、ザクゥッ!
異変は巨人の足元から起きた。
数トンはあるであろう巨体を支えていた脚部の装甲が、自重に耐えきれずに悲鳴を上げたのだ。
いや、それは金属の軋む音ではない。巨大な焼き菓子が割れるような、軽快で、どこか食欲をそそる破砕音。
ガクンッ!
膝の関節部分が粉々に砕け散り、巨人がバランスを崩す。
どうと倒れ込んだ衝撃で、肩の装甲が床に打ち付けられ、盛大にビスケットの破片を撒き散らした。
あたり一面に、香ばしい粉塵が舞い上がる。
「む?くんくん……」
フェンが鼻をピクつかせ、目を丸くする。
戦闘態勢だった耳が、ピコピコと動いた。
「カズよ、なんじゃこの匂いは? 妙に腹が減る匂いじゃぞ」
「装甲の材質を変えたんだ。硬い金属よりも、こっちの方が脆いからな」
俺が説明するよりも早く、フェンの目が輝いた。
彼女は巨人の足元――かつては鋼鉄のブーツだった、巨大なクッキーのような物体に顔を近づける。
「うまそうじゃ! これ、うまそうじゃぞカズ!」
「あー、まあ、元は金属だが……概念を書き換えたから成分的には問題ないはずだ」
俺が言い終わるかどうかのタイミングだった。
「いっただきまーす!」
ガブリッ!
フェンが大きな口を開け、巨人の脛の部分に食らいついた。
サクッ、ポリポリポリ。
軽快な音が響く。
それは鋼鉄が砕ける音ではない。
間違いなく、よく焼けたビスケットを齧る音だ。
「うまッ! サクサクじゃ! ほのかな甘みと塩加減が絶妙じゃ!」
「お、おい……」
フェンは止まらない。
バクバクと巨人の足を齧り進んでいく。
巨人は何が起きたのか理解できず、足を動かそうとするが、すでに支えとなる脛の半分が消失している。
ガクッ。
さらにバランスを崩した巨人が、もがくように腕を伸ばす。
だが、その腕もまた、美味しそうな焼き色がついたお菓子でしかなかった。
「おお! 食べ放題じゃ!」
フェンが歓喜の声を上げ、倒れた巨人の胸板という、巨大なハードビスケットに飛び乗る。
バリボリ、ムシャムシャ。
門番としての威厳も、Aランクの脅威も、今はただの巨大なおやつに成り下がっていた。
巨人の赤い目が、心なしか涙目で明滅しているように見える。
自分の体が、目の前で銀色の狼に美味しく頂かれていく恐怖。
ゴーレムに感情があるかは知らないが、もしあるとすれば、これは最大の屈辱かもしれない。
「……まあ、いいか」
俺はため息をつきつつ、その光景を眺めた。
物理攻撃無効の敵を倒すには、捕食が一番早かったということか。
それにしても、いい音をさせて食うな。少し小腹が空いてきた気がする。
数分後。
そこには、綺麗に平らげられた門番の痕跡と、満足げに腹をさするフェンだけが残っていた。
カラン、コロン。
最後に残った核――巨大な魔石が、床に転がる。
「ごちそうさまじゃ! デザートまで用意してくれるとは、カズは気が利くな!」
「喜んでもらえて何よりだよ。……腹、壊すなよ?」
「問題ない! 神獣の胃袋は鉄をも溶かすのじゃ!」
フェンがゲフッと小さなげっぷをした。
その口からは、甘いバニラの香りが漂っていた。
俺は魔石を拾い上げ、『亜空の背嚢』に放り込む。
部屋の奥にある階段が、静かに口を開けて俺たちを待っていた。




