第二話:初対面の仲間たち
翌朝。俺は指定された座標に到達していた。
事前に聞いていた通りの光景だ。だから驚きはない。
だが、実際にその場に立つと、胃の腑に冷たい鉛を落とされたような感覚を覚える。
そこは、湾岸エリアの埋立地に位置していた。
高いトタン塀に囲まれた広大な敷地。入り口には看板すらない。
本来ならば、廃車になった自動車が積み上げられ、巨大なプレス機で鉄塊へと変えられる『解体ヤード』のような雰囲気だ。
しかし、ここにある『スクラップ』は車ではない。
積み上げられているのは、奇怪な生物の骨格だ。
ひび割れた甲殻、乾燥して縮んだ爬虫類の皮、得体の知れない粘液が付着したままの巨大な牙。
それらが、まるでゴミのように乱雑に山積みされている。
ダンジョンから回収された、売れ残りか、あるいは加工待ちの素材たち。
腐敗臭と薬品の臭い、そして古い血の臭いが鼻孔を突き刺す。
敷地内を、薄汚れた作業着の男たちが歩き回っている。
彼らの目は濁り、覇気がない。あるいは、獲物を探すハイエナのようにギラついているかだ。
社会のレールから外れ、ここでしか生きられない人間たち特有の空気。
俺はネクタイを締め直し、その掃き溜めのような空間へと足を踏み入れた。
「おい、見ろよアレ」
「うわ、スーツだ。使えねェ奴なのにスーツを着てるのか、ギャハハ!」
すれ違う男たちが、遠慮のない視線を投げつけてくる。
嘲笑、侮蔑、そして僅かな嫉妬。
俺は表情を動かさず、敷地の奥にあるプレハブ小屋を目指した。
わかっていたことだ。
ここは、掃き溜め。
ITソリューション・アンド・ギルドマネジメントという、ブラック企業の中でもさらに最底辺の地獄。
ダンジョン・フロンティア株式会社――そこに送り込まれた俺もまた、彼らと同類の『廃棄物』として扱われる。
プレハブのドアを開ける。
蝶番が錆びついているのか、嫌な金属音が鳴り響いた。
「――でよぉ、そのアマが泣いて謝るもんだからさぁ!」
「ギャハハ! 大河原さん、そりゃ傑作だ!」
中はタバコの煙で白く淀んでいた。
パイプ椅子に座り、下品な笑い声を上げている三人の男女。
彼らが、今日からの俺の同僚だ。
中央に座る巨漢が、大河原ゴウ。
丸太のような腕には無数の古傷。首には太い金のネックレス。
その隣で媚びるように笑う小柄な男がネズ。
そして、化粧を直しながら気だるげに足を組んでいる女がマミ。
俺が入室しても、彼らは話をやめない。
存在そのものが認識されていないかのような扱い。
俺は咳払いを一つ落とし、彼らの前に立った。
「本日付で着任しました、矢崎カズです」
短く名乗り、頭を下げる。
その瞬間、場の空気が変わった。
大河原が、獲物を見つけた肉食獣のような目で俺を見上げる。
「あぁん?テメェか、社から来た『お荷物』ってのは」
彼は煙草を床に捨て、革靴の底でグリグリと揉み消した。
「聞いてるぜェ?こんな場所へ転げ落ちた無能だってな」
「……会社の方針に従い、こちらで尽力させていただきます」
「ハッ! 言葉だけは立派だな」
ネズが横から口を挟む。
その顔には、弱者をいたぶることを愉悦とする卑しい色が浮かんでいた。
「おいおい、そんな畏まった口きくなよ。ここでは実力が全てなんだよ。お前みたいなヒョロガリが、俺たちと同じ空気を吸えると思うなよ?」
「ちょっとネズぅ、イジメないであげなよぉ。可哀想じゃん、こんな汚いとこに来させられてさぁ」
マミが手鏡を見たまま、甘ったるい声で言う。
言葉とは裏腹に、その声には冷ややかな響きが含まれていた。
「でもぉ、スーツとかマジウケる。ここ、デスクワークをする仕事じゃないんですけど?」
三人が一斉に笑う。
俺は無表情を貫いた。
予想通りだ。彼らのレベルは低い。
探索者としての技量ではない。人間としての品性の話だ。
だが、今の俺には彼らを見下す権利はない。
俺はFランク。彼らはC級を目指すDランク上位。
この業界において、その差は絶対的な身分差に等しい。
「さて、お手並み拝見といこうか」
大河原が、腕に着けている魔道具を見た。
デジタルウォッチの一種である、それは他人のステータスを表示させる簡易鑑定機だ。
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氏名:矢崎 カズ
種族:人間
レベル:1
HP:100/100
МP:0/0
ランク:F
スキル:【メモ帳】
装備:安物のスーツ
装備:安物のビジネスシューズ
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表示された文字列を見て、大河原が吹き出した。
「ブハッ!! おい見ろよこれ! 【メモ帳】だってよ!」
「ギャハハハハ! マジっすか! 戦いの役に立たねえにも程があるだろ!」
「やっだー、何それ。遺書でも書くのか?」
爆笑がプレハブ内を揺らす。
大河原は腹を抱え、涙を流しながら笑っている。
「おいおい、こんな極上のゴミを寄越してくれるとはな!」
「……支援役として、働かせていただきます」
俺の声は、彼らの哄笑にかき消されそうになる。
「支援だぁ?寝言は寝て言えよ」
大河原が立ち上がり、俺の胸ぐらを掴み上げた。
強烈な酒とヤニの臭い。
至近距離で睨みつけられる威圧感は、野生動物のそれに近い。
「テメェの仕事はな、『荷物持ち』だ。それ以外に価値なんかねえんだよ」
彼は俺を突き放すと、部屋の隅を顎でしゃくった。
そこには、山のような荷物が置かれていた。
巨大なバックパック。その周囲に括り付けられた予備の武器、水筒、テント資材。
常識的に考えて、一人の人間が背負う量ではない。
「ほら、何してんだ。さっさと背負えよ」
ネズが俺の背中を小突く。
俺はよろめきながら、その巨大な荷物の前に立った。
推定重量、八十キロ。
これを背負ってダンジョンを歩く。
それは、探索というよりは苦行に近い。
だが、拒否権はない。
俺はジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった。
ベルトを掴み、全身のバネを使って担ぎ上げる。
ズシリ、と重力が牙を剥く。
膝が笑いそうになるのを、意志の力でねじ伏せる。
「おっ、意外と力あんだな。元デスクワークにしちゃ上出来だ」
「ま、途中でへばったら置いていくだけだしねー」
彼らは俺の苦労など気にも留めず、さっさとプレハブを出て行った。
俺は歯を食いしばり、その後を追う。
背中の重みが、俺の置かれた立場そのもののようにのしかかる。
◇
移動に使われたのは、廃車寸前のバンだった。
シートは破れ、スプリングが飛び出している。
俺は後部の荷台スペースに、荷物と共に押し込まれた。
埃とカビの臭いが充満する狭い空間。
車が走り出すと、サスペンションの死んだ車体が激しく跳ねる。
そのたびに、硬い床に打ち付けられ、背中の荷物が俺を圧迫する。
「今日は『青木ヶ原ダンジョン』の中層まで行くぞ。ノルマはミスリル鉱石だ」
「ダルいっすねぇ。あそこのモンスター、硬いから嫌いなんですよ」
「私のネイルが傷つかないようにしてよね。大河原さん、頼りにしてるから」
運転席と助手席、そして後部座席を陣取った三人は、くだらない雑談に興じている。
俺の存在など、荷物の一つと変わらない扱いだ。
「おい、ゴミ虫」
不意に、大河原が振り返った。
「ダンジョンに入ったら、テメェが先頭だ。わかってるな?」
「……罠の探知、ということですか」
「そうだ。テメェの体でな」
ネズがハンドルを握りながら、下卑た笑い声を上げる。
「便利な探知機だよなァ。反応があったら死ぬ。反応がなきゃ安全。わかりやすくていいぜ」
文字通りの捨て駒。
俺が罠にかかって死んでも、彼らは痛くも痒くもない。
むしろ、荷物が減って清々するくらいに思っているだろう。
「お前のその【メモ帳】だっけ? 死ぬ瞬間の感想でも書いとけよ。業務報告ってやつだ、『痛かったです』ってな!」
「ギャハハ! それ最高ッス!」
車内が嘲笑で満たされる。
俺は何も言い返さなかった。
言い返すだけの言葉を持たないからではない。
ここで感情を消費することすら、無駄だと思ったからだ。
窓の外を流れる景色は、次第に荒涼としたものへと変わっていく。
枯れた木々。瘴気によって変色した土壌。
かつて観光地だった場所は、今や魔物の住処へと変貌していた。
やがて、車はダンジョンの入り口付近にある広場に到着した。
そこには既に、多くの探索者たちが集まっていた。
大手クランの紋章が入った装甲車。最新鋭の装備に身を包んだエリートたち。
彼らの醸し出す空気は、俺たちとは明らかに違う。
洗練され、規律があり、そして自信に満ちている。
俺たちがボロボロのバンから降りると、周囲の視線が一瞬だけ集まり、すぐに霧散した。
「関わりたくない」という明確な拒絶。
特に、スーツ姿で巨大な荷物を背負った俺を見る目は、哀れみそのものだった。
「チッ、気取ったやつだぜ」
大河原が足元に唾を吐く。
その仕草ひとつにも、彼のコンプレックスが滲み出ている。
自分たちよりも上位の存在に対する、捻じ曲がった敵対心。
それを、彼らは俺という『下』を作ることで解消しようとしているのだ。
「おい、ゴミ野郎!グズグズすんな!」
怒鳴り声と共に、背中を蹴り飛ばされる。
俺はよろめき、危うく転倒しそうになった。
周囲からクスクスという失笑が漏れる。
「へへ、ザマァねえな。ほら、さっさと先頭歩けよ」
ネズがナイフを弄びながら顎で促す。
俺は姿勢を立て直し、ダンジョンの入り口へと向かった。
巨大な洞窟の口が、黒い闇を湛えて待ち構えている。
中からは、冷たく湿った風が吹き出していた。
俺は一歩、その闇の中へと足を踏み入れる。
背後からは、俺を盾にしようとする三人の気配。
前方には、死と隣り合わせの迷宮。
逃げ場はない。
俺はただ、黙々と足を動かした。動かすしかなかった。




