第十七話:コンクリート・ジャングルの支配者
アビス・タワー、第一階層。
そこは、俺の知る「ダンジョン」の概念を、物理的な暴力で殴りつけてくるような場所だった。
青木ヶ原の樹海が、自然の脅威そのものであったとするならば、ここは文明の死骸と自然の暴走が、不格好に抱き合ったまま腐敗したような空間だ。
かつてオフィスビルだった骨組み。
その鉄骨の肋骨に、極彩色の蔦が筋肉のように絡みつき、脈動している。
床を埋め尽くすのは、苔むしたタイルカーペットと、そこから突き出した巨大なシダ植物だ。
頭上を見上げれば、ひび割れた蛍光灯の列が、まるで深海魚の発光器官のように、頼りない明滅を繰り返している。
「……趣味が悪いな、ここは」
俺は革靴の裏で、ぬかるんだカーペットを踏みしめた。
グチャリ、と湿った音が響く。
長年放置された雑巾のような、カビとホコリ、そして植物の青臭さが混ざった空気が、鼻腔の奥にへばりつく。
空調は死んでいるはずなのに、どこからか生暖かい風が吹き抜けていく。それはまるで、この巨大な建造物が吐き出す、熱を持った吐息のようだった。
『カズよ。ここはいささか、湿気が多すぎるぞ』
隣を歩くフェンが、不快そうに身震いをした。
その銀色の毛並みは、自身の魔力でコーティングされているためか、汚れひとつ付いていない。だが、本人はこのジメジメした空気が気に入らないらしい。
彼女は頻繁に、前足で鼻先をこすっている。
『それに、匂いが混濁しておる。獣の臭い、草の臭い、そして……あの焦げ付いたような臭いはなんだ? 鼻がバカになりそうじゃ』
「焦げ臭いのは、電子機器がショートしてるんだろ。壁の中に埋まってる配線が、植物の根っこに食い破られてるんだ」
俺は壁面を指差した。
そこには、かつてエレベーターホールだったと思われる空間があった。だが、扉はねじ曲がり、その隙間からは太い木の根が溢れ出している。
根の隙間には、半分だけ原形を留めたコピー機や、ひしゃげたスチールデスクが飲み込まれていた。
文明の利器が、圧倒的な生命力によって陵辱され、苗床にされている。
ガサリ。
前方の茂みが揺れた。
ただの風ではない。明確な意思を持った動きだ。
俺の視界に、即座に情報ウィンドウがポップアップする。
【ラベル閲覧】。
スキルが発動し、茂みの向こうに潜む「それ」の正体を暴き出す。
『名称:オフィス・ゴブリン』
『ランク:E』
『状態:待ち伏せ、空腹』
『装備:破損したカッターナイフ、丸めた雑誌』
「……オフィス・ゴブリンだと?」
ふざけた名前だ。
だが、姿を現したそいつを見て、俺は納得せざるを得なかった。
茂みから飛び出してきたのは、小柄な緑色の小鬼だ。
しかし、その格好が異様だった。
腰には、ボロボロになったスーツのズボンを布切れのように巻き付け、首からは社員証のストラップのようなものをぶら下げている。
手には、錆びついた大型のカッターナイフが握られていた。
ギギッ! ギギャッ!
ゴブリンは耳障りな奇声を上げながら、俺たちに向けて威嚇をしてきた。
その後ろから、ゾロゾロと仲間たちが現れる。
全部で六体。
どいつもこいつも、サラリーマンの成れの果てのような格好をしている。
『なんじゃ、あれは。……人間か? それとも魔物か?』
フェンが呆れたような声を出す。
彼女にとっても、この奇妙な魔物は理解の範疇を超えているらしい。
「魔物だよ。この環境に適応して進化した……あるいは、この塔の悪意が産み出した冗談みたいな存在だ」
『ふん。……品がないのう。あのような薄汚い布を巻きおって』
フェンは興味なさそうに鼻を鳴らすと、あくびをした。
戦闘態勢にすら入らない。
Eランクの魔物など、彼女にとっては道端の小石以下だということだ。
俺も同感だ。
わざわざ『竜殺しのダガー』を抜くのも面倒くさい。
「フェン、手出しは無用だ。……実験台になってもらう」
俺は一歩前に出た。
ゴブリンたちが、獲物を見つけた喜びに顔を歪める。
彼らは俺を、ただの無防備な人間だと思っているのだろう。
カッターナイフを振り上げ、一斉に飛びかかってくる。
俺は動かない。
ただ、視界の中にある「文字列」を見つめ、意識を集中させる。
【ラベル書き換え】。
俺の指先が、虚空にある不可視のキーボードを叩く。
対象は、先頭を走るゴブリンの足元の地面。
そこには『材質:フロアマット』というラベルが貼られている。
俺はそれを、書き換えた。
『材質:強力粘着シート』
瞬間。
ベチャッ!
「ギャッ!?」
勢いよく踏み込んだゴブリンの足が、地面に吸い付いたように固定された。
慣性の法則は容赦ない。
上半身だけが前に進もうとし、下半身はその場に留まる。
結果、ゴブリンは盛大に前のめりに転倒し、顔面から地面に激突した。
さらに、その顔も粘着質な床に張り付き、身動きが取れなくなる。
「ギ、ギギッ!?」
後続のゴブリンたちが、仲間の急な失態に驚き、足を止めようとする。
だが、遅い。
俺はすでに、次のラベルを書き換えていた。
彼らの頭上にある、腐りかけた天井の配管。
『状態:劣化』というラベルを、『状態:崩落』へと変更する。
バキバキッ! ドサァッ!
轟音と共に、天井の一部が抜け落ちた。
錆びた鉄パイプやコンクリート片が、ゴブリンたちの頭上に雨のように降り注ぐ。
悲鳴を上げる暇もなかった。
五体のゴブリンは、一瞬にして瓦礫の下敷きとなり、ピクリとも動かなくなった。
『……相変わらず、地味な戦い方をするのう』
フェンがジト目で俺を見上げてくる。
『我ならば、爪の一振りで全員の首を飛ばせるぞ?』
「お前の爪だと、魔石ごと粉砕しちゃうだろ。それに、こっちの方が確実だ」
俺は瓦礫の山に近づき、その隙間から転がり落ちてきた魔石を回収した。
Eランクの魔石が六個。
労力に対する対価としては、悪くない。
何より、自分の手足を使わずに敵を排除できるのは、長期的な探索において大きなアドバンテージになる。
【ラベル書き換え】のスキルは、MPを消費する。だが、レベル99になった現在の俺のMP総量は、以前とは桁違いだ。この程度の書き換えなら、呼吸をするのと変わらない感覚で行える。
「さて、先へ進むか。……ネットの情報だと、5階層あたりに中継地点があるらしい」
『うむ。……そこには美味いものがあるのか?』
「あるわけないだろ。ただの休憩所だ」
『つまらん。……早くもっと強い獲物を出せ。腹が減ったわ』
文句を言いながらも、フェンは俺の少し前を歩き、索敵を行ってくれている。
その尻尾が、左右に揺れているのを見るだけで、この殺伐としたダンジョンが、少しだけ平和な散歩道のように思えてくるから不思議だ。
◇
3階層に到達した頃、周囲の植生が変化を見せ始めた。
低層階のオフィス跡地とは異なり、ここは吹き抜けの広大な空間を利用した、立体的なジャングルとなっていた。
かつてショッピングモールか何かだったのだろうか。
数階分の高さがある吹き抜けには、巨大な樹木が何本もそびえ立ち、その枝が複雑な足場を形成している。
エスカレーターは滝のように植物に覆われ、手すりの上を極彩色のトカゲが走り回っている。
「……足場が悪いな」
俺は慎重に、太い根の上を歩いた。
一歩踏み外せば、数十メートル下の地面まで真っ逆さまだ。
もちろん、レベル99の身体能力があれば、着地しても無傷で済むだろう。だが、精神衛生上よろしくない。
『カズ、あれを見ろ』
フェンが立ち止まり、上空を見上げた。
彼女の視線の先には、ドローンのような物体が浮遊していた。
いや、ドローンではない。
よく見ると、それは巨大な蜂のような昆虫だった。
金属的な光沢を持つ甲殻に覆われ、腹部からは赤い光が点滅している。
『名称:スカウト・ビー』
『ランク:D』
『特徴:集団行動、警報フェロモンの散布』
「偵察バチか。……見つかると面倒だな」
あいつに見つかれば、仲間を呼ばれる。
この足場の悪い場所で、飛行型の魔物の大群に襲われるのは避けたい。
俺はフェンに合図を送り、物陰に身を隠そうとした。
その時だ。
「きゃああああああッ!!」
悲鳴が響いた。
女性の声だ。
それも、かなり切羽詰まった、恐怖に染まった声。
俺とフェンは顔を見合わせた。
『……人間か?』
「みたいだな。方向は……あっちか」
声の聞こえた方角は、俺たちが進もうとしていたルートの少し先、吹き抜けの中央にある広場のあたりだ。
俺たちは即座に動き出した。
隠密行動から、強襲モードへ。
俺は根の上を蹴り、フェンは枝から枝へと軽やかに跳躍する。
数秒後、広場の全貌が見えてきた。
そこは、かつてイベントスペースだったと思われる円形の場所だ。
その中央に、一人の少女がへたり込んでいた。
年齢は十代後半だろうか。
ピンクがかった茶髪をボブカットにし、探索者にしては派手な、フリルのついた軽装鎧を身につけている。
彼女の周囲には、三台の小型カメラドローンが浮遊し、忙しなく彼女を撮影し続けていた。
配信者だ。
東京のダンジョンでは珍しくない、探索の様子を生放送して稼ぐ『動画配信者』というやつだろう。
だが、今の彼女は、視聴者に愛嬌を振りまく余裕など失っていた。
彼女を取り囲んでいるのは、十体以上の魔物の群れ。
『名称:ハイ・オーク』
『ランク:C』
『状態:興奮、殺意』
『装備:粗末な鉄斧、革の腰巻き』
豚の顔を持つ巨漢の戦士たち。
身長は二メートルを超え、その筋肉は岩のように隆起している。
彼らは鼻息を荒くし、よだれを垂らしながら、無力な獲物をじりじりと追い詰めていた。
Cランクの魔物が十体。
これは、中堅のパーティでも全滅しかねない戦力差だ。
「い、いや……こないで……!」
少女は涙目で、震える手で杖を構えている。
だが、魔力切れなのか、杖の先端からは頼りない火花が散るだけだ。
ドローンが彼女の恐怖に引きつった表情をアップで捉え、空中に投影されたコメント欄が高速で流れていくのが見えた。
『逃げろ!』
『あかん、これ詰んだ』
『誰か救援呼べよ!』
『運営何してんだ!』
『終わったな……』
無責任な言葉の羅列。
安全圏から他人の不幸を消費する、現代のコロッセオの観客たち。
俺は舌打ちをした。
助ける義理はない。
だが、目の前で人間が魔物の餌になるのを黙って見ているほど、俺も落ちぶれてはいない。
「フェン」
『うむ。……あの豚ども、臭いのう』
フェンが低い唸り声を上げる。
彼女もまた、状況を理解し、戦闘の許可を求めている。
「数は十。……少女には指一本触れさせるな。あとは好きにしろ」
『承知! 久々の運動会じゃ!』
フェンが跳んだ。
銀色の流星となって、広場へと急降下する。
ドォォォォォンッ!!
着地の衝撃で、広場の床が揺れた。
突然の乱入者に、オークたちが驚いて動きを止める。
もうもうと立ち込める粉塵の中から、巨大な銀色の狼が姿を現した。
「グルルルルルゥ……ッ!!」
フェンが咆哮する。
それは、ただの獣の吠え声ではない。
大気を震わせ、生物の本能に直接訴えかける、王者の威圧。
オークたちが怯み、後ずさる。
少女もまた、突然現れた怪物に目を見開き、悲鳴すら忘れて固まっていた。
俺はその隙に、音もなく広場の端に着地した。
オークたちの注意は完全にフェンに向いている。
俺は視界を開き、戦場全体を俯瞰する。
【ラベル閲覧】。
情報が洪水のように流れ込んでくる。
俺は素早く、オークたちの頭上に浮かぶラベルを次々とタップし、書き換えていく。
『装備:鉄の斧』 → 『装備:発泡スチロールの斧』
『敏捷性:C』 → 『敏捷性:E(泥酔状態)』
『連携:B』 → 『連携:F(仲間割れ)』
そして世界の法則が、局所的に書き換わる。
「ブモォッ!?」
先頭のオークが、フェンに向かって斧を振り下ろした。
だが、その一撃はあまりにも軽く、そして遅かった。
フェンが避けるまでもない。
斧はフェンの鼻先に当たる直前で、パコンッという間の抜けた音を立てて砕け散った。
発泡スチロールだから当然だ。
「ブッ!?」
オークが自分の武器を見て、マヌケな顔をする。
その隙を、フェンが見逃すはずがない。
『遅い! そして脆い!』
フェンの前足が閃く。
鋭い爪が、オークの巨体を軽々と弾き飛ばした。
数メートル吹っ飛び、壁に激突して動かなくなるオーク。
残りのオークたちが激昂し、一斉に襲いかかろうとする。
だが、彼らの足取りはおかしい。
まるで千鳥足のようにふらつき、お互いにぶつかり合っている。
「ブゴッ! ブモッ!」
「グギッ!?」
一人が転び、それに巻き込まれて二人目が倒れる。
後ろから来た奴が、前の奴の背中に斧を叩きつける。
現場は一瞬にして、コントのような泥仕合と化した。
少女は、ポカンと口を開けてその光景を見ていた。
ドローンのカメラも、状況が理解できずに右往左往している。
コメント欄が加速する。
『は?』
『何が起きてるんだw』
『オーク弱すぎね?』
『あの犬、強くね!?』
『斧が壊れたぞww』
混乱する戦場の中、フェンだけが水を得た魚のように暴れ回っていた。
彼女は、まるでボール遊びでもするかのように、オークたちを次々と跳ね飛ばしていく。
噛み砕くことすらしない。
ただの前足のビンタだけで、Cランクの魔物がゴミのように宙を舞う。
『弱い! 弱すぎるぞ! 張り合いがないわ!』
フェンが楽しそうに叫ぶ。
俺はため息をつきながら、戦場の隅で傍観していた。
ラベルの書き換えが効きすぎたかもしれない。
これでは戦闘訓練にもならないな。
わずか一分足らず。
十体のハイ・オークは、すべて地面に伸びていた。
死んではいないが、気絶しているか、戦意を喪失して震えている。
完全なる制圧。
フェンは満足げに鼻を鳴らし、最後の一体を踏みつけて勝利のポーズを決めた。
そして、俺の方を振り向き、尻尾をブンブンと振った。
『どうじゃカズ! 我の華麗なる勝利は!』
「はいはい、お疲れ様。……派手にやりすぎだ」
俺は苦笑しながら、フェンに歩み寄った。
その時、背後から声がかかった。
「あ、あの……ッ!」
少女だ。
彼女は杖を杖代わりにして、よろよろと立ち上がっていた。
その瞳は、涙と驚愕と、そして微かな希望で揺れている。
「た、助けてくれて、ありがとうございます……! もうダメかと……」
彼女は深々と頭を下げた。
その拍子に、周囲のドローンが一斉に俺たちの方へレンズを向けた。
『うわ、イケメンきた』
『スーツ? サラリーマンか?』
『あの犬の飼い主?』
『なんでスーツでダンジョンにいんだよw』
『すげえ、オークを瞬殺したぞ』
空中に浮かぶコメント欄が、俺の姿を品定めするように流れていく。
俺は眉をひそめた。
目立ちたくはない。
特に、こんな得体の知れない配信のネタにされるのは御免だ。
「……礼には及ばない。通りがかっただけだ」
俺は短く告げると、踵を返した。
「行くぞ、フェン」
『うむ。ここは騒がしい。……あの空飛ぶ虫も、ブンブンとうるさいしな』
フェンが虫と呼ぶ、ドローンを睨みつけると、ドローンたちは怯えたように高度を上げた。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
少女が呼び止める。
俺は立ち止まらずに背中で聞いた。
「お礼をさせてください! それに、お名前を……! あんな強いわんちゃん、見たことありません! もしかして、有名なランカーの方ですか!?」
わんちゃん。
フェンの耳がピクリと動いた。
彼女が「犬扱い」に腹を立てて振り返ろうとするのを、俺は目線で制した。
「……名乗るほどの者じゃない」
俺はそれだけ言い残し、植物の茂みへと足を踏み入れた。
フェンも俺に従い、少女とカメラに一瞥もくれずに闇へと消えていく。
「あ……」
少女の声が遠ざかる。
俺たちは、再び静寂なジャングルへと戻った。
◇
少し離れた場所まで移動してから、俺は大きく息を吐いた。
「……面倒なことになったな」
『なぜじゃ? 人間を助けたのじゃぞ? 褒められこそすれ、面倒なことはあるまい』
フェンが不思議そうに首を傾げる。
彼女には、現代社会の「拡散」という概念が理解できていない。
「あのカメラだ。……今の映像、生中継されてたんだぞ。俺たちの顔も、お前の戦いぶりも、全部世界中に流れたってことだ」
『ほう? 世界中に? ……ということは、我が美しい姿が、世の中に知れ渡ったということか!』
フェンは目を輝かせ、胸を張った。
『よいことではないか! 我を崇める下僕が増えるかもしれんぞ!』
「……お前なあ。有名になれば、それだけ厄介事も増えるんだよ。変な奴が絡んできたり、組織に勧誘されたり……」
俺は頭を抱えた。
平穏に、自由に最強を目指す。
それが俺のモットーだったはずだ。
だが、今の出来事で、その計画に狂いが生じる可能性が出てきた。
「まあ、顔は遠目だったし、名前も言ってない。……なんとかなるか」
楽観的に考えることにした。
東京のダンジョンには、奇抜な格好をした探索者は山ほどいる。
スーツ姿の男と犬のコンビなんて、すぐに忘れ去られるだろう。
……そう願いたい。
「気を取り直して進むぞ。5階層までは一気に行く」
『うむ! 次こそは歯ごたえのある獲物を頼むぞ! 発泡スチロールはもう飽きた!』
俺たちは再び歩き出した。
目指すは下層への階段。
だが、俺の予感通り、この塔はそう簡単に俺たちを通してはくれなかった。
4階層。
そこは、「書類の沼地」と呼ばれるエリアだった。
床一面に、泥のように溶けた紙屑が広がり、足を取られる悪路。
その沼の中から、触手のように伸びてくるインクの塊。
『名称:インク・スライム』
『ランク:D』
『特徴:物理攻撃無効、装備を汚す』
「うわ、最悪だ。……スーツが汚れる」
俺は眉を寄せた。
物理攻撃が効かないスライム相手に、ダガーは意味をなさない。
フェンも、自分の毛並みが汚れるのを嫌がって、遠巻きに吠えているだけだ。
『カズ! なんとかせよ! あの黒い液体、臭いぞ!』
「分かってるよ。……ラベル編集」
俺はスライムの核となる部分にラベルを見つけた。
『属性:液体』。
俺はそれを書き換える。
『属性:固体(乾燥)』。
ジュワッ!
水分を失ったスライムは、一瞬にして乾いた粉末となり、サラサラと崩れ落ちた。
ただの黒い砂の山ができあがる。
「……掃除機があれば吸えるのにな」
『ほう! 見事じゃ! さすが我が契約者!』
フェンが尻尾を振って褒めてくれる。
俺たちは、粉になった元スライムを踏み越えて進んだ。
そして、ついに5階層への階段が見えてきた時だった。
階段の前に、巨大な影が立ちはだかっていた。
これまでの雑魚とは、明らかに格が違う気配。
そいつは、かつて受付カウンターだった場所を玉座のようにして座っていた。
身長は三メートル近い。
全身を、硬質な樹皮と、コンクリート片で鎧のように覆った巨人。
その顔には、目も鼻もなく、ただ巨大な裂け目のような口だけがあった。
『名称:ゲートキーパー(門番樹)』
『ランク:B』
『状態:覚醒、排除モード』
『スキル:根の拘束、酸の吐息』
Bランク。
中層クラスの魔物が、こんな浅い階層にいるとは。
「……フェン。出番だぞ」
『うむ。……やっと、少しはマシなのが出たようじゃな』
フェンが身を低くし、喉の奥で唸りを上げる。
門番樹がゆっくりと立ち上がり、その裂け目のような口から、シューシューという不気味な呼吸音を漏らした。
さあ、第1ラウンドのボス戦だ。
俺はダガーを抜き、軽く手の中で回した。




